1997年1月上旬

1月3日
とりあえずプロバイダーにオンラインで契約申し込んだ。あとは実際にホームページを作るだけ。
がんばらなくては。仕事はまだ暇で終日読書と昼寝。夜はバットマン リターンズとリトル・マーメイドを背中で見ながら、ホームページと格闘する。

1月4日
とりあえずインディペンデンス・デイの感想ができあがる。それぞれ、もう少し内容を充実させないとページにならない。次は書棚放浪に一つ文章をアップしよう。今日は仕事は夜勤なので、午後9時ごろからおれってゆっくりとホームページに取り組む。日中は書店を巡った。ついに「虚構の時代の果て」(大沢真幸、ちくま新書)をゲット。これも「放浪」用になる。その他は、「映像批評の方法」(江藤茂博、彩流社)、「少女のゆくえ」(村岡清子、青樹社)、「増補 ハナコ月記」(吉田秋生、ちくま文庫)。この1カ月の書籍代だけでセガ・サターンが買えるなあ。

1月5日
今日も仕事。特にやることはないので、「テレビゲームと癒し」(香山リカ、岩波書店)と「虚構の時代の果て」を読む。テレビゲームと癒しはなかなか分かりやすく書かれていて、興味深く読めた。夕食は会社の先輩らと「天狗」へ。少しビールを飲む。

1月6日
 ようやく世間は仕事初め。僕もぼちぼち仕事をする。昼食時間を利用して「アイドルバビロン」(金井覚、太田出版)「日本の名随筆 漫画」(南伸坊編、作品社)を購入。随筆の方には大学時代に読んだきりの「サザエさんの性生活」(寺山修司)が収録されていた。ラッキー。仕事が早く終わったので、夜は「HEYHEYHNEY」をTVで、「ベティブルー インテグラル」をLDで見る。といっても、背中で、だけど。何か少し眼が疲れている。毎日新聞の夕刊で東大の先生が米国の世論を世界情勢の中でわかりやすく書いていた。ID4がヒットするわけだ、と納得する。
 午後11時からはBSマンガ夜話を見る。テーマは「Dr,スランプ」。鳥山明を読むときに無垢な子供という視点が重要なことを理解する。そういえば新連載「トキメカ」は第2回だったが、上々のスタートではないだろうか。

1月7日
 仕事始めかと思えば、今日は休み。でも、昼間に少し働く。そのほかの時間は年末年始に買った本に取り組んだ。好調なペースで3冊を読み終わることができた。「私が愛した爆弾娘」(岩井軽、コアマガジン)「少女のゆくえ」(村岡清子、青樹社)「彼女たちの連合赤軍」(大塚英志、文芸春秋)。夜はビデオでアニメ「ガーゼイの翼」と、タランティーノ&ロドリゲスの「フロム・ダスク・ティル・ドーン」。
 ガーゼイの本編は戦闘とドラマのカオスという富野節。でも巻末の監督インタビューのほうが面白い。「フロム・・」は脳みそがいらない映画でした。
 BSマンガ夜話は「スラム・ダンク」。やはりプロ漫画家(今回はいしかわじゅんに加え一条ゆかり)、の話は面白い。1月8日
 今日も休み。ビデオで「ゲット・ショーティー」と「棒の哀しみ」。「ゲット・・」はアイデアはいいが、テンポが悪く、演出にユーモアが欠けていた。「棒」はうわさに違わぬ日本映画の秀作。
 NHKの「クローズアップ現代」で、バーチャルアイドルの特集。例のごとく、「ときメモ」と「DKー96」が主な題材。DK−96、ピンクレディーXのレコードの売り上げがいま一つという事実は(予想されたことではあるが) 面白かった。でも番組は結局しり切れとんぼで、食い足りない内容。結局、一種の社会ニュースなのか、経済ニュースなのかはっきりぜず、ポイントがしぼり切れなかったのが原因か?。ところで、スタッフの中に「ときメモ」やった人はいるのだろうか。僕は、自分の「それをやったらおしまい
」リスト(笑)に入れているので、当分はやらない予定。
夜はまたまたBSマンガ夜話。題材は日出処の天子。大月隆寛が好きだったからこそ今、否定しているという、読者側からの感想を言ったことが興味深かった。なんかそういう気持ちはよくわかる。僕にとっての高橋留美子みたいなものか?
1月9日
風邪ぎみで早く寝る。
1月10日
 いくつかのホームページを見ると、NHKクローズアップ現代への批判(感想?)が乗っている。概ね僕はそれらの意見に賛成するのだが、藤崎詩織のビジュアルが苦手な僕は、小説の主人公に感情移入するというプロセスと同じだという理屈はわかっても、彼女にはなかなかそういう感情をもてそうにないなと思う。とはいうものの、そう思っていた某アニメ(テレビ朝日系の国民的アニメ・ドラえもんじゃないよ)に2年ほど前に大はまりしたので、あまりめったなことは言えないけれど。
 でも、あの番組のインタビュアーはけっこう「生身はめんどくさい」と答えさせたがっていたように見えたな。まあ、そういう意図で作られたってことですかねえ。
 ここで真面目になる。番組を見ながら感じたことだけど、ゲームをやることで自己同一性が得られるかどうかという問い(テレビゲームと癒し参照)は、果たして読書で自己同一性が得られるかどうかという問いをはらんでいるのではないだろうか。どちらもバーチャルな「経験」であるという意味では同じなわけだし。
 読書で自分の世界が広がるのなら、「よい」ゲームをやればやはり自分の世界が広がるのではないだろうか。もっとも、物語という側面だけにかぎっていうと、本の世界以上にゲームで世界を広げるような作品に出会うのは、今の段階では難しいように思うけれど。面白いという評価とは別次元にして、人間が描けているゲームって聞いたことがないものなあ。「エネミーゼロ」ってのは結局どうだったのだろうか。このことは保留にして、また折に触れて考えよう。


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