彼女の足音

■突発的に書き上げた、ぬるいラブコメになり損ねた残骸。



◇◆◇◆◇

たとえば、の話である。
憎からず思う妙齢の女性のことをふとした拍子に思い起こし、ほんのりと幸せな心持になるという経験はそんなに珍しい事象ではないと認識している。
もちろん、世間一般の話であって、私自身に置き換えてみれば、まあ、その。
過去にそうそう数多くあったわけでないのは、確かなのだが。

さて、そういったときに思い浮かべている女性の仕草というのはたいてい、風に吹かれてなびく髪や、それをかきやる指先や、笑みを浮かべた口元など。
ほんのりと艶っぽいものであるのが、普通なのではないだろうか。
いや、その、もっと艶っぽいものを好む者もいるだろうが、それはそういうのが得意なものに任せておくことにしよう。
私は、そ、そのような想像はしない。誓って、しない、ぞ。うむ。

ところがだ。
最近時折、心の中で像を結ぶ娘がいるのだが。
その者を思い起こす時に浮かぶ様子というのは、先に挙げた例にまったく当てはまらないのだ。
かのものは、たいていにおいて。
私が向こうに気づくよりも早く、私の事を見いだすらしい。
最初に
「ジュリアス様〜ッ!」
という、至極元気のいい、という表現よりはむしろ、セレスティアの「スシ」バーの「イタマエ」の如く威勢のいい、と言ったほうがしっくり来る声が聞こえる。
そして私がその声のした方向を見るときには、まるで砂煙でも立てそうな勢いで ―― 場所によっては立っていたかも知れぬ ―― こちらに向かい、突進してきているのである。
若い娘が走る音を、擬音で評するなら通常、ぱたぱた、やら、タッタッ、やら、あると思うのだが。
彼女の場合は、こう、色気も雰囲気もへったくれもないが、まさにドドドドドドッ、という表現が相応しい勢いでやってくるのである。
そして、私は。
彼女 ―― エトワールのことを思い起こす時。たいていは、その真っ直ぐこちらへ突進してくるさまを、心に描いているのだ。


そうやって突進してきて、彼女がすることは。
多くが、他愛も無い挨拶であったり、サクリアを流現して発展した宇宙の様子の報告であった。
聖獣の宇宙のことは私もいつも気に留めていたから、彼女の報告は、大概が既に聞き知っている内容ではあるのだが、徐々に活発になってゆく宇宙のさまを目の当たりにする喜びを、全身で表して私に報告する姿を見るのは決して悪い気はしなかった。

そんな突進を幾度経験した後かは既に記憶にないが、一番初めの「それ」は、聖獣の宇宙でついに人類が生まれたときに起きた。
彼女は、突進してくるだけではその喜びを発散しきれなかったのだろう。勢い余ってとばかり、私に飛びついてきたのである。突進を通り越して、突撃だったのだ。
いくら身の軽い娘とはいえ、いわば渾身の体当りを食らったようなものだ。
私は多少ふらついた。
だが喜びはしゃぐ彼女の気持ちを尊重したいと思い、特に小言などは言わずにおいた。
ただ、私の胸につかまって(別の表現では、むなぐらをつかむ、ともいうかもしれない)彼女が飛び跳ねているので、至極危ない。二人が転倒をしてしまう危険を回避するために、彼女の肩に手を置こうとして。
何故か、躊躇ってしまった自分がいる。その理由は、よくわからなかった。


次の「それ」は、彼女の幾度目かの試練が無事終わったときであったと思う。その回の試練には、私が同行していた。
彼女が喜びのあまり私に飛びついた時、私はすぐ隣にいた。そのため前回のような助走つきではなく、あわや転倒、という事態はまぬがれた。
だから、これまた前回のように、危険を回避するためにと、彼女の肩にも背中にも、手を回す必要などなかったのだ。
だというのに。
私は、その時、無性に小さな体に手を回したくなった。
回したくなったのだが、結局そうせぬまま、木偶の坊の如く、突っ立っている自分がいた。


それから、しばらくの日々。
私は悶々としてその時の事を考えていた。

―― 何故、抱き締めたいなどと思ってしまったのだ、私は。

頭からそのことが離れず、苦渋に満ちた想いで宮殿の回廊を自分の執務室に向かい歩いていると、ちょうど二つ隣の部屋から出てきた風の守護聖とであった。
彼は、屈託なく聞いてくる。

「ジュリアス様、何か、良いことでもあったんですか?」
「なっ、なにをいうのだ」
私は、今苦渋に満ちた思いでいたはずであったのに。
「だって、嬉しそうでしたから」
はたから見ると、にやけていたらしい。そのようなこと、このジュリアスにあってはならぬというのに!

