舞2章

		
		

   深雪と霞が葉月達に、舞の件で痛めつけられた翌日。あずさは深雪に舞の事で話かけた。
「なぁ…、深雪ちゃん。昨日、会うた舞ちゃんって子の事なんやねんけど…」
   横目であずさを一瞥し、小声で返事をする深雪。
「ここじゃ、何だから、よそで…」
   席を立った。
   鞄とポート・フォリオを手にし、部室に向かう深雪。その後に付いていくあずさ。二人は、階段                         
の陰で、重い口を開いた。
「舞ちゃんから、夕べ聞いた話やねんけど、あの子、レズで…、霞ちゃんと…」
   あずさがそこまで言った所で、深雪は遮る様に口を挟んだ。
「私も聞いたわ…、霞から」
   驚くあずさ。さらに深雪は話を続けた。
「私も、昨日初めて知ったの。霞と舞ちゃんとの事。あの子、ずっと私にも黙っていたのよ…」
   深雪の表情は、いつになく重々しかった。あずさの方も険しい表情を浮かべていた。そして、
あずさは話を続けた。
「さよか…、深雪ちゃんも知っとったんか…、せやったら安心や。舞ちゃんと霞ちゃんとがレズ     
やなんて事、葉月らにばれたら、それをネタに舞ちゃんも、あいつらの餌食にされるとこや。      
せやったら、もう大丈夫やね」
    あずさは引きつった作り笑いを浮かべ、深雪が二人の事を知っているのなら、葉月達に知ら
れない様にする手だてはあると思い、深雪を励まそうとした。
   だが、深雪の口から漏れた言葉は、あずさの楽天的な考えを打ち砕くものだった。
「あずちゃん…、もう、知られてる……」
「な、何やてっ !! 」
   あずさの顔から作り笑いが消えた。
「霞と舞ちゃんとの事、もう、あの方々にも知られてるの……」
   深雪は昨日の一部始終をあずさに話した。あずさは、それを黙って聞き入っていたが、その
表情は強張っていた。話終えた後、二人の間に暫しの沈黙が続いた。その重々しい空気を取
り払うかの様に、あずさが口を開いた。
「で……、どないすんねん………」
「どないって……、何を……」
「舞ちゃんの事や。あいつらが黙って見とる訳ないやろ」
「そう、その事なんだけどね…」
   深雪は、昨日の拷問の後、自宅での事を話し始めた。

   深雪の部屋にて、深雪と霞は向かい合って話していた。
「お姉ちゃん、ごめん…。私のせいで…」
   深雪は先程の十露盤責めのせいで、正座が出来なかった。スェットの上下を着ていたので
少々はしたないが、胡座をかいていた。逆に霞は股間を酷く痛めていた為、直に尻を床や椅
子に乗せられなかったので、正座にならざるを得なかった。
「いいのよ…、それより、舞ちゃんの事なんだけど…」
   深雪が口を開く。
「あんたの舞ちゃんに対する気持ち、それがどんな形かは、どうだっていい。あの子がレズで、
   あんたを好いていて、あんたもあの子を好きって事を咎め立てる気はないわ。ただ、その気持
ちが、どこまで本気か。見せてもらうわ」
   いつになく厳しい表情と口調の深雪に、霞は戸惑った。
「お、お姉ちゃん、何を…」
   霞の言葉を遮る様に、深雪は言葉を続けた。
「舞ちゃん、このままだと、奴隷にされるわ」
「ええっ !?   だって、先生達…」
「無理に私達から献上しなくてもいい、ってだけの事。いずれ、先生達のお手つきになるわ」	
   確かにそうだった。葉月達は、舞そのものを諦めた訳ではなかった。
「どうすればいいの? お姉ちゃん…」
   深雪の出した結論は、葉月以上に残酷な物だった。
「舞ちゃんを…、先生達から遠ざけるしかない…。つまり、この学園から追い出すしか無いわ。
私、あの子をとことん突き放すから、あんたは喧嘩してでも、苛めてでも、ここに居たくなくして    
しまいなさい。そして、北海道のご両親の所か、フランスのバレエ学校に帰すのよ!」
