桜闇異聞 ―― 第五夜

花雪

■自己満足系妄想創作につき注意。
既存策の「桜闇夜話」と「春待月」をお読みでないと、意味がわかりにくいかと思われます。




◇◆◇◆◇


あたりに満ちる桜の気配に圧倒されて、男は思わず歩みをとめた。
目を瞑り深く息を吸い込めば、溢れるような香りがある。だから、桜の花が香らぬというのを男は少しだけ不思議に思う。
確かに梅や沈丁花のような甘い香りではないが、心騒ぎ浮くようなこの気配は、いまあたりを埋め尽くす桜の香りでなくしてなんなのか。

―― 春の、香りかもしれませんねー。

誰がいるでもなく、もちろん誰に聞かせるでもなく。
男は一人呟いて、うんうん、と満足げに頷いた。


聖獣の闇の守護聖が。
どこからともなく慎ましやかに美しい女性を連れてきて伴侶にしたい、と申し出た騒ぎがあったのはつい先日のことである。
いったい何がどうなって、そうなったのか。
誰もが不思議に思い、興味を抑えきれなかった一人がついに問うと、彼は桜に宿る春の精が会いたい娘に引き合わせてくれたのだ、などと夢物語のような答えを返してきた。
またわけのわからぬ繰言を、と多くの者が思ったし、男も最初は同じだった。
だが幾年かに一度、妖しいまでに咲く花のもとに不思議な女が現れる、という話を実は昔耳にしたことがあったから、全くの作り話ではないのかもしれないと思い直したのである。

そして、何故にという訳もなく、男はその場所へ足を向けている。
理由を強いてつけるなら、好奇心、であったろうか。少なくとも己に会いたい娘がいるわけではないと、男自身は思っている。

風の少ない夜だった。
霞のようにあたりを覆う満開の桜。
ふと視線を上げると、花びらがひとつ枝より零れて、ふうわりと僅かな風に乗った。
目の前を通り過ぎるを見て男は、

―― ああ、雪。

思わずそう呟いた。そして無意識に、己の唇に手で触れている。
もう、とうの昔に痛みなど癒えたはずなのに、何故今なお疼く気がするのか。
だがその疼きは既に淡い恋心ではなく、遠い記憶の名残でしかなかった。

―― 雪に似るとはいえやはり花は花。
男は花びらを掌ですくった。
―― こうして掌上にあって溶けず留まる。

またしても、誰に聞かせるでもなく呟いたはずであった。ところが花闇の奥から返事がある。

「意味深じゃの」

紅い唇を古拙にあげて、姿をあらわした女がにまりと笑う。
「おや、噂の佐保姫ですかー。本当にあえるとは、思いませんでしたよ」
男の反応に、女の表情が拍子抜けしたように呆れ顔になった。
「これまでも反応は十人十色であったが。なんともはりあいのない」
「あー、もっと驚いたほうがよかったでしょうかね?今からでも驚きましょうか?」
「遅いわ、たわけが」
嗟(しゃ)、と一声鋭くあげたが、男ののんびりとした調子にいつもの気概を削がれたようで、女は懐から出した扇でひらひらと花弁をあおいで「まったく、なんとしようかのぅ」などと呟いている。
男はやはりのんびりと構えていたが、ふと思いついたように言った。
「あー、その、ですね。噂を聞いたのです」
「何のじゃ」
「会いたい人に、会えると」
「会いたい娘がおるのかえ」
「え?ええええっ?いえ、その、そんな、そういうわけでは ―― 」
真っ赤になっての男の慌てように、女は今度は見て取れるほどにがっくりと肩を落とす。

先ほどよりも、風が出てきたようであった。
ふたりの間をいくつもの花びらが流れていった。
それをいくつか無言で見送ってから、謡うように女が言った。


「今を盛りの花あれば、咲くに早い花もあろう。
雪風に耐え、大地の氷溶かすを待ちながら、眠る花芽(はなめ)の未(いま)だ硬き小さき蕾なれば。
この佐保、其方(そち)にしてやれることも話すべきことも、今は持ち合わせぬのぅ」


女の声を、男は穏やかに聞いていた。
そして、僅かに表情を曇らせ、自嘲するように言った。

「彼女の魂が、どうなったのかを知りたいのです」

「知ってなんとする」
どうやら、誰であるとか、どの魂であるとかの説明は必要ないのだと、すぐに男は察したようだった。
「ただ、幸せであればいいと。知るだけで、いいのです」
「ならば、知る必要もあるまい。ただ、信じればよかろう。その娘の魂が今幸せであると。信じるのであれば、其方(そち)の中ではそれが誠となろう」
「それで、意味がありますか?」
男が納得できていない気持ちも隠さず問い返すが、女は微なりとも動じない。
「同じじゃ。いずれ知ることの出来ないものならば、信じるまで」
「…… そういう、ものですか」
「不満そうじゃの」
「あー、そういうわけでは」
今度はおとなしく引き下がる男に、女は僅かに同情したようだった。
ふうむ、としばし思案して、扇をぱちりと鳴らす。
音に触れて、花びらがいくつかひらひらと落ちたように見えた
「ならば、そうじゃ。其方(そち)もいずれかの娘御ひとり、幸せにでもしてやるがよかろう」
「えっ?!えええええっ?!な、何を言い出すんですかー」
女はにやりと嗤う。ようやく、いつもの調子が戻ってきた気配でもあった。

