It's like rain 〜だから傘をさして歩こう


It's like rain ―― 外は雨のようです。
それは
傘をさそうかどうしようか。
ちょっと迷う程度の細かい雨でした。
暫らく空を見上げて考えてから、傘をささずに図書館へ向かったのは別に部屋に戻って傘を取ってくるのがめんどくさいからというわけではなく、このまま濡れていくのも悪くありませんねえ、そう思ったからでした。

すこしづつ、衣類やターバン、髪に染み込んでゆく微かな粒子。
けして冷たくはなく
あくまでも優しく
呼吸をするごとに湿った土の香りが私を満たします。

「傘もささずにお出かけですか?」

その時こう私に語り掛けた声の主は振り向かずともすぐに分かりました。
アンジェリーク
いつもの補佐官の正装ではなく、休日ということもあって淡い色合いのワンピースを着ています。
傘もささずに、そう言った彼女自身傘をさしてはおらず、まるでこの聖地の若草の色のような服には細かな水滴が霧のようにまとわりついていました。
「そう言う貴女も、傘をささずにお出かけですか?」
いつからでしょうか、静かな雨がそれでも確実に緑の葉を濡らして行くように、穏かにでも確実に私の心を占めるようになっていた彼女。
その彼女に出会えた偶然を喜び、思わず零れる笑みと共に私は聞き返しました。
軽く、足元の水溜りをスキップで飛び越しながら、彼女は楽しげに答えます。
曇天を映して灰色にくすむ水溜りに、微かな波紋が広がりました。
「ええ、傘レベル1ですから。傘をささずに図書館まで」
「傘、レベルですか」
聞きなれない言葉に私は鸚鵡のように再び聞き返してしまいます。
並んで図書館へ向かい歩きだした私達。
傍らの彼女の微かに濡れた髪の香りが、少しだけ、いえ、相当私の鼓動を早めたようでした。
鼓動の速さは気づかれなかったようですが、彼女は私の疑問をすぐに察してくれました。楽しそうに微笑んで説明し始めます。
「私が勝手に考えたんです。こうやって、濡れていくのも悪くないような雨の日が傘レベル1です」
濡れていくのも悪くない。
先ほど私が考えていたことと同じことを考えている彼女のことを心から嬉しく思いつつ、私は彼女の言葉の続きに耳を傾けます。
「傘レベル2は、傘をさそうかどうか迷うんですけど、めんどくさいから濡れて行っちゃえ!って、そのくらいの雨。
傘レベル3は、昨夜みたいにほら、こうやって水溜りが出来てしまうほどで、傘がないとびしょぬれになってしまうくらいの、でも雨音の心地よい雨」
言いながら、彼女は再び足元の水溜りを飛び越えました。
「傘レベル4は……」
そこまで言って、彼女は少しだけ上目遣いに明後日の方を向いています。
どうやら、そこまで細かくは考えていなかったのでしょう。
暫らく待っている私。彼女はレベル4の条件を思いついた様子でただ、自分の思い付きには少し不満げに小さな声で言いました。
「……ざーざー降りの雨、かしら……」
いきなり条件別けが大雑把になってしまった傘レベルに笑いながら、私はからかい半分彼女に少し意地悪を言います。
「では、傘レベル5は、どんな雨なんでしょうかねえ」
私の意地悪い質問に、彼女はぷっと頬を膨らませてから(それは、それは、愛らしい表情でした)しかし機転を利かせて答えました。
「傘をさしても意味のない大降りか、誰も外へ出かけないような嵐のような、そんな雨です。だから、傘レベルはこれでおしまいっ」
元気良く言い切った彼女と顔を合わせて、私達二人はしばらく声をたてて笑ってしまいました。
その時です。
ぽつり
今まで細かな粒子だった雨が突如質感をもって空から落ち始めました。
「おや、傘レベル2ですかねえ。」
我ながら暢気に呟いた言葉の終わるか終わらないかのうちに、雨はいよいよ強くなります。
「ルヴァ様っ、濡れてしまいます、こちらへどうぞ」
少し慌てたような彼女の声。そして素早くひらかれた空色の傘。
ぱん、と傘が開く時の空を切る心地よい音。
そしてそれに続く傘にあたる雨の踊るような雨音。
それらは何故か、私を楽しくさせます。
「傘レベル3かしら、それとも4でしょうか」
彼女も心持楽しげに言いました。
「ああ、貴女は傘をお持ちだったんですねえ。それでも、傘をさしていなかったのですか」
彼女の傘に入りながら尋ねた私に、彼女は肩を竦めて
「だって、濡れて行くのが楽しそうだったんですもの」
そう答えました。
「呆れられてしまったでしょうか?私?」
少し不安げな彼女。
「いいえ、実は私も同じ事を考えていたくらいですから、貴女の気持ちはわかります」
「え、では、ルヴァ様ももしかして今傘をお持ちですか?」
それは流石に、と首を振る私に、彼女は小さくああ、よかったと呟きました。
私は、何がよかったのでしょう、としばし考えをめぐらせましたが分かりません。
そんな私に気づいたのでしょうか。