  深雪の意見を聞き終えた霞の表情は青ざめていた。自分の為にフランスから帰って来た舞を、
再び、自分と仲良く同じ学舎を共に出来る事を楽しみにしていた舞を、姉は喧嘩しろ、苛めろ、
追い出せと言う。そんな事、出来るわけない。そう、反論しようとした矢先。
「顔に出来ないって、書いてるわよ」
   思わず頬を手で覆う霞。そして、泣きそうな顔をしながら姉に訴えた。
「判ってるなら…、そんな事、私にさせないでよ…。舞を苛めたり、喧嘩したり、挙げ句の果て
に追い出せだなんて…、そ…、そんな事、できないよぉぉ…」
   霞の頬を伝う涙を見た瞬間、深雪の心はぐらつきかけた。しかし、ここで甘い判断を下せば    
舞は遅かれ早かれ、葉月らの奴隷にされる。自分らがやろうとしている方法でも守りきれるか
どうか判らない。深雪は心を鬼にして言い放った。
「だったら…、今の内に舞ちゃんの首に、首輪と鎖着けて、先生の所に連れて行きなっ !! 」	
   その一言に霞は、はっとした。そして、力無く頷くだけだった。

   深雪の話を聞き終えたあずさは、しばらく絶句した。
「そ、そこまで、言うんか…」
   頷く深雪に、あずさは背筋に冷たい物を感じた。目の前の親友が、ここまで非情な決断を
下せる人だとは思わなかったからだ。頬を軽く掻き、横目を逸らしながら、口を開いた。
「でも…、まぁ…、それしか、手ぇ、あらへんやろな。確かに、学校から追い出してまえば、あ
いつらとて、そう、易々と手ぇ出せへんやろうし。今度こそ、ひと安心やなぁ」
   余りにも重苦しい空気を和らげようと、不自然ながらも、明るく振る舞うあずさだったが、深
雪の表情は険しかった。
「でもね…、あずちゃん。あの子…、バレエ以外の事では、少し甘やかされた子なの。根は素
直で、聞き分けの良い子なんだけど…、ちょっぴり甘ったれで、人に厳しくされる事に馴れて
ないの。もしも、先生達があの子に甘い顔をして近付いていけば…、私達がどんなに、あの子
を助けようとしても、きっと、あの方々の方になびいていくと思うの」
   深雪は幼い頃から、舞を妹の様に可愛がっていた。だから、彼女の家庭の事情、性質、全
てを把握していた。舞の母は元バレエダンサーで、バレエに関する事では、舞には厳格だっ     
だ。しかし、それ以外の点では、かなり無頓着というか、バレエに対する厳しさの反動からか、    
非常に甘やかされて育った。その為、ひたむきで辛抱強い所と、甘ったれて我が儘な所が同居した
性格の少女に育った。深雪自身も舞の、普段の聞き分けの良さからは考えららない位、
時折見せる駄々っ子ぶりに手を焼いた事も、一度や二度ではなかった。
   深雪はあずさに縋るような目つきで見つめ、そして、言った。
「お願い! あずちゃん。手を貸して!」
   あずさは無言で頷き、微笑んだ。
深雪はあずさと別れた後、真っ直ぐに美術部の部室に向かった。だが、そこで真っ先に目に
したのは、驚愕の光景だった。
「深雪お姉さん!」
「ま、舞ちゃん !?  何で、ここに… !? 」
   部室の中央、モデル台の上に置かれた椅子に座っていたのは、ピンクのレオタード姿の舞
だった。その周囲を数基のイーゼルに向かい合った美術部員が囲って、デッサンをしていた。
   無論、その中に睦月もいた。
「私が無理言って、モデルになってもらったの」
   挨拶代わりに、睦月が深雪に言った。
「バレエ専科に、フランス帰りの子がいて、しかも、姉のクラスの子な上、あんた達姉妹の幼な
じみだって言うから、どんな子か、覗いてみたの。思ったよりも可愛いんでモデルを頼んじゃっ
たのよ。前からバレリーナの絵、描いてみたかったのよね」
   睦月はイーゼルに立て掛けたスケッチブックに、鉛筆を走らす。
   何人かの部員が口を開いた。
「ホント、スタイルいい子よね」
