「素子と姉とカメのトラウマ」
 
 

 深い森の中を少女は追いかけてくる化物から必死に逃げていた。森を抜けて草むらから飛び出すと、その背後から藪を踏み分け
「み゛ょお゛お゛」
と奇怪な雄叫びをあげながら巨大な亀の化物が姿を現した。亀は巨大な手ビレを振りかざして少女に迫る。
「キャーッ !!」
 巨大亀が少女に襲いかかる寸前、
    ズガァアッ
と、空気が裂ける鋭い音とともに巨亀の首が千切れ飛び、地面もろとも亀の胴体が真っ二つに裂けた。
    ドドォン
と地響きをたてて首のない巨体が崩れ落ちた。
「ひいぃ!」
 飛んできた千切れた首を慌てて飛びのいて避けた少女の目の前には、いつのまにか巨亀を囲むように数人の人影があった。
「あ……!ありがとう姉上、みんな…」
 敬愛する姉の姿を見とめて怯えてこわばっていた少女の顔がほころんだ。
「アカンなぁモトコ…この程度で逃げたら……」
「あ…姉上?」
「ククク……」
 『姉上』と呼ばれて振り向いたその女性の目は恐ろしい妖光を放っていた。先ほどの亀とは比べ物にならないほど。
「…お仕置きやで〜」
「ひっいいいぃ!」
 
 

 京都が日本の中心であった時代、人を襲う魔を祓い京を守護する退魔師が京の四方を守っていた。時代は流れ、現在では京の山奥にただ1つの流派のみが退魔の業を伝えていた。

 この少女こそ今なお陰陽の技を伝える退魔師の一族・神鳴流道場の末娘、青山素子であった。

 温泉と山間ハイキングが名物のとある山村で、森に入ったハイキング客が化け物に襲われるようになった。
 先だって小学校を卒業したばかりの素子は初めての実地訓練としてこの山の化け物の討伐を命じられやってきたのだった。
 しかし森の中で発見したそれは全長2mほどもある大亀だった。何百年も生きて妖怪化した老亀であろうか。
「いたな!バケモノめ! くらえ!神鳴流奥義!斬岩剣 !!」
  ドガガガーン !!!
 気合一閃!素子は亀の化物に会得したばかりの奥義の秘剣を振った。岩をも砕く必殺の剣が亀の胴体を真っ二つにした。
ように見えたのだが、
「う、うそ!」
 必殺の斬岩剣が効いていない!剣威が駆け抜けた地面は深くえぐれているのに、亀の甲羅は表面に細かい傷が付いた程度だった。
「小娘ぇ !!」
 亀は素子を睨みつけた。その目が怒りに赤く染まり妖光を放つとともに戦闘形態へと化身した。キバが伸び、手びれが倍にも大きくなる。
「み゛よぉお゛お゛ !!」
 妖怪亀は1吠えすると、素子に襲いかかった。
 しかも巨体のくせに動きが素早く、あの巨体で体当たりをしてくるのだ。その威力たるや樹木を1撃でへし折り、大岩を砕くほどだ。
 剣も通じず、当たれば大怪我は必至というわけで、素子はひたすら攻撃をよけながら逃げ出した。
 そしてすんでのところで姉の涼音に助けられたというわけだ。訓練としてはまったくの失敗で、お仕置きは免れそうもなかった。
 

「お仕置きやで〜」
「ひっいいいぃ!」
 普段はとてもやさしい姉が『お仕置き』の時は鬼に変る。素子は恐怖に震えながら後ずさった。
 その素子の手が転がっていた妖怪亀の首に触れたとたん、妖怪亀の目が見開かれた。
「ゲッゲッ オノレ…」
 首から先だけの亀は大口を開けながら素子に飛びかかった。
「きゃぁっあ !!」
「しもうた !!」
 素子の姉の顔が惨悔に歪む。明かな油断だった。
  ざしゅっ!
「うげぇええ !!!」
 1条の光が走り、亀はどす黒い血を噴き出しながら真っ二つに裂けて地に落ちた。
「ふう、危ない所でしたね、素子お嬢様」
 素子の眼前に突然生じた人影が声を発した。立ちあがり、妖怪亀の返り血で赤黒く染まった顔が素子の方を向いた。
「あ、あなたは !?」
「……清守はんどすか!……助かりましたえ」
「あなたらしくないミスですね、涼音様」
 清守と呼ばれた男はちらりと涼音に視線を送り辛辣な一言を発した。
「まったく面目もありまへんなぁ。これでは素子を叱れまへん」
「清守さま、危ない所をありがとうございました」
 素子は立ちあがると命の恩人にぺこりとお辞儀をした。
「いえいえ、礼には及びません。これが某の役目ゆえ」
 それを聞き、涼音はなるほどと感心していた。まだまだ未熟な素子に実戦を経験させるにあたり頭首の祖父は素子の身の安全を『影』に守らせていたのだ。それにしても先ほどの動きなど、神速の足を誇るこの男ならではだろう。さすがは・・・・

 ともあれ、ここで素子をお仕置きするわけにもいかなくなった涼音は妖怪亀の返り血を浴びた2人を先に宿に帰らせ、残りの者には妖怪亀の死体の後片付けをするように指示を出した。

 村に戻った2人はとりあえず血を洗い流して身を清めるため、神社に向った。血で汚れた衣類を脱ぎ捨て、フンドシ姿になると清めの水を被って身を清め始めた。
 素子もさらしとフンドシだけの姿で同じように水を被り、血と汚れを洗い流した。
 しかし素子はともかく、まともに血を浴びてしまった清守の白いフンドシは血で赤く染まってしまっていた。
「清守さま、血が落ちませんね…」
「……化物の血だからでしょうか。
 これも後で着物と一緒に焼き棄てねばならないでしょう」
「そうですね」
「さあ、今はここまでにして、早く温泉に行きましょう」
「はい、清守さま」
 2人はその格好のまま神社の階段を降りて温泉へと向った。
 

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