目を閉じれば、海鳴りが聞こえる。
それは、幼いころから聞きなれた音。
いつも傍らにあり、あたかも己の血脈の如く。
繰り返し、繰り返し、優しく響く旋律。
己が生きた美しい惑星の、母なる音。
眼をあけて、世界を見た。
薄くひく雲の脈。
高く澄む空と碧瑠璃の水。
燦々と降る光に海は煌めいている。
あと僅かな時間で、自分はこの故郷の地を発たなければいけない。
遥か遠い、異なる世界へと旅立つ身であれば、この場所での自分は死したのだと、そう
公になる。
聖なる地へ赴くことは、家族とごく一部の臣のみが知ることだ。
どんなに嘆く人がいたとしても、混乱を防ぐために真実を公表するわけにはいかないのだから、
それが最善の方法であることは重々承知していた。
既に決心したこと。いまさら迷うことは許されない。
ただ、その知らせを以って悲しむ人がいるであろうことだけが気にかかった。
尤も。
真実を知る人々にとっても、二度と再び相まみえることも無いことを思えば、それは黄泉への旅路と同じことなのかも知れず。
彼らの痛みを減らすためにできることと言えば、せめて自分が未来に憂いなく旅立つのだと、そう信じさせるよう振舞うだけだろう。
―― 嘆きも悲しみも一時のこと。いつかは誰もが己のことなど忘れ去る。
それは、救いでもあり、痛みでもある。
忘らるるが辛いのか。
あるいは忘れるが辛いのか。
―― 両方だ。
だが。
己の運命と戦えと言った父に。
在りのままの自分であれと言った母に。
涙を目に溜めながらも引き止めることはせずいってらっしゃいと笑んだ弟に。
そして、
共に遊びともに学び、我が忠誠変わることなしとそう言ってくれた
同胞に。
せめて誠実でありたいと思う。
彼らの想いに答える術は何か。
それは、強くあること。
歩む先に、希望を見出すことを忘れぬこと。
どうか強さが欲しいと海に願ってから、自嘲した。
願って手に入れた強さなど如何程のものか。
真の強さは己の内より得るしかない。
だから、それは海に願うのでなく、誓うのだ。
いつか望んだ自分になれるよう。
希望を捨てずにゆくことを、せめて海と天とに誓う。
そしてこの海と天とが己を忘れずにいてくれるなら。
ならばいい、と。
そう思った。
もう時間だと、呼ばれる声がする。去ろうとして、海に背を向けかけた。
だが、この海をもう見ることはないのかもしれない。
もう一度、その光景を目に焼き付けるように眺めやる。
何処までも広がる水平線を。
紺碧から翡翠色にうつろう水の色を。
浜辺に寄せる白い波頭を。
白砂に裸足で走る少年たちを。
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(天 司さん画)
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汐の香りの風が、結わずにいた髪をなびかせた。
その時になってようやく考えが至る。
想いは変わらない。
遠くわかたれて愛しつづけた人がいるように。
遠くにあって、故郷の地を忘れることもありえない。
だから失うわけではない、ただ、遠くへ行くだけのこと。
海が光をはらんで優しく煌めき、
騒と鳴った。
ひとつ大きく呼吸をして。
強い意志で、その躰をひるがえし歩き出す。
連れて行くは我が身ひとつと心だけ。
もう、振り返らずに。
その背にただ。
海鳴りが、聞こえる。
―― 終
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「聖地でお茶会」さんのTOP絵に一目ぼれしたのは2005年2月2日のことでございます。
ちょくちょく行ってはその絵にただただため息。
その凛とした眼差しが、故郷を発つ姿のように思われて。
そうこうするうちに、ティムカの「Esperanto 〜晴れた日の海には希望が立ち昇る〜」のイメージと共に、生まれてきたのがこの短編です。
早速りんさんにご報告を兼ねて押し付けたところ、なんと、なんと、そのTOP絵に、光のイメージの効果を入れたものを頂いてしまいました!(号泣)
りんさん、司さん、いつも本当にありがとうございます!
少しだけ
「赤い花、白い花」のワンシーンなイメージでもあります。
※この話は、あくまでも絵が先にあって私が話を勝手にくっつけたものです。
皆さんが絵を見て感じる感想はそれぞれに、それはあなたの心の中でv
2005.02.06 佳月拝