「そうよね。背ぇちっこいのが、玉にきずだけど」
「ねぇ、立山ちゃん。お主、この子と仲いいんだって?」
   部員の一人の問いに、深雪は我に返った。
「え? え、ええ…」
   戸惑い気味に頷くだけの深雪の心中を知ってか知らずか、舞は無邪気に部員達の輪に溶     
け込んでいった。モデルをしていた為、舞は動けなかったが、美術部員達との会話を楽しんだ。
部員達も、コンテや鉛筆を動かしながらも、この可愛いモデルとの会話を楽しんでいた。
   ただ一人を除いては。
   深雪は奥でつなぎに着替えると、舞にも、デッサンをしている仲間にも見向きもせず、部室を    
後にしようとした。
「あれ? お姉さんは、デッサンしないの?」
   その舞の一言に深雪は足を止めた。そして、舞に対し、やや、意地悪げに言った。
「舞ちゃん。あのねぇ…。 あなたは、こんな事するために、ここに戻って来たんじゃないんで
しょ。フランスのバレエ学校よりも、素人目にもレベルが落ちる、うちの学校を修行の場に選ん    
だのだから、人一倍、努力しなくちゃいけない筈でしょ。だったら、こんな所で絵のモデルなん
かやってる暇なんか無い筈よ」
   深雪の、その一言で、その場の空気は、一気に白けた。
「お姉さん…」
 深雪は軍手とタオル、ゴーグルと防塵マスクを手にし、部室を後にした。
 残された部員達は愚痴をこぼし始め、舞も泣きべそをかき始めた。
「なぁに? あれ、酷くない !?」
「そうよ。舞ちゃんが可哀想だわ」
 皆、口々に深雪の文句を言い、涙を拭く舞を慰めた。そんな中、睦月だけが、残念そうな表
情を浮かべながらも、深雪を庇う様な事を言い始めた。
「舞ちゃんには可哀想だけど、深雪の言い分が正論だわ。確かに、舞ちゃんはバレエの修行     
中の身で、絵のモデルに現を抜かしてる余裕無いはずだわ。ましてや、こっちに戻って来て、
日も浅いし、学校の勉強とか、色々と大忙しだったはずよね。そんな舞ちゃんに、モデルを無
理強いしたのが間違いだったのよ。深雪は舞ちゃんの為に、敢えてきつい事言ってくれたの
よ。判った?舞ちゃん」
 舞は泣きべそをかきながら頷いた。
 部室を後にした深雪は、校庭の一角にあるプレハブ倉庫にいた。そこは美術部の作業場に
なっていて、学園から依頼されたオブジェの制作中だった。美術部員が交代でオブジェとなる
彫刻を制作していたのだが、深雪は積極的に制作に当たった。
 軽い駆動音と甲高い金属音を立てて、グラインダーが大きな岩を削っていく。周囲はその粉    
塵で埃っぽく、とてもマスクやゴーグル無しではいられない。
「どう? 捗ってる?」
 そこへ、つなぎ姿の睦月が現れた。彼女は長い髪をひっつめにし、頭にタオルを被り、ゴー
グルと防塵マスクを手にしていた。そして、彫刻の作業を手伝い始めた。
 グラインダーを止め、マスクとゴーグルを外した睦月は、ブラシで粉塵を払い、チョークで次
に削る所のあたりを注意深くつけていく。それをしながら深雪に話しかけた。
「深雪。さっきのあんたの態度だけど、あくまで舞は私が招いた、お客様よ。そのお客様に、あ    
の態度はいただけないわね。あんたの言い分は正論だけど」
 黙って聞き入る深雪の表情は険しかった。やがて、重々しく口を開いた。
「お叱りは覚悟の上です」
 そう言い切る深雪に対し、睦月は悪戯っぽい笑みを浮かべて話かけた。
「良い子じゃないの。私、気に入ったわ」
 意表を突いた睦月の一言に、深雪は面食らった。さらに睦月の言葉は続いた。
「あんたら姉妹やお姉様と違って、私は舞と面識が無いから、どんな子か確かめたかったのよ    
ね。あんたらやあずさとは、違ったタイプの奴隷になりそうね」
 深雪の不安は的中した。小早川姉妹は、舞を諦めてはいなかった。それどころか、舞を次な    
る目標に定めてしまっている。
