X    発覚

 ボートのレンタル料は一ヶ月分しか納めていない。
 あの連中…みすぼらしい旅行案内所の事務員と漁師達…は、行方不明の俺よりボートのために捜索隊を組織するだろう。
 そうなっては彼女達に迷惑がかかってしまう。
 今日は月齢十二日程になるはずだ。
 かぐや姫じゃないけれど、満月までには帰らなきゃ。
 香坂はわだかまりを感じながら、パラミアスに教わっている剣術の練習をしていた。
 預かっている剣は、このあいだ披露してくれた時の飾りたてた長剣ではないが、あちこち傷だらけで、実戦に於いてかなり使い込まれたと思われる。
 どちらであっても振り回すには重過ぎる。
 しかし一振りする毎に驚くほど滑らかに宙を切り、重量が消失したかのように扱い易くなるのが不思議でたまらなかった。
「未練はいっぱいあるんだが、ここらが潮時かなあ」
 ひと休みして、独り言をこぼした。
 腰に吊したタオルで汗を拭った。薄汚れているが気にしていない。
 まだ、何故助けられたかはパラミアスも教えてくれないでいた。さすがに二度は殺されたくない。その前に逃げ出すつもりでいた。
 実在するメラネシアン・キャットと生活が出来たこと自体、気楽な気持ちで遊びにきた香坂にとって夢のような出来事だった。それだけで充分すぎるくらいだ。
 おかげでいろんな知られざる生態を、身近に体験出来た。
 階級のあること、純粋の男は絶滅したこと、そして何より香坂の関心を引いたのは何千年もの間生き続ける仙人のような肉体を持っていることだった。
「本当言うと誰か一緒に連れて帰れれば良いんだけどなあ」
 連れて帰ったとて、どうなるものでもない。
 自分はそりゃ有名になれるだろう。なにしろ幻の人種なのだ。マスコミにちやほやされて目立ちたい欲望を満たしてくれる。名誉だって手にはいるだろう。
 だが、彼女らはどうなるのか。
 そんなことは香坂にとってどうでも良かった。
 とにかく側に置いておきたい。自分のものにしたい。
 それだけだ。所詮、楽観的で苦労を知らない男の発想だった。
 二人の顔を同時に思い浮かべた。
「やっぱりエコナの方かなあ」
 側に置いてあった水筒を手にした。
「ミアと違っておっちょこちょいな所があるだけ人間味があるからな」
「なにしてるの」
 ふいに後ろから声がして、香坂はぎょっとした。
 いつの間にか、エコナが背中を向けて座っていたのだ。ミュウシャは片に留まってこちらを向いていた。最近覚えた『ハロー』を繰り返して遊んでいた。
「ばっ、馬鹿野郎、びっくりするじゃないか」
 仰天した香坂は、思わず大声で怒鳴ってしまった。
「あら、ひどいわね。ちゃんと声を掛けたのよ」
 エコナは罵声をまったく気にせず、にこやかに果物を差し出した。
 この数日で、エコナは日本語をマスターしたわけではない。エコナは英語を知っていた。後で聴くとパラミアスもかすかに覚えていたのだのだ。だからエコナとは英語で会話をしている。
「エコナは剣を持たないのか」 
「あたしなんてとても無理よ」
「戦わない身分もあるんだったね」
「そうよ、あたしは剣を持っちゃあいけないの」
「なんで」
「流動的な身分っていうのがあるのよね。あたしはパラミアス様に身を預けてい立場だから、知っての通り侍女という身分だし、パラミアス様について回る一つのおまけみたいなものなのだからよ」
「それって自分の意志が無いってことになるのか」
「そうでもないわよ」
 そう言うと、エコナはミュウシャを飛び立たせた。
「実はパラミアス様の方が受身なのよ。我がままばかり言うあたしをいつも優しく受け止めてくれるから。その意味からはあたしの意志はパラミアス様の行動に反映してると言えるでしょ」
 少し声が暗くなった。
「戦いは苦手だもの。殺すなら殺された方が気が楽だわ」
「そう言う考え方もあるんだな。俺は殺されるより殺す方を選ぶな」
「それが動物の生存本能と言うものよ。あたしにはそれが薄いの。だから守ってくれる人が要るのよ」
「それがミアってわけか」
 香坂はミネーリアンの変わった思考を理解できなかった。
 何故死を選ぶのか。
 それは生き続けられるものの贅沢ではないのか。
 かなり後に生き続ける運命を背負った苦しみを教えられるまで、香坂には理解出来る内容のものではなかった。
「それにしても、臭うわよ」
 エコナは眉をしかめ、笑った。
「ここ3日間、ずうーっとスコールがないもんな」
「ええっ、3日も」
「そりゃそうだよ。おかげで飲み水にも苦労して……はないけどね。ミアやエコナがいるから」
「それじゃ、泉に行きましょうよ」
 エコナは何気なく口にしてはっと思いとどまった。
 泉は仲間の憩いの場だ。例のミネアもやって来る。
「こんな小島に泉なんかがあるのか」
