東京ディズニーランドの神事

 祭りには何が必要か?それは、神話の再現劇である神事と、それを祝ういわゆる「お祭り」の部分である。かつては地域の共同社会の中にあった神話を多くの人が信じていたが、地域共同体の力が弱まった今、その神話は映画やテレビといったマスコミュニケーションにとって代わられた。それによって暦で決まっていたハレの日というものなくなり、各個人が自分のなかでケとハレを好きに使い分けるようになった。
 東京ディズニーランドは、いわばハレを求めてくれる人に対して祭りを供給するよく完成されたシステムだ。東京ディズニーランドが、他のテーマパークと一線を画すのは、サービスやそれを提供するスタッフによる非日常の演出が優れているだけではない。それら「お祭り」の部分ではなく、ディズニーランドは、現代の神話をバックボーンに持っているからこそ、優れた祭りを行うことができるのだ。
 東京ディズニーランドが持つ神話とは、いうまでもなくディズニープロダクションの作品群である。これが多くの人に受け入れられているからこそ、人気キャラクターの縫いぐるみが、縫いぐるみでなく物語の「現実化」として受け止められるのである。さらに、さまざまなアトラクションもアトラクションに留まらず、物語をアトラクションとしての再表現という意味を持つことになる。
 東京ディズニーランドを訪れた我々は、いわばディズニー神話をベースとした「神事」につき合っているといえる。エレクトリカルパレード(今はファンティリュージョンだが)は、神々が行列してそれぞれの姿を見せるという、神事のクライマックスだ。
 逆に言えば、新たなテーマパークを作る場合には、どのような「神話」をそのテーマパークの中央に置くかが大切な問題となる。何故なら、神様のいない神社はいくら社殿が立派でも、そこ訪れようと思う人はいないはずだからだ。


雑談的独白 RN/HP