「ま、舞ちゃんを奴隷になさる、おつもりですか…?」
 チョークであたりを取る手を止めて、睦月は倉庫の隅の冷蔵庫から緑茶のペットボトルを二    
本取り出し、うち、一本を深雪に投げ渡した。それをキャッチする深雪。
「奴隷に出来るか、どうかは、貴方達次第よ。出来ないにしても、お友達位にはなりたいわね」
 不敵な笑みを浮かべながら、そう言う睦月に、何か言いたげな表情の深雪。しかし、深雪は
その言葉を、緑茶と共に飲み込んだ。
 この人達に関わって、お友達で済むのか。
 口にこそ出さなかったが、心の中で深雪は睦月に問いかけた。
 数日後。
 今度は霞がプールで、驚愕の光景を目にした。
 葉月が舞をワンツーマンで、水泳の指導をしていたのだった。
「な…、何やってんの! こんな所でぇっ!」
 霞の金切り声に、プールの中の二人は、霞と目を合わせる。
「あ、霞ちゃん…」
「あら、立山さん…」
 霞はプールサイドに寄って行き、舞に向かってがなりたてた。
「舞っ! あんた、なんでこんな所にいるのよっ! バレエのレッスンはどうしたのよっ !?  レッ
スンは !?」
 舞は困惑気味に答えた。
「レッスンって…、せ、正規のレッスンなら、もう終わったわよ。課外レッスンは、先生の都合で
お休みだし…」
 聖マリアンヌ ファレス女学園のバレエ専科は、開設されて間もない上、生徒数も少ない為、
独自でのクラス編成を組んでいなかった。初等部から中、高等部まで含めて、十名に満たない    
生徒達は、それぞれの学年に応じて普通クラスに編入され、週三日、通常の学業に支障の無
い範囲で、午後の五、六時限目をバレエのレッスンに充てられていた。その他に、授業後の他
の生徒達が部活をしている時間帯は、課外レッスンとして、生徒の自主的参加という形で毎日
レッスンを行っていた。その日は、たまたま指導者が不在で、レッスンは中止だったのだ。
「そこでね、私の課外水泳教室に誘ってみたのよ。今日はたまたま希望者がゼロだったし、中
止にするのも、勿体なかったから、声掛けてみた訳」
 葉月が横から口を挟んだ。確かに、葉月は水泳部の顧問なだけあって、科学の教師であり
ながら、水泳の指導に関しては体育の教師も顔負けだった。その指導力を買われ、課外授業
の一環として、月に二、三回程、初等部を対象に水泳教室を開いていた。その日は参加者が
ゼロだったので中止しようかとしていた所に舞を見かけ、誘ったのだった。
「対象は一応、初等部の子だけど、学園側からは私の判断に任されているの。何かしらの支     
障があって?」
 霞は言葉を返せず、口を尖らせるしかなかった。確かに、舞が水泳をやっちゃいけない理由    
はない。あくまで、個人的に舞を葉月から遠ざけたいだけである以上、霞には何の権限は無
かった。半ば勝ち誇った表情で、横目で霞を見ながら、葉月はとんでもない事を言いだした。
「ねえ、諏訪さん。あなた、水泳部に入らない?」
「えっ !? 」
   二人は、同時に驚きの声を上げた。いや、霞のは衝撃と戦慄の声だったのかも知れない。
現に霞の表情は、見る見る青ざめ、強張っていった。
「今、教えて見て、なかなかスジがいいみたいだし、シンクロなんて、どうかしら? きっと、良
い選手になれるわよ」
「シンクロですか…? それも悪くないかも…」
  無邪気な表情で、満更でもなさそうに言う舞に、霞が業を煮やした。そして、
「バカッ !! 」
   プールサイドの霞が怒鳴りつけた。水の中の二人は、面食らった表情で、霞を見つめた。     
「霞ちゃん…」
   困惑気味の舞に、霞は畳み掛けるかの様に怒鳴り散らした。
「そんな事、あんたのママが許すと思って !?!?  大体、聖マリアンヌの水泳部なんかに入ったら
夏場の合宿なんか、大変よ。海で遠泳やらされるし。それに、シンクロやってる人の体つき!
