春待月(はるまちづき)



もしかしたら有名な謎かけなのかもしれませんが、あなたは知っていますか。

『雪が溶けたら何になるか』

こんな問いをしておいて、申し訳ないのですが白状してしまうなら。
私はその本当の答えを未だ知らないのです ――

◇◆◇◆◇


「今度は溶けない雪ですか」

オスカーがかなり嫌な顔をして問い返したのを、まあ無理もないだろうな、とルヴァは思いつつ見ていた。
つい先月、彼は散り終わらぬ桜の異変を調査しに、とある惑星へと赴いたばかりだ。
ところが異変は調査隊が到着した翌日に理由もわからぬまま消えていた。
結果、報告書を書くのに散々苦労させられた ―― 同行した闇の守護聖は書くはずもなかった ―― 記憶をまだ生々しく抱えている彼にとって今度の仕事はなるべくなら御免被りたいものでしかないのだろう。

女王補佐官のディアは少しだけ同情するような笑みをこぼしてからまじめな表情のに戻る。
「ええ。やはり前回の惑星のように、ここ近年著しい発展を遂げている星です」
「詳しく聞かせてもらいましょうかねー」
ルヴァはディアの言葉を促した。
「その地はもともと雪深い土地ではあったそうです。それでも邑(むら)があり、人が細々と暮らすことができる場所でした。それがいつからか、雪と氷に閉ざされてしまったのです。
理由もわからぬまま人々は永久の凍土に閉ざされたその地を避け、都を暖かな場所に築き、生活してきた。ところが、ここにきて発達した文明で ―― 」
ルヴァはみなまで聞く前に言葉をつないだ。

「―― 本来の土地に見合わぬ、不自然な気候であることが発覚したのですね?」
「なるほど、それで俺達にお鉢が回ってきたというわけか」

ディアは頷く。
「派遣される調査隊と一緒に、ルヴァ、オスカー。あなた達二名が同行するようにとの陛下の御達しです。よろしく頼みましたよ」

◇◆◇◆◇

執務室へと戻る途中、ルヴァは同僚の闇の守護聖と廊下で顔を合わせた。
先の異変では、彼がオスカーと共に惑星へと赴いたのだ。今回の件と必ずしも通ずるものがあるとは限らないが問えば何か助言でもあるだろうかとも思う。しかし常日頃の彼の様子からはその確率も低い気がして、ただ会釈をするだけに留めようとした。
ところが、すれ違いざま、彼が微かな声で呟く。

「…… せいぜい、気をつけることだな」

怪訝に思いルヴァは足を止め、同僚の方に向きなおった。
同行者にはオスカーもいる。それだけではない、研究所の職員はもちろん護衛も当然つくだろう。異変があるとはいえ、災害が起きているわけでもなく、気をつけろと改まって言われるほどに危険な場所へ行くという自覚が無かったのだ。
そんなルヴァの思考を見透かしたように。

「雪の魔物は女だそうだ。魅入られた男がのこのこと雪山に赴き魂を抜かれる。獲物が自ら餌食になりにゆくのだ ―― 警護の意味などありはせぬ」

そこまで言ってから、お前よりもあの男のほうが危険かもしれぬがな、とくつくつと笑う。
それから、おもむろに懐に手をいれた。

「持ってゆけ。気休めにはなるだろう」

取り出したのは、おそらくは彼が身につけているものの一つであろう紫水晶。魔よけの力を帯びると聞いたことがあった。 丁寧に頭を下げてから、礼を言おうと再び見やれば彼は既に歩みを進めて己の執務室へと消えようとしている。

「ありがとう、クラヴィス」

その背に届いたであろう言葉に返事は無く、ただ、重い扉の閉じる音が廊下に響いた。

◇◆◇◆◇


「あー、雪と言うのはこういうものなんですかねー」

特に誰かの答えを期待したわけでもなく、そう呟いてルヴァは目前の風景を眺めた。
初日の下見でやってきたその土地は、聞いていた通りの雪と氷とに閉ざされている。
常盤の木々に ―― 不思議なことに枯れていない。まるで時が止まっているようだ ―― 雪は重くのしかかり、枝は垂(しだ)り、風にあおられて鈍く揺れるその姿が既に生き物のようであり、魔物のようでもある。
彼らをあざ笑うかの如く、雪は尽きることなく天より降りそそぎ、たやすく彼らの視界を奪う。
雪舞う姿を花弁に喩えて六花と呼ぶとルヴァは聞き知っており、初めて見る雪に実は多少の憧れを抱いていたのだが、これではそんな風雅な比喩では収まらぬ、と半ば呆れた。
そのとき、ただ白一色の世界にふと黒い影が動いた気がして、彼は一度は通り過ぎた視線をその影へと戻す。
目を凝らせば、それは人影 ―― 娘、である。
黒く目に留まったのは背で一つに結って長く垂らした黒髪。
白の単衣(ひとえ)、氷のように淡く青ざめた顔色に、何故か唇だけが春を待つ梅花の蕾のように紅を帯びて。

