It's like rain 〜夕立のあと〜


It's like rain ―― 夕立が降り始めました。

聖地の夕立は、僕に故郷のスコールを思い起こさせます。
熱気に満ちた楽園に突然降り出す大粒の雨は、大地に、植物に、人々に。
涼やかな大気と、生命の源を運ぶ、恵みの水。
だからその雨に、人々は笑顔になり、天への感謝を捧げるのです。
大地の熱をすべて洗い流すかのように降る激しい雨。
動物たちは芭蕉の大きな葉の陰に身を隠し、人々も露店をたたみしばしの休息を楽しみます。
そして、降り始めたときと同じように、唐突に去っていく雨雲。
姿を表すぬけるような青空。
そこに飛翔する純白の鳥。
ハイビスカスの赤いはなびら。
そしてそこから落ちる雫が、強い日差しに煌めいて。

夕立の音に目を閉じて耳を澄ませば、こうもはっきりと脳裏に浮かぶ遠く離れた故郷の姿。 雨に濡れて一層濃く甘く、馥郁とした熱帯の花の香りが、薫ってきたような錯覚に陥ります。
この聖獣の聖地に在ってさえ、あの場所が。
僕にとって今なおいちばん愛おしい場所なのかもしれません。

◇◆◇◆◇

王立図書館から出ようと思ったときに降り始めた夕立は、しばしの後に去っていきました。
夕立の後、この地で姿をあらわすのは青い空ではなく茜色の夕暮れです。
東の空は、既に微かな夜の気配をたたえて深く、青く。
それは。
―― あのひとの瞳の色のように。

「雨宿り?」

「へ、陛下!」
今まさに、思い浮かべていた美しい人に声をかけられて僕は思わず慌ててしまいました。 何よりも、女王であるこの方がこうして一人で出歩いているなどあまり考えられなくて。 夕立の後の透き通った夕暮れの中、しばし僕はあなたをみつめてしまいます。
ここでも故郷と同じように、雨は涼やかな空気をもたらすようで、あたりはひんやりとして心地よい風が吹いていました。
「名前で呼んでもらってもかまわないのに。だって、神鳥の宇宙で冒険した時も、アルカディアで過ごしたときも、名前で呼んでくれたわ。それに、一人で出歩くなんて危ないとか、うるさいことも言わないでいてくれると嬉しい」
「私は、守護聖として陛下に忠誠を誓いました。ですからそういうわけには……」
僕は溢れくる切ない思いに蓋をして、歯切れ悪くそう言いました。
「もう、みなさん頭かたいんだから。今までこちらが敬語だったのに、いきなり敬語で話される身にもなって。せめて、公務でない時は名前で呼んで欲しい」
僕をみつめる、この真っ直ぐな瞳に対抗する術があるのなら、誰かに教えて欲しいものです。
けれどもそんな術はないわけで。僕は降参しました。

「そう、お望みなら ―― アンジェリーク」

僕が、そう言ったときのあなたの笑顔が、あの頃のままで。
女王候補だった、あのの頃のままで、僕は、この地に召された時、永遠に封じ込めたつもりの想いが、また湧き上がるのを感じました。
けれど、それはきっと許されない感情だから。
目をそらし、宮殿へと続く木立の中の道を歩き始めた僕。
背中に、あなたの視線を感じていました。

「やっぱり、無理なのかしら。あの頃のようには」
僕の隣に追いついて、並び歩きながら。僕の心を見透かしたように、あなたが呟きます。 その言葉が、どれほどの意味を持つものなのか、僕にはわかりませんでした。
けれど、同じようには、行かないのでしょう。きっと。
ありのままの自分を見て欲しい。あなたにだけは。これまでそう思っていました。
そう、いつだって僕はあなたの前で、外側の器をとりはずし、己の弱さも迷いもをさらけ出していたかった。
かつては王太子であり、王であり、今は ―― 守護聖である器。
ああ、でも。
今となっては。
女王であるあなたの前で、守護聖である器を取り除くことなどできるはずもありません。
なぜなら、その器こそが。
今、こうして、一度は遠く別たれたあなたの側にあることのできる唯一の条件なのですから。
「同じようには、行きません。私も、あなたも」