どこの世界に、ガングロでマッチョなプリマ・ドンナがいるってのよ !!!! 」
   いきり立つ霞に、困惑する舞。葉月は、そんな二人を冷ややかに見つめるだけだった。
「と、兎に角、ここはあんたの来る所じゃないの!」
   霞は水の中に入り、舞の手を取ってプールから引き上げた。そして、舞のバスタオルを舞に
投げつけて叫んだ。
「こっから、出ていきなっ!」
   何で霞が、ここまで怒っているのか理解出来ない舞は、困惑顔で霞を見つめた。だが、霞の
形相は、今まで見せたことの無い位恐ろしかった。
「か…、霞ちゃん…」
「出てけぇぇぇぇぇぇっ !!!! 」
   霞の怒鳴り声が館内全体に響いた。舞はわぁっと泣き出し、走って出ていった。霞は仁王立
ちのまま、舞を見送った。葉月は少し、驚いていた。まさか、自分の奴隷がここまでやるとは、
思っていなかったからだ。そして、おもむろに口を開いた。
「よくも、私の水泳教室、台無しにしてくれたわね…」
「罰は受けます…」
   霞は舞が出ていった方を睨みながら答えた。葉月はプールから上がり、バスタオルを取りに
行きながら答えた。
「あなたへの罰は、あの子が私の奴隷になる事…。それが一番、応えそうね」
   霞から怒りの形相が、突然消えた。葉月の方に振り返り、縋る様に哀願した。
「そ、それだけは…!」
   葉月は霞に見向きもせず、キャップを取り、纏めていた髪を解き、タオルで頭を拭いながら、
霞に言った。
「あなた、この間、私に啖呵を切ったのよ。"舞を守る"って。何日もしない内に、今度は泣きを
入れるの?」
   霞は言葉を失った。葉月はさらに言葉を続けた。
「守れる自信があるのなら、トコトンまでやって御覧なさい。もし、守りきれたら、御褒美に、あな    
たを舞の分まで、たっぷりと可愛がって上げるわ」
   霞は強張った表情で、葉月に問うた。
「もし、舞を守れなかったら…?」
「その時は…」
   タオルで躰を拭き終えた葉月は濡れた髪を指で梳いた。その時、前髪の隙間から覗いた、
冷たく光った瞳が、霞の目と合った。
「奴隷が一匹、増えるだけよ…」
   霞は、ごくりと生唾を飲んだ。
   寮の一室。
   夕暮れ時、薄暗くなりかけた部屋の中、舞はベットの上に蹲る様に座り込み、一人寂しく噎
び泣きしていた。顔を腿に沈め、いつもはシニヨンを結ってる長い黒髪を垂らしていた。
   ドアのノックと共に、あずさの声がした。
「入るで、舞ちゃん。居てるんやろ」
   ドアを開け、照明のスイッチを入れるあずさ。中に入ってくる。
「電気も点けんと…。どや、クレクレタコ屋のたこ焼き食べへん?」
   あずさが、たこ焼きの入った手下げ袋を舞に差し出した。舞は顔を上げ、あずさの顔を見上    
げた。屈託のない笑顔のあずさが、そこにいた。
   小さなテーブルの上に置かれたたこ焼きを、あずさと舞は頬張った。出来立てだったが、持    
ち帰りだったので、残念ながら、ここに来るまでの間に冷めてしまっていた。しかし、それでも
充分にあったかかったし、とても美味しかった。いつの間にか、舞は笑顔を取り戻していた。
   そして、いつしか舞はあずさに、ここ数日の深雪と霞の事を打ち明け始めた。あずさは、そ
れに黙って、耳を傾けた。
(やりすぎやねん…。深雪ちゃんも、霞ちゃんも…)
   大体の事情を知っているあずさは、腹の中で、そう思いながらも、口には出さなかった。そし
て、言葉を選びながら、舞に語りかけた。
「深雪ちゃん達はな、いくら、舞ちゃんが仲良しだからって、狎れ狎れしゅうしたら、あかん、言
うてんねん。葉月や睦月は、あくまで、舞ちゃんには、ただの先生と先輩であって、深雪ちゃん
らの様に、クラブ活動とかで、親密になっとる訳やない。もの事のけじめをつけなぁ、あかん」
   再び舞の笑顔が消え、表情が曇った。解ってはいる。解ってはいるのだが、それにしても何
故、あそこまで深雪達に言われなくちゃいけないのか。蟠りが残っていた。
「うちなぁ、深雪ちゃん達の気持ちも解るし、舞ちゃんの気持ちも解るでぇ。神戸の震災の後、