ゆらり袖を揺らし、娘は息を殺すかのような動きで舞っている。
あたりに降りしきる雪は何故か娘を避けるかのように。
いや、娘のほうが幽かな息にも乱れて狂う雪のすじを、僅かなりとも崩さずに無音の中を舞っているのだ。

娘の声か。
か細く謡が耳に届く。

―― 賤やしづ。賤の苧環
―― 昔を今に。

声は震えつ、声は途切れつ、風の間に。

―― 思いかえせばいにしえも
―― 恋しくもなし憂き事の
(能楽:『二人静』より)

淡々と、舞う娘。表情は、言うならば無。
笑むでもなく、怒るでもなく、泣くでもなく。
ただ僅かに、こちらの様子を見て首をかしげたのは気のせいか。

ルヴァが何かを問おうと口を開きかけると娘はふいと後ろを向き、そして雪霞のなかへと消えていった。 問いかける対象を失って宙に浮いたままの言葉をいったん飲み込むみ彼は同僚へと、再びあまり意味の無い問をする。

「オスカー、この雪が溶けたら何になるんでしょう」

返答は、短く明瞭だった。
「水だろ」
「―― そう、ですね」
言いながらルヴァは娘が消えた白い雪の向こうを見つめる。隣の同僚には、どうやらその姿は見えていなかったようだ。
美しい、娘だった。
この極寒の地で、単衣(ひとえ)に素足であったことから、おそらくは人に在らざる存在だろう。聖地でクラヴィスが言っていたような雪の魔物なのかもしれない。
しかし、清らかでさえあるように感じた姿に、どうしてもルヴァは悪意や怨念といった負の感情を読み取ることができなかった。
ただ、ひとつだけ。ひとつだけ、その姿に混じる不穏なものがあった。
娘の舞姿、ゆらりと空を動く白い手の、細い手首に結わえられた ―― 無粋な荒い縄。
縄にこすれて白い肌には血がにじんでいた。

そこまで考えが至り、彼は唐突に踵を返す。
「おいおい、何処に行くんだよ」
いきなり歩き出した同僚に、オスカーがあわてて問う。
ルヴァは一言。

「図書館へ。 ―― この国の歴史を調べに」

こんなとこに来てまで読書かと、少しばかり呆れ顔でオスカーは肩をすくめたが、すぐにそれなら己も街にでも出るかと考え直した様子である。
短い冬の日が暮れ始める中、二人の守護聖はそれぞれの思惑でその場を去った。

◇◆◇◆◇


―― 賤やしづ。賤の苧環
―― 昔を今に。

娘の謡う声が聞こえる。
雪は、止んでいた。
夜の闇は既にあたりを重たく包んでいたが、白い雪はほんのりと自ら光を発するかのように辺りの情景を浮かび上がらせている。
我ながら無謀だと思っていても、ルヴァはここに来ることをやめられなかった。
聖地での同僚の忠告を、まるっきり無視した形になったことを苦笑しつつ、彼は懐中の紫水晶を強く握る。
ぎゅ、と雪を踏む音に娘は舞うのをやめ、訪問者の方へと視線を向けた。
表情は相変わらず無であり、やはり強いて言うなら不思議そうな、と言うべきか。

《貴方は、誰。》

問いに、問いで返す。
「あなたは、何者ですか」
娘は、困ったように首をかしげ、わからない、と言った。
「では、あなたがさっき謡っていた謡は何ですか?」
娘は再び、わからない、と言ってから苦笑した。その笑みが、ひどく人間くさいとルヴァは思った。

《私は、知らないのです。何故私がここに留まっているのかを。
あの謡は、昔邑(むら)の誰かが教えてくれた。
でも私は謡の中の言葉の意味は知ろうとも、心を知ることはできなかった。
謡の中の女が、霊魂となってまで何かに執着するという想いそのものが、わからなかったのです。
今、己が鬼となっても、わからぬまま。
わからぬのに私は、謡の中の女と同じように霊魂となってここにいる。
謡の中の女は何に執着していたのか、私は何に執着しているのか、何故ここに留まっているのか。
私は、何一つ知りはしない》

