|
|
|||||||||||||||||||||
|
【第二幕】鎌倉の十四夜 ―― 梶原景時二十五歳 ◇◆◇◆◇ 十四日の月影の差し込む夜につくねんとして。御座所に続く間に控えていた青年の姿を、景時は今もはっきりと思い出すことができる。頼朝に命じられて、今まさに北条屋敷まで出向き呼び出そうとした男こそ、彼 ―― 北条小四郎義時であったのだ。 彼は常の直垂を着込み背筋をすんなりと伸ばして、かつ緊張や恐れは微塵も感じさせぬ落ち着きを持ってそこに座していた。 北条家の惣領であれば、紛うかたなき武人であるはずなのだが、坂東武者という表現を当てはめるには細身で、怜悧な風貌はむしろ文官じみている。 年は景時より更に若く、確か二十歳そこそこのはずだ。 「義時殿」 と、景時が声をかけたのと、流石に取り乱すとまではいかないが十分に焦りを含む頼朝の足音が響いたのとはほぼ同時だった。 彼は無表情のまま僅かに景時のほうを振り向きかけたが、すぐに姿を現した頼朝に向かいうやうやしく平伏した。 その姿に、頼朝が目に見えて安堵したのもまた、印象深く景時は覚えている。 ―― 流石の頼朝様でも慌てる、か。 というのが、口にこそださね、景時の正直な感想だった。 しかも本来なら武家の棟梁に対する侮りや幻滅となりかねないそれを、景時は一種の親しみと喜びを込めて抱いたのだ。 かつて石橋山で見た血なまぐさい惨劇。戦とすら呼べぬ地獄絵図に否応なく植えつけられた恐怖心と、それに伴う、決して忠誠などではない唯の服従。 それが、これまでの景時と頼朝の間にあるものだった。 ところが、この日見ることの出来た頼朝の姿は、残酷な異国の神に庇護された絶対的な支配者ではなく、ようやく知ることの出来た源家棟梁の人間じみた素顔であったような気がしたのだ。 ◇◆◇◆◇ これは寿永元年、頼朝挙兵の二年後、すなわち鎌倉入りのやはり二年後に起きた出来事。そもそもが、至極馬鹿馬鹿しい話から始まっていた。一言で言ってしまえば ―― 夫婦喧嘩、だったのだ。 ただ、そこらの商家や農家、あるいは仮に武家であっても普通ならこんな騒ぎにはならないだろう。 騒ぎになってしまったのはひとえに、喧嘩した夫婦が鎌倉殿と称される源氏の棟梁と、御台所の北条政子だったから、としか言いようが無い。 その年御台所は長男の萬壽(註:後の頼家)を懐妊中で、そこまでは確かにまことにめでたい話だったのだが、産褥準備のために彼女が御所を下がっていたのが災いした。 元来その気(け)はあったのだが、妻が居なくて気が抜けたものか頼朝がつい亀の前という女性のもとに通いだし、このことが政子にばれたところから事件が起きた。 そもそも頼朝ほどの地位のものであれば、正妻以外に通う女のひとりふたり居ておかしいわけも無く、ましてや京育ちの彼であるから、むしろいなければそちらの方が不自然である。 しかし、その理屈の通らぬところが男女の事とでも言うのだろうか、怒り心頭に発した政子が亀の前の家を打ち壊すよう、牧宗親という男に命じ、牧宗親はそれを素直に実行した。 それを知って今度は頼朝が激怒した。夫としての、あるいは武家の棟梁としての面目を丸々潰されたわけだからこれまた至極もっともな話なのだが、その先があまり良くなかった。 その怒りを政子当人に向けずに実行した牧に向けた挙句、彼の髻を切ってしまったのだ。 実はその牧宗親という男。 政子の父、北条時政の後妻で云わば政子の継母に当たる人物・牧の方(まきのかた)の実父だったからまた騒ぎが大きくなった。 心無い『婿殿』の仕打ちに、時政は北条の一族郎党引き連れて、伊豆に引きこもってしまったのである。 