日本とジュネーブ条約

ジュネーブ条約が1864年に成立してから,日本は22年後の1886年に加入を果たします。
最初は陸戦での傷病者の保護が目的で,たった10条の短い,
しかし歴史的にはとても重要な条文でした。
1899年には海戦における傷病者の保護(全14条)が加わります。
1904年の日ロ戦争時は,赤十字の腕章を着けた衛生兵士が
負傷したロシア人を手当てしている光景が記録されています。
このときの日本の対応は国際社会で高く評価されました。

1906年に,陸戦部分が33条の詳細な条約になりますが,
日本が加入したのは2年後の1908年です。
海戦における〜も同じく28条と2倍になりますが,1907年から4年遅れて1911年に加入します。

そこで<第1次世界大戦>が起こります。
たくさんの人たちが亡くなりました。
新しい戦争の形であり,いろいろと問題点も指摘されました。
再び条約は見直され,陸戦部分で39条の条約となったのが1929年。日本加入は1934年です。
またしても,日本は数年遅れての加入となります。
これらは国内で十分議論してから後,という過程を踏んできているからです。

しかし,重大な問題がありました。
それは,捕虜の待遇に関する条約(全97条)については日本は加入をしなかったのです。

次に<第2次世界大戦>が起こります。
日本とドイツを比べたとき,日本の捕虜は3割以上の者が命を落としているのに対して,
ドイツでは7%で,収容所も完備されていました。
(ナチス・ドイツが行ったユダヤ人に対しての虐殺行為は別問題です。)
捕虜に対する待遇が全く違っていました。
日本軍も兵隊に十分な教育をしていませんでした。
今でもそのときの問題がマスコミを通じて報道されています。

1949年のジュネーブ4条約に,日本は1953年,加入しましが強制的なものであったようです。
51年のサンフランシスコ講和条約を締結する際に連合国側から国際社会への復帰のために
他の多くの条約と共に加入することを求められたのです。
そこで,国会での十分な審議のないまま加入手続きを完了しました。

加入すれば,その諸規定を国内法に適用させる義務があります。
しかし,現在のところ赤十字の標章に関する法律と
商標法上の中で赤十字標章の使用が禁じられているだけにとどまっています。<資料参照>

1977年には2つの追加議定書が採択されますが,日本はまだ加入をしていません。

しかし1999年の第27回赤十字・咳新月国際会議において,
日本政府は「人道問題は人類共通の課題と認識し,国際人道法を尊重,遵守し,
1997年ジュネーブ条約追加議定書の締結に関し引き続き必要な検討を行う」という
誓約を行い,政府としても前向きな検討を始めているそうです。

<資料>

◇商標法(昭和34年4月13日 法律第127号)
{第4条}
 次に掲げる商標については,前条の規定にかかわらず,商標登録を受けることができない。
 4 白地赤十字の標章又は赤十字若しくはジュネーブ十字の名称と同一又は類似の標章

 

◇赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律(昭和22年12月10日 法律159条)
赤十字の標章および名称等の使用の制限に関する法律をココに公布する。
{第1条} 
 白地赤十字の標章又は赤十字若しくはジュネーブ十字の名称またはこれらに類似する記章
若しくは名称は,みだりにこれを用いてはならない。
 2 ジュネーブ条約の原則を海戦に応用する条約第5条に定める標識またはこれに類似する
  標識は,みだりにこれを船舶に用いてはならない。 
{第2条}
 日本赤十字社は,白地赤十字の標章,及び赤十字の名称を用いることができる。
{第3条}
 傷者又は病者の無料看護に専ら充てられる救護の場所を表示するために,白地赤十字の
標章を用いようとする者は,日本赤十字社の許可を受けてこれを用いることができる。
{第4条}
 第1条の規定に違反した者は,これを6箇月以下の禁固又は1千円以下の罰金に処す。
(※ 罰金額については平成3年改正の「罰金等臨時措置法」によって2万円に改められています)
{附記}
 この法律は昭和23年1月1日から,これを施行する。

日露戦争時の史料

 1904年の写真だそうです。

 赤十字の腕章を着けた日本の衛生要員が,負傷したロシア人兵士を運んでいます。

 この戦争で日本は,当時のジュネーブ条約を一貫して尊重し,ICRCだけでなく,国際社会全体から非常に高い評価を受けました。

 戦争でジュネーブ条約が尊重されたと言うことは,それまでに効果的な普及活動が行われていたと言うことです。

 「知っておく」ということは,とても大切なことですね。