娘は俯く。その拍子に幾すじか乱れて顔にかかった髪を指ですくう仕草をする。
手首には、やはり痛々しく繋がれた荒縄。
ルヴァは先ほど図書館で確認してきた、古くこの地域で行われていた因習のことを思う。
痩せた土、寒冷な気候、都から遠く離れた地理条件。短い夏の天候が僅かでも狂えば容易く襲う飢饉(ききん)を避けるため、ここに暮らす人々は神に願掛けをした。
美しい貢物を用意して。

「貴女は ―― 神に捧げられたのですね?生贄として」

娘は手首の傷にもう一方の手でふれて、無表情に頷いた。

《土が。
雪まじりの土が、上から少しずつかぶせられて。
何かを叫ぼうと口をひらくと、その口にも土が入った。
冷たい土。
むせると息が詰まって。
苦しくなって。
もがいたら、縛られていた縄が手首に食い込んで、とても。
とても、痛かった。
ちらちらと、雪が降ってた。その中の一つが睫に積もった。
綺麗な結晶の形だったのに、上からかぶせられた土に潰れて消えたのが、無性に哀しかった》

凄絶を極める光景を、淡々と娘は語った。
「憎いんでいるのですか。あなたをそんな目にあわせた人々を」
しばしの間のあと、首をかしげ、そして今度は横に振る。

《皆、泣いていました。すまないと言って。だからたぶん憎んではいない。
贄となることは神の嫁になることのだと、そう言わていました。
本気にしたわけではない。けれども、本当ならいいと思っていた。むしろ信じたかった。
神にあえたなら、私の知りたいことを教えてくれるのではないかと、そう期待した。
あの閉ざされた邑の中で、私は何かを学ぶことさえ許されていなかったから。
けれども、神はいなかった。少なくともここにはいない。
それとも貴方が、神ですか?
私を妻にするために、ここへきたのですか?》

「いいえ、人間ですよ。…… 残念ながら」

《ならば、ここにいてはいけません》

娘もまた残念そうな表情でそういった。
近くの木の枝から雪が落ち、しなだれていたが枝が反動でそり返る。
ぱん、と辺りに音が響き、ルヴァは一瞬そちらに目を向ける。ふたたび娘のいた場所に視線を戻したとき、その姿は既にどこにも無かった。
白だけに覆われた世界をぼんやりとみつめ、懐中の紫水晶をそっと握りながら考える。
ここでの任務は、怪異の原因を究明し、それを取り除くこと。
目的を達するのは簡単なことなのだと彼は思う。再びあの娘に会い、そしてこの水晶を突きつければすべてが終わる。
密かに封じ込められた闇の力が、彼女の思いも謎もすべてを包み込み安らぎへと導いてくれるだろう。

―― でもそれは、本当の意味での解決なのでしょうか。

深くついたため息が夜気に触れ白くなり、細かな氷の粒となって微かに清んだ音を立ててから消えた。

◇◆◇◆◇

翌日からは幾日もひどい吹雪が続いた。
これでは調査もままならないと困り顔の調査研究員達には申し訳ないと思いながらも、ルヴァは安堵している。
怪異の原因は間違いなくあの娘。
すべてを雪と氷に閉ざして、己の問いの答えを探し続けているのだ。
水晶を使わぬまでも、調査が進み、必要なサクリア ―― 恐らくは炎と地。女王陛下は総てお見通しなのだ ―― を適宜この地へと注げばやはり任務は完了する。
娘は何も知ることなく昇華され、数多(あまた)ある魂の中のひとつとしていずれ転生(てんしょう)するだろう。
この結末のいったい何に不満なのか、ルヴァはわからず日々雪を眺め過ごしている。

その日、彼は雪の見える窓辺で一冊の本を読んでいた。
この土地に伝わる独特の舞。その舞の背後で謡われる物語の本である。娘が口ずさんでいた物語がそこにあった。


春を待つ雪の野。
若い娘が山菜を取りに訪れる。
そこで娘は女の霊に出会う。
かつて戦で恋人を殺され、自らも命を絶った女の霊。
憎しみと悲しみと恋しさと。
己の想いが重過ぎて、苦しみのあまりあさましい鬼と成り果てた。
女の霊は己の供養を願い出て若い娘にとり憑くと、想いを込めて舞い、廻向(えこう)を願い掻き消える。
舞に心動かされた土地の神官は手厚く女を供養した。


