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「ハンガリー。」
「はい?」
呼び止められて、振り返る。
「ちょっと買い物につきあっていただきたいんですが、いいですか?」
「あ、はい。ちょっと待ってくださいね。準備してきますから。」
笑って言って、部屋へと走り出して、彼が視界から消えたところでちょっと、立ち止まってみる。

………。普通だ。本当に、今まで通り。何も変わってない。
数日前に抱きしめられて、縁談は断りますって、言ってくれて、それから。
何事もなかったように普通の態度をとられてしまう。
…なんで?私は、もう心臓ばくばくでただごとじゃないくらいなのに。
いや、変わってほしいわけじゃない、いや変わって欲しいんだけど、悪い方には変わってほしくなくて。
できれば、いい方に変わってほしくて。…けどそれは高望みすぎるから、普通に、いままでどおり、でいいんだけど別に。うん。

でも。
「……オーストリアさん、私のことどう思ってるのかな、結局……。」
それを思うと夜も眠れないわけで。
ふかあくため息をついて、とりあえず準備準備、とまた走り出した。


「それで、何を買うんですか?」
「…ええと。…女性に贈って喜ばれるプレゼント、を。」
ぴしり。と、停止。……女性?って、誰?
「……え、えと、誕生日、とかですか?」
「いえあの。その、…好きな女性がいて。」

好きな女性。
その一言だけで、心臓が止まってしまったような気が、した。
好きな人が、いる?オーストリアさん、に?

「彼女に告白しようと思うのですが…何か、プレゼントも一緒に贈った方がいいかと思いまして。」
何か口実がないと、話を切り出せそうにもないので。
照れたように笑う彼に、そうですか、となんとか返すけど、笑顔を浮かべることが、できない。
好きな人。…それは、誰?私の知らない人、だと思う。

それはつまり。
彼が私のそばを離れてしまうって、こと?

「何を贈ればいいのか、あなたの意見が聞きたくて。」
ハンガリー。どう思いますか?
そう聞かれて、え、あ、と口を動かすけれど、何を言っていいのかわからない。
だって、そんな。ひどい。
他の誰かに贈るプレゼントを、私に選ばせるんですか?あなたは…。

「…、どんな、人、なんですか?」
「そうですね…。明るくて元気で、けれどしっかりしていて。…とても素敵な女性です。」
へえ。と遠くで自分の声がする。
…そうだよね、私なんかよりずっと素敵な人、たくさんいるもの。
オーストリアさんなら、きっと。そんな人の方が、いい。

「例えば、貴女がもらうなら何がいいですか?」
冷水を浴びせられたような気分。例えば、ってことは。私じゃないんだ。今すぐ走って逃げだしたい!
けれど、私ですか?そうだなあと、努めて明るい声を出してみせて。

「…何でもいいです。」
「そうですか?」
「あなたからもらえるものなら、何でもうれしいですもん。…オーストリアさんが好きだから。」
「え?」

驚いた表情の彼の前から、逃げるように走り出す。
だって、もう耐えられない!
他の人の話なんて、絶対、してほしくなかったのに!!
あふれてくる涙を拭うことさえ忘れて、とにかく走って、逃げた。
彼の近くにいるだけで、胸が張り裂けそうだった。


「…。」
街のはずれの方で、やっと立ち止まる。
はあ、と荒い息をついて、空を見上げる。
潤んだ視界に映る空は、青空のはずなのに灰色に、見えた。
…嫌だな。
「失恋、かあ…。」
呟いて、そばにあったベンチに腰を下ろした。

ちりん。何かが落ちる、音。
見れば、そこに落ちているのは。
「…鍵…。」
まだ未完成の、鍵、だ。
そっと拾い上げると、ぽた、と涙が落ちた。
帰りたい。向こうに。そう切実に、願った。何が変わるわけじゃないけれど。
ここには、オーストリアさんのそば、以外に私の居場所なんて、ない…!!

「…っ!!」
ぽたり、と頬を流れた涙が、手の甲に落ちた。
そのとき。
「ハンガリー!」
はっとした。呼ぶ声。顔をあげると、ずいぶん走り回ったのか、息の上がった彼の、姿。
でも、視線を合わせることさえできなくて、ぱっと、顔をそらす。
「…っ、何、してるんですか。プレゼント、渡しにいくなら、早く行けばいいのに。」
そう、泣きそうな声で告げると、深呼吸を一度してから、だから渡しに来たんですよ。とそう言われた。

え?と顔を上げるその前に。
ぱちん。髪になにか、つける音。
「…え?」
「ああ、やはり似合いますね。」
視界に入ったのは、髪留め、だ。
…知ってる。これ、だって、ああ。
こちらの世界に来たときに無くして、どれだけ探してもなかった、花飾り!
それに気をとられていたら、す、と手を、取られた。
目の前に膝をつく彼に、え、え、と慌てて。

「ハンガリー。…私と、生涯を共に歩んでもらえませんか?」
あなたを愛しています。

真剣な瞳が、まっすぐに私を、射る。
瞬いたら、ぱたり、と涙が落ちた。
「…そんな、」
「本気です。」
「… だ、だって、例えば、って!」
「え?ああ。そうでも言わないと、あなたの欲しい物を聞き出せないでしょう?」
結局聞き出せなかったですけど。…代わりにいいことを聞きましたが。そう、微笑んで言う彼の姿がまた、にじんできた視界に、消える。
だって、だって、うそ、そんな、ことって。

「私で、いいん、ですか?」
おそるおそる尋ねたら、あなた以外に誰がいますか。と優しい声!
信じて、いいの?彼の言葉を。…信じる、以外に、選択肢、もう、ないんだけど!
ぼろぼろと、涙があふれていく。ひ、と息を吸うと、涙を拭う手。
「ハンガリー。」
答えを聞かせてください。そう、囁かれて。

「…っ!はい、はい!一緒に、いたいです…!」
声を上げて泣き出してしまいそうなのに耐えて、伝える。
だって、だって、本当に、好きなんだ!
う、う…と泣き出してしまったら、そっと名前を呼ばれた。

「キス、してもいいですか。」
「…聞か、ないで、ください…。」
ぐしゃぐしゃの顔で笑うと、すみません。と彼は微笑んだ(よう)で。
ゆっくりと、目を閉じた。


そのとき、きん、と小さな金属がぶつかるような音と。


扉が開く、音がした、気がした。