サヨナラ



◇◆◇◆◇

晴れた休日の日、彼女はたいていそこにいた。
穏やかでいて、何故か淡い悲しみを帯びたような微笑みをたたえながら。
いつも変わらぬ朗らかな聖地の空の下。
手入れされた花々に囲まれた館のテラスで、ゆったりと椅子に腰掛け、繊細なレースを編んでいる。

―― キレイだね、ディア。何編んでるのさ。

いつか問うた私に、桜色の瞳をこちらに向けそっと微笑むと。

―― さあ、実はきめていませんの。オリヴィエ、何か素敵な案はありますか?

彼女はどこか困ったような、恥ずかしそうな表情でそう言った。

◇◆◇◆◇


はじめて出会った頃の彼女のことを、正直私はよく覚えてはいない。
印象に残っている事柄といえば、自分は望んできたわけではないこの場所で、既にここにあるのが当たり前のような顔をして微笑む同じ年頃 ―― 実際はともかく少なくとも見た目は ―― の彼女を、軽蔑とまではいかないまでも、恐らくは理解しあうことない人種だと、そう思ったことくらいか。
ゼロからはじめてがむしゃらに生きて、もう少しで手が届きそうになった私の夢。それをいともあっさりと奪われた。
だのに彼女は、例えば育ちのいいお嬢様が親の言うままに学校へ通い花嫁修業をして、決められた嫁ぎ先へ嫁いでいくのと同じように。さした疑問も持たず、定められたままにこの場所にいるように私には見えたのだ。
もっともそんなことはその頃の私には、どうでもいいことだったのだが。

雪を美しいと誉める人の中の多くは、雪深い中での生活の苦労を知らない。
それに似て、哀しみも、痛みも。孤独も、失うということもしらぬまま、花のように微笑んで。
そいうものだと疑いもせず生きてゆける人生というものが世の中には存在していて、彼女はそちら側に住む人であり、私はそうではなかった。
ただ、それだけのこと。
そんなふうに、考えていたのだ。

その印象が、少しづつ変わってきたのは何時からだったか。
これまた、正確には覚えていない。
ただ、いつのまにか後輩が増えて、自分よりずいぶん先に就任していたはずの炎と水の二人とひっくるめて中堅のように扱われることが多くなった頃からか。
ああ、そうか。
鋼の守護聖の交代劇があったあの頃だ。
偶然見かけた光景がある。
私が新任であった時から、前任者のいなかった私を何かと気にかけてくれた地の守護聖が、珍しく、というか奇跡に近いと評した方がいいのか、とにかく声を荒げて彼女に向かい何かを言っていたのだ。
その内容をはっきりと聞き取ることはできなかったが、ただそのとき彼女が見せたほほえみが目に焼きついた。

ただ、静かな。
凪のような。
そんなほほえみ。

凪は、風が吹いた後でなければ凪とは言わぬ。
風のない場所に凪もまた無いのだ。
彼女とは無縁であろうと勝手に思っていた、哀しみや痛みは。無縁だったのではなく、ただしたたかに乗り越えて、その先で凛と立つことのできる人だからこそ、そう見えただけであったことに気付いた。

その時彼女は私の存在に気付き、軽く会釈をしてその場を去った。
残った地の守護聖に、それとなくどうしたのかと訊ねたが、彼はひどく慌ててからなんでもありませんよ、とぎこちなく笑った。
あいも変わらず嘘が下手だと、そう思ったものだ。

◇◆◇◆◇

かといって、それから何かが変わったわけでもなかった。
あいも変わらず、のほほんと、聖地の時間は過ぎてゆき、後輩がもうひとり増えた頃には、私も中堅として扱われることに違和感を覚えなくなっていた。

ある日、年少組みの三人がくだらないことで喧嘩をしていた。その喧嘩が勢い余って殴りあいに変わりつつあっても、いつものことであり、本気で止める必要など感じていなかった私は、ただその様子を眺めていた。
予想通り、ある程度のところで彼らはしぶしぶと喧嘩を止め、仲直りとまではいかなくても、ふたことみこと言葉を交わす。
なにやら見ている方がすっぱくなってくるような青春劇そのものに、呆れる反面、ちょっぴり羨ましくもあった。
さて、その様子を見計らっていたのかどうか。
彼女が彼らに声をかけた。

―― 手当てをしてあげるわ、こちらへいらっしゃい。

手当てをされながら、何故か赤くなっている少年たち。
気のきかない風の坊やが言うに事欠いて、彼女のことをお母さんのようだと言った。
彼女は、あらまあ、と呟いて。

―― お姉さんじゃダメかしら。

にっこりと言い、そしてずっとその様子を眺めていた私の方へ向き直り言った。

―― ねえ、オリヴィエ。あなたはどう思って?

