蒼天の彼方、海鳴りの声



◇◆◇◆◇


港のはずれにある、海をのぞむ丘。
別れを前に、たった二人きりの家族である老人とその孫である少年が、全身に潮風を受けとめながらそこにいた。

「なあ、じいちゃん」

両親の墓に別れの挨拶を済ませ、立ち上がりざまそう声をかけたまではよかったが、彼はその次に繋ぐべき言葉に迷う。
本当は「ごめんな」が続くはずであった。
しかしそういってしまったら最後、長い時間をかけて定めた心が、崩れてしまいそうな気になったのだ。
老人はそんな少年の、喉の奥に込められたままの言葉までも聞こえたように言った。
「謝る必要などない。いずれ子は親を離れて旅立つもの。我が家の軒に巣作る燕とて、初夏に飛び立たぬ雛は一羽とていなかったではないか」
少年は、老人を見やり、ふい、と目をそらす。
「でも、燕は翌年また帰ってくるぞ」
言葉の裏に、自分はもう簡単には帰れないのだという想いがにじむ。
そして老人はまたしても、そんな少年の想いなどお見通しで答えるのだ。
「あれは親鳥だ。毎年同じ巣に戻る。子が生まれた巣に帰るとすれば、それは ―― 親が死んだ後の、空巣に、だ」
少年はきゅっ、と一回目を閉じて開くと両親の墓石を見る。
いつかこの場所に帰れるとしても、それは遥か遠い未来の話。間違いなく今は元気なこの祖父も、両親と同じ場所へ旅立ったあとなのだ。
祖父の話の中の、燕と同じように。
ちょっとでも気を抜けば、涙が出そうになる己とは対照的に、いつもどおりに見える祖父。
そんな彼が、少しだけに薄情にすら、少年には感じられた。
「そんな顔をするものではない。いつか広い世界を見たいといっていたお前だ。もっと喜べばいいではないか」
「確かにそうだ。確かにそうなんだけど、それはもっと後になってからだと。じいちゃんを残す事になるなんて、ってさ」
老人は少しだけからかうように肩をすくめた。
「それでは儂が死んでからと思っていたということか?
儂は百まで生きるぞ。それまで待っていてはお前もすっかり中年ではないか。夢をかなえるために飛び出すは、少年と相場が決まっておるわ。だからやはり、今でいいのだろうよ」
そして、少年の頭をかるくぽん、と叩く。
日に焼けた大きな手。深い皺が刻まれているが、いまなお力強く、何よりも暖かい。

「さあ、最初の夢は叶えたのだ。お前は次の夢を探してまた前へ進めばよい」
「うん、がんばってみるよ。…… でも最終的な俺の夢はいつか、じいちゃんみたいになることだ」
老人は一瞬あっけにとられたように目を見開く、そして嬉しそうな笑みを浮かべる。
「いまから儂が目標とはなんとも枯れた話よ。しかし儂のようになるは難しいぞ」

「そうかな」
「そうとも」

でも諦めないぞ、彼はそう言って力強い快活な笑顔を浮かべた。
「だが、嬉しいことをいってくれる。良い餞別になった」
「喜ばすために言ったつもりはないけど、そうか。それならよかった」
「喜ばすためでないからこそ、嬉しいのだよ」
少し照れたように鼻の頭を掻く少年。老人は真面目な顔になり、海の方へと視線を向けた。
「子を旅立たせる親はいつでも不安なものだ。それは仕方があるまい。しかし、先日お前を説得に来た青年がいたな。それに幾度か訪れてくれた少女も。まっすぐな、清々しい瞳をしていた。
―― お前もきっとうまくやっていけると、そう信じておるよ」

「うん、ランディ様はとてもいい方だ」
「そうか」
「エンジュもいい奴だ。…… それに」
「それに?」
「とても可愛い」

老人はたまらず、といった風情で呵呵と笑う。
「そうか、そうか、可愛いか。そうよの、確かに可愛い」
「じいちゃん、何そんなに可笑しいんだ」
不審そうな孫をよそに、彼はしばらく笑い続けた。そしてふと、笑いが収まる。
眼下には海。磯の香り。潮騒が、ざざと鳴る。
老人は先ほどとはうってかわった低い声で言う。

