涙雨

■女王コレットと守護聖ティムカですが、既に周囲の協力の元、公認となっているという前提でお読みください。


気がついたら。
彼の館に向かって歩いている。
会えばきっと心配をかけてしまうとわかっていながら、それでも、そばにいて欲しいと、そう思う。

馬車も使わず、歩く道すがら。
細い雨がさらさらと降り出して。
それはまるで私の心のようだと考えてから、今更ながらにこの場所が聖地であることを思い出す。
もしも、この雨が本当に私の心を反映しているのであれば。
彼に心配するなと言うのは端から無駄なのだろうという気がして、なんだか笑えてきたけれどすぐにその笑みは消えた。

おそらくは、有能な補佐官である私の親友から、別途連絡が行っていたのだろう。
館につくと、まるで待っていたように扉が開き、彼が出迎えてくれた。
ふわりとかぶされた、太陽のにおいのする、まっさらなタオル。
まとわりついた雨の雫をぬぐいながら、私は、『まるで待っていたように』ではく、まさに『待っていた』のだろうと気付く。
そして、彼はきっと、こうして私を待つことをしても、私の元に自ら来ることはきっとしなかったろうと思う。
なぜなら彼も既に同じ悲しみを知っているから。
一人でいたいときは、一人でいたほうがいいことを知っているから。
だから、彼は慰めに私の元へはこない。
ただ必要な時に、いつでも傍に在れるよう、こうして、降りだした雨に濡れた体を拭くためのタオルを、温めるための部屋とお茶とを用意してここにいてくれたのだ。
嬉しさと、己に対する情けなさの合い混った気持ちで、彼を見上げると、彼もまた憂いを帯びた表情で、それでも微笑んで私を黙って抱きよせた。
こんな寂しい雨の日でも、彼の抱擁は、私に南国の日差しを思わせる。
溢れるような生命力や、躍動のその季節の中にありながら、どこかほっとするその感覚は。
きっと強い日差し故にくっきりと浮かび上がる万緑の木陰の下の、涼やかな空間と同じ。

促されるままに中へと入り、温かな部屋のソファーにならんで腰掛けると、私はまるで犬か猫が懐くかのように彼に身を寄せる。
何も言わぬまま、肩に回された腕から体温が心地よく伝わった。
しばらくはそうして黙っていたけれど。
窓の外から聞こえてくる雨音があまりに哀しく聞こえて、それを消すように私はぽつりぽつりと。

逝った、母のことを少しだけ話した。

軍人だった父が逝ってから、女手一つで私と弟を育ててくれた母。
私が親元を離れる時、自分達のことなら心配要らない、と、弟の手を握っていない左手で陽気にガッツポーズをつくって笑ってくれた。
外界では。
あれからずいぶんの時が経っていて。
母は、既に若くはない年齢だ。
それでも、主星の平均寿命から見れば、まだ逝くには早いように思えた。
ただ、多くの人の善意によって私の元にたどり着いた弟からの手紙には。
子と嫁と孫とに見守られて。
穏やかな笑みを浮かべたままの、静かな最期だったと、そうあった。
再婚は、していなかったらしい。
だから、眠りについたその先で。
今ごろは父と久々のデートでもしているかもしれないと、いささか陽気にも思える文面の文字には、涙で滲んだ跡をみて取れた。

―― なあ、姉ちゃん。もしも魂というものがあって。その魂は宇宙に関係なく転生するのなら。
ソッチの宇宙に行っている可能性だってあるんだろう。
もしもその時は、よろしくな。

だからといって贔屓はできないけれど、きっと母は許してくれるだろう。
と。
あまり意味のないことを話す私に、彼はただ、ええきっと、と相槌を打ち、空いていた手で膝の上の私の手をそっと握ってくれた。

雨空に、ほの暗くなった部屋に灯された蝋燭の炎が、不意に滲んで。
その時はじめて。
はらはらと零れ落ちる自分の涙に気付く。
嗚咽は、ない。
ただ、外に降る雨と同じように蕭蕭(しょうしょう)と。
この涙はきっと、己の悲しみのために流す涙ではなく。
母を追悼するための涙なのだろうと、そう思った。

