ハートブレイクと出会って....
・・楽しい走りを出来るだけ長く続けることが私の活力・・ 青木藤男

 ハートブレイクとの出会い....それは確か10数年前、登戸近くの霊園での大和陸友会との合同練習会ではなかっただろうか..?
 当時大和陸友会に所属していた私の印象は、暑さと坂のきつさでほとんどジョッグ状態の私に比べ、猛スピードで走り抜けていくトップグループの激走、勇ましさを見て「強いチームだなー」という驚きと、尊敬と、一種の憧れを抱いたのを覚えています。
 次の出会いは等々力競技場での合同練習会であったと思う。
5000Mのタイムトライアルに参加したのだが、走力の凄さも然ることながら、その運営に関心させられました。それはマネージャーらしき美人?女性の受付けで始まり、レース中のタイム通告と応援、レース後の記録掲示、クラブ対抗マイルリレーと、ちょっとした記録会顔負けといった感じで大和陸友会との差は歴然であった。
 ハートブレイクとの出会いは同時に中川さんとの出会いでもあります。
その強さは、尊敬のなにものでもなかった。中川さんの走りを見た人は誰もが「レベルが違う」、「並みでない」、「ものが違う」といった驚きの言葉を口にしていたものでした。私は少しでもその走りに近づきたく、中川流ストライド走法を真似たり、坂道練習を取入れたり、速く走れるならなんでも試してみる..といった心境でした。青東駅伝に出場出来たのも中川さんの紹介があったからであり大変感謝しています。
 ハートブレイクでの練習会、それは何と言っても真夏の富士山での6,7週末連続練習であり、その盛り上がりは富士登山駅伝競走大会において頂点を迎え、強固なチームワークが完成される。高地練習は心肺機能を高めてくれ、95年秋14分58秒の5000Mベスト記録を引き出してくれた。
 私は走るのがとにかく好きで、よく各地方のマイナーな大会に出場しに出かけます。その数は多い年では20回を記録したことがあり、市内等の大会を合わせると42回も出ていました。ロードとトラック、試合となるとどちらも相手選手との駆け引き・タイムへの挑戦・気象条件との戦いと、競う醍醐味は変わりありません。しかし一つだけ違うのは地形に差であり、トラックでは一周400Mの周回となるわけで、ここにより強い忍耐力・精神力が問われることになります。特に同じ所をぐるぐる周るわけだから同じスピードを維持して行くという忍耐力が大切になってきます。
 私はトラックでの5000M・10000Mを走る時たいした忍耐力も使わず、逆に闘争心をより高める方法として「1000Mを5本・10本インターバルのつもりで走ればいいんだ」と考えるように思考を切り替えています。「5000Mでトラック12周半、10000Mだと25周も周らなければならない」と考えるのに比べ、なんとも解りやすく簡単です。こう考えるようになってからトラックの記録も伸び、楽しく走れるようになりました。
 これは同時に、週一回であってもインターバル練習を最後まで手を抜かず全力を出し切る訓練を積むことがいかに大切かを私に教えてくれました。
 今では毎週水曜日にはほとんど20名以上が集まる人気のクラブチームであり、今以上少しでもチームを盛り上げレベルアップさせるべく、時には縁の下で、時には強化練習をも引っ張るつもりで頑張りたいと考えています。
 歳は老いてもその時々での目標を決めチャレンジも忘れずに、若手とも張り合い、楽しい走りを長く続けることが私の何よりもの活力であります。