「そんなことはないっ!」

と、むきになって否定してから、指摘されたのがランディであってよかったと、そう思った。
これがオスカーやら、オリヴィエやらであったら、なにやら見透かした含み笑いをされそうで恐ろしいことこの上ない。
などと、安心していると、後ろで。

「ふっ……」

という、ため息とも笑い声ともつかぬ声がした。その声の主は、誰という必要もあるまい。
「何が可笑しいっ」
とばかり、振り向くと、その男は既に、背を向けて去って行くところであった。
必要な時におらず、何故こういうときにばかり姿を現すのだ、この男は!

だが、おかげでというべきかどうか、私の表情は厳しいものになったらしい。
ランディは「あ、じゃ、俺はこれで ……」などと言い、そそくさと今出てきたはずの執務室へと姿を消した。
私は普段よりも一層気を引き締め、己の執務室へと足を踏み出した。
そして、唐突に己の中にとても嫌な感情がぽっこりと泡のように浮かんだのを感じた。

彼女は、他に幾度もあった試練の時も。
あのように、隣にいた守護聖に抱きついたのであろうか?

◇◆◇◆◇

二度あることは三度ある、と。いつだったかルヴァが言っていたが、それはどうやら本当のようだ。
それとも、三度目の正直、であろうか。
あるいは、向こうの風の守護聖が「ホトケの顔も三度までってじいちゃんが言ってたぞ」と言っていたが、ホトケとはなんであろうか。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。話が、ずれた。

ともかく、三度目のそれが、あった。
ただし、前の二回と違ったことがある。彼女が私にしがみついたのは、嬉しさからではなく、悲しみからであったのだ。
聖獣の守護聖が無事九人そろった日の夜。
これまで文字通り彼女と苦難を共にしていた、石版の精霊が消えてしまったのだ。
精霊は、宇宙空間でサクリアの精霊に囚われていた。彼を救う術は、まだわからない。
聖獣の宇宙では、研究員達が夜を徹して調査にかかり始めたとのことだった。
こちらの聖地でも何か出来ることはあろう、そう思い私も宮殿に向かう。すると、てっきり向こうの宇宙にいるとおもった彼女が、宮殿の庭をとぼとぼと歩いているところに出くわした。

「どうしたのだ、このような時間に、このようなところで!」
「石版を …… 確認しに来たんです。そうしたら、タンタンと一緒に、消えてしまっていて …… っ」
「気持ちはわかる、だがそなたまで倒れては、事態は悪くなるだけだ。今日は、もうアウローラ号へ戻りなさい。私が送ろう」
「でも、じっと、していられな …… 」

彼女の声は、ひどく震えていたが、泣いているわけではなかった。
泣くことで、解決などしない。今、すべきことは泣くことではない。そんな決心が垣間見れた。

だから、本当は。
私は、その時彼女を抱き寄せて、その頭を優しくなでてやり、大丈夫だ、必ず方法はある。
そう言ってやりたいと、心から思ったのだ。
何故かその想いが、彼女にも伝わったようで。
ふい、と。
私の胸元に、頭をよせたのだ。

ところがその時、様々な思いが私を駆け巡った。
肩に手を置くことさえためらった自分。抱きしめたいと言う気持ちに度惑った自分。
そして。
他の、誰かにも ―― 。

「年頃の娘が、誰にでもそのように抱きつくものではない」

他に、言うべきこともあったであろうに。何故、慰めの言葉ひとつかけずに、私はそう言ってしまったのか。
「誰にでも?」
ひどく、傷ついたように、彼女が言った。だが、次の声は冷静で。それがかえって私の心には痛かった。
「そんな風に、お思いだったんですね」
「エンジュ」
違うのだ、そうではないのだ。そうではなくて ―― 。
頭の中に、言葉がぐるぐると回っていたが、それを整理して口に出すより先に、彼女が言った。