与えられた愛情がなければ。
失うことで生まれる哀しみもきっとない。
だから、心にみちるこの想いは。
きっと母が私に与えてくれた愛情の証。

回されていた手が、まるで子供をあやすように、とんとん、と、肩を軽く叩き一定のリズムを刻む。
瞳を閉じても、留まることを知らず溢れる涙をそのままに、私は少しだけ安心して、彼の肩に頭を預けた。

◇◆◇◆◇

そのまま眠っていたのか、それとも、目を閉じただけだったのか。
曖昧な感覚のまま、瞼を開く。
そして暗くなった窓の外に、ずいぶんと時間が経ったことを知った。
なお傍らにいる、彼を見上げると、どうしましたか、というようにみつめ返される瞳。
同じ体勢で私を支えていたのであれば、きっと何処かしら痺れてもいるだろうに。

ずっとこうしていてくれたの?

と、微笑もうとしても、涙が通って乾いたままの頬がすこしだけ引き攣れるだけ。
慌てて身を離してから、手で涙の跡を拭っていると、その手首を軽く掴まれて、頬に唇が落とされた。
頬をなぞるくちびるの温もり。
いつもならただ愛おしく思うであろうその仕草に、哀しみに囚われた心は別の反応をする。
いまこうして暖かな愛情でつつんでくれるこのひとをも、人である限りはいつかは失う時がくるのだと。
そんなことに、思い当たってしまうのだ。
ああ、そうなのだ。

―― 与えられた愛情がなければ、失うことで生まれる哀しみもきっとない。

けれどもあふれるように注がれる愛情を受け止めることができるのも。
それにみあうだけのものかどうかは分からないけれど、己から溢れ出でる愛情を注ぐことができるのも。
やはりそれは、かつて私に与えられた、無償の愛情の証でもあるのだろう。
そして、失うことで生まれた哀しみを、傍らにあることで分かちあってくれる大切なひと。
大切で、愛おしくて。
いま、あなたが傍らにあってくれることを、私がどれ程得がたいことだと思っているのか、それを伝えたくなって。
その気持ちをそのまま、くちづけにかえて彼へと返す。
黒髪に指をからめてひきよせて、そのくちびるに自分のくちびるを軽く這わせた。
その時。
少し慌てたように彼が私から身を離す。
すみません、と何故か謝るそのひとを見て。
今のくちづけで、どうやら刺激を与えてしまったらしいと思い当たる。
そしてきっと。
私の心のうちを思いやって、そのままいつものようには、私を抱くわけにはいかないと。
そんな風に考えているのだろう。
その気持ちが、かえって私の心に明かりを灯した。
それはいつものような熱い欲情ではなく、ただあたたかな想い。
体が欲っしているのではなく、ただ心が添いたいと望んでいる。
その肌に触れて、そして触れて欲しいと望んでいる。
だから、困ったように身を離したままの彼の、その胸に自分から寄り添って。
こう、囁いた。

―― 抱いて。どうか、優しく。

◇◆◇◆◇

雨音を聞きながら、寝台の上で重ねあわせる肌の感触。
甘い睦言もいらない。
ただ、私はその胸に体をうずめた。
これまでも、幾度となくあわせたその褐色の肌は、やはり日差しの香りがすると思う。
そうか、さっき私をつつんでくれた、乾いたタオルのような。
そんなことを考えている私に、愛撫というよりは、ただ、温もりを感じるように体に体を添わせて、しばらくは背中をとんとん、と叩いているあなた。
きっと、愛撫されているのは体でなくて、心。
そんなふうに感じて、このまま、眠ってしまいそう、と私がおどけると。
それでもいいから、無理はしないで、と優しい声が言った。
さらさらとした感触が、私の肌をなぞる。
やはりそれは、私の快楽を促すというよりは、安心させるようなそんな仕草。
心の奥に引っかかったままの、哀しみの澱。
それが消えることはなくても、さっきまで喉を塞ぐようにいたもどかしいまでの重苦しさや痛みが徐々に薄れていく。

