夢守(ゆめもり)たちの夜


失敗した、とオリヴィエは思っていた。
雪が、降っている。
既に日はとっぷりと暮れている。
自分に守護聖になれとうるさく言ってくる聖地からの迎えを撒くため、適当なシャトルに乗り込んだのはよかったが、行き着いた惑星はなんだかあまり思い出したくもない故郷のような田舎で。
しかも田舎のくせに年に一回の雪祭りか何かがあるらしく、宿は客で一杯ときている。
―― こんな寒いトコロで野宿なんてなったらサイアク
とは思うものの、その不安はそのまま現実になりつつあった。
町外れにある小汚い宿の者が、申し訳なさそうに満室ですと言ったのだ。
「なんとかならない?お願いだからさあ。この雪ん中野宿したら凍死だよ、凍死」
宿の者は困った顔をして、しばらく奥で内線電話をかけていた。
そして、振り向いたと思うとオリヴィエに尋ねてくる。
「あの」
「なによ」
「お客様は、その、男性で、いいんですよね」
「心もカラダも男よ。オ・ト・コ。なんか文句ある」
「い、いえ。連泊のお客様で、相部屋でもいいと仰ってる方がいて。それでよろしければ……」
正直、彼にとっては相部屋というのはあまり嬉しくは無い。
でも背に腹はかえられぬとばかりオリヴィエは頷いた。
「いいよ。相部屋でも。その代わり安くしてよね」

◇◆◇◆◇

部屋に入ると、その客は窓の外の雪を見ながら酒を飲んでいた。
宿のものはイグサという植物を編んだ独特な床の上に荷物を置くと、布団は押入れにありますよ、といって去った。
「悪いね。でも助かった」
オリヴィエはとりあえず相部屋の男に話し掛ける。
「なんの、昔は素泊まりの宿で相部屋などあたりまえであったがな。最近は勝手が違うらしい」
独特の話し方をする、と自分のことは棚に上げてオリヴィエは思い、男をまじまじと観察した。
艶やかな長い黒髪に、前髪のひとふさだけが、雪のように白い。
そして、彼の服装が目に付いた。藍色の、ゆったりとした衣。
「へえ、面白いデザインの服着てるんだ」
「さようか?故郷のものゆえ自覚はないが。私にはそなたも十分面白い服を着ているように思えるがの」
流行最先端の服を『面白い』と言った言葉は、嫌味ではないようだった。
男は、穏やかに笑んでいる。
そして、沈黙が訪れた。
こういう時、あまり話したりはしないものだろうか。
オリヴィエはとりあえず、床に座った。
椅子が、ない。
そういうものらしい。
やり場も無く視線を動かして、ふと目にとまった窓の外の雪が、昔飛び出した故郷を思わせてオリヴィエはなんだか落ち着かない気持ちになった。
その時、男が酒はどうかと勧めてくる。
暖房は入っているものの、底冷えするような寒さだ。
背の低いテーブルの向かい側。
薄っぺらくて四角いクッションの上に座り、彼の好意をありがたく受けた。
なじみのない酒だったが十分に美味しいかったので、それをそのまま伝える。
「僅かばかりの縁(えにし)とはいえ、酒の味のわかる御仁で嬉しく思うぞ。
美しい雪を見ながら、一人酒ではいささか味気なくてな」
言いながら外の寒さに曇り始めた窓硝子を彼は丁寧に拭った。

庭とも呼べない狭い空間の向こう。
小さな路地の街路灯が、生垣の上に深々とつもる雪を蒼く照らしていた。

「―― 雪が、すきなわけ?」
少しだけ、声に刺があったかもしれない。
故郷での雪は、生活の妨げにこそなれ、美しいと眺める余裕などなかった。
それを見透かすかのように。
「雪国に生きるものの苦労があるは知っている。されど、美しさに違いはあるまい。こうして雪を愛でる祭りがあるならなおのこと」
祭りと雪が理由でこの宿に連泊しているのだろうか。だとしたら酔狂なことではある。
オリヴィエは、このどことなく不思議な相部屋の客に、少しだけ興味を持った。
「おにーさんは、観光?」
三十代だろうか。だが、おじさん、と呼んでしまうにはまだ若い気がする。
「いや、故郷へ戻る途中ぞ。ただ、そうよの雪が美しい故にしばし留まっておった。 明日には発とうとは思うてはおるが ―― 決心がつかぬ」