たかが娘夫婦の喧嘩に、舅の北条時政がこのような大げさな行動に出た本当の理由は何であったのか。 ここにきて一気にきな臭い、鎌倉御家人の勢力争いに話が移る。 伊豆の旗揚げ当初と異なり、既に鎌倉勢には多くの御家人が反平家の立場を取って馳せ参じている。かく言う景時とて、旗揚げ後に寝返った一人であるのだ。 こうして鎌倉が抱える武士団の規模が多くなれば多くなるほど、畢竟、反比例して北条一族という存在の重要性は薄れてゆく。 旗揚げ当初、ほぼ唯一の頼朝の庇護者であった北条が、ここにきて他の御家人と横並びになり、扱いが軽んじられてきている、と。 時政は感じていたのかもしれない。 世継ぎの萬寿を政子が生んだことで血の上では外戚となったが、実際の世継ぎの世話は頼朝の代から乳母を勤めている比企一族と、景時などは恐れ多いと思うのだが梶原の一族が後見として立つことになった。 そんな背景から見て、此度の騒ぎはすこしここらで北条の必要性を婿殿に見せ付けてやれ、という、少々浅慮ともいえる北条時政の思惑があったのだろう、というのが景時の見解だ。 時政が一族を率いて鎌倉を発った、という知らせを日も暮れた後に受けて。 慌てた頼朝はすぐに惣領の北条義時が鎌倉に在するかどうか確認せよ、と景時に命じた。 こうやって慌てたところを見ると、浅慮だったかもしれないが、時政の思惑はある程度果たされたことになるな、などと考えながら、命ぜられるままに景時が北条義時の館へ向かおうと御前を下がった時。 既につくねんと控えていた義時を見つけた、というわけである。 ◇◆◇◆◇ 義時があえて鎌倉に残ったのを、彼自身の意思とみるか、それともそれも含めて時政の作戦であったとみるか、二通りの解釈が可能だが、今実際彼を前にしてその様子を見た限りで景時が思うには。―― 義時殿の、独断かな。 いづれ義時はこの日、頼朝にこれまでの「御台所の弟」としてでは無く「北条家の惣領」と、はっきりと認知されたらしかった。 義時は旗揚げ以降の戦において、何がしか手柄を立てたという話も無く、同じ年頃の若武者であれば畠山の重忠あたりが剛の者として名を知られていた。だが、この青年が本来の力を見せるのは戦場ではないのかもしれないと景時は考える。 今は泥に潜りじっと身を潜めて、あたりの様子をぬかりなく伺う水生生物のような不気味さとしたたかさを彼から感じたのだ。 泥の底から姿を現さないのは臆病だからか、狡猾だからか、あるいは獲物を狙う獰猛さ故なのか。 そして彼の頼朝への服従は、恐怖からなのか忠誠心からなのか、あるいは ―― もっと別の何かなのか。 これらをつき混ぜて、景時は義時という男に少しだけ、興味を持った。 「顔をあげよ」 言われて義時は、やはりすんなりとした姿勢で面(おもて)をあげた。景時は二人のやり取りを、間の隅に控えて伺う。 「何故、残った」 頼朝の問いに、青年はいささかも表情を変えずに答えた。 「はて、残らぬ方がよろしかったでしょうか」 「そうは言っておらぬ」 「同じ北条とはいえ父は父、私は私でございます。此度は孝より忠が勝りました。ただそれだけのこと」 景時が聞いてでさえ、彼の言う『忠』という言葉はいささか白々しかったから、頼朝が同じことを思わないわけも無い。ただ、頼朝はさほどそれを不快に思った様子は見せなかった。 むしろ暑苦しく忠だの義だの悌だのと振りかざされるより、その白々しさこそを好ましく思ったようにすら見える。 「ぬけぬけと言う」 口の端を上げて笑んだ頼朝に、義時は微とも動じずに、再び深く平伏した。 