いつか共に
〜ヴィクトール〜


◇◆◇◆◇

今日はきっと後に語り継がれる歴史的な日となり、この朝はその記念すべき日の始まりの朝であろうことを俺は知っていた。
何故なら、この日こそが新たな宇宙の新たなる女王が誕生する日だからだ。
そして、そのことを知っていたがゆえに俺はまんじりともできず、結局は寝台を抜け出し、まだ明けきらぬ、夜とも朝ともつかぬもやの中をひとり走っていたのだ。
少なくとも、こうして全てをからっぽにしてただ走っていれば余計なことは考えずにすむと、そう思っていた。
ただ、どうやらそれは間違いだったらしい。
考えないようにすればするほど、心に溢れ来る面影がある。

凛とした蒼い瞳をこちらに向けて、俺の指導にひるむことなくついてきた娘。
いつか、ロードワークの途中足を踏むみいれた森の湖で、彼女を見かけたことがある。
彼女は湖の側の大樹の枝に腰掛け、遠く空を見上げていた。
危険だとか、制服でそんな真似をするな、とか。
言うべき言葉はあったのかもしれないが、俺はその姿に ―― その瞳の強さにひどく惹かれた。

俺に気づき、彼女は音も無くふわりと木からと飛び降りてにこりと笑った。
―― 何を、みていたんだ。
思わず聞いた俺に彼女は何の躊躇いもなく言った。

―― 星を。

思わず見上げた空。それは、青く澄み、白い雲が流れている。
けれども、そのとき俺は何故か不思議には思わなかった。
ただ、こう思ったのだ。ああ、彼女は、女王候補だったのだ、と。
そして皮肉なことに、そのことを強く知らしめられたのと同時に、俺は、彼女を、ひとりの女としても見るようになっていたのかもしれない。

だが、もう、何もかも終わったことだ。
いや、始まってすらいなかった。
己から、何か行動を起そうなどとは思わなかった。あまりに多くの問題があるような気がした。少なくとも、彼女に嫌われてはいなかったと、そうは思っている。ただ、そういう問題ではなく。
そして、皆無とはいえないが歳の差などという俗っぽい問題でもなく。
ただ、逝った部下達の想いをついで、この宇宙のためにあらんとそう誓った自分が。
やはり宇宙のための存在である彼女を己ひとりのものにするなどと、俺には到底考えられないことだったのだ。
後悔をするつもりも無いし、その資格も無い。
なのに、胸に押し寄せるものはいったい何なのか。

埒も明かぬ逡巡を抱えたまま、俺はいつもロードワークの折り返し地点として利用していた庭園へと走りこみ、そして中心にある噴水へと向いかけてそこにいる人影に足を止めた。

いつか、木上で青空を見据えてその先の星々をみていたときのように、彼女はそこに立ち、朝と夜とのはざまの蒼い空気の中で天を仰いでいた。
少しづつ近づく夜明け。
姿を消してゆく星々。
けれども、彼女の目には、もっと多くの星の瞬きが映っているのかもしれない。
彼女が俺に気づき、ゆっくりとこちらを向いて、はっきりと嬉しそうに微笑んだ。
その微笑に動じた心を押し殺し、俺は聞いた。

「何を、みていたんだ」

いつかのように、彼女は何の躊躇いも無く返事をした。
まるで、俺がこの場に現れ、この問いをするのが分かっていて、答えを用意していたかのように。

「星と、未来を」

まっすぐ向けられた目から思わず己の目をそらし俺は、そうか、とだけ答えた。
俺のそんな様子を、彼女は気にした風も無く続ける。

「でも、そのためにここにいたわけではないです」
「そうなのか?」
「ええ、ここにいればきっとあなたに会えるんじゃないかと、そう思ったから。正解、でしたね」

―― 俺に、だと?

「ずいぶん察しがいいんだな」
「―― だって、ずっと見ていたもの。気づかなかったですか?いいえ、気づいてたけど、気づかないふりをしてた、んですよね」

再び俺は動じる心を押さえ込むのに努力を要する。
彼女は、いったい何を言いたいのか。
その答えに気づいていながら、やはり気づかないふりをする俺は、まさに彼女が言い当てたとおりだと言うのに。
何か、答えを返さなければと思いながら窮している俺と、相変わらず迷いの無いような彼女の瞳。
そして、そのとき俺たちの間に朝日がさした。
この日に相応しい、新たな始りへの予感を秘めたこの夜明け。
日の出の方向へ顔を向け、ふたりその神々しさに目を細めた。
彼女の心はわからなかったが、少なくともその時の俺は、この夜明けに多少なりとも心の痛みを感じていたのだが。
再び目があったとき、彼女は少女らしい笑みをたたえて言った。
「この朝日を一緒に眺めたいと思ってここで待っていたのだけれど、気がかわりました」
「気が変わった?」
首をかしげると、彼女はええ、と笑う。