「決心、か。つかないのは、私もおんなじかな」

オリヴィエは呟いた。
その呟きが聞こえたのかどうか。
「そなたは観光ではなさそうよの。まあ、答えずともよい」
答えなくてもいいと言われたのに、勧められた酒のせいもあるのか。
「やりたいことが。夢があるんだ。なのにいきなり周りに将来決められちゃってさ。あったま来て逃げ出したって感じ」
オリヴィエはもらしくもない、と思いながら少しだけ自分の話をした。
昔、夢を追って田舎を飛び出したこと。
主星でいろんなことがあって、でも努力してチャンスをつかんだこと。
そして、ついにはあと少しで夢が叶うというところまで来ていたこと。
なのに。
自分の知らないところで、自分の人生を決められてしまったこと。
ぽつぽつと話すオリヴィエに、藍衣の青年は時折酒を勧め、酒を飲みつつ、時に妨げにならぬ程度の相槌を打って話を聞いていた。
「おにーさんには、何か夢があった?小さい頃とか。あ、別にそれこそ答えなくてもいいんだけど」
自分の話を終えたあとの沈黙に、つい照れ隠しも混ざってオリヴィエはそんなことを聞いてしまう。
初対面の人間に、いきなり過去を聞かれて答える人も少ないだろう。けれど意に介さずと言った風情で青年は答えた。
「科挙の登第かの」
「……カキョ?」
聞きなれない、言葉だ。
「まあ、国家公務員試験のようなものぞ。合格すれば高位の官吏になれる」
「うっわ、現実的なお子様だったんだ」
なにやら浮世離れした今の様子からは、想像のつかない内容であった。
「父が官吏でな。実直で、賂をうける性格ではなかった。兄弟が多かった故に国からの正規の俸禄では家計の内情は苦しゅうて。母は気にせずとも良いといっておったが。早く独り立ちして家族の助けになりたいと、そう思っておった」
それを聞いて、オリヴィエは納得した。
青年の夢は、試験に合格することではなく、家族の助けになりたかった、ということか。
聞いてもいいかどうか、少し迷った後、やはり彼は聞いている。
「―― その夢は叶った?」
「十五で叶った。科挙に登第したわけではなかったがな、別の方法で。おそらくは家族の助けになったであろう。私は聖 …… 主星でその後を過ごし、そこでもう一つの夢を見つけた」
「そっか」

「かなえたい夢があると言うたな。故に、逃げていると」

唐突なような青年の言葉だった。
返事をする前に、彼は続けた。
「では、そなたの夢は、逃げつづけていればいつかは叶うものなのであろうや?」
オリヴィエは目を伏せて空になった杯を手の中で弄ぶ。
そんな彼に、青年は黙って酒を注ぐ。
「わかってるのよ、私も。そんなはずないって――」
でも悔しくて。
悔しくて、逃げださずにはいられなかった。
再び満たされた杯を、じっと見つめたままのオリヴィエに藍衣の青年が言った。

「獏という動物が在るを知っているか」

「バク?聞いたことはあるけど」
「私の故郷では、獏は夢を食らうと言う」
「なにそれ、魔物なワケ?」
「いや、夢守(ゆめもり) ―― 夢の守り神、よの。悪夢を、食らう」
「悪夢がすきだなんて、ずいぶん悪食じゃない」
それを聞いて青年が笑った。
「悪夢はな、苦いらしい。だが、獏は皆に良い夢を。美しい夢をだけを見て欲しくて悪夢を食らう。苦くて、苦くて、嫌だと思いながらも ―― 宇宙に美しい夢だけを残したくて、な」
「好きで食べてるわけじゃ、ないんだ ……」
少しだけ、オリヴィエは切なくなる。
想像上の話だと言うのに、苦い夢を皆のために食べる獏を、哀れに思った。
「さよう。ある日な、獏も疲れてしもうた。もう、苦いのはいやだと。
そう思うておったら、ある少年達が言った。
美しい夢を ―― 楽しい夢を、沢山見るから、一つくらいあげるよ、と。
一晩くらい夢を見なくても、自分達はきっと安らかに眠れるから、そして、朝の光に向かい目覚めることができるから、と。
少年達から貰った楽しい夢は、それはそれは甘かったらしい。
だから、獏はそれからも悪夢を食べ続けることが出来た。
いつか世界は自分が残した美しい夢だけで一杯になろう。
その時がきたら、己も美しい夢のいささかを手に入れてもよかろうと、そう思うてな」
そこまで言って彼は自分の杯を空けた。

