葉月様ヒストリー1 葉月ちゃん15歳

 
													
舞に跪かせ、靴を舐めさせている。私は深紅のピンヒール、黒のストッキングとガーター、同じく黒のサテンロンググローブに金のブレス、黒革のチョーカー以外
の物は身につけていない、ほぼ裸の躰に藤色のショールを羽織っただけの姿でリクライニングチェアに座り、舞に奉仕させている。
ピンクのラバースーツを着せられ、ヴァキナとアヌスにローターを押し込まれて、軽く喘ぎながらも舞は靴を舐め続けた。
部屋の隅、大型犬用キャリーを激しく揺さぶり、濁ったうなり声を上げる霞が気になるのか、時折、横目でキャリーに目を移していた。
そんな舞の首輪を掴んで、膝に載せて抱きかかえた。それを見ていた霞は一層激しく藻掻き、躰の自由を奪っている鎖や拘束具を引きちぎらんばかりの勢いだった。
「霞はね、狼に先祖帰りしちゃったのよ。でも、大丈夫よ。何れ、元の牝犬に戻るから」
そう言いながら、私は舞の性器をゴムの上から愛撫した。舞は最早私の虜になって、身を委ねた。
今、私の目の前にいる二人の少女を見ていると、一人の少女を思い出す。
その矢先、携帯の着信音が鳴った。アドレスを見て、少し嬉しいのと話したくないのとで複雑な気持ちになった。
「はい、葉月です。お久しぶりです、叔母様」
〈暫くぶりね、葉月ちゃん〉
「“葉月ちゃん”はやめて頂けません? もう、そういう歳じゃないんですけど」
〈いいじゃない、貴方との年の差は変わらないんだし、それに若く見られていいでしょ〉
「んもう、そういう事じゃなくて…」
私の手が緩んだ隙を突いて、舞が霞を閉じ込めているキャリーの元に駆け寄り、縋り付いた。
「舞!! 何勝手な事をしてるの!! 戻りなさい!!」
私は椅子から立ち上がり、舞の首輪を無造作に掴み、キャリーから引き離した。舞は霞の名を呼びながら泣きじゃくった。
〈あら、調教中だったの?〉
「ええ、新しい奴隷を二匹…」
〈じゃあ、あの子達ね。霞ちゃんと舞ちゃん…〉
私は叔母と通話しながら、抵抗する舞をうつ伏せにねじ伏せ、膝で首筋を押さえながら乗馬鞭を打ち据えた。
〈久しぶりに聞いたわ、葉月ちゃんの鞭の音〉
「叔母様、申し訳ないんですけど、取り込んでますので改めて…」
〈そう、じゃあ、また家に遊びにいらっしゃいな。その子達も連れて。じゃあ、またね〉
通話が切れた。

この人は、いつもこうだ。
私は叔母が大の苦手だ。
だけど叔母が大好きだ。
朗らかで心優しい人だが、デリカシーが無く、私をいつまでも子供扱いしてる。
人の痛みや触れられたくない事に無頓着だ。
自分自身が痛みが快感だからだ。

