1997年12月上旬


<12月1日・月>
◇経理の精算に追われる一日。午後6時から新宿で打ち合わせ。マンガについての雑談も。

<12月2日・火>
◇エアポケットのような一日である。ヒマというわけではないのだが。

<12月3日・水>
◇あちこちに連絡とりまくりで、仕事の段取りを進める1日。

<12月4日・木>
◇来週月曜日に締め切りがある仕事のメドがついてきた。

<12月5日・金>
◇当然、6日明け方まで仕事である。ああ、パルコ木下の展覧会に行きたかったなあ。

<12月6日・土>
◇寝まくり。起きて何も生産的なことをしていない自分を恥じる。PG。

<12月7日・日>
◇ 遅ればせながら映画「愛する」を見る。で、見なかったことにしておこう。この映画がつまらないのは、いろんな切り方で説明できそうなので、この映画を批判するのは芸の見せ所でもあるかもしれない。ところで、この映画をほめている文章(玄人・素人問わず)を読んだ記憶があるが、身に覚えがある人は胸に手をあてて反省するよーに。

○ それから吉祥寺のSHOP33に。村上隆さん率いるHIROPON FACTORYの一員、タカノ綾さんの展覧会である。細身の女の子がしなやかな身体をくねらせてブリッジしてたりする絵がたくさんあって、なかなかキュート。身体の線が生々しくってエッチとは違った皮膚感覚みたいなものが漂っている。値段も1万円以下からあって、なかなかお手頃。ボクも部屋が広かったら1枚ぐらい買っても良かったのだが、今は部屋も狭く、カネもないので断念。そこで、1冊1冊手作りでつくったという単行本?を3000円で購入した。このなかには作品のコピーやインタビューなどが収録されていてなかなかお買い得ではある。中に10ページあまりのマンガも載っていたけれど、わざと手作り感を強調したせいか、”乱丁”状態で読むのが一苦労。でも、経験をつめばカルトな漫画家になりそうな雰囲気が濃厚にある作品だった。
 ところで、アーティストと漫画家どっちが儲かるのだろうか?

△ 列車移動中は、ひたすら読書。最近、読書は俺的トレンド(死語)なのである。←ウソ。とりあえず、たくさんの本に目を通さなければいけないんで、自らに100ページルールを設ける。これは、100ページまで読んだ段階で、その本が一定の水準を超えているかどうかを判断するというものである。強引だとは思うがしょうがない。
そんなわけで今日、100ページだけ目を通した本。
・「クランク・アップ」(橋本浩、小学館 1300円)。
典型的なYAノベルの青春もの。「BOY’S BE…」ほどあざとく欲望を刺激することなく、かといって「スタンド・バイ・ミー」のように深刻でもない。あくまでも普通という中庸を歩んでいる。映画撮影、恋愛、文化祭、合宿といったおなじみのアイテムを手際よく並べ、それがワンパターンに陥らなかったのは見事だが、同時に平凡な印象もつきまとう。<不合格>
・「メッセージボード」(藤原智美、読売新聞社 1800円)
生活に潜むさまざまな不安感が一人称の語り口の向こうから立ち上ってくる。そこでラストのオチがあるとショートショートになってしまうのだが、この短編はどれも(読んだ分は)そういう展開を避けるように終わっている。それが、読者を投げ出すようで、ゾクリとさせる。<合格>
・「空から光が降りてくる」(ジェイ・マキナニー 駒沢敏器訳、講談社 2400円)
N.Y.の出版社に勤務するヤッピーの生態を描いた。彼らが自分たちの生活をいかにストレスが多いと感じているか、がよく分かる。彼らはやはりアメリカ的価値観(自分らしくあることを脅迫観念的に正しいと思う、ことなど)の中で窮屈に暮らしているのだ。社会そのものが持つ日本の窮屈さとはどちらが、暮らしやすいのだろうか? そんなことも考えさせられる。しかし、日本では20−30代が読むようなこの種の小説がないというのは文化の差なのだろうか。

(おまけ)金曜日に100ページだけ読んだ本
・「14」(桜井亜美、幻冬舎 1200円)
酒鬼薔薇事件を題材に、彼を思わせる主人公が事件にいたるまでの人生を1人称で語った。が、そこに使われる言葉たるやひどいものである。主人公がいかに知的であっても、9歳や11歳の内面の言葉があんな言葉づかいであるわけがない。「海は憎悪で煮え立っている」なんて、9歳(あるいは14歳)の子供の内面にある言葉じゃないでしょ。また、9歳の子供が母親の行動を見透かす際の心理も不自然か感じは否めない。話題性だけの本である。

<12月8日・月>
◇ 夕方から池袋へ「対論 島田雅彦×東浩紀」を見に行く。仕事でちょっと遅れていったら、郊外・ニュータウンの話題が一区切りついて、エヴァに話題が移るところだった。劇場版は未見という島田さんに、「見て下さい」と東さんが発言して、あわやその話題は終わりかけた?が、それでもなんとか会話は続いていく。東さんは基本的に今まで発言してきたことの総まとめという感じ、で勢いよくしゃべるしゃべる。クイックジャパンの夏エヴァ試写後の対談もきっとあんな調子だったんだろうなあ。故・週刊アスキーで「エヴァはSF中学生日記」と語った島田さんは、「それプラスポルノ」という意見も今回は披露。
 ポルノといってもつまり、「もてなかった十代に、周りに女性がいたらなあという気持ちの反映でキャラクターの構図が出来ている」という程度の指摘で、島田さんはつまり一応チェックはしたもののエヴァにあまり興味がないというのが正直なところだろう。

