背中合わせの逡巡、向かい合わせの邂逅

※和晴さんと、佳月の合作です。


◇◆◇◆◇

いつだったか。
こんなふうに誰かの体温を感じて眠った夜があったはずだと、俺は思った。

女を抱いて、肌の感触を感じたことはあってもその温度をどうこうと考えたことはこれまでない。
だから不意に思い出したその夜とやらは、いったい何の記憶だったろうかと。
か細い、けど、しっかりとした熱の塊を背中に感じながら、俺は呆けたままで過去を探る。
そして引っかかってきた断片は色事とは無縁の、窮屈で暑苦しくて雑然として、だが決して嫌うことのできない思い出だった。

◇◆◇◆◇

彼の身体は熱を持っていた。
背中合わせで横になっていても、十分にわかるほどに。


がっしりとした感触が私を受け止めている。
合わさった肌は、もう二度と離すことができないかのように吸いついているのに。
敢然と立ちはだかる背中に向き直ることもできないまま、私という存在はひどく矮小な生き物だ、と考えている。

◇◆◇◆◇

昔いた孤児院。
確か、誰かが里親の元へと引き取られていく前夜だ。
ガキ同士身を寄せ合って、話しつかれて眠った。
別れの哀しみと、新たな家族を得たそいつへの僅かな嫉妬。
そう、確かに嫉妬はあったんだろう。
あったんだろうが、寄せ集まって寝そべるうち、そんなことはどうでも良くなった。
そこにいた奴等が抱えた孤独が、あつまって温もりへと変わったような不思議な感覚。
ただ一つの塊としてそこに在った俺達。
その確かな温度がだけが全てだった。

全てだった、はずだった。
だが、それも一時のこと。
長いようでいて短い少年の時をたまさかその場所でともに過ごした者達は、望む望まぬに関わらず、時が経てばそれぞれへの路へと分散するのが習いであり、俺も他の奴等も例外ではなかった。
しかし馴染んだ空間を失うことに、痛みを感じたわけではない。
何故ならそれは俺にとって良くあること。
そうやって痛みを感じずにいる自分に皮肉な笑みが僅かに零れるくだいだ。

もう随分と経つはずなのに。

―― 何を今更思い出してんだぁ?俺は。

そんなふうに疑問をもつまでもなく、もうひとりの自分が答えを既に知っている。

―― 恐がってる、ってか。

今ある背のぬくもりも、時が経っていつかなくすことを。

はじめから失うことをわかりきっているのなら。
馴染みはしても執着はしない。
気を掛けることはしても心の奥にまでは触れさせない。

そうやって生きてきた俺が。
奪うように手にした彼女を失うことを。

その時。
いつから、起きていたのか、不意に彼女の手が俺の体に触れた。

◇◆◇◆◇

強引な腕と図々しいくらいの唇の攻撃には、息つぎが必要だった。
ふっと唇を離して、間近でうっすらと見つめあったときに、彼の瞳に宿る野生に気づいてしまった。
答えるかわりに首に腕を回すと、彼はそのまま、私を抱いた。

世界の全てが押し寄せたような夜。

ようやっとひとつになれたとき、彼は動きを止めて、私へ倒れこんだ。
重みから伝わる震えに、私の心臓が、苦しい、と喘いでいた。
掠れるため息と一緒に、泣かないで、と搾り出した私の額をこつんと叩いて。
「何で俺だよバーカ。――お前じゃねェか」
ああ、私は泣いているんだ。
そう自覚したとたんに、涙が止まらなくなった。
彼も枕に顔を押しつけたままだとわかっていたのに。

気づかないはずがない。
強気な腕の隙間から、時折見え隠れする、瞳の揺らぎに。
どこか怯えを感じさせるその光は、口約束を信じてくれそうになかった。
「私はずっと側にいる」
その一言を、もちろん、簡単に口にすることはできなかったのだけれど。

そして、結局今も、私は彼の背中に受け止められている。
何かが変わったはずなのに、何が変わったのかわからないまま、抱かれている。

―――ああ、もう!

私は目を開いて、ぐっと正面を見据える。
悶々と考えるのは性に合わない。
この小さな身体で受け入れることが、できたのだから。
心はもっともっと、彼を見つめることができるはず。

手を伸ばして、彼の脚をぺちぺちと叩いてみる。
まずは起きて、それから抱きしめさせて――

◇◆◇◆◇

触れられた手を。
考える前に掴んでいた。
小さい。
けれど、ひどく、温かい。

相変わらず背中合わせにいる彼女は、黙っている。
ただ、その背中の気配が何かを言いたそうにしていると感じたのは、ただの俺の空想か。

―― 何も言うんじゃねぇ。

それと。

―― どこにも、行くな。

彼女が何かを言い出す前に、握った手を少し強引に引き寄せた。

◇◆◇◆◇

起こそうとしたはずだったのに、彼の手がしっかりとした意思を持って私の手を掴んだ。
大きくて、あたたかな手。
やっぱり、私の手は完全に埋もれてしまった。

けれど。背中が、そして手が、抱かれるためにあるのなら。
腕は、そして胸は、抱くためにあるはず。

引き寄せられる力に負けじと腕を伸ばして、それから。
私はようやっと、彼に向き直った。

◇◆◇◆◇

結局、ほとんど覚えていないものよりもその場あった確かな温度が、かつての俺の全てだったように。
いずれ失おうが無くそうが、今ここにある確かな温度が俺たちの全てなのか。
どちらにしろ、この背中合わせのお姫様は。
俺の中の奥底ので眠っていたものを 叩き起こした。

―― 逆じゃねぇのかよ。

普通はお姫様が起こされるのだと相場が決まっている。
けれども。

―― それも、悪くねぇ。どのみち俺は王子様じゃねぇしな。

覚悟を決めて、背を向けていた体を、彼女の方へ向ける。

◇◆◇◆◇

「よぉ、お目覚めですか ―― お姫様」
「おはよう。起きるのを待ってたの――ずっと」


◇◆◇◆◇

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冒頭のコメントに有るとおり、この作品は「salt of the earth」の和晴さんとの合作です。「初めての朝」企画のとき、両管理人で全キャラ制覇を目指していたのですが、最後まで作品が仕上がらなかったのが、このレオナードというキャラでした。
いちおうのネタはあったのですが、お互いなかなか書ききるに至らず、それならいっそ、合作にしちゃえ、となったのです。
合作というのは初めての経験で、最初は戸惑いましたが、普段から妄想語りでしていたレオナードのイメージというのが二人ともさほど違いがなかった、というのがまずは作品を仕上げられた一因だったと思っています。
次に、「冷静と情熱の間」のように、男女でパートを分けて書いて、その話を交互に混ぜたらどうだろうと決めて以降は、不思議にすんなりと作品が仕上がっていきました。
自分のパートは自分で書いたというのに、和晴さんパートの物語と交互に読んだとき。まるではじめて読む作品のような新鮮さを感じたのを覚えています。

再録にあたり、この作品を仕上げられたことのお礼を、再度和晴さんに申し上げたいと思います。
ありがとうございました!

そういや、どっちのパートを私が書いたか、みなさんわかりますかね?
とある一節でバレバレなきもしますが…

2005.08頃執筆 2007.03.10再録