身代金

 一人息子を誘拐された航空会社社長が、犯人への身代金の引き渡しを拒否し、自らの手で犯人と対決する。メル・ギブソン扮する社長は犯人と向き合う過程で、自分自身の内面と直面せざるを得なくなる。それが登場人物を立体的にし、ドラマに厚みを持たせた。
 主人公トム・ミューレンの性格は、開巻直後のパーティーのシーンでコンパクトだが的確に描写される。そのシーンでは、本人の登場する航空会社のCFを小道具に、リスクを恐れぬアグレッシブな企業家、息子思いの父親という2面性が描かれ、新聞記者の登場で彼も決してクリーンなだけの人間でないことも匂わせる。彼はストを回避するために買収工作を行っていたのだ。この買収工作のエピソードは、そのまま犯人の動機につながっている。
 犯人役のゲイリー・シニーズは、H・G・ウエルズのタイムマシンの中の未来社会を現代のニューヨークに例えて心境を語る。豊かで幸せな暮らしをする一部の人間を支えるために、地下に追い込まれた人々がいる。そして、地下に住む人間たちは自分たちの社会を支えるために時折、地上の人間の子どもさらうのだ、と。そして犯人は「お前は何でも金で解決するやつだ」と、トムが買収行為をしたことを例にとり、子どものためなら金を払えるはずだ、と取引を強要する。
 小説「タイムマシン」中のエピソードは、しがない警察官である犯人のルサンチマンを現しているだけではない。それは主人公が、妻や子ども、FBIにまで嘘をついて「なかったことに」してしまっている買収事件そのものの暗喩にもなっている。犯人が自らの考えを語るこのシーンがあることで、犯人像はトムのダークサイド、あるいはネガとしての色彩を帯びてくる。そしてトムは自らの暗部と対決しなければ、息子(=幸せな家族)を取り戻すことはできないのだ。
 ここでトムはある意味正々堂々と、犯人と渡り合う方法を選択する。誘拐当初は犯人の要求をすべて飲もうとしていたトムにとってこれは大きな転換点だ。そして、この決断をが結果的に、買収の事実に関して嘘をついていたことを妻に知られる事態を招く。が、自分が闘うべき相手が分かった以上、トムに迷いはない。彼の中には自分の罪をも含めて、自らがそれを引き受ける決意をしたからだ。
 ただトムが一度後悔の表情を見せる瞬間がある。犯人の要求をあくまで突っぱねた時、息子を撃ったと思われる銃声が電話ごしに聞こえた時だ。呆然自失となったトムは、テラスまで出て一瞬自殺を考える。だが、結局飛び降りることはできず、泣き崩れるトム。この時にこれまでのアグレッシブで不正もいとわない企業家のトムは一度死んだのだ。その点では彼は究極の方法で自らの罪をあがなおうとしたと言えるだろう。
 トムは最後に犯人と対峙し、けん銃を構えたまま2人とも警官に囲まれてしまう。そこでは、トムが被害者側なのを知るのは、唯一買収の罪を告白した相手であるFBIの捜査員だけという構図で、この映画の基本となったドラマが圧縮して表現されている。そして、トムは犯人を「克服」する。エンディングロールでは犯人が倒れた現場が清掃される過程を映し続けていることからも、トムが自らの「罪」を受け入れることで、罪をあがなった(法律上の意味ではなく)というメッセージを読み取ることは可能だろう。
 
 通常なら単なるサスペンスフルな物語で終わってしまうところを、主人公の内面の葛藤の物語としても読み込めるようにまとめあげたシナリオと演出がこの映画をいっそう深いものに仕上げていた。
(97/03/24)


映画印象派 RN/HP