 話題はその後、文学と批評を巡る現状に。「80年代のニューアカブームのころと違って共通の文学的な話題やハヤリが無くなった今、どうやって他人刺激し会うような広義のコラボレーションを確立できるか」(推測)というようなことを考える東さん。「結局は能力のある人間が自分の中のプリミティブな何かを探り当てて作品を作るしかない」(推測)と実作者の立場で語る島田さん。平行線というよりは、お互いのいうことは分かるが、オレの関心は違うところに在るんだよねー、というムードが漂っていて、会話がグルーヴしているようなしていないような、面白い雰囲気になっていた。いや、前半に比べると司会は全然口を挟まなくなったので、会話は弾んでいたとは思うけど。

 印象的だったのは、おしゃべり番長と化して(それはつまり自分の前提を説明しないと、トータルで理解してもらえない、という気持ちの表れでしょう。その気持ちはなんだか分からないでもない)しゃべる東さんに、島田さんが「キミ、女の子に「デリダとか知ってる?」って話しかけない(笑い)」と、挑発的な発言をしたことかな(笑い)。東さんは「そんなことはない」と答えてましたけど。
 全体としては、若者らしく熱血する東さんと、年長者の余裕を見せる島田さん、という構図にも見えた対談でした。はてさて、2人の仲はいいんだろーか。

○100ページ読んだだけの感想。
・「ナイフ」(重松清、新潮社 1700円)
決して文学表現のフロントラインを開拓するような作品集ではない。だが、今、普通の日本人が小説を読んでそこに自分たちを見いだし、なおかつそこで生きていく希望のようなものを得られる小説を挙げるとしたら、この1冊だろう。普通の家庭を舞台に、いじめを軸とした物語が静かに展開していく。そこには内面にのめり込むこともなく、かといって暴力で世界を破壊するようなエキセントリックさもない。犬は吠えるがキャラバンは進む、というか、ショウ・マスト・ゴー・オンという。我々は自分の人生しか歩めないこと、そのつらさと素晴らしさが平易な言葉で描かれている。ボクはこの本を、傑作という言葉より、もっと多くの人に読まれるべき小説と、呼びたい。

<12月9日・火>
◇ 昨日は結局仕事が長引き、会社で朝まで過ごす。帰宅するのもめんどうなので、寝酒を飲んで、仮眠室へ。昼に起きるつもりが目を覚ましたら午後2時半。うーん、なんだか一日がもう終わってしまうという感じで、ショックを受ける。それから、電話連絡などをしつつ、仕事仕事。

 仕事の合間に某掲示板の話題で気になっている記事を探す。米国の女性教師が中学生(14歳!)の子どもを生んだ、という騒動である。週刊新潮で発見したが、思ったより冷静に書かれた記事でした。しかし、この記事では二人の愛がどのように深まったか、二人のコミュニケーションはどのようなものだったか、などは分からずじまい。うーん、これだとやはり原則論から離れられないなあ。

△ 「ケンとエリカ」(江口寿史、マガジンハウス 952円)を読む。江口寿史の新作ギャクを読むことは今世紀中は不可能に違いない。エリカはアクションの増刊で出版された時に、相原コージが書いてたパロディ版も収録して欲しかったけど、やはりそれはムリというものか。

○ 100ページの感想
・「天晴れ小錦」(小室明、イーハトーブ出版 1300円)
小錦の力士人生を追ったノンフィクション。平易な語り口で読みやすいが、その分ゴリゴリとした事実の手応え、迫力のようなものに欠けるのが欠点。文章にも少々難アリ。とはいうものの、暴露記事ではなくて、一連の大相撲協会の姿勢をきっちりの批判検討している、という点では評価できる。小錦独占インタビューや小錦10番勝負などもあってお得感はある本。

<12月10日・水>
◇ 今日の始まりは、池袋での打ち合わせから。本当はもっと早く起床して、ジュンク堂巡りをする予定だったのだが、昨晩うまく眠れなかったので、ギリギリの時間に起床。その時間がとれなかった。アニメ誌、噂の真相などを買いたいなあ、と思いつつ会社へ。

 なんだか、細かな仕事が山積みで全然仕事をする気にならないが、それでも片づけなければならないものからセッセと片づける。こういうときは猛烈に忙しい、という感じより、なんだか自分がアリになって砂糖のツブをちまちま運んでいるような気がする。てなわけで、気分転換に書店へ出かけたりする。

○ 今、”引用”が熱い! というわけでもないが、またまた引用が気になっている。今回のテーマは、画像それもマンガの引用のルールについて、だ。著作権法と出版業界のルールの整合性についてなどにもいろいろ思うことはあるが、松沢呉一氏のように著作権法の原則的な解釈を出版業界のルールの上に持ってくる、というのはチト抵抗感がある。(それが正しくても、だ)
 そのヘンの違和感を勉強して埋めていきたいなあと思うのだが……。


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