雪譜

(四)―― 垂雪〜しずりゆき〜


木の枝に積もった雪が自らの重みに耐え兼ねて滑り落ちる。
跳ね返った枝が静寂の中に幽かな音を響かせた。

―― 垂雪……か。

クラヴィスは細やかな風にゆられて、さらさらとふるえるようにおちてゆく雪をみていた。
静かな、宵の口である。
と、そのとき。
ソファーの隣に座っていたアンジェリークが小さくくしゃみをする。

「……風邪をひかせてしまったか……?すまなかったな……」
先ほどの外での抱擁。
ふたりは通じ合う想いの喜びに、つい、我が身に降り積もっている雪をわすれていた。 いかに心が熱くなっていようとも、気がついたとき、ふたりは雪に濡れ、体は冷え切っていて。 それでとりあえず館にはいり、暖をとっているというわけだ。

「いえ、大丈夫です。このくらい」
「そうか……」
ほほを赤らめながら応える少女を、クラヴィスは抱きよせた。
アンジェリークも、うっとりと瞳をとじて、その身をもたれかけてくる。
お互いの体温は、暖炉の火よりも温かい。

外にある雪は、昨日と変わらず白く冷たい。
しかし、心ひとつですべての見え方、感じ方が変わっている己を、クラヴィスは実感していた。

間じかにある少女からたちのぼる、雪に濡れた、髪の匂い。
ゆっくりと、クラヴィスの白い陶器のような指がアンジェリークの髪をからめとり、弄ぶ。
髪に差し入れた指が触れるちいさな頭を、彼はひどく愛おしく感じてその手で包み込むように幾度もなぜた。
ゆれる髪のあいまからみえる、白い首筋。

雪のように。
白い。

もし少しでも目を離してしまったなら、それこそ雪のように消えてしまうのではないかと。
ありえない錯覚に囚われてクラヴィスはなぜていた手でそのまま彼女を引き寄せ、自分の胸におしあて抱きしめた。
そこにある確かな感触。
けれどそれで彼が得たのは安堵などではなく、よりいっそう彼女を欲する感情だった。

彼は唇をその白い首筋におしあてる。
ぴくり、とアンジェリークが反応し、すこし体を強張らせた。
それでいて、寄せ合った体から、彼女の中の高まる鼓動を感じる。
とまどっているであろう愛しい人の耳に、彼は囁きかけた。

「今宵は……泊ってゆけ……」

瞬間、腕の中で少女の体が微かに震える。
しかし、言葉の変わりに背にまわされる手。
それを返答とをうけとり、クラヴィスは少女の髪に優しく接吻すると、その小さい体をふわり、と抱き上げる。
「よいのだな ……?」
無粋な質問だと、彼は内心苦笑した。
ただ、彼女が望まぬことはしたくないと思いながらも、これ以上踏み込めば、自分の情熱を押え込む自信も無かった。
アンジェリークは潤んだ瞳でみつめ返すと、小さく頷き、すぐに目を伏せた。

◇◆◇◆◇

寝室にも、すでに暖炉の火が入っていた。明かりはそのゆらめく炎だけである。

クラヴィスはアンジェリークを寝台の縁に腰掛けさせると、自分もその横に腰掛ける。
長い指を少女の顎にかけ上を向かせると、その吸い込まれるほどに神秘な色合いの瞳でしばしみつめ、そしてくちづけた。
はじめはその唇の形を確認するように。
そして、何回ものついばむような接吻の後しだいに奥へと深くくちづける。
溢れ出る想いを伝えるように、そして、受け入れるように。

指が、首筋から、肩へ、そして胸元へとすべりおちて。
アンジェリークはうっとりとしながら思う。
愛しい人に、触れられ、愛撫されるたび、こんなにも心が震えるものなのかと。
熱い、痛みにも似たなにかが身をつらぬくものなのかと。
戸惑いや、緊張がないわけではない。
しかし、ふれあう肌の感覚にいとおしさと喜びがこみ上げてくる。
彼女は目を閉じ、かすかにみをよじる。
絶えられず、甘い、吐息がこぼれた。


すでに露わになった体をそっと寝台に横たえクラヴィスは今度は唇で丁寧に肌をなぞる。
しっとりとした肌を吸うと咲く、紅の華。

―― まるで雪の上に散った山茶花の花弁のようだ

静かに指が下肢をなぞり、咲くときを待つ華のように、密やかにそのときをまっている部分に触れる。
アンジェリークが切なげに眉を顰めて、互いにからめていた指を痛いほど握りしめた。
舌で唇を割ると、こじあけられた口から、切ない声が漏れはじめる。
指は少しずつ、触れたもののない奥へと割ってゆく。
腕の下で、与えられた感覚に恥らいながら身をよじる姿や、ためらいつつ零す吐息がいとおしい。
少女の体が、拙いながらも、少しずつ、開いてゆく。
クラヴィスは彼女を抱きしめ、そして身を重ねた。


垂雪の音が闇の中、微かに響く。

◇◆◇◆◇

目が覚めて、腕の中にある愛しいぬくもりを、クラヴィスは嬉しく感じる。
夢ではなく。
そして、はかなく消える雪でもなく。
こうして静かに眠る、大切な存在。
抱き寄せた腕に気付いて、彼女が目を覚ます。
なにやらしばらくは自分の置かれている状況を思い出すかのようにあたりを見やっていたが、クラヴィスと目があうと慌てて背を向けて、顔を両手で覆ってしまった。

「泣いているの……か……?」
クラヴィスは心配になって彼女の耳元に囁き、体をそっと抱き寄せた。
囁きかけた少女の耳が、赤く染まる。
「いえ……あの……その……」
「……?」
不審そうに顔を覗き込もうとするクラヴィスに慌てて言う。
「て、てっ、てっ、照れてしまって……あ、あの、まともに顔があわせられないだけです……きゃ〜っ、み、見ないでください〜」
あまりに彼女らしい反応につい、意地悪に顔をのぞきこみ、身体を自分の方に向けさせた。
「そうやって恥じらう姿も……また、愛らしい……」
そういってくちずける。
「ん……」
甘いくちずけにアンジェリークはとろけるように反応を示した。
互いの背に手をまわし、きつく抱きしめあう。
昨夜の余韻と、未来への予感。
互いの肌に刻まれたぬくもりは、きっとこれからも共にいきてゆく証。

そういえば。
とクラヴィスは思い当たる。

―― まだ、言っていなかったな……

何回目かのくちずけの後、アンジェリークの、聖地の森を映し込んだような瞳をみつめ囁く。
「あいしている……」
と。

純白の雪を太陽が照らし始めるまでは、どうやら、まだ、時間があるようである。
垂雪の音は、もう、今のふたりの耳には届かない。
―― 終

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ああ、もう、何も言うまい……。

2004.11.11 4章再録に際し