「ラグラン!ラグランはいるか!」
その日。いつもと変わらぬ平穏な風情だった白亜の宮殿で。
常日頃は温厚であるはずの、若き国王タリサムが珍しく声を荒げる姿があった。
宮殿内にあてがわれた己の執務室 ―― ほとんど図書室と化している ―― で、いつもの如く本を読みふけっていたラグランは本から顔をあげて、少々荒々しく開けられた扉をみやる。
「陛下がそのように声を荒げられるとはお珍しい。いかがなされた」
青年は飄々と、怒りで頬を紅潮させた己の主君にそう言った。
ともすれば、またすぐに本を読み出しそうな様子のラグランにタリサムは一層声を荒げて、その机の上に、ひと束の書類を投げ出す。
「ラグラン、本気か。卿は鉱山の開発をすすめよ、と? それが、卿の意見だと申すか」
ああ、その件でしたか、と。
やはり飄々と呟く青年。
本の読みすぎで悪くなった視力を補うため、かけられた分厚いレンズの眼鏡を指先で抑えながら言う。
「ええ、本気です」
「しかし、鉱脈が尽きればあの町に訪れるのは衰退のみだ。汚染された環境と、多くの失業者とを抱えたままに。そのことを卿とて知っているではないか。それなのに」
畳み掛けるように言い募るタリサムを、彼は軽く制した。
「だからこそ、ですよ。おそらく一度痛い目を見なければ賛成派は反対派の意見の意味を汲み取ろうともしない。よろしいではないですか、いっときはいい思いを見せても、結果的に賛成派 ―― あの宰相殿の勢力を削ぐいい機会を陛下は得る事ができますよ。それにおそらく鉱脈が尽きるのを待つまでも無い、あの御仁のことだ、絶対横領に走る。その証拠が零れ出すのを、こちらは待っているだけでいい。ましてや、鉱山開発で国庫が潤うのも事実。万々歳ではないですか」
それを聞いて、国王は怒りに身を震わせる。
「 ―― 一度、痛い目、だと?
賛成派の輩は百歩譲ってよしとしよう、だが結果一番苦しむのはあの町の民のはずだ!それには目をつぶれ、気づかない振りをしろとでも?!」
顔色一つ変えずに、ラグランは言った。
「無理強いはしません。私はあくまでも太師として陛下に進言したまで。決定を下す権限はありません。
あとは陛下の判断にお任せしましょう。
けれども申し上げて置きます。
―― 誰一人傷つけることなく国を導こうなどとお思いにならないことだ」
しばしの間の後、国王ははっきりと言う。
「できない」
「なんと、仰る」
「私は、甘いのかもしれない。けれどもいずれ苦しむ人々がいると知って、そのような策は取れない。卿を見込んだ私が間違いだった」
くるりと踵を返す国王の背に、くつくつという、いかにも愉快そうな笑い声が聞こえる。
何ごとかと振り向いたタリサムに、ラグランはにこりと笑いかける。
「…… 合格です」
「何?」
「陛下の答えは合格ですよ。安心してください、対策は考えてあります。ちゃんとね」
若き王は、唖然として、愉快そうに笑ったままの臣下を見た。
「私を、試したのか」
「ええ、試しました。それが、何か?」
その微塵も悪びれる様子も無い姿に、タリサムは脱力する。そして、しばらくは何を言っていいやらと迷っていたが、諦めたようにくすりと笑って。
「卿の …… 弟子として、私は合格か」
ところが、その言葉にラグランは首を振る。
「陛下は私の、弟子ではない」
少し残念そうな様子のタリサムに、ラグランは続けて言った。
「弟子を取るつもりはありませんよ。これまでも、とった記憶はない。いや、ひとり ―― 違うな、彼は弟子ではなく後継ぎだ。ともかく、陛下は私のご主君ですよ。大切な、ね」
タリサムは笑顔になる。
「大切などと言うその割りに、意地悪をするな」
「これしき、意地悪のうちにもはいりませんよ。さあ、対策を詳しくお伝えしましょう。そのようなところでたったままいないで、こちらへどうぞ」
◇◆◇◆◇
鉱脈が尽きたあとの、町の復興の計画の話を聞き終わった後。