 香坂は改めて目を丸くした。いつもきれいな衣装やさらっとした髪は生活水が豊富にある証拠なのだが、まさか泉があるとは楽観的な性格の香坂は、考えもしていなかった。
「う、ん。でも、どうかしら」
 そう言えば、と、エコナは今日の競技を思い出した。ミネアはパラミアスと装飾品の工芸技術を競うため、仲間と共に真珠をとりに行くと言っていたことを。
 なら、大丈夫。たぶん。きっと。
「行ってみましょ。あたしが身体洗ってあげる」
「おいおい、冗談だろ」
 香坂は口では厳しく否定しながらも、そうなればいいなあと願った。ここにきて好色な性格が芽を出し始めていた。
 パラミアスからここを離れるなと言われたことなどは、すっかり失念していた。
「あら、本気よ。恥ずかしいのかしら」
「そりゃ恥ずかしいさ。エコナのようにかわいい女の子の前じゃ特に、ね」
「うれしいわ。かわいい、だなんて」
「何年行き生ても少女のままでいられるんだから、人間の女性が聴いたらきっと気分悪くすると思うよ」
「そんなものかしら」
「そんなものだよ」


「ほら、メイ。遅れないで」
 エコナは草を掻き分けて泉へと急いでいた。その後を懸命に香坂が追いかけた。
 香坂は先ほどの女の子、と言う表現を取り消したかった。香坂が剣を持って移動していることを差し引いてもさすがはメラネシアン、幼く見えても脚力は比較にならなかった。
 道なき道を通るのは、他の仲間に知られないためらしい。
 何故知られてはまずいのか、香坂は薄々気付いていた。そして自分の立場に危機感を感じるのだった。
「ちょっと、まって、くれないか」
 香坂は息を切らせながらエコナを呼び止めた。
「剣なんか持って来るからよ」
「でも、大事なものだから、な」
「もうすぐだから、がんばって。ほら…」
 エコナはやっと追いついた香坂の目前を指さした。
 目を凝らした香坂は、顔にひんやりした風を受けて驚いた。
「まるで熱帯の楽園だな、こりゃあ」
 ひとつの突き出た岩の回りを取り囲むように泉があった。そこから細い川を伝って何か所かに分水している。
 香坂は慌てて駆け寄った。
 澄んだ水が何処からともなく昏々と湧き出ているのが底の砂の動きで解った。
 手を浸すと結構冷たい。
「ほんと、ここには嘘みたいなことばかりだな」
 香坂は感慨深く見入っていた。
「誰、誰かいるの」
 突然聞こえた声に香坂は慌てた。エコナは香坂よりも驚いて、無言で香坂の手を引っ張った。
 二人は草むらに隠れると、息を殺してじっと耐えた。
「どうしました、アイギナ様」
 違う方向から、一人現れた。エコナと似た格好をしている。
「いえ、ね。なんか人の声がしたと思ったんだけど」
 アイギナと呼ばれた女性は岩影から姿を現した。はちきれんばかりの艶めかしい肉体は、香坂の目には少々刺激が強かった。
「どうすんだよ、これじゃ身動きとれないぜ」
 久しぶりに観た全裸の女性に、香坂は動揺した気持ちを押えながら、エコナに小声で不平をぶちまけた。
「今は動けないわ、もう少し様子を見ましょう」
 エコナは香坂の怒りよりもパラミアスの怒りを恐れていた。連れだしてはならないと言う約束を破ってしまったのだ。事が発覚すればパラミアスに多大な迷惑をかけてしまう。それだけでは済むはずがない。
「ニーナ。こっちに来て頂戴」
 また一人、声の主が増えた。
 エコナはその声に震え上がった。ミネアだ。ミネア様がここにいるのだ。それも残りの仲間全てを引き連れて。
 ニーナと呼ばれた女性は豊満な肉体を持つアイギナに衣服を手渡すとミネアの方へ駆けて行った。
「おい、ヤバいんじゃないのか」
 香坂はエコナの肩に触れた。エコナはびくっと身体を震わせて香坂を見た。瞳が潤んでいる。
「目の前がアイギナ、向こうへ行ったのがニナ・ミ・サラ、ミネア様の侍女よ」
 今にも泣きだしそうな声に、香坂はせっぱ詰まった状況を把握した。
「どうしよう、どうしよう……」
「それはこっちの台詞だよ」
 ひしひしと身の危険を感じる。早くここから立ち去りたい。
 もはやアイギナのヌードをしげしげと眺めている余裕はなかった。
「やっぱり、誰かいるのね」
 アイギナはぽつりと呟いた。
「出てきなさいよ。エコナでしょ。」
 アイギナは衣を身に纏うと、香坂達の潜む草むらへと歩み出した。
 見つかってる。
 エコナは背筋が凍る思いがしていた。なんとか、メイだけは発見させてはならない。
 どうする。
 エコナはミュウシャを呼ぶ口笛を吹いた。とにかく、すがれるものは何にでもすがりたい心境だった。
「エコナでしょ。なにやってるの。そんなところで」
 今にも草むらに掻き分けてこようというその時、仕方なくエコナは立ちあがった。
「ははーん、さてはどのくらいの真珠を手にいれたか探りにきたのね。」