この人は真性のマゾヒストだ。
そして、私の最初の奴隷だ。

私の母方の叔母、江藤弥生は現在、実家の隣町、そこの郊外で一人暮らしをしている。
叔母は茶道家だが、そればかりでなく世界各地のお茶の文化の研究もしている。その上、箏の演奏家であり、日本画家でもあるという、マルチな才能の持ち主でもある。
亡くなった叔父も日本画家で仏像彫刻家、睦月が美術部に入ったのは叔母夫婦の影響が大きかった。
叔父の生前、二人はよく、家に来た。高名な絵師や仏師の流れをくむ旧家だった為、経済的には困窮していなかったが、父は叔母夫婦のパトロンとして、積極的に支援
してくれた。二人の絵を買ったり一流の画商を紹介しただけでなく、財界、政界の人達を交えてのパーティーで、叔母が野点をしてくれたり、箏の即行演奏を披露して
くれたりもした。元々茶道家、箏演奏家、日本画家、お茶の研究家として、各々の分野での叔母夫婦の評価は非常に高かったらしく、名声は上がっていき、両親よりも
私の自慢でもあった。
私が小学校半ばになり、一人で公共交通に乗れたり、自転車を乗り回せる様になると、私は一人で叔母夫婦の家に遊びに行く様になった。
今でも、よく覚えている。長着に野袴を纏った叔父と紬姿の叔母がにこやかな笑顔で毎回出迎えてくれた事を。仕事場である離れの一つ、日本画のアトリエでの二人は、
険しい表情で床に置かれた紙に向かい合っていた。アトリエに出入りしてても何も言われなかったが、張り詰めた空気と絵筆を操る叔母の眼差しに気圧されして、緊張
した面持ちで見つめるしかなかった。
そんな私に、二人は団扇や扇子、或いは和紙の切れ端に、ちょっとした落書きみたいな絵を描いてくれた。それをお土産に持ち帰ると、睦月が喜んだ。
叔母夫婦には子供がいなかった。父方と違って母方の親戚は少なく、そして疎遠だった。事実、私は母方の親戚には、亡くなった母方の祖母と叔母夫婦以外に会った事
はない。
その為、叔母夫婦にとって身近な子供は私達姉妹だけだった。
だから私達は、叔母夫婦に大層可愛がられた。そして、私達姉妹のどっちかを養子にしたいという話も何度かあった。
しかし、それは断られた。私は跡取り娘だったのでまず無理だった。妹については父が少しは前向きだったが、母が頑なに拒んだ。睦月の体に対する負い目や、複雑な
感情があったからだろう。睦月の養子縁組の話になると、母は実の妹への態度とは思えない程感情的になった。そんな母を私は嫌い始めた。と、同時に叔母と睦月が可
哀想に思えた。
その為、私は睦月を甘やかしてしまい、我が儘にしてしまった。幸い、妹も叔母になついてて、時々私と一緒に遊びに行き、二人のアトリエでお絵かきを楽しんでいた。

そんな私と叔母との関係に、一つの転機となった事件が起きた。
私が13歳、中学1年の夏休みだった。私は夏休みの課題の自由研究に箏をテーマにしようと思い、夏休みの大部分を叔母の元で過ごすつもりだった。
自由研究もはかどり、家に帰る二、三日前の深夜。
私は叔母の声で目を覚ました。しかも、初めて聞く、絶え間なく喘ぐ様な苦しげな声だった。
ところが、叔母夫婦の寝室とは違う方向から聞こえて来た。こっそり襖を開けてみると、二人はいなかった。布団が冷たく、二人が長時間床に就いてなかったのが判った。
声の方角を辿ってみると、外から、裏庭の土蔵から聞こえて来た。
窓から灯りが見えた。
すぐ近くにあった空の木樽を踏み台にして覗いてみた。
思わず悲鳴を上げそうになった。それを抑えると凍り付いた様に目が離せなくなった。
全裸の叔母が縛られて、土蔵の梁から吊されていた。
傍らで褌姿の叔父が、幾つにも割れた竹の棒を手にしており、それで叔母を打ちつけた。
喘ぐ様に悲鳴を上げる叔母に、私は目が釘付けになった。
叔父を止めさせて叔母を助けにいかなきゃと思った。
しかし、行けなかった。
私は叔父に気付かれない様に、ゆっくりと音を立てずにその場を立ち去り、部屋に戻って頭から布団を被って一夜を過ごした。