読み終えた本を閉じて、目をつぶる。
娘の声が耳によみがえった。

―― 霊魂となってまで何かに執着するという想い
―― 私は、何一つ知りはしない
―― 何かを学ぶことさえ許されていなかった

ああそうか、とルヴァは呟く。
彼女はただ知りたいだけだったのだ。
なのに、彼女はその機会 ―― 未来を ―― 永遠に奪われた。
神がいると言われ目覚めた場所にあるのは雪と氷だけ。
己の命をかけた儀式も、ただの無知ゆえの蛮行であり何の役にも立たぬと思い知らされただけではないのか。
何故。
何故。
何故。
幾度と無く繰り返されたであろう問いかけ。
その中で、恐らく彼女がもっとも知りたいであろうささやかな問いの答えは、言葉では教えることができない。
そう考えて、何故か心がざわめいた。

「おい、大丈夫か」

窓辺で目を閉じたまま動かないでいた彼に、オスカーが声をかける。
我に返り彼は大丈夫ですよ、と頷いた。
「ならいいが。ところで、連絡が入った。遠隔で取得していたデータの解析が終わったそうだ。炎と地のサクリアが微量、不足しているから明日、調整を行うということだ」
「そう、ですか」
「ああ。にしても、人選を見るに陛下はお見通だったと言うことか」

そのわりに前回は何で、と未だ覗く多少の不満を言の葉の端ににじませつつ、彼は足早に部屋を出て行った。
この地に留まるのもあとわずか。
彼のことだから別れでも告げるべき女性(にょしょう)でもいるのかもしれないと、ルヴァはぼんやりと思った。そして、ならば自分は明日までに会うべき人は居ないのかと己に問う。
その答えをはっきりと意識する前に、彼もまた、部屋を飛び出していた。

◇◆◇◆◇


《ここへ、来てはいけないと。申し上げたのに》

強い雪と風にあおられながらも息を切らし駆けつけたルヴァの姿を見て娘は言ったが、その表情に一瞬嬉しそうな笑みが浮かび、そしてそんな己に戸惑ったように首をかしげた。黙ったままの彼に、娘は続けた。

《そんな悲しい表情はしないでください。私とて、己が本来あってはならぬ怪(あやかし)であることくらいはわかっているのです。あなた方が、この惑星に何のために訪れたかも。私はようやっと、ただ本来あるべき場所へ帰ることができるのですね?》

「貴女は、それでほんとうにいいのですか?貴女の本当の望みは何だったのです。それを知りさえしないまま、諦めてしまってほんとうにいいのですか?」

熱くなって問う彼に、娘は淡々と。

《私は、もっと。もっといろんなことを知りたかった。
いつか都へ行き、いろんなものを見、学び、知りたいと思っていた。
できることなら雪深きこの邑で、幼き子が飢えずにいられる術を見つけられたらと、そう望んでいた》

無意識だろう、手首の傷を娘はさする。

《本当は気づいていた。幾人の娘が贄となり犠牲になっても、神などいなければ何の意味も無い。
あの邑の人々は、無知ゆえに、幾人もの人を殺した。
憎くは在りません。けれど、ひどく哀しい。
知らぬと言うことは、時にそれだけで罪になる。
故に、哀しい。
無知は、哀しい》

そして、賤やしづ、と呟く。

《でも、一番知りたかったのはもっと小さな些細なこと。
『昔を今に』と願うほど。人を慕う心とは、いったいどんなものなのか。
私はただ ―― 恋がしてみたかった》

娘は少しだけくすぐったそうに笑い、いつもの少し首をかしげる仕草をする。

《もしも憐れと思うなら。
―― おしえてください。叡知を司る御方。
  わたくしが、もう一度貴方に会いたいと、そう思ったこの心は何なのか》

吹雪いていた雪は、いつしか二人を包むように淡々と落ちてゆく。

春を知ることもなく奪われた、若い命。
けれども己の立場をそして周りを憎みもせず。
ただ、彼女は知りたかっただけという。
魔性であるはずがなかった。
無知であるが故に無垢。娘は憎むことも、執着に似た愛情すらも知らず。
透き通るように純粋な、生まれ出でては去り逝きぬ、尊く美しい ―― そして何処にでも在るごくありふれた ―― 魂でしかない。
ルヴァは首を振る。

「私には、きっと何一つ教えることなど出来ません」

一歩、彼は娘に歩み寄る。
懐中には件の紫水晶。
指先に触れるその塊が、辺りの氷雪よりも冷たく重く感じる。
もう一歩、彼は娘に歩み寄った。
見上げる清んだ瞳の色に、己の目をそらせぬまま、彼女の頬にそっと触れる。
それは氷のように冷たかったが、何故か温もりすら感じるほどに優しく柔らかかった。

