愛を、見失うほど


きらめく星空は、美しすぎて反対に深い哀しみを呼び起こす。
深い、感情の疼き。そのれはこの恋にも似て。

傍らで同じ星を眺めるあなたは、今を何を想っているのか。
星の天蓋。
あなたが少年の日にみた故郷の星空もきっとこんなふうだったのかもしれない。

理由がなくても抱きしめることができると言ったあなた。
でも、きっとそれは嘘。
明日にも女王となろうとしている私に、あなたは触れるのをためらっている。
それとも恐れているの?

いつもの軽口のその裏に、隠された想いを読み取れないほど、私はもう子供じゃない。
その氷のような瞳の奥にある、ゆらめく炎と、更に奥の。
―― 哀しみと、孤独。

だから、私からその胸の中に身を任せる。
あなたは自分を抑える必要など、何処にもない。
深い声で名を呼ばれて、思わず涙が零れそうになった。

きつく、きつく抱きしめられたその先に湧き上がるこの感情を。
愛と呼ぶのかしら。
けれど、愛など必要ない。
どうせ失うのなら、これはただの欲情だと割り切ってしまえばいい。
あなたの心を、永遠に束縛するつもりなどない。
ましてや、それが苦しみでしかないのなら。
けれども今夜は私だけが、あなたにとってのたった一人の女になりたい。

愛など必要ない。
抱いて、抱いて、きつく抱きしめて。
ただ、あなたが欲しい。
愛を、見失うほど。
そう、あなたの心の奥にある、遠い記憶も ―― せめて今だけは消し去って。

衣擦れのあいまに、重なるくちびる。
あなたの肌に触れたくて、まさぐりあう。
互いの衣(きぬ)でさえ、今は私たちを隔てるものでしかない。

甘い夜も、愛の囁きもいらない。
抱いて、抱いて、きつく抱きしめて。
ただ、あなたが欲しい。
愛を、見失うほど。
この先にある私たちの運命さえも、忘れてしまうほどに。

指先に触れたその金色のピアスを、そっとなぞった私にあなたは気付いた。
この胸に走る痛みは嫉妬なのか。
いいえ、あなたの心の痛みを、私は感じている。

不敵な笑みを浮かべて。
あなたが、そのピアスを引きちぎる。
私の肌の上に散った赤い雫を、あなたが唇でなぞった。

打ち捨てられても、淡く光るそれは。
遥か彼方の草原ににあなたがおいてきてしまった心の欠片。

目を閉じて、あなたに身を任せる。

瞼のうらに広がる、これはいつか休日に連れて行ってもらったあの草原?
違う、見たことのない風景。
寥々と渡る風と、ひるがえる緑の草、見渡す限り続く地平線。
どこかから聞こえる寂寥を帯びた馬頭琴の調べ。
そして栗毛の馬を駆る、少年の日のあなたがそこにいる。

遠い昔に ―― あなたが、聖なる地へ赴いたのと同じ日に、滅んだという国。
古い辺境の惑星の言葉で
草原遠緑(ツァオユェンユェンリュー) ―― ツァルファール
遥かに続く草原のその緑を現す名を持つ国。

故国を失うということは。
どれだけの喪失感が心を襲うのだろう。
むさぼるように絡めあう唇と舌と躰とで、その虚ろな空間は少しでも埋まるのだろうか。
私という存在に、それだけの力はあるのだろうか。

私のつけた大陸の名前を聞いて、かつてあなたが見せた微かな表情。
今ならわかる。

『フェリシア』

その名前は、故国の、最後の女王と同じ名前だったのね?
あなたが最初の ―― そしてもしかしたら最後の忠誠と愛を捧げたひと。

『家族も、友も、…… 忠誠を誓った王も。
皆、風に散って草原の大地に還っていった。
唯、自分だけが
この異郷の地に連れられて、血塗られた剣と共にここに在る』

あなたも本当は、彼らと共に故郷に殉じたかったと感じていて。
そしてそうできなかった自分を憎んでいる。
でも、生きることに貪欲になることは決して弱さじゃない。
死を恐れないことは、決して強さじゃない。
今のあなたは、それを知っているはず。
そして、そうやって私はあなたにめぐり合って。
あなたの存在によって、宇宙を愛することを知った。
国が滅んでも今もなお生き続ける草原の民と魂を、守ることのできる存在に、私はなることができる。

草原に吹く風は、そこに生きる人々の熾す炎から生まれるのだといつかあなたは言った。
けれど、その風のゆきつく処を知らないとも言った。
許されるなら。
あなたの生まれたその草原の惑星へ行って、共にその行く先をみとどけたい。

けれど、それはきっと叶わぬ夢。
明日私は、恐らくはあなたの手によって、宇宙を統べる王となる。
だからせめていまはただひとりの女として、あなたに抱かれていたい。

あなたを受け入れて、身を貫く痛みは、生あることの証。
そしてこの心の痛みに比べれば、苦しみの数にも入らない。
愛など要らないと言いながら。
これから訪れる別れ故に、
あなたも私と同じ心の痛みを、切なさを、苦しみを感じていてくれたら。
嬉しいとさえ思う身勝手な私を、あなたは許さなくていい。

私が流す涙は、悲しみからじゃない。
あなたの腕の中にある喜び故に。
体を満たす悦び故に。
そう、思わせて。そう、信じて。

あなたの耳朶から零れる血を唇でなぞって。
その命の一部を私のものにする。
ふたたび重ねられた唇も、微かに血の味がした。

「愛している」

言わないで、そんな言葉は。
たとえ、その言葉が私の切望していたものだったとしても。
すべてを犠牲にしてあなたを欲してしまいそうになる。
永遠など誓わないで。
そんな誓いよりも、熱いくちづけがいまは欲しい。

つながりあい、からみあい。
それは体か心か。
体だけでいい。
どうせ失われる愛なら。
せめて、今だけは。


―― 終

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「雪白幻夜」企画出品作品。
オスカーの過去については、実はパラレルな創作「草原の風」で少しだけ詳しく書かれています。興味のある方はどうぞ。
なお、タイトルに使わせていただいた「愛を見失うほど」はTHE BOOMの歌なのですが、はじめて聴いたとき、真っ先に「オスカーの歌だ!!!」と思い、悶えた思い出があります。機会があったら、是非聞いてみてください(笑)

以下、企画出品時あとがき
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私の中で、オスカーは密かに心に空洞を抱えた、影あり二枚目なのです。
いや、公式でもそうかもしれませんが……最近三枚目、ですよね?(笑)

彼の女性に対する態度。それには理由があって。
きっと故郷を去るときに失った女性がいるんじゃないかと勝手に思っています。

2004/11/26 佳月 BGM/THE BOOM 愛を見失うほど