翌朝、私は平然を装いながらも、どこか引き気味の態度を取った。叔母夫婦も何時もと様子がおかしい私を訝しんだ。
その日は叔父が講師を務める美大の日本画科のカリキュラムの打ち合わせで、日中叔母と二人きりになった。当然ながら、自由研究も手につかず、心配した叔母から私に
話しかけてきた。
「何時もと様子が変よ、葉月ちゃん…、具合でも悪いの? 」
「叔母様…、私、知らなかった…、叔母様が叔父様からDV受けてたなんて…」
「え…? DV…?」
「ドメスティックバイオレンス。夫婦間暴力の事よ」
私は昨夜、覗いてしまった事を打ち明けた。そして、自分は叔母の味方になると告げた。
ところが………………。
「いやぁね。葉月ちゃんったら」
叔母はアッケラカンと笑って返した。予想外のリアクションに私は戸惑った。
「あれはDVじゃなくて、SMプレイよ」
「え…、えす…えむ………!?!?」
私はこの時、初めてサディズムとマゾヒズムというものの説明を受けた。しかし、到底、理解や共感を得るものではなかった。サディズム、人を虐待して歓ぶというのは
怒りや軽蔑を感じながらも理解できたのだが、マゾヒズム、虐待されて歓ぶというのは理解出来なかった。
「信じられない……………」
そう言う他無かった。そんな私の側に、叔母は笑顔で寄り添い、肩に手をかけた。
「今は理解出来ないかもしれない…。でも…」
ゆっくりと叔母の手が肩から肘、肘から手首へと降りていき、手首を掴んだ手が、私の背中で手首を交差させた。
「ひっっっ!!!!!!」
驚き、恐怖を感じた私は叔母の手を振り解き、四つん這いで部屋の隅に逃れ、ガチガチと震えてうずくまった。手を振り払われた叔母は、驚いた表情で私を見つめていた。
やがて、いつもの優しそうな笑顔に戻り、私に歩み寄ろうとしていた。しかし…。
「いやぁぁぁぁっ!! こないでぇぇぇぇぇぇっ!! 」
私は叔母を拒んだ。悲しげに困惑した表情で叔母は私をなだめようとした。
「ごめんなさいね…。やっぱり、葉月ちゃんには、まだ早かったわね…」
「早いとか、そんな事じゃない!! あんな汚らわしい事されて歓ぶなんて、変態だわっ!! 」
私はそう言い捨てて、部屋を飛び出し、そのまま殆ど着の身着のままで叔母の家を後にした。自宅までの帰路は殆ど覚えていない。残した荷物は翌日、叔母が届けてくれた。
しかし、私は叔母への礼どころか顔も見せなかった。その態度を酷く母に叱られた。
それ以来、私は叔母の元に行かなくなった。睦月が連れいけと駄々をこねても私は行かなかった。睦月は家のメイドや、運転手が連れていってくれたらしい。叔母とは約一
年半、叔父が病に倒れ、そのお見舞いまで顔を会わす契機が無かった。

私が15歳、中学3年の夏。
叔父は亡くなった。

通夜、告別式、初七日、そして四十九日と、一連の葬儀での憔悴しきった叔母を見て、私はあれ以来、冷淡な態度を取り続けた事を後悔した。
叔母の家で、私達家族だけで済ました四十九日を終えた後、私は両親に二日ばかり泊まると告げて、帰る家族を見送った。
広い屋敷で二人きりになった、その日の夕方、叔母は喪服から普段の紬に着替え、母屋の寝室に一人座って佇んでいた。寝室から忌まわしき土蔵が見えた。しかし、あの土
蔵もこの寝室も叔母が最愛の叔父と共に過ごす事は二度と無いと思うと、叔母が哀れだった。
これまでの態度の詫びと、叔母を慰めようと私が寄り添ったとき、叔母は縋り付く様に抱きついてきた。
叔母が悲しみで泣きついてきたと思い、私が抱きしめようとしたら、何か紐が両手首に巻き付いた。叔母の着物の帯留めだった。
手首を交差させて巻き付いた帯留めに驚いた直後、叔母は異様な笑顔を私に見せた。
「葉月ちゃん、捕まえた…」
次の瞬間、私は叔母に押し倒された。驚きと恐怖で、私は悲鳴を上げた。
「な、何するのっ!!  叔母様、やめてっ!! 」
叔母の手がスカートの中に入り込み、パンティを引きずり下ろし、着物の帯揚げを解いて、それを足首に縛り付けた。抵抗しようとしたが、手足首を真っ先に縛られた上に、
叔母が覆い被さって来たため、どうする事もできなかった。私のワンピースの胸ボタンを外しながら自らの帯を解き、抜き取った腰紐で、私の腕を胴体ごと縛った。
ボタンを外されたワンピースは紐が結ばれたあたりまでズリ落とされ、下のキャミソールとブラジャーが剥き出しになった。それも降ろされ、外され、私の胸が露出すると、
叔母は着物の全ての紐を解いて前を開き、私を懐にくるみ、襦袢を押さえていた伊達締めで着物の前を閉じた。叔母の着物の中で私は叔母の裸体と密着状態になり、叔母は
私を貪る様にキスをしてきた。キスのみならず、袖から抜かれた叔母の手は私の躰を撫で回り、さらに私が着ていたものを脱がしにかかった。

