It's like rain 〜お月様がみてる〜


ちいさい頃、いつも、不思議だった。
お月様は、どうして私の後をついてくるのかしら、って。
だって、ほら、歩いているとお月様もいっしょに動いて見えるでしょう。
走っても、ゆっくり歩いても、ふりむくとちゃんとそこにいて。
ママに聞いたら
「それは、お月様がアンジェのことが好きだからよ」
って、笑ってた。
でも、なんだか嬉しくなってしまった私に、こう、つけくわえることも忘れなかった。
「あなたは、どうしてって思うほどおっちょこちょいだから、心配で目がはなせないのね」
って。

私は今でも、ママに似ただけだと、信じているけれど、ね。

◇◆◇◆◇

「いたたたた……。また、ころんじゃった」

夜の公園で、雨に濡れたタイルに足を滑らせ転がってしまったアンジェリークは、起き上がりながらつぶやいた。
そして辺りを何気に見回して、すっ転んだ自分を目撃した者がいないことを確かめる。
―― 誰も、いないわね?よしっ!
普段なら、自分も出歩くはずのない夜更けである。人影はみあたらない。
―― お月様さえ、見てないわ。
そう思い見上げた空に月はない。本当なら、今日は満月であるのだが、厚い雨雲に覆われて、今は姿を隠している。
彼女としては、雨がやんだので雲の切れ間からでも顔を覗かせるかと思い散歩していたわけだが、今のところ残念ながらその様子はない。
それどころか、ぽつり。
冷たい滴がほほに落ちた。

It's like rain.
……雨が降ってきちゃったみたい。

どうやら今日の月見は、あきらめた方が賢明のようである。
「帰えろっと」
少女は踵をかえし、寮に向かい歩き出す。
ついでに好きな童謡をくちずさみながら。
「雨降りお月さん雲の陰〜。お嫁にいくときゃ誰とゆく〜。ひとりで唐笠さしてゆく〜」
静かな夜更け。歌はあたりに響いた。
と、その時。くつくつと、笑い声が聞こえてくる。つい笑ってしまった、といった様子の声だ。

「……なかなかの……美声だ。」

そう言ったその声こそ美しい。
いつのまにそこにいたのだろう。闇に溶け込んで声をかけられるまで気付かなかったが、紛うことなき闇の守護聖がそこにいる。

「クっ、クラヴィス様。ええと、こんばんは……」

あまりに間抜けなところを見られてしまったという事実に、彼女の頬が少々赤くなる。
しかも、よりにもよって大好きなひとに、である。
―― でも、さっきこけたのは見られてないはずね、ちゃんとチェックしたもの。
気を取り直してせっかくの機会とばかり話し掛けた。
「お散歩、ですか?」
この時間、彼が出歩いてる理由は、そのくらいしか思い付かない。
職務が遅くなり、この夜更けに帰宅途中というのも、某首座の守護聖ならばいざ知らず、目の前の彼にはまず当てはまらないような気がする。
彼は静に答える。その声はまるで、蒼い宵闇の中、木々にまとう雨上がりの雫に一筋射した、月明かりのように透き通って美しい。

「月を、見ようと思ったのだが」

この通りだ、と、空をみあげて掌で雨を受け止めるしぐさをする。
アンジェリークはなんとなく嬉しくなって言う。
「実は、私もです。でも、無駄足でしたね」
少女の言葉にクラヴィスはふっっと笑みをもらすと

「……そうでもあるまい。……おまえに、ここで逢えたのだからな……」

とつぶやいた。
その言葉にアンジェリークは耳まで紅くなってしまう。
―― く、暗いから赤くなったとこ見えないわよね。お月様、でてなくてよかった。
そうでなければ、月明かりでばれてしまうかもしれない。
今は、目をつぶっていてくれる月に感謝である。

「そうだ、な。せっかくだ、月はみせれぬが、星ならば……。共に来るか?」

ぱっと顔をかがやかせて彼女は元気よく返事をした。
「はい!行きます!」

◇◆◇◆◇

並んであるきながら、ふと気づく。
クラヴィスが歩調をあわせてくれている。それがとても嬉しい。
道の端に小さい白い花がゆれている。
―― とってもかわいらしいな。闇にぼんやりうかんで。昼間ならきっと、逆にみつけられなかった。
そんなことを思う。

となりを歩くこのひと。
このひとは、いつかお月様のように私をみつめてくれるようになるかしら?
そう考えてクラヴィスをみやる。
何事にも無関心で、冷たいようでいて、ほんとはきちんといろんなことを解っていてくれる。
細く鋭いようでいて、みえないところで円かなる姿を持った、
月のような
そんなひと。

視線に気付いたクラヴィスに
「どうかしたか……?」
と尋ねられ、
「な、なんでもありません」
と少女は慌てて首を振る。まさか、みとれていた、とはいえない。
―― いまは、まだ、私が彼をみているだけ。
ちょっと残念で、その気持ちをおいはらうように、水溜まりをとびこしたり、スキップしてみたりする。
突然、ぴょんぴょんとびはじめた少女になかばあきれたように、そして少し笑いを含んだ、意地悪な口調で言う。
「また、転ぶぞ。何も無いところでも。……さきほども、こけていたな」
どうやって転べるのか聞きたいくらいだが、とでも言うかのようにくつくつと笑い、そしてアンジェリークをみつめた。

なっ、なんでご存知なのかしらっっ! 
あのときちゃんと誰もみてないって確かめたのに!

あわてふためくアンジェリークに笑みをもらすと、クラヴィスは彼女を引き寄せやさしく額にくちづけをする。
そして、驚く少女にこう囁いた。

「私はいつも……おまえをみていたからな……」

雨降りお月さん雲の陰。でもきっと、お月様は今日も優しくこちらをみてる。

◇◆◇◆◇


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2004.08.05 再録に際し