タリサムはしばらく躊躇ってからラグランに向かい言う。
「あの町の自治を、認めるのだな」
「ご不満ですか」
「いや、逆だ。実は、考えていたことがある。聞いてもらえるか、太師」
タリサムは真剣な眼差しで己の臣下を見やった。
その眼差しを受けて、ラグランはあっさりという。
「王制の廃止、ですか」
国王は、流石に参った、とばかり苦笑を漏らした。
「すべてお見通し、なのだな。卿には」
「あなたは聡明な方だ。この国の政が、今けっして上手く行っていないことの理由に気づかぬはずがない。そうですよ、王制でなければ、その権力をかさに来て好き放題をするあの宰相のような男が生まれることも無い。仮に今後あなたがこの国の王としての正統な権限を掌中に収めることに成功したとしても、時代が移り、人が変われば同じことが繰り返されないとも限らない。そうでなくとも、王がいつもマトモな人間とも限らないですしね」
タリサムは、そのとおりだと、頷いた。
「では、卿も賛成してくれるだろうか?」
今まで言葉を迷うことのなかったラグランが、この時、珍しく躊躇った。
「―― まだ、時が浅い」
「それは、どういう意味だ?」
「この国の民が、その改革についてこれるほど、まだ熟してないという意味でもありますが、もうひとつ」
青年は立ち上がり、あかるい日差しの入る窓辺によって、その楽園の風景を見た。
「少し、長い目での話になりますが、宇宙の歴史で言えばさほど遠くない未来 ―― この宇宙は …… 」
「ラグラン ―― ?」
「 ……… いや、なんでもありません。そう、まだ時が浅いとだけ、申し上げて置きます。いつか私たちの意志を汲み取ってくれる国王が生まれるのを願うしかありませんな。こればっかりは。そのときのために、何らかの形で書物を残しておくのも手かもしれない」
無理やり話題を切ろうとする彼に、タリサムは多少躊躇いながらも口にする。
「この宇宙は。輝く羽をその背に持つ尊い方に ―― 守られているのでは、ないのか?」
ラグランは、窓の外に視線を向けたままだ。
しばらくの沈黙のあと、静かな声が響く。
「確かに、そうです。けれども覚えておいて、頂きたい。この国を導く国王であるあなたが、それでも神ではなく人間であるのと同じように。
この宇宙を導く方々もまた。
多くの想いを抱える ―― 人間であるということを」
返す言葉を見つけられぬまま、ラグランの背中をみつめていたタリサムに、彼は振り向いて笑顔を見せる。
そして、思い出したように言った。
「先ほどの鉱山の件ですが、気になっていることがあります。
宰相はあなたの舅でもあります。彼が失脚することで王妃のお立場は間違いなく悪くなる。陛下は、どうなさいますか」
タリサムは落ち着いた笑みを浮かべて迷わず言った。
「宰相のことと、王妃のことは既に私の中で何のかかわりも持たない。
彼女が辛い立場に追い込まれるなら、私は全力で守るまでだ」
太師はにっこりとわらう。
「了解、致しました」
そこで、タリサムは気分をかえるように。
「妻の話題で思い出した。そういえば、あの町は卿の細君の故郷だったな」
ラグランはずれてもいない眼鏡を直す仕草をして、頷いた。
「ええ。以前彼女の向かいの家に下宿していて、それで知り合いました」
「へえ、それは知らなかった」
「とても狭い道で。良くバルコニーから身を乗り出して夜通し話しましたよ」
「ふうん?」
含み笑いをして臣下を見やる国王に、ラグランはふたたび眼鏡を直しながら言う。
「何か?」
「いいや、なんでもない。卿の色恋の話など聞けるとは思わなかっただけだ」
その小道が『くちづけ小道』と呼ばれるようになるまで。
―― おそらく、そんなに時間はかからない。
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