「その魂の持ち主そのものでなくともよい。一人でも幸せであれば、めぐりめぐって其方(そち)の気にする娘も幸せになろうて。そういう、ものじゃ」
「…… そういう、ものですか」
「ああ、そういうものじゃ。―― だが」

女が闇に向かい、ふわりと飛んだ。
「やはり眠る花芽(はなめ)の未(いま)だ硬き小さき蕾なれば」

―― 我にできること、今はないぞえ。今は、まだな。

微かな声を残し、女の姿は花闇に呑まれて消えた。

◇◆◇◆◇


声の消えた闇を見ながら、ルヴァがじっとその場にたたずんでいると。
快活な声が後ろからかかる。

「あっれぇ!ルヴァ様、こちらの聖地でわざわざお花見ですか?驚いちゃったナ」

振り向けば、こちらの宇宙の有能なる補佐官殿である。
「あー、ええ。そうなんです。素晴らしい夜桜を見れると噂を聞きましてね。貴女も、ですか?」
「ええ。まあ、ワタシの場合ちょっと息抜きなんですけれどね」
と、彼女は僅かに今来た方向を振り向いた。
遠くに、さっきまではルヴァの気づかなかった明かりが漏れているのが見えた。
どうやら、王立研究院の明かりのようである。
「うーん、でも息抜きに出てきてよかった。確かにすっごい桜だもん」
と、彼女は大きく伸びをする。
「桜は、好きですか」
ルヴァの問いに、彼女はただ笑顔で返事に代えた。
そして手を後ろに組み、自分の上に張り出すように繁る枝を仰ぎ見る。
「ワタシは小さいころからいろんな惑星を転々としてたんですけどね。その中のひとつの惑星でスッゴイ綺麗な桜の並木道があって。風に散って舞う姿はほんと、雪かと思うくらい。もう、見ることもないだろうけれど、この場所にこんなに綺麗な桜があってうれしい」

もう、見ることもないだろうけど。

さらりと流した言葉の奥に、僅かな寂しさが滲んでいたような気がしたが、ルヴァはそこにはあえて触れなかった。
この場所では誰もが故郷から遠く離れて在る。
彼女とて、そして自分とて、それを重々承知しているから、わざわざ口に出して寂しいかなど聞かないし、聞かれたくもないだろう。
だから、ルヴァは気づかなかったふりをして話題をかえた。

「こんなに遅くまで、仕事だったのですか」
「仕事というか、既に趣味の範囲入っちゃったかな。補佐官としての仕事を外れちゃってる研究だから。あ、でも本業おろそかになんかならないし、本業にだってメリットのある内容ですよ」
「そうですかー。貴女は本当に、知を得ることに貪欲なのですね。あ、ええと褒めてるんですが、わかりますかね?」

レイチェルは視線をルヴァに向け、わっかりますよ、と明るく応じた。
「ワタシ、すっごく幸運だと思うんです。宇宙の創世から立ち会って、今こうしてどんどん発展してゆく姿を目の当たりにできるんですよ。だから、なんだかじっとしてる時間がもったいないって思うくらい、いろいろ知りたくて、ワクワクして。だから」
と、ここで一旦彼女は言葉を切って、にっこりと微笑んだ。
「故郷である向こうの宇宙を離れてココにいること、後悔したことなんて一度もない」

先ほどの思考を、見透かされたのか、偶然なのか。
ルヴァは、ああ、とか、ええと、とかあいまいな言葉で濁し、桜を見上げる。でもその胸にあるのは暖かな気持ちである。
そして、唐突に。


―― 私は、もっと。もっといろんなことを知りたかった。
―― いろんなものを見、学び、知りたいと思っていた。

遠い言葉が蘇る。
そして、佐保姫の言葉も。

―― ただ、信じればよかろう。その娘の魂が今幸せであると

そうか、とルヴァは己の中で頷いた。佐保姫の言葉を、何故か今なら素直に受け入れることができそうだった。
そしてレイチェルに向き直る。

「でもね、あまり無理はいけませんよー」
「えっ、無理なんかしてませんよ。ほら、ワタシ、天才少女だから」

彼女は言ったが、女王候補の頃の彼女が人知れず努力をするタイプであったことをルヴァは知っていた。
それは、天才、などという言葉でさらりと片付けてしまえぬ積み重ねだ。

「それでも、です」
優しく言ったルヴァに、彼女は存外素直に、はあい、と肩をすくめた。

二人の間を、いく片かの花弁が通り過ぎた。
風が、少し冷たくなってきたようである。
それに気づいたのは二人同時で、目をあわせた後にレイチェルは言った。
「研究院まで、寄っていきませんか。先日エトワールに貰ったお茶があるんですよ。これがケッコウいけるんです。それと、せっかくだから、ルヴァ様のご意見を聞きたい事象もちらほら」
ええよろこんで、とルヴァは頷き。桜舞う花闇の中、遠くに見える明かりに向かい二人は歩き始める。


この恋の蕾みがほころぶのは。
まだだいぶ、先の話のようである。


―― 終

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ちょっと、自己満足的な物語で失礼しました。

これでメイン女性キャラ全員はけたかな、と思ってたら一人書いてなかったことに気づいた。
リモが補佐官な関係上女王設定だよね、ロザリン(またかい)。
なんか、超・マニアックなカプで書いてみたい気もする。 今のところ構想はないけれど。

2007.04.01