日が暮れて辺りが真っ暗になった頃、私は叔母の太腿の地肌を涙で濡らしていた。
あの後、叔母は私の処女こそ奪わなかったが、その手で私の躰を蹂躙、凌辱し尽くした。
抵抗する私を抑えながら、性器や性感帯を刺激し、オルガズムを迎えさせた。もう抗う気力も失せ、嗚咽すら出来ずに静かに涙を流すだけだった。
そんな私の屈辱感や悲しみも知ってか知らずか、叔母は私を無神経に、しかし、愛おしげに撫で回した。
やがて叔母は襦袢を肩に羽織ると太腿を枕に横たわる私を起こして、紬を私に掛けて伊達締めを巻き付けた。もう抵抗する気すら無かった。
だが、叔母の次の行動には、流石に抵抗した。私を抱きかかえると部屋を出て縁側を降り、土蔵に足を運んだからだ。土蔵にある物を知っていた私は、恐怖を覚えた。
「いやっ!!  いやっ!!  いやぁっ!! 」
叔母は腕の中で暴れる私を抱きかかえ、どうにか土蔵の扉を開けると、暗い土蔵の中に私を乱暴に押し込み、灯りのスイッチを入れた。
淡いオレンジ色の白熱灯が照らした物は、何本もの麻縄の束、皮の鞭や竹の笞等、時代劇で見かける拷問蔵の様な、数々の責め具だった。
「いやっ!!  助けてっ!!  叔母様ぁっ!! 」
泣き叫んで抵抗する私から紬を剥ぎ取ると、直ぐさま慣れた手付きで私を縛り始めた。
「いやぁっ!!  痛いっ!!  やめてぇっ!! 」
地肌に麻縄がすれて食い込む痛みと、肩から腕にかけての骨格が今までされた事の無い姿勢で圧迫される痛みから逃れようと、私は必死で藻掻いた。しかし、完全に高手小
手縛りが結ばれてしまうと、どうする事も出来なかった。
息苦しさで声も出せなくなり、藻掻く事もままならなくなった頃、叔母は私の顔を押さえ、土蔵に置かれていた古い大きな鏡台に目を向けさせた。
縛られている自分の姿を見て、私は藻掻きも声も止まり、息を飲んだ。
「思った通りだ…、いや…、それ以上だわ葉月ちゃん…、とても綺麗よ…」
私は己の美しさに酔うナルシストではなかったが、鏡に映る縛られた自分の美しさに目を疑った。だが、それは戦慄を伴う美しさだった。
「どうかしら…、縛られた人間の美しさを理解出来て…?」
後から抱きかかえ、肩に顎を乗せて鏡を見つめ、異様な笑みを浮かべて、問いかけてきた叔母の言葉には、もう頷くしかなかった。