―― 大丈夫、ありがとう。

何よりも、いま、ここに。
傍らにいてくれることにありがとう。

額にかかる髪を掻きやるあなたの手を捕まえて、その指にくちびるで触れた。
あなたの瞳が、少しだけ熱を帯びて、私をみて。そして、くちづけを交わす。
さらさらと肌をなぞっていた手が、脚が、次第に私の下肢を開かせた。
ところが、脚の付け根から辿るようにそっと触れられた指先の感触が、いつもと違うことに気付き、それが私自身の問題であることに初めて考えが至る。
それはひどく乾いて、いつもなら滑らかに動くはずの、なぞる指の動きを妨げている。
困惑した私に気付いたのか、あなたは微笑んで幾度も私のくちびるに、ほほに、睫毛に。
くちづけを落としながら言う。
―― ゆっくりでいいから。もしも、辛いならそう言って。
私は頷いて、あなたの背中にまわした腕に、きゅっといっかい力をこめた。
その手で今度は背をなぞり、肩を通って、いつのまにか男性らしくなった顎の線をなぜる。
大好きな長い髪を指にからめて、両手であなたの頬をつつんで、もういちど、くちづけをした。
言葉のとおりに、ゆっくりと。
あなたの手が、くちびるが、私を愛おしんでくれる。
すこしづつ、うっとりとなりながら、幾つかの吐息を零した時。
私の上半身にかかっていたあなたの体が、不意に遠のいたような気がして我にかえる。
下肢をつたう、湿った舌の感触。
思わず、いや、といった言葉が、ただの恥じらいではないとすぐに気付いたのか、あなたの動きが止まった。
―― ごめん、なさい。
―― 謝らなくて、いいんですよ。
―― ちがうの、ただ。
―― ただ?
ふたたび、私の髪を掻きやって、そう尋ねてくれるあなたを、力いっぱい抱きしめる。

傍にいて。私の手の届くところに。どうか、遠くへ行かないで。

言葉での応えはなかったけれど、抱きしめ返されたその腕の力で、つい滲ませた涙をすくうくちびるの優しさで、私はようやく安心する。
そして、その時、私の躰がそっとひらくのを感じた。
それは、きっとすぐに、あなたにも伝わったのだろう。
確認するように、触れる指先が幾度か弧を描いて。
次第に深く中をまさぐりながら、滑らかに動く。
応じるように私の躰は自然に動きはじめて、すこしづつ愛撫もはげしくなる。
私の体が十分に熱を帯びた頃、やはり熱を帯びたあなたがそっと身を沈めてきた。
愛情に満たされて、抵抗なく受け入れる私の体の中を、ゆっくりとあなたが動く。

互いの欲情のままに、激しく求め合うような夜も私は好きだけれど。
こうして、ただこれ以上ないほどに躰を絡めあいながら、その距離がそのまま心の距離になるような。
そんな穏やかなセックスがあってもいいことを知った。

互いの躰がゆるやかに波打つたびに、満たされる何かがある。
無理に私を高みに押し上げるような、そんなことを、きっとあなたは考えていなくて。
ああ、と溜息を零して、僅かに開いた瞳が、あなたの瞳と重なった。
そして。

嬉しい。

と、私は呟く。
優しく落とされるくちづけと、徐々に激しくなるからだの動き。
あなたの息が、すこしだけ乱れて、そして私の名前を呼ぶ。
掴まれた肩の、その痛いまでの力を感じながら、私はもういちど、嬉しいと言って目を閉じた。
迸るように強く、深くつきあげられて、私も広い肩にしがみつく。
そして、ふっと力が抜けたように、あなたの体の重みを全身に感じる。
その重みがひどく愛おしくて。
ふわりと、少し汗ばんだ背中に手をまわした。

落ち着いてくると波が引くように、周囲への感覚が広がってくる。
いままで忘れていた雨音が、かわらず聞こえていた。
頬に頬を寄せると、あなたが、本当に大切そうに私の名を呼んでくれるのがとても嬉しくて、少し切ない。
身体を離そうとするあなたを背中に回した手でそのまま押し留めて、もう少しこのままでいて、と囁くと。
でも、重いでしょう、とちょっと困惑したような返答が返る。