その時、もうひとつの人影が場に現れる。 頼朝とあわせて騒ぎの張本人でもある、北条政子である。彼女が此処にこうしているということは、夫婦喧嘩そのものは丸く ―― かどうかは厳密には知れないが ―― 納まったんだなあ、などと景時は少しだけ暢気なことを考えた。 「一族郎党いなくては、わたくしが心細い思いをすると、思って残ってくれたのですよね?優しい弟ですこと」 ぬけぬけと、という表現なら彼女の言にこそふさわしいようであった。義時は再び顔を上げたが視線は頼朝のほうを向いている。 「そういうわけではありません。…… 姉上は、お一人でも大丈夫な方でしょう」 「まあ、小四郎、存外冷たいのね」 そう言った姉を見もせずに、義時は普段より一層感情のこもらぬ声で言った。 「あまり、癇癪はおこされぬがよろしいでしょう、姉上。父上もああいう性格ですから、癇性癪気(かんしょう しゃっき)は北条の血故と言われればそれまでですが。 過ぎれば ―― 「まあ。面白いことをいいますのね?小四郎」 ねちっこく弟の名を呼んだ政子に、義時が視線を向けた。 景時はこの時、彼の目の奥に一瞬焔をたてて揺れた感情に気がつく。それは紛うことない憎悪に見えた。 ―― まさか義時殿は、知って、いるのか? 景時の身に、戦慄が走った。 政子の中に潜む異国の神。その神が、かつて石橋山で敵味方問わず多くの命を喰らったという過去がある。 そしてその犠牲者の中のひとりに、北条三郎宗時 ―― 政子と義時の実の兄がいたのだ。 彼の死は、他の犠牲者と同じく合戦による討ち死にとされていたし、あの惨劇を真実だと言って語ったところで見た者でなければ信じられる話ではないだろう。 だから景時は、己が源氏側に寝返る原因となったあの日の出来事には口を貝の如く閉ざし、誰にも話したことはなかった。 だが異国の神の存在と、石橋山での兄の死の本当の理由、その両方を。目の前の青年は知っているのではないのか。 一瞬だけ見て取れた、深く暗い憎悪の理由は、それを裏付けているとしか思えなかった。 ふとその時。姉弟の会話を沈黙を以ってみている頼朝に景時は目を向ける。 御所の目は、先ほど慌てたさまを見せたときとはうって変わって冷静だ。 義弟に、石橋山の真実を知られていようと知られていまいとかまわない。そう思っているように、景時には見えた。 すると、今度は。 頼朝と異国の神の間にあるものに対し、今まで感じていたものとは違った何かがあるように思えてきた。 これまで、景時は彼等を一体化してみるか、あるいは頼朝が神に見込まれたのだと、漠然と考えていた。しかし。 ―― 御所が。神をも利用しようとしている、のか? と、頼朝が景時のほうを見た。彼は何を思ったのだろうか、口の端を上げて不敵に笑む。 景時の考えていることをすべてを見透かされたような気がして、思わず平伏したが、ここでひとつの疑問が頭をもたげる。 彼は、神すらも利用して、いったい何を成し得たいのだろう。 平家の追討。 ―― 違う。 源氏の再興。 ―― これも違う。 朝廷に依らぬ東国での武家政権の確立。 ―― それが答えだと、思っていたけれど。 ―― 本当にそれだけ、か? もっと、彼の深いところに根ざしている何か。 それを、景時は知りたいと思った。 ◇◆◇◆◇ ふたりが御所を辞すと、外の路は月光に皓々と照らされていた。「明日は、満月だね〜」 行きがかり上一緒に退出してしまったが、これといった話題も見つけられず。 あまり意味もなく言った景時に、義時は「そうですね」と、やはり意味の無い言葉を返してくる。 そのまま暫くは無言で並び歩いたが、各々の屋敷へ分かれる辻が見えたところで、義時が言った。 