少なくとも、母でも ―― 姉でもあるわけがなかった。
だから私は言った。

―― ディア、あんたはどうなのさ。私は弟?

そして言いながら自覚した。
私は彼女を、ひとりの女としてみていたのだと。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は楽しそうに、ずいぶん大きな弟だと笑った。

それから、私はよく彼女のもとへ遊びにいくようになった。
晴れた休日の日、彼女はたいてい、そこにいた。
穏やかでいて、何故か淡い悲しみを帯びたような微笑みをたたえながら。
いつも変わらぬ朗らかな聖地の空の下。
手入れされた花々に囲まれた館のテラスで、ゆったりと椅子に腰掛け、繊細なレースを編んでいる。

―― キレイだね、ディア。何編んでるのさ。

そう問うた私に、桜色の瞳をこちらに向けそっと微笑むと。

―― さあ、実はきめていませんの。オリヴィエ、何か素敵な案はありますか?

彼女はどこか困ったような、恥ずかしそうな表情でそう言った。
長い時間をかけて編まれてゆく美しいレースは、きっと花嫁衣裳に一番ふさわしいように思えた。
彼女は。
本当はそれを着て、誰かの隣を歩きたかったのかもしれない。

◇◆◇◆◇

そして、この日がやってきた。
女王試験が終わり、明日、彼女はこの場所にさよならを告げる。
別れの言葉も、もちろん、それ以外の言葉を用意していたわけでもなく、ただ訪れた彼女の館。
そこにあいも変わらず、いつものテラスで、いつものように花に囲まれて彼女はレースを編んでいる。
ただ、その微笑みは、いつもより心なしか明るい。
この場所を去ったその先で、彼女が逢いたい人に再会出来る可能性はほとんど無い。
仮に逢えたとしても、共に歩むほどの時間が残っているとも思えない。
だから彼女の愁い無き表情は。
そんなありがちな未来への希望などではなく、己の信念をつらぬいてなすべきことをやり遂げたその先で、再び自由に己の未来を選択できるようになった時を迎えたことに対する喜びなのだろう。
やはり。
強い人なのだ。この人は。

「いらっしゃい、オリヴィエ」

今日が最後であることなど気にした風もなく、いつもと同じようにする挨拶の、けれどもその最後になぜか彼女は、待っていたの、と付け加えた。
そして、たった今。
編みあがった一枚のレース。
残った糸玉から丁寧に糸を切り、彼女は端をまつって仕上げをすると、それを私に向けて差し出した。

「あなたなら、素敵に使ってくれそう。手編みなんてやぼったいかしら?」

受け取って黙ったままでいる私に、どう?と彼女は首をかしげる。
このレースが、もっとも美しく映える使い方を、私は当然知っている。
それは花嫁衣裳のベール。
花嫁は、当然彼女だ。


―― ねえ、あんたにとって、私はやっぱり弟?

喉まで言葉がでかかった。
けれども私は黙ったまま、彼女の桜色の髪に、そっとレースをかける。
常春の日差しの中。
私の天使がそこにいた。

みつめた私の視線を、彼女の瞳が優しく受け止める。
そして、そうすることが当たり前のように、私たちはくちづけを交わした。

長い長い、永遠の一瞬が過ぎて。
私たちはまたいつもの私たちに戻り、そして私は私に言える唯一の言葉を口にする。

「―― サヨナラ。元気でね」

◇◆◇◆◇

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ああ、またマイナーな(以下略)
いいんです。なんか、キャラにしろ、カップリングにしろ、マイナーなのがすきなの(笑)

ええと。この創作は。
・ヴィエ様お誕生日記念フリー創作
・10万HIT記念リクエストの第1段「ふとした弱さを見せるヴィエ」
(あと、当サイトに来てくださるヴィエ好きさん達に勝手に捧ぐ。特に8万踏んづけてくれたKさん(笑))
を兼ねてみました。
なんか、ぜんぶひっくるめてゴメンよ^^;;

しかし、他はともかくお誕生日創作としては如何なものか。
(しかも、「泥中の蓮華」と何処となく似てる)
まあ、でも開き直ってこの創作、配布します。(背景画像はダメ!!!)
下記の条件満たしてる方、どうぞ持ってってください。

■オリヴィエが好きな方。(イチオシでなくても、好きでさえいてくれればOK)
■アンジェコンテンツを含むサイトを運営していて、この創作をUPできる方。
■天球儀の掲示板にお持ち帰り報告をくださる方。

です。
配布期間はテキトー。(この文がある限りOK)
お約束ですが創作の内容に手は加えないでくださいねv
天球儀へのリンクは必要ないですが、佳月作であることは明記してください。
閉鎖や容量の関係で削除する際の連絡はいりません。

2005/10/24 佳月