  似たような経験しとるさかい…」
   あずさが身の上話をし始めた。

   あずさが関西大震災に被災したのは、小学一年の冬だった。彼女は自宅で、約三日間、崩    
れた木材の下敷きになっていた。幸い、奇跡的に無事に救助された。
   だが、あずさの本当の悲劇は、その後だった。あずさの小学校は完全に倒壊していたばか
りでなく、当日、全校生徒を集めての宿泊学習会に参加するため、早朝の学校に集合してい
た生徒達が犠牲になった。都心部の、生徒数が五十人位しかいない、小さな小学校だった
が、風邪と家庭の事情で欠席していた生徒二名と、参加しなかった教職員数名を残し、全員
が死亡した。残ったのは、あずさと、卒業を目前にしていた六年の少女一人だった。
   学校も先生も同級生達も、全てを失ったあずさは、その生き残った少女にべったりと甘えて    
いた。しかし、その少女は、あずさに甘えを許さなかった。他の学校に二人で編入された後も、
震災のショックと不安からか、その学校での友達を作ろうとしないあずさを徹底的に突き放し     
た。春になり、二人とも進級した後も、あずさは、中学まで後をついていった位だった。
「あずさっ! いつまで、うちに甘ったれてんねん! いつまでも、うちとは一緒じゃいられへん
の、解っとうか !? 」
   尚も甘えるあずさを、少女は叱りつけ、突き放した。

   舞は無言で聞き入っていた。
「でな、うちがバレー始めるきっかけになったんはな、その姉さんのおかげなんや」
「そのお姉さんも、バレーを…?」
「いや、そのお姉さんはフェンサーや。つまり、フェンシングやっとうてな。かっこえかったでぇ。
うちも、お姉さんみたいになりたかったんやけど、一緒の世界に入るの、許さへんねん。その
時なぁ、"あんたみたいな、甘ったれは、バスケでも、ソフトでも、団体競技で、仲間作る事、
覚えんかい"って言うさかい、バレーにしたんや」
「そうだったんですか…」
   これは、深雪ですら、した事のない話だった。それを敢えて、舞にした理由は、かつての自     
分を重ね合わせていたからだろう。
「せやから、うちな、舞ちゃんの気持ちわかるねんけど、深雪ちゃん達の気持ちもわかるねん。
舞ちゃんにとって、掛け替えのないバレエよりも、自分らのケツにくっついてる事の方がええと
思うのが許せへんのとちゃうやろか」
   舞は押し黙ってしまった。暫くしてから、ゆっくりと口を開いた。
「あずさお姉さんも、フランスでバレエの勉強、続けていた方がよかったと思う?」
「当然や。やっぱ、常に上へ、上へと行かんと…」
   あずさの言葉を遮る様に、舞が口を開いた。
「わ、私ね。ここまでバレエを続けて来れたの…、霞ちゃんのおかげなの。霞ちゃんがいたか
らバレエを続けられたの」
「どういうことやねん…?」
「私のママ、昔、バレリーナだったの。プロのダンサーとして、これからって時に、膝を悪くしちゃ
って…。続けようと思えば、続けられたんだけれど、これ以上、悪化したら、バレエどころか、
普通の生活も出来なくなるって、お医者様にも言われて、パパにも辞める様に言われて、辞め    
ちゃったの…。ただ、バレエの指導位だったら続けられたから、バレエ教室の先生の助手をや
ってたの。私が三歳の時、無理矢理、習わせ始めたの…」
 今度はあずさが、舞の身の上話に、黙って聞き入っていた。
「ホントは、私から好きで始めたバレエじゃなかったけど、ママが厳しかったから…。普段は優
しくて、私に甘いママだけど、バレエだけは、情け容赦しなかった…。レッスンを休むとか、バレ
エを辞めたいなんて、言おうものなら、靴篦で、お尻を嫌って程、叩かれたり、クローゼットの中
に半日も、入れられたり…。こんな事が三歳の頃から、しょっちゅうだったの」
 あずさは、お茶を口に含みながら、舞を見つめた。
「レッスンともなると、そりゃ、毎回、毎回、ビンタばかり喰らってたわ。私は私でピーピー泣いて
ばかりで…」
「よく、続いとうなぁ。そんなんで…」