「そりゃあ、ジュリアス様だけを狙って抱きついてたってのも、それはそれでアレなんですが」

何がどうで、アレなのか、さっぱりわからぬ。
ただ。
自分で自分を茶化すような口調とは裏腹に、彼女はひどく、悲しそうな顔をしていた。
そして。

「…… おやすみなさい。送ってくださらなくて、結構です」

身を翻し、彼女は私の元を離れていった。

私はひどく大きなまちがいを犯してしまったらしい。
その後、話をする機会がないか伺ってはいたが、結局得ることは無く。
無事、神鳥と聖獣の守護聖全員とエトワールとで石版の精霊を助け出した後も。
宮殿の庭を横切る姿を見かけたことはあったが、あの独特の足音と勢いで彼女が私の元へ駆けつけてくれることも無かったのである。

◇◆◇◆◇

そんな日々が何週間かが過ぎた頃。事件が起った。
石版の精霊を助けた後も、引き続きエトワールとしての仕事を続けていた彼女が、視察に出向いていた宇宙空間で船ごと行方不明になったのだ。

「ジュリアス、少しは休んだら、どうですか」
連絡を待ち、宮殿に詰めていた私に、ルヴァが心配そうに声をかけてきた。彼とても、同じようなものであるというのに。
「あ、ああ。だが」
「気持ちはわかります。けれども、こうしていても、打つ手は無いのです。反対にあなたが倒れでもしたら、事態は悪くなるだけですよ」
それは、いつだったか石版の精霊を心配する彼女に、私がかけた言葉と同じだった。
尤もだった。彼の言う、通り私にできることは何もない。
仮に光の守護聖の力が必要であっても、それは私ではなくレオナードの役割だ。
ならば、ただのジュリアスという男に於いて。
みっともなく、おろおろと心配するだけしか、今できることはないのだ。

「そうだな、心配な気持ちは誰も一緒だというのに。私としたことが、冷静さを欠いた」
「…… 誰でも一緒とは、限りませんがね?」
「?」
ルヴァは、よくわからぬことを言った。
「心配する気持ちに順番はつけられませんが、それでもつけるとしたら、あなたの痛みが一番深くて然るべき、という意味ですよ。存外、気づいていないのは当人だけかもしれませんがねー」
やはり、良くわからぬ。
だが、狐につままれたような心持の私とは対称的に、ルヴァの方は妙に清々しい表情をして。
「それでは、私も休みましょうかね〜」
と、部屋を出て行った。
ぽつねんと、部屋に残り、私は考える。
だがやはり、答えは見えてこなかったので、言われたとおり休憩を取ることにした。

だが結局、まんじりともせぬまま、夜は明けてしまった。
執務で遅くなる時以外は、夜10時には就寝し、朝の5時半には目覚ましなど無くても起きる私であったから。
こんなことは、はじめてである。
不安のまま、迎えた朝。
暗い心持で朝日を見たとき、王立研究院から、連絡が入った。

「エトワールは無事でした。これまで認識されていなかった強い電波妨害区域に入り込み、船から連絡が取れなくなっただけだと」

私は、詳細を聞く前にかけ出していた。

◇◆◇◆◇

皆が、アウローラ号の離発着場で待機していた。
誰でも一緒だとは限らない、昨夜ルヴァはそう言ったが、やはり誰もが心配していたのだとそう思う。
帰還予定時間を迎える間、事態の原因の報告は受けていた。
結論から言えば、急激に成長する宇宙の狭間に船がまぎれてしまっただけであり、船としても、宇宙としても、悪影響のあるようなものではないと言うことであった。

誰かが、帰ってきた!と、声を上げた。
船が姿を現したのである。
実際はかなりの速さがあるのだろうが、見ているこちらは焦れるようなスピードで船が近づいてくる。
ようやく着陸したとき、その場にいた皆が一斉に搭乗口へと詰め寄る。
私も足を向けようと思ったが。
思わぬ騒ぎにすっかり忘れていた、エンジュとの気まずい出来事を思い出してしまったのだ。
何故今思い出してしまったのだ、と自分の性格を恨みに思ったが仕方がない。
皆からひとつ離れた場所にいるまま、ぴたりと私の足が止まったのと同時に。
アウローラ号の搭乗口が開いた。
そして、驚いたことには。