「ルヴァ様が傘を持っていないのが何故よかったと思っているのか…と今考えていらっしゃいます?もしかして?」
「ええ、実は」
「お分かりになりませんか?」
「ええ、実は」
「お分かりにならないのなら…内緒です」
「え、ええ〜?」

慌てる私をいたずらっぽく上目遣いに見ると彼女はくすり、と笑いました。
心持ち、彼女が私の方へ身を寄せたような気がしましたが、それはきっとさらに強くなりはじめた雨を避けるためだったのでしょう。
その時、私はそう思うことにしました。
「なんか、レベル5って感じになってきましたね」
言葉どおり、急に一段と強くなった雨で道は川のように水が流れ出しました。
「……少し、そこの木の下で雨をやり過ごした方がよさそうですね。この降り方ならば、そんなに待つこともないでしょう」
私は彼女を促し、枝を広げた大木のふもとへと身を寄せます。
木の下とはいえ、葉にたまった雨が大粒の雫となって落ちてくるので、私達は傘をさしたままでした。
暫らく、私達の間に無言の時間が流れました。
お互い、空から落ちてくる水滴を飽きもせず眺めています。
ただそうしているうちにすぐ傍らにいる彼女の存在が少し……言葉で表現するのは難しいのですが、強いて言うなら『苦しい』とでもいうのでしょうか、そんな心持ちになってきた私は何か話すことはないかと思いを廻らし、彼女に語り掛けました。
「傘レベルは、面白い思い付きでしたね。物事を分類するというのはそれを分かりやすくするためには大変有効な手段だと思いますよ」
「呆れてしまわれたのではありませんか?」
「おや、何故、そう思うのです?」
「先ほど、分類、と仰いましたけどそれは細密なデータに基づき普遍的であることを目標にされるわけで…あれはただのお遊びです。なのに、『レベル』だなんて、偉そうに」
ちょっとだけ困ったような顔をして私を見上げる彼女に笑いかけ、私は言いました。雨は少し弱まってきた様子でした。

「いきなり強くなったり、弱くなったり、こんな雨を『郡雨(むらさめ)』と呼ぶんですよ。でも、他にも視点を変えればいろいろ名前がありましてね。木々が雨に濡れて、心地よさそうに見えませんか?そんなふうに緑を潤す雨と捉えればそれは『甘雨(かんう)』と呼びますし、同じ雨なのに、こうやって木の葉にたまっってから落ちてくると『樹雨(きさめ)』と呼んだりもするんです。ある現象を人が理解するためには実は『名前をつける』という行為が必要となるんですね。名をつけられて人は初めてそれを認識するのです。で、その名前をつける時点で何を基準にしたかで結果も違ってくるわけですし、貴女の言う『普遍的』というものは、大変難しいものなんです。今は大抵『数値』というもので分類され、確かにそれが一番普遍的で学問や調査などでは便利だと思いますがそれは『便利かどうか』という視点のみで見たときに一般的に使われるのであって、それがすべてではないのですよ。ええと、長くなりましたが簡単に言えばですね、あなたのしたその極々独断に満ちた分類も大変、興味深く私にとっては新鮮で、かつ微笑ましかったと……ああ、すみません。長々と」

あまり長々と話して退屈させてしまったろうかと少し不安になった私は彼女の様子をそっと伺います。
彼女は笑って、それでこそルヴァ様ですから。興味深いと言ってくださって嬉しかったです、と言い、私はその言葉になんだか照れてしまいました。
雨は、どうやらまた元のような小雨になっています。
なのに何故か、私達のどちらもここを動こうとは言い出しませんでした。

「雨にも色々名前があるんですね」
「ええ、そうです」
「名前を付けることで人は認識するんですね」
「ええ、そうです」
「じゃあ、ルヴァ様と同じ傘に入っていたかったから、貴方が傘を持っていなくてよかったと、そう思った私の気持ちを名づけることで、私もルヴァ様もそれを認識できるのでしょうか?」
「え、ええっ?」

再び慌てる私。彼女はいたずらっぽく私を見ている ―― そう思いきや、真剣な眼差しで私を見つめています。
私はひとつ大きく息を吸い、そして吐き出しました。
そして。

そして、私は何も言わぬまま彼女にくちづけしました。

何も言わなかったのは多分、そうしたいと思った私の気持ちを、名づけることでわざわざ認識する必要などないのだと、そう感じたからでした。
静かなくちづけの後、彼女は微笑んで言いました。
「……傘レベルαですね」
「は?」
「傘がいらなくても、傘をさしたくなる、そんなときです」
今度こそいたずらっぽく笑う彼女の肩越し、いつの間に雨が上がったのか、木々の葉の雫がまぶしく雲間の太陽にきらめいていました。
水溜りに映る青空。
木陰から姿を表す小鳥。
確かにもう、傘はいりませんでした。
でも彼女の曰く『傘レベルα』
今日は特別な日です。
だから傘をさして歩きましょう。
ふたりでひとつの傘をさして、私達は煌く日の中をゆっくりと手をつなぎながら歩いてゆきました。

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これだけ、他作品より遅く(1999年)書かれたため、だいぶ私っぽい作品に(笑)
ルヴァ様は、やっぱり1人称創作がお似合い。
2004.08.05 再録に際し