「あの日、霞ちゃんの一言が無かったら、五歳で辞めてたわ。きっと」
「霞ちゃんの?」
 一瞬、舞の頬が赤らんだ。
「ええ。五歳の時の発表会で、霞ちゃん達が見に来てくれててね。振り付け間違えて、失敗し
て、ママに酷く叱られて、楽屋で泣いてた時、霞ちゃんが慰めてくれたの。"バレエの事、知らな
いから、上手に出来たか、どうかは判んないけど…、舞ちゃん、とっても綺麗だったよ。可愛か
ったよ"って…」
「………」
「私の事、誉めてくれたの、霞ちゃんが初めてだったの。それが、今でも励みになってるの。だ
から、霞ちゃんの側に少しでも居たいの。きっと、あれが初恋だったんだわ」
 舞の身の上話に、あずさは、彼女の霞に対する純粋な、そして一途な想いを理解した。それ
が同性愛という、異形の愛情であっても、舞の霞に対する想いは他の誰よりも強烈であった。
その事をあずさは非難する気はなかったし、他の誰も、非難する資格はなかった。
 だが、あずさには、霞と舞の友情談に感動している余裕などなかった。それどころか、何や     
ら言い知れない恐怖と戦慄に苛まれた。
「どうしたの? 顔が真っ青よ」
「え? い、いや…、何でもあらへん。バレーの練習、ハードやったさかい、疲れとうだけや…」
 その場を上手く誤魔化したあずさは、自分達が舞を守る手だてを失いつつある事を悟った。
(あかん…。この子、これやったら、自分からフランスには、絶対に帰るなんて言い出さへん。
うちらが、あれこれやっても、霞ちゃんから離れようとは、せぇへん。深雪ちゃん達が、追い出     
そうとしても、無駄や…)
 数日後。
 聖マリアンヌファレス女学園から、車で20分程の距離に、小早川家の別邸があった。本邸
は郊外にあるのだが、葉月と睦月の通勤と通学の為、マンションとは別に中古住宅を購入して
いたのだった。本邸には、葉月達の家族がいるので、あまり大っぴらに深雪達を責める訳には
いかなかった為、もっぱら、ここで彼女達の淫靡な宴が行われていた。本邸に比べると、圧倒
的に規模が小さかったが、それでも、一般的な住宅に比べると、お城と掘っ建て小屋位の差は
あった。
 その敷地内の離れに、井上美麗はいた。彼女は改装工事を終えた、この離れを掃除してい
た。中は、すでに、ベットや机、その他の家具が揃えられていた。丁度、中学生位の女の子の
部屋らしく、他に、十畳程のフロアも備えられ、そこには、バレエのレッスンに使うバーや鏡が     
付けられていた。
 母屋の台所に戻った美麗は、洗い物をしていたが、そこへ松下美希が現れた。
「美麗ちゃん。コーヒー一杯もらえる?」
「あら、松下さん。いらしてたんですか。今、そちらに…」
「いや、ここでいいわ」
 美希は、台所のテーブルの席に座った。美希はため息をついていた。
「どうかなさいましたか?」
 美希にコーヒーを出した美麗が、彼女に問いかけた。
「どうもこうも…、葉月様も、ムチャクチャな注文をなさる…。今日、聖マリアンヌファレスに呼ば
れて、ある女の子の採寸をさせられたんだけど、一週間でこれだけの物、作れって…」
 美希はコーヒーを啜りながら、手帳を見せた。その手帳には、とある少女の全身の寸法が
事細かく書かれていた上に、沢山のボンテージ・アイテムの注文が書かれていた。
「こんなに作られるんですか。今ある物じゃ…」
「サイズが小さいから、全部、オーダー・メードよ。でも、ボンテージについては、別に、三日も
あれば、それ位、楽勝よ」
「じゃあ、何で…」
「葉月様…、バレエのチュチュを作れって…」
 美麗は、目を丸くした。
「バレエのチュチュ?」
「そうよ、今日は表向きは、その子のチュチュ作る為の採寸名目なのよ。怪しまれない為にも、
本当に作れですって。作った事なんか無いのに〜」
「そう言えば…、今、掃除していた離れも、バレエ出来る様に改装されてましたっけ」
「はぁっ?」
 二人は訝しんだ。






 


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