「ジュリアス様っ!」

彼女が、いつものように私の名を呼び、こちらにまっすぐ翔けてくるではないか。
ここ数週間で培ってしまった気まずさなどは、消し飛んだ。
これだけ、多くの者が居並ぶ中で、彼女は、私の名を迷わず呼んだのだ。そして、このままいけば、彼女は私の胸に飛び込んでくる。
ドドドドドドッ、という擬音の相応しいいつもの豪快な走りが、それを裏付けていた。
腕を広げ、待つつもりであった。
だが。
今度は周囲の視線という、己の心とはいささかも関係ない部分で、私はそれを躊躇ってしまったのだ。
そんな自分に苦笑する。

ああ、何を躊躇う必要があるだろうか。

彼女の無事を願い、まんじりともせず過ごした夜、不安の朝。
今こうして、元気な彼女の姿を見れた喜びを表現する事に、何の妨げがあるというのか。
ましてや、彼女は他の誰でもない、私の名を呼んでくれたのだ。
見栄や外聞を気にするということは。
誇りというものに似ているようで、きっと全く異質なものなのだろう。

私は、今度こそ彼女を抱きとめ、抱締めよう、そう決心した。
ところが。
人目もはばからず女性を抱締めようなどという、馴れぬことを決心したものだから、私の表情はいささか厳しいものになったらしい。
後から聞いた彼女の言葉を借りるなら。
「眉間にマリアナ海溝の如く、シワ寄ってました」
との、ことである。
今思えばその表情をみてなのだろう。彼女が私に抱きつこうとするすんでの所で、ぴたり、と立ち止まる。そして

「え、え〜と、ご心配をおかけしました。私は無事です」

と、とってつけたように言って、ぺこりと頭を下げた。
私は、抱きとめるために差し出しかけて、行き場を失ってしまった己の手のやり場に迷う。
このままこの腕を下ろし、いつものように威厳を持って「無事で何よりだ」とでも言ってしまったなら。
思い出し笑いで頬を緩ませた、みっともない姿を晒してクラヴィスに鼻で笑われるような苦悶の日々(?)は終わりを告げるだろう。
だが。
本当に、それでいいのか?

私は、本当にそれでいいのか。

答えは、否、である。

差し伸べた手を、そのまま彼女の体に回し引き寄せ、抱きとめた。
腕の中で、うおぉ?!だの、うぎゃー?!だの、色気も雰囲気もへったくれもない声が聞こえていたが、嫌がっている気配ではない。

「そなたが無事で、よかった」

言って、きつくきつく、抱締める。
周囲からやんやの喝采やら、やっかみも含まれた冷やかしやらの声が聞こえてはいたのだが。
胸に抱いた、やわらかなぬくもりの前に。
それらは、いささかも気にならなかった。


―― オシマイ

◇◆◇◆◇


◇ Web拍手をする ◇

◇ 「彩雲の本棚」へ ◇


ええと、15万HIT記念創作?
ウソです。何の関連も無く、突発的に浮かんだだけです。でも、これで代用しちゃえ。(コラ)


なんていうか。珍しく、普通のアンジェ創作。普段はなんなんだ。そもそも、これが普通なのかどうかわかんないですが(笑)
アニメ、みましてね。
妙にジュリアス萌が到来しまして。
ひとりでもえもえしてたら、今朝仕事中にピピピピッ!ってアンテナ立ったみたいに降りてきた話です。
昼休み怒涛のようにタイプして、午後も脳内から出てかないように気をつけて、家帰ってから残りを仕上げました。
普段なら気にする設定の細部は、もう、テキトー。
仕上がりの中途半端具合は、まあ、目をつぶっていただければ…げふげふ。
内容は全然異なっていますが、アンジェアニメの2期を見ていて浮かんだ話で、一部アニメのシーンを元ネタにしています。

2007.02.07 佳月