hallelujah in the snow



少し疲れを覚えて、窓の外に目をやった。
穏やかな午後、それ以外に表現のしようがない。
私は立ち上がって、外を見ながらひとつ、伸びをする。
―― 聖地は暖かな日差しに彩られ、季節感はまるでない。
常春のここでは、何もかもが曖昧になってしまいそうだ
ふとそんな思いに襲われ、あまりぼんやりしているわけにはいかないと机に向き直る。
そういえば、相変わらず雲ひとつなかったけれど、明日は ――
「オッサン!入るぜ」
私の思考はいきなりの訪問者で途切れた。
「あー、ゼフェル。こんにちはー」
「おう」
ゼフェルが私につかつかと歩み寄る。
「明日が何の日か、知ってっか?」
「明日ですか。・・・・・・・ああ、雨の日ですよね」
先ほど考えていたことを口にする。アンジェリークが女王になってから、毎週必ず雨を降らせる水の曜日。が、その返答はゼフェルのお気に召さなかったようだ。半ば呆れたような顔で私を見、ため息をつく。
「やっぱりか。忘れてると思ったぜ」
「・・・はて、他に何かありましたっけ」
言いながら暦を見て、得心した。
「ああ、明日は創世祭、でしたねー」
「ソレソレ。今年の幹事はクラヴィスとリュミエールだよな、怖えよ」
「何が怖いんですかー?」
「だってよ、クラヴィスだぜ?パーティーっつうより肝試しだろ」
「ゼフェル。・・・まぁ、そうですね。でもリュミエールもいるわけですし」
「あ、なんだかんだ言ってお前が一番ヒデエな」
ゼフェルは笑う。
「それでよ、出欠聞かせろってさ。結局ランディとマルセルが丸め込まれて取りまとめしてんだと」
「そうでしたか。・・・では出席、と伝えてください」
「了解、じゃあ明日6時にクラヴィスんとこな」
「はい、ありがとう、ゼフェル」
出て行くゼフェルを見送りながら、私は思い出していた。
創世祭。この宇宙が生まれた日、と言い伝えられている。実際のところは誰にもわからないが、現存する最古の文献の日付が12月25日だったため、この日を全ての始まりとしている。
聖地でも会を開いて祝うのを慣例としているが、惑星や地域によっていろいろな風習となっていて、祈りを捧げる日であったり、はたまた国を挙げて賑々しく祝う日であったりする。

『クリスマス、っていうんです』

アンジェリークはそう言っていた。彼女が女王候補であったときの12月25日。ジュリアスの館でこの日を祝っていたときに聞いたのだ。
『私の暮らしていた街では、クリスマスといっていて、一ヶ月くらい前から、街中にツリーが飾られて、ライトアップして。ちょうど冬で、雪景色にライトがキラキラ反射して、すごく綺麗なんです』
そんなことを懐かしそうに話す彼女の、輝く瞳をよく覚えている。
『当日はお祝いするんですか?』
『はい、家族や ―― 好きな人、と、ご馳走を囲んで、ケーキを焼いてお祝いして、プレゼントを交換したりします』
好きな人、という言葉を少しためらいながら口にした彼女の過去に、私は嫉妬したのではなかったか。黙った私に、彼女は慌てたように続けた。
『あ、今日と変わりないですよね、こんなにご馳走があって、ケーキもあるし、あと』
『あと?』
『い、いえ、何でもないです。あっルヴァ様!これおいしいですよ!!』
嬉しそうに食事を頬張る彼女の顔。
あれから、もう二年の時が過ぎたのか。
その間に、彼女は女王になって、私は ――

◇◆◇◆◇

朝を迎えても、やはり雨の気配はなかった。
今日は夜なのかもしれない。
アンジェリークの降らせる雨は、しとしとと優しく続くのが常ではあったけれど、始まりはいつも突然だ。ただ、雲ひとつないというのが少し気にかかって、執務にあたりながらも幾度となく窓の外を見やった。
結局、雨は降らなかった。