大丈夫。だから、お願い。

あなたはそれでもなるべく私に体重をかけないよう苦心してから、そっと私の肩のあたりに顔をうずめる。
あなたの身体の重みが、そのまま命の重みのように思えて。
本当に愛おしくて、いとおしくて。
幾度もその髪をなぜた。
そして、口の中で小さく、あなたの名前を呼ぶ。
いつだったかつい様付けをして怒られて。かといって呼び捨てに慣れなくて躊躇ううちに、いつのまにか公式の場でしか口にすることがなくなってしまったあなたの名前。

―― なんて、いったのですか?
―― あなたの、名前を呼んだの。
―― もう一度、呼んで欲しいな。

なんだか照れくさくて妙に心臓の鼓動が早くなる。
あなたは、きっとそれを知っていて。
もういちど小さく名を呼んだ私の顔を覗き込み、よく聞こえないです、などと意地悪を言う。
せめて、まっすぐみつめる目をそらして欲しくて、その頭を抱気寄せてから耳元ではっきりと名を呼ぶと。
あなたもくすぐったそうに、今度はちゃんと聞こえました、と言って私の耳朶をそっと噛んだ。
思わず、ああ、と零したため息に、あなたがなにやら微妙な表情で私を見る。
そして、私はいまだ繋がったままのあなたの体の変化を感じてしまう。
躊躇いがちに、いいですか?と尋ねるあなたに頷いて、私はくすくすと笑ってから、この笑みが今日はじめて私が零した笑みであることに気付いた。
そんな私にくちづけて、そっとあなたが動き始める。
もっと深く。
あなたを感じることができるよう、私は足を絡めてあなたを促した。
ゆっくりとした動きが次第に激しさを増して、かと思えば優しく、あるいは情熱のままに突き上げられて。
既に意志とは関係なく、体で応じている私がいる。

もっと。
貪るように。
僅かな隙さえも埋めるように。
荒く聞こえる息は、私のものなのか、あなたのものなのか。

ああ、もう、何も聞こえない。
哀しげに響く雨音も、もう。
知らない ――

◇◆◇◆◇

そしてまた、波が引くように周囲への感覚が戻ってくると。
今もまだ、さらさらと降る細い涙雨。
僅かな雨音が耳に届く。
わたしの体を優しく拭ってから、隣に添って身を横たえたあなたが。
この雨音をきいて私の哀しみが未だ癒えぬのだと、そう思っていたのならどうしようと不安になる。
もちろん、消えてなくなるものでもない。
けれども、あなたの存在が。
弱さをさらけだし、それを優しく受け止めてくれるあなたの存在が、どれだけ私にとって大切で、救いであるのかを、知って欲しい。
そんなことを考えて、寝返りをうつ。
あなたの胸に顔をうずめて、このまま眠ろうかと思ったときに。
そっと私の髪をなぜるあなたの手。
そして、静かな声がする。

―― 雨音が、優しいですね。

ああ、大丈夫。
すべてを言葉にして、伝える必要など、きっとない。
目の端に滲んだ涙を。
それこそ知られたら、きっと悲しみの涙だと思われてしまうから。気づかれないよう、こっそり枕に染み込ませて。
あたたかな胸にそっとくちづけを落とし目を閉じる。
優しい雨音と、あなたの鼓動を子守唄に。
私は静かに眠りに落ちた。


―― 終


◇◆◇◆◇


◇ Web拍手をする ◇

◇ 「彩雲の本棚」へ ◇


コレットの家族構成が、「月さえも」の使いまわし(笑)

っていうか。
エロ創作を書きたかったのに、コレってどうよ?
エロにしきれなくてシリアスにしたならシリアスに徹すれば良いものを。
後半のゲロ甘加減はいったい…!恥ずかしいったらないヨ!(だったら書くな)

そういえば。
ベッドの上でのティムカの言葉遣いに違和感を感じた方もいるかもしれない。
ただ、ティムカは普段の会話は「ですます」口調なのにラヴラヴになると時折タメグチになる傾向がある。
(トロワLLEDや、エトワLLED参照)
何気にそれが私の萌えポイントだったりするんで、許せ。(何なんだ)

05.05.19

今回のBGM:エンヤ/Evacuee