「遠く離れるということは。二度と会えぬということは。違うようでいてやはり失うことと等しいのかもしれんな。だが、それでもやはり。この蒼天の遥か彼方、どこか遠くで元気でいると思えば、悲しみも薄らぐというものだ」

祖父はきっと、死んだ息子と嫁のことを考えているのだろう、彼はそう思った。
そして、先ほど薄情と思えるように見えたのは。決してこの別れを悲しんでいないからではなく、彼なりの決意の先にある、諦観や潔さであることを知った。

隣に立つ祖父。
敵わない。そう思いながらも、突如彼が、ひどく小さく縮んでみえた。
こんな風に感じる時が、訪れる日が来るなどと思ってもみなかったが、いつしか自分の腕は彼よりも太くなり、身長もいずれ ―― 伸び率はあまりよくないが ―― 超えるのだろうと、いまさらながらに自覚した。
そう思ってしまえば、何故か無性に切なくなって、目頭が熱くなってくる。
別れ際、泣くのは潔くない。少年は慌てて空を仰ぐ。
しかしやはり、老人にはお見通しだったようだ。彼は優しく言った。

「泣きたいときは泣けばいい。悲しみを溜めたままではいつしか、心が苦しみに浸される。更にそれを無視すれば体が言うことをきかんようになる。眠れぬ、食えぬ、何もする気がせずにただ泣きたい気持ちになる。それは既に、病だ。気の塞ぐ、病なのだ。そうなる前に、素直に泣いたほうがいいとは思わぬか」
「もしそうなったらどうすればいいだろう」
「目をそらさんことだな。自分自身から。だが無理はせず、はやり泣きたければ泣けばよい」
少年は、祖父の言葉が、かつての祖父自身を指しているのだと気づいた。少年の母と父が死んだとき、祖父は悲しみに打ちひしがれしばらくは食事もろくにとらずに日々を過ごしていたと、いつかそう聞いたことを思い出す。
それでも彼はその悲しみを乗り越え、いまここにこうして立っている。
「やっぱ、じいちゃんに、もっともっと色んなことを教わりたかったな」
「もう十分教えた。お前はもう、教わる時期は過ぎたのだ。後は自分で学べ」
「ああ、わかった。そうする」
彼は、素直に頷いた。
老人は一歩、海の方へと歩む。

「この空はお前のいる空につながっている。この潮騒はいつだって、お前の中に聞こえている。もしも寂しくなったなら、そのことを思い出せばよい」
やはり少年も一歩、海のそばへと歩み老人と肩を並べる。
「じいちゃん、ありがとう」
それは、たった今の励ましの言葉に対する礼でもあり、先ほど中途半端にとめてしまった言葉のようやく見つけた続きであり、これまで共に過ごした日々への感謝でもあった。
「礼には及ばぬ。お前のおかげで儂も随分楽しかったよ」

「そっか。そういうものかな」
「そうとも。そういうものだ」


いつしか太陽は南中にあり、老人はそれをみやって、時間だな、とつぶやく。
そして躊躇いもせずに丘を降りてゆく。
その背を追おうとして、ふと少年は足を止め海を振り向く。
次にこの場所に来たとき、ここは既に家族がいなくなった後のカラの巣に過ぎないかもしれない。

―― けれどもいつか。

海に向かい、少年は誓う。

―― 俺はこの場所に帰ってこよう。
―― ただ今はほんのいっとき、いっときの間だけ。

「サラバだ」

彼はくるりときびすを返し、あとは振り返らず。
海鳴りの聞こえる丘を駆け足で去っていった。


―― 終


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2006年9月24日「アンジェ金時」で販売した「アンジェーリークオールキャラ本」に載せた話を、ビミョーに加筆して掲載しました。
この話を書いたとき、私の中で、ユーイ萌え台風がMAX。速記録的な最大瞬間風値を示しておりました。
そして、加筆して、再び。
ユーイ、すきだぁぁぁぁぁぁぁぁ!(笑)

影のテーマは、一人でも「ユーイのじいちゃんかっこええ!」と思ってもらうこと(笑)
図書館のカテゴリ、「ユーイのじいちゃん」を増やすかどうか、悩み中。

執筆2005.08.24、サイト掲載2006.11.04