執務を終えて着替え、クラヴィスの館に向かう。
辺りはもう薄暗く、気温が下がって、夜の始まりを感じさせる。何の予告もなく、ふっと街灯が燈る。それはどこまでも健康的な明かりで、アンジェリークの言っていた「ライトアップ」には程遠いもののように感じた。
空を仰ぎながら歩いていると、皆も集まってきた。
「ルヴァ様ー!こんばんは!」
「ああ、こんばんは、マルセル。皆も」
「なんだ、結局外で皆揃っちゃいましたね」
「あの者がはりきって今日の準備をしているところを見たかったものだな」
「きゃはは☆想像しちゃったじゃない、でもリュミエールがほとんどやったんじゃない?」
「だがランディとマルセルも手伝わされたんだろう?」
「出欠の確認だけですよ、どんなパーティなのかは俺達は教えてもらってません」
「マジ?それじゃただのパシリじゃねーか」
私の出欠を訊きにきたことを忘れてゼフェルが憎まれ口を叩いたとき、ちょうどクラヴィスの館に到着した。ジュリアスが呼び鈴を押す。
数秒の間があり、何となく皆黙る。
がちゃりと音を立てて、扉が開いたが、中は真っ暗で、人の姿が見えない。
たっぷり時間をかけて、館の主人がゆらりと姿を現す。誰かが「ヒッ」と声を上げた。
「・・・闇の館へようこそ・・・」
「クラヴィス!悪ふざけはよせ」
ジュリアスが言うと同時に、ホールに光が点った。
「・・・ほんの冗談だ。―― さあ、入れ」
「やっぱ肝試しじゃねえか」
ゼフェルがおかしそうに言う。
部屋に入ると、リュミエールの微笑と柔らかなランプの光が迎えてくれた。
「皆様、ようこそ。今日はゆっくりとお楽しみください」


祝宴が始まった。
食事に気を取られる者、お喋りに興じる者、ひたすら杯を傾ける者。ハープの調べにうっとりと耳を傾ける者。皆がそれぞれに笑顔を浮かべている。
たまにこういう会を開くのはいいことだ。私も輪の中で自然と笑顔になる。この場を設けてくれたことに感謝して見回すと、クラヴィスは窓際に腰掛け、外を見ていた。グラスを持って近づく。
「クラヴィス、今日はありがとうございます」
「・・・私は別に。リュミエールがほとんど用意した」
小さく乾杯する。チリン、という音に乗せてクラヴィスが言う。
「・・・今日はまだ降らぬな」
「そうですね、何かあったわけじゃないと思いますが。・・・あ、でも少し曇ってきましたね」
「・・・ああ・・・そういうことか・・・」
クラヴィスが言い、かすかに微笑んだ。
「らしい、な」
「何がですか?」
「テラスに出てみるといい」
彼の言葉が何を意味するかわからないまま、言われたとおり窓を開け、外に出る。
少し肌寒く、不自然なほど静かだった。
雨が来るのかと、今日何度もそうしたように、見上げる。

私の唇に、最初のひとつが降りた。
真っ白な羽のように柔らかく、ただ静かに。
呆然と空を仰ぐ私に、それははらはらと舞い降りた。

―― 雪景色にライトがキラキラ反射して、すごく綺麗なんです

「・・・・・・・・・クリスマス、ですよね」
ここには絶対にいないひとに話しかける。
逢いたい、と唐突に思う。
彼女は今、何をしているのだろう。恵みを与えながら、独りで、この空を見上げているのだろうか。


「・・・ルヴァ、邪魔するよ」
遠慮がちな声に振り返るとオリヴィエが立っていた。目を細めて言う。
「綺麗だねぇ。陛下らしいよ」
「ええ、本当ですね」
それ以外の言葉が見つからない。
「あのさ、私、先に失礼するから」
「え、もう帰ってしまうんですかー?」
「うん。初めから顔出すだけってクラヴィスには言ってあるんだ。先約があってさ」
オリヴィエの微笑を見て思い至る。
「ああ、そうですよね・・・ロザリアによろしく」
恋人と過ごすにはうってつけの日だ。羨ましさがないといったら嘘になるけれど、私も微笑んで送り出そうとする。
「うん。でも先にロザリアから伝言があるんだ。―― わたくしがオリヴィエとデートしたら陛下をお独りにしてしまうわ」
最後のほうは明らかにロザリアの口真似で、彼が言った。
「・・・オリヴィエ、それは・・・」
「もうひとつ。雨の日はわたくしは女王執務室に入れないことになっているの、だって☆」
思わず、くすりと笑ってしまった。
ロザリアの伝言があまりに「らしく」て。それがとても嬉しくて。
くすくすと笑う私をオリヴィエはちょっと驚いたように見、それから一緒に笑う。
「全くアンタは相変わらずマイペースなんだから。―― 行こうか」
「行きましょうか」
部屋を振り返ると、まだ窓際にいる館の主人と目が合う。目礼するとひとつ頷いて返してくれる。
私達はそのまま庭に出た。
門の前で、オリヴィエと別れてゆっくりと歩く。
さすがに、雪は積もらない。地面に落ちるとすぐに溶けて、水の恵みとなる。それでも、はらはらと落ちる雪の花びらが明かりを遮って、辺りを柔らかにぼかしていた。
逢えるかもしれないということが私の足を速めた。