私が縛られていたのはほんの僅かな時間だった。しかし、それはとても長い時間に感じた。
その後は叔母にされるがままだった。土蔵を出た後の入浴、食事、就寝まで間、叔母は私を離さなかった。入浴時は執拗な手付きで私を洗い、食事は流石に自分の手で箸を
持ったが、夕食の調理中、私は足首に結束バンドを巻かれていた。
そして、私は風呂上がりの後の浴衣から朱鷺色の長襦袢を直に着せられ、叔母も朱色の長襦袢だけの姿になり、一緒の床についた。
枕が並んだ布団の中、生前の叔父がいた場所に私がいる。叔母と一緒に寝たのは幼少期に添い寝してくれて以来だったが、あの時とは状況が全く違っていた。叔母は叔父の
代わりに私を抱いているつもりなのか、袂に手を入れ、肩を露出させてきた。
しかし、今までの事と、叔母の手触りの心地よさに、最早抗えなかった。

朝、目が覚めると私はあられも無い格好なっていた。長襦袢を直し、布団を出て着替えようとしたが、着替えが無かった。
叔母に尋ねようと捜していると、庭で紬と割烹着姿の叔母が洗濯物を干していた。
私の服と下着だった。しかも、着替えとして置いてって貰ったまだ着ていなかった下着まで洗濯していた。
「ああっ!!  私の下着っ!! 」
「おはよう、葉月ちゃん。着ていた物、昨日汚れて皺くちゃになっちゃったから、洗濯したわよ。待っててね、今、着替え出すから」
確かに皺だらけになって、かなり汗まみれになったかも知れなかったが、何もまだ着てなかった下着まで洗濯するなんて。まるで私を逃がさないと言わんばかりだ。
「昨日着てた、余所行きのワンピースね。朝一番で行きつけのクリーニング屋さんに出して、皴取って貰ってるから。明日配達してくださるそうよ」
そう言いながら叔母は私にお下がりの紬を着せていった。肌襦袢から着付けていく叔母は、私を支配下に置いたかの様に楽しそうだった。最も、叔母の和服しか着る物がなく、
しかも私は着物の着付けが出来なかった為、こればかりは叔母に委ねるしか無かったのだが。お下がりの藤色の紬は「大きくなったら着せて上げる」と幼い頃約束してくれて
いた紬だったので、とても楽しみにしていたのだが、昨日の事とパンティを履かせて貰ってない恥じらいとで、とても喜んでいられなかった。
その日は午前は茶道の、午後は箏の稽古日で、それぞれの教室での叔母のお弟子さんや教え子が来て、私も稽古に参加させられた。茶道の方は大人の人ばかりだったが、箏の
方は私より年下の女の子も来ていた。
幸い睦月と異なり画才の無かった私は、日本画よりもお茶や箏の方で叔母からの手ほどきを受けていたので、その日の稽古はある程度こなせた。
「江藤先生から笑顔が見られて良かったわ。貴女のおかげね」
双方のお弟子さんから言われた言葉だった。
確かに、私も叔母の笑顔が取り戻せるのは嬉しい。
だけど、その笑顔の背景を考えると…。

そして、日が暮れ、宵の口になると、再び私は土蔵で叔母に縛られた。
今日は昨日よりも縛りがきつかった。縄が股を通して縛られていたため、縄が性器に食い込んだ。そして、全身を縄で締め付けられていた。
昨夜にも増して、私を見る叔母の目は異様に輝いていた。
「綺麗よ、葉月ちゃん…。まるで大輪の菊の花の様だわ…」
大輪の菊の花…。
確かにそうかも知れなかった。ただし、私が菊の花の様な美貌を持ってるとかではなくて、麻縄でギチギチに縛られ、自由を奪われている姿は、菊の花が針金で支柱に括り付
けられて栽培されているかの様だった。
束縛される美しさ、不自由な美しさ、どれも今まで体験した事のないものばかりだった。そして、それはすぐには受け入れがたいものだった。