「変わってしまった? あなたが自分のこと、『私』って言うようになったみたいに?」

「あは。でも実は、時々前みたいに『僕』といってしまうんです」
思わず苦笑が零れました。
まっさらからはじめたくて。新しい自分になったつもりで、『私』などという呼称を用いて。
でも結局それで大人になれるわけでもないのに。
遠い故郷の国民(くにたみ)を忘れることができるわけでもないのに。
そして、あなたへの想いを消し去ることができるわけでもないのに。
こうして心の中ではいつだって、自分を『僕』と言ってしまうのならなおのこと。
またしても見透かすように、あなたは言いました。
「変わってなんか、いない。あなたは、あの頃のまま」

「―― まだ、頼りない、子供のままですか?」
こんな台詞を、言うつもりはありませんでした。
なのについ、拗ねたような口調で言ってしまった自分を情けなく思います。
結局、この台詞を口にした時点で自分が幼いことを強調しているようで。
だから次のあなたの言葉は、僕にとってどれだけ嬉しかったか、きっとあなたにはわからないのではないでしょうか。

「そんなこと。女王候補の頃から一度だって思ったことないわ」

「ありがとう、ございます。そう言っていただけるととても励みになります」
心から、僕はあなたに感謝を述べました。
「あなたは、いつだってあなたのままでいて。守護聖として、必要としているのはもちろんだけれど。
あなたが、あなた自身がここへ来てくれると聞いたとき、どれだけ私が嬉しかったか」
あなたの言葉に、心臓が張り裂けそうになって。
僕は歩みを止めました。
あなたの瞳をみつめたくて。けれど僕の視線の先には、らしくなく、うつむくあなたがいました。

―― ごめんなさい
あなたがつぶやきます。
―― 多くのものを捨てさせてしまったのはわかっているの。
―― なのに、嬉しいだなんて。
―― さっきも、夕立を見ながらあなたは。故郷を、思いだしていたのでしょう?

「アンジェリーク……」

頬を濡らす涙。
どうして、気付かなかったのでしょう。
僕の迷いは、そのまま、この優しい人の悲しみになると言うのに。
「どうか、泣かないでください。アンジェリーク。私は、すべてを覚悟してこの地へ赴きました。かつて、私が持っていたものは、たとえば ―― 個人的な熱情のようなもので捨て去ることはできないものであったのは事実です。けれど、今私が守護聖としてここにあるということ。それは王として民を幸せにしたい、そう思い続けた夢の、延長でもあるのです。あなたの慈しむこの聖獣の宇宙で、星々に生きる多くの民の幸せこそが、今の私の望みです」
僕はあなたの頬に触れてその涙をそっと拭い、そして耳元で、本心を告げました。

―― 何よりも、あなたの側に在ることができる。それは、僕にとって喜びです。心が、震えるほどに。

僕に向けられたあなたの瞳の、まだ残る涙にくちびるで触れて。
僕はあなたをみつめかえします。その頬が愛らしく染まっていました。
「かわっていないって言ったのは間違いだったかも。身長だって私は抜かされてしまったし、それになんだか、とても ―― 」
すべてを言い切る前に。
ぬかるみのまえ、僕はあなたに手を差し伸べました。
そっと重ねてくれた手を引き寄せて、僕はあなたを高く抱き上げます。
驚いた表情からすぐにあなたは優しい微笑みにかわり、その華奢な指先で僕の頬をなぜて、睫の先にくちびるをおとしてくれました。
その夕立のあとの空のような青い瞳。
今腕の中にある、優しい天使。
そのまばゆい輝きに、僕は少し目を細めて。

「私は、故郷を失ったのではなく、あなたという心の故郷を得たのです。愛しい人」

故郷を想う気持ちに変わりはありません。でも。
私にとって、今いちばん愛おしいのは、あなたと、あなたがいる場所なのです。

◇◆◇◆◇


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やーっちゃったよ。初ティムカ。
「夕立の後」というネタはだいぶ前からあったのですが、まさか彼で書くことになろうとは。
でも、言葉遣いがまだ慣れてないのであやしいですかね。
思考は「僕」台詞は「私」としてみました。
途中の台詞の「僕」は、本心の証、最後「私」になっているのは、彼の成長と覚悟の証。
甘甘のつもりが、苦悩させてしまいました。苦悩が似合う、元王様。ああ、やっぱツボ。
でも、彼は苦悩が多すぎて(自分の未熟さ、王としての立場、守護聖と女王との恋)こういう短編で書くと、なんかまとまりなくなってしまいましたね。
反省。


成長し、黒髪長髪な色っぽい彼に心臓わし掴みされた、私と同類のお嬢ちゃんたちに、この物語を捧げます。

2004.09.29