女王執務室の窓の明かりは消えていた。
けれど、きっと彼女はあそこにいる。
独りで窓の外を見て、そして、入ってきた私に ――

◇◆◇◆◇

振り返った彼女が目を丸くした。
「・・・ルヴァ、どうして」
私は微笑んで答える。
「今日は、クリスマス、ですから。―― 好きな人に逢いにきました」
アンジェリークが、今ではもうほとんど見ることが叶わない、少女の笑顔になる。
「覚えていてくれたのね。そう、今日はクリスマス」
ふふ、と笑う彼女の手にはグラスがひとつ。
「乾杯していたんですか」
「ええ、―― 好きな人に乾杯してました」
見ると、窓際にもうひとつ、透明な液体が入ったグラスが置かれている。彼女がそれを手にとって、私に差し出した。
「シャンパンなの・・・ノン・アルコールだけど」
ゆっくりと近づいて、受け取る。少し触れた彼女の指が、ひんやりと冷たかった。小さく杯を合わせる。
雪あかりが彼女の瞳を照らしていた。
無彩色の静寂の世界で、鮮やかに輝く碧色。
間近で見たのは本当に久しぶりで、つい引き込まれそうになる。慌てて窓の外に視線を移す。
「雪が降るというのは、こんなにも美しいものなんですねー」
「クリスマスだから雪を皆に見せたくて ―― ううん、私が見たかっただけかも・・・・・・でも、出来ちゃうのよね」
女王であることの証。それを含んで、なおかつ少し切なげな彼女の声に、思わず肩を抱いた。
彼女は抵抗しなかった。
そのまま横を向いて、目尻のあたりに軽く口づける。
こんな小さなことにすら、罪悪感を感じながら。
唇を離すと、アンジェリークが、ひとつ瞬きをして私を見上げて、哀しい目をした。
息がかかるほど近くに、愛する人の顔。
―― 何もかもが曖昧な常春の地で、曖昧じゃない雪の日に、一線を超えてもいいというのか
迷いながらも、私の指は勝手に彼女の頬をなぞった。少し震えたかもしれない。
数センチまでに近づいた大きな瞳に私が映り込んでいる。
彼女はじっと待っている。
吸い込まれるように、私は近づいて、彼女に ―― 彼女の額に、口づけた。

できない。

口づけを交わしたら、歯止めが利かなくなる。このままどこかへさらってしまいそうだ。
かわりに、抱き締める。
それすらもこれほどまでに苦しいのに。
彼女が私の胸で震える。
その背中を強く引き寄せながら、私は囁いた。

「いつか、あなたが降らせるのじゃない雪を見に行きましょう ―― 約束です」
必ず未来があるから哀しくなんかない。そんな意味をこめて、できるだけ穏やかに伝えると、腕の中で彼女が小さく頷いた。
私は視界の隅に、まだ降りしきる雪をぼんやりととらえていた。
―― Fin


◇「彩雲の本棚」へ◇

切ない!切ないよ!ルヴァ様っ!
和晴さんの「salt of the earth」で、クリスマス創作としてフリー配布していたものを頂いてまいりました。
この作品を頂くために、ルヴァ様のカテゴリを喜んで作成しましたとも!
耐えて耐えて。そして最後まで耐えてしまうルヴァ様。なんて、切なくて、かっこよくて、艶があるのでしょう。
創作を本棚に飾る時、創作の中から一文を引用して紹介文を書くのですが、頂きもののときはやはり緊張します。
でも、このお話は。
「―― 私の唇に、最初のひとつが降りた」
こでれ、キマリ!これぞ、ルヴァちゅーなのです。

なお、このお話は和晴さんのHPにて掲載されている長編の番外でもあります。
そちらをお読みいただいてから再読すると、またきゅーんとくること間違いなし!