次の日の朝、クリーニングから届いたワンピースに着替え、朝食の後の帰り支度をしていた時だった。帰る前に叔母がお茶を点ててくれた。
茶室で叔母が点ててくれた抹茶を飲みながら、私は昨日の事を話した。
「叔母様…、私の事、“大輪の菊の花みたい”って言ってくれましたが…、何か菊の花って、針金とかで縛られて不自然な感じがするんですけど…、その花本来の自然な姿、美
しさじゃない様な…」
本音を言えば、これ以上縛られるのが嫌だったからだった。私にあるがままの自然な美しさを求めてほしいという口実を見つけて、叔母に伝えたかった。
だが、私の言い分はアッサリ否定された。
「そうね…。確かに、あるがままの自然な美しさっていうのもあるわよね。私も日本画でそういう風景を描くから判るわ。だけどね、葉月ちゃん…。自然というのは、本来過酷
でとても厳しいものなのよ」
その時、叔母は厳しい表情で私を見つめていた。日本画を描くため、和紙に向かい合っている時の表情だったが、それを私に向けたのは初めてだった。
帰りの電車の中、叔母の町と実家の町の境ののどかな秋の景色を、私はぼんやりと見つめていた。そののどかで静かな紅葉の風景と叔母の言葉が、私の心の中で一致しなかっ
た。
(自然というのは、本来過酷でとても厳しいものなのよ)
心の中でそれを否定しようとした矢先、分厚くなった雲で鉛色になっていた空が紫色に光った。宙に亀裂でも入ったかの様な稲光と共に、激しい雷鳴が轟いた。
程なく電車が止まった。どうやら今の落雷で停電になったらしく、運転士からのアナウンスがあった。今の落雷で山火事でも起きたじゃないかと、他の乗客達が呟いていたが、
私は今の稲光の美しさに心を奪われていた。
そして、停電の復旧待ちの間、外は天気が荒れて暴風雨になった。
激しい風雨が紅葉の木々容赦なく叩きつけられる。そして、風に舞い散る赤や黄色の葉の美しさ、今にもへし折れんばかりに激しく揺さぶられながらも、しなやかに揺れる木
の枝に釘付けになった。
私は突然、その風雨に曝されたくなり、おもむろに電車の窓を開けた。雨風が車内に吹き込み、私に襲いかかった。他の乗客、特にすぐ近くの年配の男性が怒鳴り散らしてき
たのですぐに閉めざるを得なかった。