「梶原殿は」 「何かな?」 「あの日、石橋山で何をご覧になったのですか」 深く暗い声だった。 これまでも多くの者が、石橋山で何があったのか知りたがった。しかしそれは、寝返った人間であるにもかかわらず、不自然なほどすぐに頼朝の近習として重用された、いわば景時の”手柄話 ”を聞きたがったに過ぎない。 時にやっかみ、時にへつらいを込めて。 しかし、義時の問いは、それらのものとは、全く異なる意味合いを含んでいた。 思わず足を止めた景時を、二三歩先に行ってから青年が振り向く。 「御所を除けば、貴殿しか真実を知る人間はいません。私はそれを知りたい」 「俺はそれを ―― 君に話すつもりはないよ」 「そう、ですか」 彼は拍子抜けするほどにあっさりと引き下がり、貴殿もご苦労なことですね、と。同情すら零す。 そして景時は、返答を拒んだことで結局彼にある種の答えを与えてしまったであろうことに気づいた。 「君は、何を企んでいるのかな」 「企みと言えるほどのことは何も。ただ、真実を知った上で見届けたいだけです。それとも、私を御所に仇なす者と判じて、進言でもなさいますか」 彼は見届けたいと言ったが、何をとまでは言及しなかった。景時もあえて触れずにおく。興味がなかったというよりは、聞かずともわかったような気がしたからだ。 なぜなら、つい先だって、己も似たようなことを思ったではないか。 頼朝の真意を知りたい、と。 「いや、そんなことはしないけどさ。だって君は、少なくとも頼朝様に逆らう気は、ないように見える」 私見だったが、確信があった。彼が一瞬憎しみを込めた眼差しを向けたのは、姉の皮を被った異国の神にだけだったからだ。頼朝とて、それに気づいていたからあの意味ありげな笑みを浮かべたのだ。 その部分を察せられずに下手に進言などしようものなら、景時の首のほうが危ういというものである。 「ええ、ありません。貴殿と、同じように、ね」 この言葉で、自分達が各々互いの中に、似たような何かを見つけたことを知った。 しかし、改めて言葉にされてしまうと、景時は自問せざるをえない。 これまで何かひとつのことをやり遂げること無いまま、すべてを中途半端にしてここまで流されて来てしまった自分と対比して、たとえ憎悪であれ、純粋で苛烈な感情を持ち得た男は果たして。 ―― 同じ、だろうか。 ただ確かに、今まで恐怖の対象としてしか見なかった頼朝の、意外な人間臭さと心の奥底に潜む何かを垣間見て、己の気持ちがこの日なんらかの変化を遂げたのも事実だ。 景時は、義時をじっと見た。 月を背にした彼の表情は景時からは見えなかったが、見えたところで何を考えているのか判じかねるあの無表情を今もしているのであれば、意味のないことだった。 彼が身を翻しまた歩き出したので、景時も歩みを進める。 道はすぐに辻に差し掛かり、そのまま二人は各々の館のほうへと曲がり分かれ、互いに振り向くことなどはしなかった。 寿永元年霜月十四日。月冴える夜の一幕である。 ◇ 幕間へ ◇ ◇◆◇◆◇ 【歴史補足】・石橋山の戦いでの北条宗時討死、亀の前に関わる事件、北条氏の伊豆への撤退、北条義時の鎌倉残留とそれをきっかけとした頼朝の義時への信頼、梶原氏・比企氏の萬壽(頼家)後見。これらは吾妻鏡を根拠としています。 ・北条氏の伊豆引き上げの際、義時の残留の確認のため頼朝に使わされたのは梶原景季(景時の息子)ですが、遙3設定でそれはありえないので(笑)、景時に代役してもらってます。 2007/04/24 |
|||||||||||||||||||||