そして、社会人。
福山市の南部、川口に勤務していた頃、行き帰りに目にしたのがくわい畑でした。冬になると掃除機のようなものをもったおじさんやおばさんがクワイ畑にはいって働いておられます。畑と言ってもまるでそこはプール。氷が張ってあるんじゃないかとおもえるような寒い日でも水田の泥に埋まって土を掘り返し収穫しています。よくみると掃除機の先のようなところから水を吹きだして、その水圧で土を掘り起こしクワイを収穫しやすくしているみたいです。「が〜が〜」というすごい音が響き渡っていました。くわいは15センチくらいの泥の下に埋まっています。水の中から顔をだしたくわいは鮮やかなブルー。畑のサファイヤといわれることもあるそうできれいだなあ〜と思いました。


おせち料理の一品として有名なクワイ。中国原産の野菜で奈良時代に伝来したとされ、「万葉集」にも登場しており歴史の古い野菜です。漢字で「慈姑」と書きますがこれは水中で匍匐(ほふく)枝というつる状にはう茎の先に塊茎(かいけい)をつける様子が母が子に乳を与えるように見えることからきています。
 日本のクワイは青みを帯びた色で青クワイと呼ばれ、中国のクワイは白クワイと呼ばれています。野菜のなかではリンを多く含んでいるのが特徴でカリウムやビタミン群も比較的多く含んでいます。
福山とくわいのつながりは江戸時代にさかのぼります。徳川幕府から西国鎮護の命を受け入府した福山譜代初代藩主水野勝成は、当地に自生していたくわいの白い花に目をとめ、その清楚で美しい姿に心をうばわれ家紋にしたという話が伝えられています。くわい栽培の歴史は定かではありませんが、昭和初期、いぐさの後作として栽培された頃をはじまりとし、本格的な栽培は、戦後、食物供給が安定した昭和26年頃からのようです。その後40年代に入り、米の過剰対策で生産調整が実施された頃から転作作物として注目されるようになり、作付け面積も増加。また、農協による共同出荷体制が確立、生産と販売の統一的な体制が整備されると同時に栽培技術も確立されました。長い間埼玉県が1位だったのですが、Jリーグ、浦和レッズの大きなサッカー場がくわい畑の真ん中に出来たので生産量が少なくなり、福山の作付け面積の方が広くなり日本一となりました。
 くわいは、瀬戸内海の温暖な気候と芦田川の豊かな水に育まれ、鮮やか青 藍色で肉質がしまり、おせち料理やお祝い料理には欠かせないものとなっています。また、甘煮、空揚げ等料理法は様々で甘みとほろ苦さを兼ね揃えた素晴らしい食味をしています。ぜひ食べてみてください。くわいチップス最高!!!

くわいとは不思議とつながりがあります。
まず、小学生の頃。
正月といえばおせち料理。我が家では母は30日頃からおせち料理づくりに精を出します。見栄えといい味といい最高のおせち料理でした。でも、その料理の中でどうしてもうけつけることができなかったもの。それがくわいでした。どうしてこんなものがでるのか。なぜ大人はおいしそうに食べるのかふしぎでしかたありませんでした。

次に大学生の頃。
夏休みや冬休みには福山に帰ってくるのですが、学費のたしにときまってアルバイトに精を出していました。ある年の夏「藤亀」という食品工場におせわになりました。そこでつくっていたのがポテトチップス。「これはおすそわけでももらえるかな」と期待したのもつかの間、ボクは第一工程の仕事、大きな釜まで20sのジャガイモを運び、投げ入れるという作業をまかされました。これがきつくてきつくて・・・でも、一時間がんばるごとに400円もらえるんだ〜。その思いのみで何とかがんばりました。ある日、上の方に「今日は俺についてこい。」と言われました。トラックに乗せられつれていかれたのへ工場の冷蔵倉庫。その倉庫から大事そうに出してきたもの、それがくわいでした。「あんなまずいもん、いったいどうするんだ?」そんな疑問もすぐに解決。大粒のくわいは工場に帰るとスライスされクワイチップスに・・・・少しだけおこぼれをいただいてびっくり!!!これがうまいのなんのって!!!くわいっておいしいんだと初めて思いました。この工場ではクワイチップス、レンコンチップスなどの高級食材がかなりヒットしたそうです。
正解 くわい