 アイギナは腰に手を当て、薄笑いを浮かべた。
「い、いえ、別に……いや、そうなんです」
 エコナはしどろもどろに応えた。
「ダメよ。教えてあげられないわ。いつもはパラミアス様の味方だけど、今日はミネアの手伝いしてるからね」
 アイギナは足元の香坂に気付いていない様子だった。
 エコナは悟られぬうちに香坂から離れようとした。
 その時、ミネアが木陰から他の仲間を引き連れて出てきた。
 周り全てが敵だった。
 香坂はそろりそろりと後退を始めた。
「あれっ、エコナ。何しにきたの」
 最初に口を開いたのはニナ・ミ・サラだった。 
ミネアはエコナを凝視していた。残りの仲間カリュプソはミネアに促されて、弓矢を渡した。
 ミネアの冷たく鋭い視線に、エコナは金縛りにあったように動けなくなった。
 草影からその姿を目にした香坂はぎょっとした。
 無意識の中で血が煮えたぎり、心底からは怒りが噴出してくる。
 あいつだ、あいつが俺を。
「エコナは真珠の数が知りたいらしいわよ」
 アイギナはミネアの方へ向いて肩をすくめた。
「生憎ね。それは教えられないわ」
 例の深紅の矢を弓につがえながらにやりと笑った。やはりミネアは気配で気づいていたのだ。
「エコナめ,余計な男を助けたものだ。」
 ミネアが心の中でそうつぶやいた。
 そして,ただでさえつりあがった目が一層陰険にぎらりと光った。
 エコナはその矢が自分を狙うものでないことに気づいていた。
 ミネアは脅しで射ることはしない。必ず的を射抜くために放つのだ。
「メイっ、逃げて」 
 エコナは悲鳴に近い声を挙げた。どうみても香坂に勝ち目はない。
 深紅の矢は,無情にも弦に押されて飛び出した。
 放たれた矢は一目散に香坂めがけて飛んだ。
「殺られるかよっ」
 香坂はうなり声を挙げて、パラミアスの長剣を素早く鞘から抜いた。
 草むらから飛び出た人影にアイギナは顔をしかめた。どうやら気付いていたらしい。
 剣技を練習した成果が出たのか、矢を落とすには一振りで充分だった。
「この野郎。二度も殺されてたまるかっ」
 低い姿勢を維持したまま、剣を構えてミネアに突進した。
「やめてっ。メイ、だめえ」
 エコナは金切り声を挙げた。
 ミネアは放った矢を人間ごときにたたき落とされたのが不快でならなかった。そのためか、いつもより反応が遅れた。
 男に威圧されている? そんな馬鹿な。
 ミネアが次の矢をつがえるより早く、アイギナが、そしてカリュプソが香坂に体当りした。
 剣先がミネアの喉の寸前で止まると同時に、カリュプソの鋭い蹴りが香坂の手から剣を奪った。
 ミネアは香坂より素早く動けなかった事を恥じた。
「なんで、何で貴様のような奴に!」
 我を忘れたミネアは、跳ね飛ばされたうずくまる香坂に向けて弓を引き絞った。
「お願いやめて、殺さないでっ」
 エコナが香坂の身をかばおうと走り寄った。が、それをアイギナが阻止した。
「だめよ。貴方まで殺されるわ」
「でも、でもっ!」
 悲痛な叫びを聞きつけたミュウシャが、空から急降下してミネアの視界を遮り、弓を固定した腕に噛みついた。
 照準を狂わされた矢は、香坂の肩をかすめて森の中へと消えた。
「何故邪魔をする」
 ミネアはミュウシャをはたき落とした。その時に振り回した弓に引っ掛けられたミュウシャは地面に叩きつけられた格好になり、じっと動かなくなった。
「ミュウシャ!」
 エコナは動かなくなったミュウシャに駆け寄り、静かに手の中に抱いた。どうやら気を失っているだけのようで一安心した。
 香坂も頭を打っていた。アイギナに引き起こされるまで、意識がもうろうとしていた。
 ミネアは香坂に向かって殴りかかろうとしていた。
 一瞬のうちに二度も屈辱を与えられたのだ。出来るなら殴り殺してやりたい。
 だが、カリュプソはミネアを押しとどめた。
 そして静かにそして諭すように言った。
「ミネア様、この男の剣をご覧ください」
 ミネアは剣を見てぎっと唇を噛みしめた。
「パラミアス……畜生」
 感情の昂揚を抑えきれず、憮然とした表情で大事な弓を地面に叩きつけた。
 それを慌ててニナ・ミ・サラが拾い上げ、壊れていないことを確認していた。
 パラミアスの剣を持っていると言うことは、パラミアスに認められている証拠だった。つまり、この男はパラミアスのものであり、他のものが傷つけることはそのままパラミアスへの反逆の意味を持つ。
 香坂はこの預かった剣のおかげで命拾いしたのだった。
「カリュプソ、こいつを丁重におもてなししろ」
 ミネアは口惜しい思いをかみ殺して香坂をにらみつけていた。

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