「人の世で ―― 真に美しき夢を手に入れるまでには、苦きことも当然在ろう」

しばらくの沈黙のあと。
オリヴィエは肩をすくめてため息をつく。
「なーんか、意味深。わけわかんないうちに説得されちゃったって感じ。おにーさん見た目の割に年寄りみたいな話するね」
青年は、ただくつくつと笑っただけだった。
「で、そう言うおにーさんのもう一つの夢は、叶ったわけ?」
決心がつかぬ、と言っていた。彼も何ごとかを迷ってこんな辺鄙な宿にいるわけだろう。
すこし、意地悪な質問だったろうか。
藍衣の青年はふ、と寂しそうな表情する。
その表情のまま、彼は宿の壁にかかる鏡の中の自分を見た。

宿昔青雲志 ―― 宿昔 青雲の志
蹉陀白髪年 ―― 蹉陀たり 白髪の年
誰知明鏡裏 ―― 誰か知らん 明鏡の裏
形影自相憐 ―― 形影 自ら相憐れまんとは
(照鏡見白髪   張九齢)

 昔宿したる夢は
 叶わぬまま時が流れた
 誰が知ろう、今の私を。
 鏡の中の己が姿を憐れむとは

青年は何ごとかを呟いたあとに、首を振る。
「いや、まだ何も終わってはおらぬ。
そうよの、叶わぬまま失った夢をふたたび探しに―― 私は故郷へむかっているのかもしれぬな」

「みつかると、いいね。あんたの夢がさ」

何気なく言った、その言葉に。
破顔一笑、青年は嬉しそうに、飲めや、飲めやとオリヴィエに酒を勧めた。
「礼を言う。心強いまじないをもろうた」
新しき夢守 ―― 我が意、我が力を継ぐ次代夢の守護聖の直々のまじないを、な。
低く呟いた青年の言葉の最後のほうは、オリヴィエにはよく聞き取れなかった。

雪は、あいかわらず、窓の外に降っている。
その風景を、オリヴィエは少しだけなつかしく、そして美しいと思った。

◇◆◇◆◇

明けて早朝。
オリヴィエはシャトルステーションに居た。
ちょっと二日酔いのようだ。
あの後、次から次へと出てくる酒にさすがの彼も呆れた。
―― でも、あのワインはすごかったな。いったい何処のワインだろう。もらい物だと、言っていたけど。
彼以上に飲んでいたはずのあの青年は、今朝平気な顔をして宿を出て行った。 決心がついたということか。今ごろはきっと彼の故郷に向う朝一番のシャトルの中だろう。
ああ、そういえば。
オリヴィエはふと振り返る。そこに、青年の姿があるわけもないのだが。

「名前くらい、聞いておけばよかったかな」

―― でも、これでいいかもしれない。
これから自分は聖地へ行って人とは違う時間を生きるのだ。
もうにどと、会うこともないだろうから。
でも夢守となった自分の与える美しい夢が、少しはあの青年にも届くといい。
そんなことを考えて、彼は主星行きのシャトルに乗り込む。

小さな窓枠の外。
どんよりとした雪曇の空のはざま、微かにのぞいた朝の光に、銀色の雪が美しく煌めいていた。

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初オリヴィエ。
んで、久々に前任夢を書きました。
でも、シリーズ読んでなくて大丈夫な内容にしたつもりです。
「艶やかな長い黒髪、藍の衣」で某闇の守護聖と勘違いするかもしれませんが、言葉使いと性格違うので大丈夫かな。

獏に夢を食べていいといった少年たち。
小さい頃はそんなに可愛いのに。
育つと何故……。
(っていうか、やっぱり出てるし)

シリーズを通して、多くの人に穏やかに道を説いてきて、恋を失う時でさえ、ほとんど迷いを見せなかった彼の、もう一つの顔を書きたいと思っていました。
聖地を去って、既に恋人は他界していると思っている時点での、不安と寂寥と迷いとを抱えた彼。
それを救ったのは後輩であるオリヴィエって面白いんじゃないかなと。
というか、オリヴィエにしか出来ないような気がしていました。

また、ゲーム中の台詞で聖地に来るのを渋って、前任者に会えなかったと言ったオリヴィエ。
だからこそ、聖地の外でこんな邂逅があってもいいのでは。
そう考えて今回の物語ができました。

プロットはずいぶん前からあって。そのためサイト再開直後くらいにほぼ形になっていたのですが、いかんせいん季節が合わず(笑)
今回オリヴィエの誕生日にあわせて、10月UP。
2004.10.01 佳月拝

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ネスケだとバージョンによっては見えないです。
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あ、JavaScriptだけそのままパクってもきちんと動かないんでよろしく。