「どうか今のこの瞬間は、私だけをみつめていて」

そう言って彼女は一歩二歩と歩みより、小さな両手で俺の頬をはさんだかと思うと不意に背伸びをした。
そっと触れ合う唇の感触。
彼女を掻き抱きたいという欲求と、それを押しとどめるべきだという理性。
その僅かな躊躇いの間に、彼女は悪戯な精霊のように身を離し、背を向けた。
ふわりと。
彼女の肩までの長さの栗色の髪がなびき、微かに石鹸の薫りが朝日の中に滲んだ。

「私、女王になります」

かすかに、震えている声。けれども、背中を向けたまま顔だけ振り返り見せた笑顔は哀しみを帯びてはいなかった。

「初めてのキスはあなたがよかったの。
初めての夜も朝もって、ホントは思っていたけれど ―― きっと、あなたには拒否されると思ったから。夜這いをかける案は却下して、ここであなたを待っていたんです」

十七の娘から発せられた夜這いという言葉に軽い眩暈を感じながら、拒否されると思ったという彼女の見解。
それは ―― おそらく、その通りだったろうと感じた。

彼女を仮に抱いたとして。
その後に、それでも女王になると言うであろうその言葉を恐れたのだろうか。
それとも、女王にはなりたくないと言うかもしれないその言葉を恐れたのだろうか。

確かに惹かれていると知りながら、何もかわろうとせずにいる自分。
その俺の前にしなやかにまっすぐに立つ強い娘。
そんな彼女に、今更、一層惹かれている。
彼女は、俺が理屈をつけて作っていた囲いをいとも簡単に飛び越えて、その翼で懐に飛び込んできたのだ。
囲いを飛び越えることで傷つくことも、傷を与えることも知っていながら。
そして、次の一瞬には遠くへ飛び立たなければならないと知っていながら。

けれど、何も始めもしないまま、逡巡していた先ほどまでの状態に比べれば、今与えられた傷は確固たる ―― 何かの ―― 証のような気がした。

何かを、伝えなければいけないという想いから、口を開く。
「言葉にするのは難しい。ただ、遠くにあってもお前という存在を ―― 」
しかしこのあとに続ける言葉が言葉が見つからなかった。
見守ることもできない。想いつづけるというのも、きっと違う。
無理に言葉にするなら、彼女が彼女の愛した宇宙をこれから導き守ってゆくのと同じように、俺は俺で、この宇宙で ―― かつて友等が命がけで守ったこの宇宙で、できうる限りのことをしてゆく。
そういう、事なのだろう。
それを口にすることなく黙った俺を、彼女が、もう一度こちらを向き直って見た。

「私、諦めたわけではないんですよ」
「なにを、だ」
「いつかまた出会うときがきます。今よりも大人になっておきますからそのときは、私が好きなその広い胸できっと、きっと強く抱きしめて。今はまだ、時が満ちていないだけ」

―― いつかあなたと共にあの宇宙で

風と共に、耳元にそう届く声。
彼女はまた音も無く身ひるがえし、今度は振り返ることも無く立ち去った。
宵と夜明けのあいまのほんの僅かな出来事。
これは、俺たちの明らかな別れの時のはずだった。しかし何故かそこに、別れの痛みは既に存在しない。
彼女の言葉を、鵜呑みにしたわけではない。ただ、何故か思ったのだ。
きっと、これっきりではないのだと。
そして、己のあり方を変えることなく、彼女と共に在る方法が、もしかしたら未来に存在するのかもしれない、と。

◇◆◇◆◇

この日は後に語り継がれる歴史的な日となり、この朝はその記念すべき日の始まりの朝だった。
しかし、俺に ―― いや、俺たちにとっても始まりの朝。
この先、幾度かの別れと再会を繰り返し、共に同じ宇宙に想いを注ぎ支えることとなる長い物語の、どうやらこれが序章だったようだということだけ、言い添えておく ―― 。


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あああ…。「私、女王になります」の台詞、むか〜し、クラ×前女王で書いた記憶が…げふげふ。まあ、いいや。そんなことよりも、妙に中途半端でごめんなさい
2005.08.28 佳月