ココアの味


小さな頃。
風邪をひいて何も食べる気がしないという私に、母はよく温かいココアをいれてくれた。
100%のココアの粉に砂糖を入れて、少しのお湯で練ってから温かいミルクを注ぐ。
普段ではありえない、ばかみたいな甘さのそれは、微かに苦くて。
そしてとても優しい味がしたものだ。

◇◆◇◆◇


「風邪をひいたと、聞いたので」

見舞いのつもりかエルンストがやってきて、相変わらずの愛想のない顔で言ったのは。
一日の執務も終わったであろう夕方のこと。
さほど高くはないものの、気だるい熱にうつらうつらとするうちに、いつしか日も沈む時間になっていたらしい。

「気分はどうですか」
「一日眠ったら、だいぶ良くなったよ」

はっきりと覚醒した頭で。
我ながら可愛くないとは思いつつ、いちおうは恋人としてではなく、補佐官としての質問を投げかけてみる。
「何か、緊急の用なわけ?」
彼はやはり愛想なく、でも眼鏡を少し直す仕草をして言った。
「いいえ、個人的なただの見舞いです」

風邪をひくと。
少し人恋しくなるという経験は誰しもあることだと思う。
このとき私はまさにそんな状態で、だから彼の来訪をひどく嬉し感じた。
とはいうものの。
今は恋人であるとはいえ、腐れ縁的に長い付き合いの彼に対して、今更嬉しそうに頬そめるのもなんだかなぁ、という気もして。
結局少しそっけなく、ありがとう、と呟くに留まった。
そんな私の態度を、エルンストは気にした風もなく、枕もとに置かれた水の量や薬をチェックしているようだった。
「食事はきちんと摂りましたか」
「ううん」
「空腹で薬を飲むのは好ましくありません」
「わかってるってば。でも食べる気がしないんだから煩く言わないでよ」
彼は諦めたのか、溜息をつく。
そしてベッドに横になっている私をみて、何度も打った寝返りのせいで少し崩れた足元のシーツを直してくれた。
そうしながら言うことには。
「寝相の悪いあなたのことです。気候が暖かくなって寝苦しくて、布団を蹴飛ばしたせいで体を冷やしたのでしょう」
「ちょっと、もっともらしく分析しないでよ。そもそも寝相が悪いってなんなワケ?」
むきになって聞き返すと、彼は少し笑って言う。

「悪い、ですよ。一緒に寝た時などは時折蹴飛ばされます」
「なっ」

それは、知らなかった。
でも私に言わせれば、寝た時と起きた時、微塵もかわらない格好で真上を向いて ―― 私を抱きかかえている時以外は ―― 寝ている彼の方がかなり珍しい部類だと思うのだけれど。
「…… ゴメン 」
しぶしぶ謝った私に
「いいえ、気にするほどでは」
彼は愉快そうな表情でそう応じた。
そこで会話が途切れて。
私は軽く覚えただるさに溜息をつく。まだ完全に熱が下がったわけではないようだ。
それを察したのだろう。
「長居をしては見舞いも逆効果ですね」
言ってエルンストは部屋を出ようとする。
その彼に思わず言った。

「帰るの?」

当然、そのつもりだったのだろうとは思う。
けれども彼は振り返り、少しだけの間の後こう言ってくれた。

「良ければ今日は泊まっていきます。館の人に頼んで部屋の用意をしてもらっても?」

私はただ頷いた。
彼は微笑んで、まるで子供に対してするように私の額に手をあてて。
やはりまだ少し熱いですね、そう呟いて部屋を出て行った。

ひとり残された部屋で。
先ほど彼に触れられた額に、ほんわりと優しい感触が残ったままのを感じつつ私は目を閉じた。

熱のあるときに見がちな脈絡のない夢の。
映像や音が頭の中を廻る中。
私は何故か幼い頃に戻っていた。
キッチンから聞こえるカチカチと、スプーンがカップに当たる音。
ああ、母が。
ココアを作っている ―― 。

◇◆◇◆◇

そっと扉が開くのを感じて私は夢から覚める。
いや、何処までが夢だったのか曖昧だ。
何故なら、鼻をくすぐる、ココアの香り。
エルンストが、カップを手にしたまま私を見た。
起きていましたか、と静かに言ってカップをサイドボードに置く。
「ココアです。食欲がなくても、これなら大丈夫でしょう?」
置かれたカップに触れるとそれはひどくあたたかかった。
「あったかい」
いつか話したココアの話を。
きっと彼は覚えていてくれたのだ。
エルンストが優しく聞いてくる。
「何か他に欲しいものは?」

―― キスを。

真っ先に頭に浮かんだ言葉を、私は急いで打ち消した。
何こっぱずかしいこと考えてるんだか。私。
黙って首を振った私に、そうですか私は下の階にいますから、と、彼は部屋を出て行こうとする。
その背に小さく、聞こえないように言ってみる。

「キスが欲しいな」

彼の、足が止まった。
振り向いたその表情は、いつものくそ真面目な顔。
聞こえてしまったのだろうか。馬鹿な事を言ったと思うし、風邪がうつります、とかなんとか理屈をこねられるだろうと私はちょっと覚悟する。
すると彼は眼鏡をはずして。
身をかがめたかと思うと、優しくくちびるを合わせてきた。
ふれるだけのくちづけから、ちょっとだけ情熱的に割って入ってくる舌。

―― 甘い。

唇が離れた時、私は思わず言った。
「ココアの味がする」
彼はああ、と笑んだ。
「さっき味見をしました」
その笑顔になんだか妙に照れて、私は目をそらす。
「…… 風邪、うつるよ」
彼は外した眼鏡をかけなおし、こともなげにこう言った。

「その時は、あなたがココアをいれてください」


―― 終

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私が書く話にしては奇跡的に甘い…。

いえ、クラとかティムで当然妄想したんですよ。創作にする時点で。
でもね、このシチュエーションは庶民でこそ萌えるんです!(力説)
社長チャーリー、将軍ヴィクトールでもかけるかなーって、誰にするか悩んだんですけれど。結果、好きなのになかなかかけなかったエルレイで。

05.06.05