「何故なら。私も、貴女にこうして触れたいと思った理由を、答えられないのです。
ひとつだけ言えるのは、憐れと思ったわけではないということ」

交じり合う視線。
互いの顔が、次第に近づき、くちびるが触れそうになった瞬間、我に返ったルヴァがそれはいけない、と身を離す。
娘は悲しそうに微笑んで

―― いいのです。

とだけ、呟いた。
「わかっているのですか?」
頷く女。
彼女の白い手が、彼の頬を包み、耳をそっとなぞる。
手首の枷は消えていた。
白い指は、ただ優しい。

そして、くちびるが重なった。

―― ありがとう。

ルヴァの耳元に。
枝に積もった雪が(しず)り落ちるような微かな声が響き、そして女の姿は雪煙の如く消えた。

◇◆◇◆◇

翌日。
満を持して異変の地へ赴いた調査隊は目前の光景に唖然とした。
銀色に反射して煌めく太陽の光は、既に春のもの。
その熱に雪が溶けて、黒い大地が顔を出していた。
またしても行動を起こす前に綺麗さっぱり消えてしまった怪異にオスカーは渋い顔をしている。

「オスカー」
「なんだ」
「雪が解けたら水になる、といっていましたよね」
「ああ、言ったな」

ルヴァは謎々の答えをみつけた子供のような表情をして言う。

「もう一つ、答えを見つけましたよ」
「なんだ?」
「―― 春に。春に、なるんですよ」

なるほどなぁ、とオスカーは呟いてから、見やった同僚の顔にとあるものを見つけて尋ねた。

「おい、ルヴァ。さっきから気になっているんだが、唇が少し腫れてるぞ」
「ああ、これは昨夜彼女の唇が触れて ―― 」
うっかりそこまで答えてから彼はわたわたと慌てて、な、なんでもないですよー、と向こうへ行ってしまう。
残された炎の守護聖は。

―― おいおい、それは、キスマークかよ?!

暖かい春の日差しも、目を点にしてその場に凍りいた彼をしばらくは溶かせそうも無い。

◇◆◇◆◇


聖地に戻り、ルヴァは同僚の闇の守護聖の元を訪れた。
彼は珍しく、日の当たるテラスでお茶を飲んでいた。
「せっかく頂いたのに使う機会がありませんでしたよー」
ことり、と彼は紫水晶をテーブルに置く。
「気休めと、言ったはずだ」
置かれた水晶を横目で見やり、興味なさげに言った彼はこの水晶が実際に使われることはないと踏んでいたかもしれなかった。
そんな様子に、例の問いをしたならクラヴィスだったらなんと答えるだろうという興味がルヴァの中に沸いて出る。

「雪が溶けたら、何になるか知っていますか」

唐突な問いに驚きもせず彼は喉の奥でくっと微かに笑いのような音をこぼしてから、何も残らぬ、と呟いた。
そして、こう付け加える。

「いや …… 何も、というのは誤りか。残るのは記憶と ―― 唇のしもやけ(・・・・)だ。だか、それもまたすぐ消える。春の淡雪の如く、な」

「そう、ですか」
ルヴァは頷き、お茶を口に運ぼうとして。
鈍い痒みを覚えたくちびるを指でそっとなぞる。
きっと、明日にはもうすっかり治ってしまうであろうほどの微かな疼き。
その疼きを真似るように、常春の日差しを受けてテーブルの上の紫の水晶が微かにきらりと瞬いた。

―― 幕

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最近お絵かきして遊んでばかりいたのでずいぶん久々の創作となりました。
クラエンは未完でギャグなので除くとして。そう考えると「また会おう」以来ですね。
と、いうことで。
10万HIT記念リクエストラリー第四弾。
「ルヴァ様(orルヴァリモ)で「怪」シリーズ」
「脇でちょっと出てるオスカー」
でございました。

第三弾が完結してないのに先に書いちゃったのには訳があります。
表題の『春待月』が12月の異名なんですよ。以前『雪待月』を、8月に掲載したことをやっぱ、ちょっとだけ悔やんでて。
そんなわけで、この作品を優先しました。本当は先月中に書き上げたかったんですが(笑)

けっこう不親切な書き方をしたので、解説をつけようかとも思ったんですが、長くなりそうなのでやめておきます。
『雪待月』との関連性など、自由にイメージしていただければ幸い。

06.01.22