瀬戸内沿岸は、昔から温暖小雨の気候と遠浅の海岸を利用して塩づくりが盛んでした。ここ福山市西部の松永湾にも大規模な塩田がありました。JR松永駅前から南西方面一帯の平野部においては、1950年代にはまだ揚浜式塩田や流下式(りゅうかしき)かん水製造施設の跡らしきものが、そして、1960年代にも一部塩田が残っていました。福山から出て北上するJR福塩線のターミナル駅「塩町」は、瀬戸内から北に運ばれてきた塩の集積地でした。塩田を効率よく利用した大量生産の時代になると、採れた塩は船で四国地方や山陰地方まで運ばれていきました。その帰り荷として搬入された材木は、松永の地に下駄(げた)℃Y業を生み出しました。福山市松永地区のげたは年産約100万足で、全国シェアの約6割を占めています。最盛期の1955(昭和30)年の年産5600万足と比べると、2%にも満たないのですが、今も日本一のげた産地であることにはかわりありません。
 松永のげたの祖は、現在の履物総合メーカー「マルヤマ」(福山市松永町4丁目、丸山瑞樹社長)の前身、「丸山木材興業製作所」を創業した茂助氏。明治11年、当時、塩田のまちとして栄えた同地区で、塩の濃縮に使っていた薪の中に、大きな材木が含まれているのを発見し、製造を始めたと伝えられます。
 松永の下駄は、桐以外の雑木を使用し全国にさきがけ、機械化により大量生産方式を取り入れました。大衆的実用下駄としての製造技術を誇り、桐下駄におとらない製品です。
 松永町に開館した「日本はきもの博物館」は日本唯一のげたの博物館です。同館は現在、世界の履物約3500点を収蔵、げたの歴史も伝えています。
 94年秋からは、「ゲタリンピック」というスポーツ競技 ?も行われ、重さが750kgもある巨大ゲタが登場。町おこしに一役かっています。
 たまにはげたでも履いて散歩に出てみますか・・・・
 

正解は げた