自然ではなく、人為的に縛られている事の方が確かに優しいのかもしれない。
そう思い始めると、もう叔母に抗えなかった。

それから私は再び叔母の元を頻繁に訪れる様になった。
その都度、泊まりでなく日帰りでも私は叔母に縛られた。
だが、叔母は縛りこそすれ、私に熱蝋を垂らしたり、鞭で打ったり、バイブレーター等で責め立てたりは一切、しなかった。それらはむしろ叔母自身が私の目の前で自らにや
っていた。朱色の長襦袢の下、パンティどころか肌襦袢すら纏わず、乳房や恥部をはだけさせ、お淑やかな大和撫子そのものだった叔母の、余りにも下品な痴態に目を覆いた
くなった。
「やめてっ!!  叔母様っ!!  そんな恥さらしな事しないでっ!!  そんな姿見せないでっ!! 」
「葉月ちゃん…。これが私の本性よ…。よく見て頂戴…」
私は縛られて、叔母の自虐行為から目を逸らすしか為すすべがなかった。緊縛を解かれて土蔵を出るとき、叔母は優しく肩に手をかけてくれたが、手を払いのけて睨み付ける
事もあった。
ある時、柱に縛り付けられた私の目の前で、叔母は自ら亀甲縛りを施し、淫らに身悶えしながら、股間の縄をグイグイと性器にめり込ませた。
「いやっ!!  そんな叔母様なんか見たくないっ!! 」
私は叫びながら目を背け、激しく藻掻いた。そんな私にお構いなしに、叔母は淫らに身悶えしながら、バイブを手にし、性器にねじ込もうとしていた。
叔母の歓喜の喘ぎに耳を塞ぎたいと、激しく体を揺さぶっている時だった。縄が緩み、縛りが解けた。
自由を取り戻した私の手は、塞ぎたかった筈の耳を押さえずに体に巻き付いていた縄を取り払い、そして、私は思わず、床の竹の笞を手にしていた。
「叔母様っ!!  止めてっ!! 」
甲高く乾いた音が響いた。バイブが叔母の股間からずり落ち、叔母の手の甲にミミズ腫れが出来ていた。
私は叔母の手からバイブを笞で叩き落としていたのだった。
呆気にとられる叔母と目が合い、私は強ばり、震えながら泣き出した。
「ご…、御免なさい…、叔母様…、わ…、私…、叔母様を打っちゃった…」
私は笞を落とし、手で顔を覆い、その場にへたり込んだ。自分のした事に、今まで感じた事のない罪悪感が襲いかかり、私を苛んだ。
ところが、そんな私の心中も察せずに、叔母は激しく抱きついてきた。その次の一言に私は愕然となった。
「嬉しいっ!!  葉月ちゃんっ!!  私を叩いてくれたのね!! 」
私は絶句した。
「ねえ、葉月ちゃん…、もっと叩いてっ!!  葉月ちゃんっ!!  もっと私を叩いてっ!! 」
私は罪悪感が吹っ飛び、怒りがこみ上げてきた。だが、私は叔母を打とうとはしなかった。その代わり、縄を手にして、叔母を高手小手に縛り上げた。
「いいわっ!!  葉月ちゃんっ!!  もっときつく締め上げてっ!! 」
「ええ、いいわよっ!!  締め上げてやるっ!! 」
私は叔母が着ていた長襦袢を肩に羽織らせ、叔母の背後から抱きつき、強く抱きしめた。
叔母は頬を赤らめ、私に身を委ねる様に寄りかかってきた。
「嬉しいわ…、ずっとこうしていたい…」
うっとりした笑みで、そう呟く叔母を、私は拗ねた目つきで睨んで呟いた。
「淫らな叔母様は嫌い…」

それ以来、私は叔母に縛られなくなった。
逆に私が叔母を縛る様になった。

亡くなる少し前の叔父や、箏やお茶の関係で叔母に親しい人から聞かされた話だと、叔母夫婦はセックスレスに近かったらしい。何でも、幼い私に出会ったとき、叔母は私に
一目惚れして、自分に子供が出来るとそっちに気持ちが向いてしまって、私から心が離れていくのが嫌だったという。だから、叔母は自分の子供を作らなかったそうだ。
そんなに私は叔母に愛されていたのだ。その愛情は私に対してのみならず、叔父との夫婦関係も歪にしていった。叔母夫婦がこういう性癖に至った原因は、私にあったのだろ
う。
叔母は私達姉妹を養子にしたがっていたが、それは適わなかった。その代わり、亡くなった叔父は私達を叔母と共に遺産相続人にしてくれていた。叔母も私達に全てを託して
くれるだろう。
叔母の絵の才能は睦月に継がれたらしく、時々、睦月は叔母に絵の相談に行ってるらしい。
私が叔母から受け継いだのは、このSとMの妖しい世界。
叔母は私を叔母の様なマゾ奴隷にしたかったのではなく、叔父の代わりに責める側の者にしたかったのだ。私を縛ったのは、あくまでも体で縛り方を覚えさせるためだった。
だから、叔母は一切縛り以外の責めは、私にしなかった。
そして、私は誰にこの世界を引き継ぐのだろうか。
私の目の前で、幼い二匹の牝獣がグッタリと横たわっている。
全身、鞭と蝋で赤くなり、性器に太いバイブをねじ込まれ、全身汗まみれでバイブの振動にも反応しなくなっていた。
責め尽くされて殆ど気絶に近い状態だったが、それでも必死に互いの手を求め、そして、しっかりと掴んだ。
私は二匹に歩み寄り、掴みあった手を踏みつけた。思わず、二匹が悲鳴を上げた。






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