ウェストン氏からの贈り物 〜第56回上高地・ウェストン祭に参加して〜
イギリスのWalther Weston (1861〜1940)牧師が島々宿(しましまじゅく)から上高地へ足を踏み入れて今年で ちょうど111年目にあたるそうです。 ウェストン祭は日本アルプスを世界に紹介した業績を称え、終戦後の昭和22年に新たに取り付けられたレリーフ の前で献花、献歌をして登山の意義や無事を願うもので、上高地の山開きの行事として定着しつつあります。 日本山岳会信濃支部の発表によれば、今年の峠越え参加者は700名強で、年々増えているとの事。 地元、安曇村小学校や中学校の生徒さんも参加して6月1日の朝6時に出発し、林道を2時間半歩いて、山道へ と入り、徳本峠越えをしました。この峠越えはアプローチが長くて人によって8時間、9時間にもおよぶ山行です。 まだ残雪の残る徳本峠の小屋ではあたたかい豚汁が無料でふるまわれるサービスがありました。 山小屋の管理人さん、お手伝いのスタッフの皆さん、ごちそう様でした。 節分の日の夕方にTVの特番で「上高地」が放映されたのを見ました。歌手の森山良子さんが上高地の四季を 紹介するという企画で穂高岳の山頂に登ったり、ギターでオリジナル曲を披露したり、真冬の山小屋を訪れたりと いう内容で、その番組の一部で、昨年のウェストン祭の日に、エーデルワイスクラブの坂倉登喜子さんが91歳の ご高齢にもかかわらず、徳本峠を越えられて上高地入りするお姿に感動した私は今年のウェストン祭に上高地へ 行こうと決めていたのです。 午後3時の下山の途中で年配の3名のご婦人方に道を譲られ、すれ違うその瞬間、ずいぶんお年を召した方が いることに気付きました。 「あのー、もしかして…○○さんですか?」 不覚にもおなかのすいていた私は高山の板蔵ラーメンのことで頭がいっぱいだったせいか、坂倉さんに対して “板倉さん”と呼んでしまったのです。 お供の助さん角さんは、すかさずこの印籠が目に入らぬかっ!と言わんばかりに「坂倉ですよ、さ・か・く・らぁ〜」 胸元に付けたエーデルワイスのクラブバッジを光らせたのでした。 ああ…私としたことが、ここ一番という大事な所で、よりによってお名前を間違えてお呼びするとは…><。 血液が逆流してしまったのか放心状態で頭の中はもう真っ白け。 坂倉さんはそんな私に動じずニッコリ微笑んで「握手しましょう」と手を差し出されたのでした。 「わわっ…ありがとうございます。お元気ですねぇ」 「今年も登りにこれましたの。皆さんのおかげです。あなたも長生きしてくださいね」 私は返す言葉を失っていました。 「長生きしてください」 本来なら私のほうから言わなければならない言葉なのに…。 先に下山した私はNHKのスタッフに、打ち合わせの邪魔にならない程度に撮影の許可をとって、坂倉さんが下山 されるのを待ちました。 翌2日の祭典も抜けるような青空が広がり、梓川の清流の音とエーデルワイスクラブの「歓びの歌」のコーラス でスタート。安曇村の村長さんのご挨拶や日本山岳会信濃支部の方のお話、上高地の歴史や登山の意義定義 健康のためのハイキングのお話のあとに献花。そして「ウェストン祭の歌」、なじみのある「雪山賛歌」、「ふるさと」 最後に「今日の日はさようなら」を皆で合唱してお開きとなりました。 坂倉さん、100歳になってもお元気で山歩きをされてくださいね。 そして来年のウェストン祭、再来年のウェストン祭の日にも、あの峠道のあの場所でお会いしたいと思います。 徳本峠の下山時に坂倉さんと腕を組んで撮影した貴重な1枚のスナップ写真は、ウェストン氏からの素敵な贈り物 になりました。 |
2002/6/2のウェストン祭記念品 金光義朗氏デザインの手拭い と シナノキンバイの木彫りバッジ |
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※このコーナーの写真はすべてデジカメ撮影です。