宵藍


しじまの中に、月だけが晧々としていた。
オリヴィエは蒼く透き通る夜の森の道をひとり歩いている。

―― こういう時もある……よね。

特に理由があるわけでもない。
ただなんとなく、気が沈んで、昔のことなどを ―― 望む望まずに関わらず ―― 想い出してしまうような。
夢の守護聖である自分が、眠りの中の夢に、見離されてしまうそんな夜。
本当なら、ひとりでいたくない。
さりとて、歳の近い同僚と酒を飲んで騒ぐ気分でもなかった。

ふと遠くから、もの哀しい弦の音が聞こえてきて、彼は歩みを止める。
それは、聞きなれた竪琴ではなかった。
涼やかな夜気のなかに溶けるような、微かな楽の音。
聞こえてくる方向は ―― 闇の館のある方向。
その楽の音に誘われるように、彼はふたたび、歩き始めていた。

◇◆◇◆◇

「今日はリュミちゃんのハープじゃないんだ?」

燈も灯さずに、月明かりの窓辺で弦を爪弾く館の主に、彼は言った。
既にオリヴィエの気配に気付いていたのだろう、視線さえ動かさずにクラヴィスは応える。

「リュミエールは今日は視察で聖地の外だ」

言われてみれば、そうだったと彼は納得する。

「なるほど。それで自給自足ってワケ」

クラヴィスは何も言わずに、微かに口の端をあげただけだった。

「―― 聞いてても、いい?」

「好きにしろ」

沈黙が降りて、旋律だけが聞こえてくる。
いや、旋律だけではない。
そこには月の光の零れる音と、夜の闇に生きる生命たちの息遣いが交じりあって存在している。
それらを聞きながら、オリヴィエは先ほどまで感じていた理由のない寂寥感が消えていることに気付いた。

―― こんなにもの哀しい旋律なのにね。闇の安らぎってコトなのかな。

そんなことを考えて、月夜に流れる雲を眼で追いながら耳を傾けていると曲が終わった。
闇の中から尋ねてくる声。

「酒でも……だすか?」

「そうだねえ……やめておくよ。
もう一曲聞かせてくれない?
今はお酒より、月影ともの哀しい弦音に、酔ってたいな」

「それも、よかろう」

ふたたび弦が夜気を振るわせる。
空に月は。
唯、晧々として。

今夜見る夢は、きっと美しい。
オリヴィエはそう想い、藍色に染まる宵の中、瞳を閉じた。




(天司さん画)

――― 終

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ため息の零れるような絵に、言葉もなく見ほれて、感想を考えるうちにSSが出来上がってしまいました。
蠍部屋にも同じものがあるのですが、こちらにも(笑)
2004/11/08 佳月