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まったり白馬旅行記

−1日目−

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行き先に迷う
 さて、恒例となっている夏の旅行だが、今回の行き先にはいささか迷った。実は今年、四国と信州という、2つの選択肢があったのだ。
 一昨年は沖縄だった。去年は九州だった。んなら今年は四国…と、段々東に移動するのね…という冗談はさておき、四国に足を踏みいれたのは小学校の時行ったキャンプ以来だし、四国には、まだお会いしていない人も結構居られる。そして、信州はいささかに遠いのだ。それで当初は四国の方が、という考えが強かった。

 しかし問題もあった。四国の集団日程は一泊二日なのだ。折角四国まで行って一泊二日ではあんまりなので、前泊か後泊を別に考えなくては…というのがある。それと、四国の目的のかなりの部分が、讃岐うどんの食い倒れらしい…という事。ところが悲しいかな、こちらの一行はてんで食が細い。ましてこの暑い時期、一食小さなモン食べたら、後はもう何も要らない…というのを引き連れての食い倒れは、いささかに無理がある。
 反面、信州は遠いが、行ってしまえば大人数。子供も多いし、顔見知りも多い。近くに遊べるところもある…との事で、今回は信州に、という事になったのだった。

 行き先は決まった。信州は白馬。場所的には、1998年に長野冬季オリンピックでジャンプ競技が行われたジャンプ台からほど近い、貸し別荘。行く方法は数あれど、そこは電車好きの我が一行の事、列車で行く事にする。名古屋から長野に向かう「特急しなの」を通り、松本からは大糸線でどこどこ登っていく…というのが今回の旅程となった。

呪われた様な…出発まで
 が、そこからが問題だった。何故か今年の夏は、みんなして体調が悪いのだ。7月も中盤くらいから、呪われた様に取っ替えひっ替え医者通いである。出発の一週間前に、そして5日前にまで、39度だのの発熱をするヤツ、吐き下すヤツと居て、徐々に行く気すら削がれていく。他にも何かと懸念があって、精神的にもよろしくない。
 その頃になって、いきなり我が一行の若干一名が、最終日は別方向に別集会があって、そちらに向かうと言い出したのだ。疲れた帰りの道中、荷物持ちが一人減った状態で、寝とぼけたのを起こしつつ帰るのは拷問だぞ…。が、まぁ、周囲の人達の暖かい心遣いで懸念は何とか解消。帰りは近くまで帰る人の車に、なんとか押し込んでもらう事にもなり、どうやら切符も買いに行ける事となった。出発の当日も薬を飲んでいるヤツの為もあり、また、酔い止めやら何やらで、ピルケースも満タン状態で、それでもどうやら無事出発したのである。

快適「しなの」と、低速快速
 「特急しなの」は、山間部のカーブに対応すべく、振り子式車両となっている。この振り子式車両、昔はあまり性能も良くなくて、かえって変な振られかたをして酔う人が続出したという話も良く聞いたけれど、最近の最新型振り子式車両は極めて快適なのだそう。乗ってみるとこれが正解。広めのシート、静かな車内。揺れも少なく、外の風景さえ見なければ、新幹線?と思うような乗り心地である。スピード重視のあまりやたら揺れて、気持ち悪くなった新幹線の500系等に比べたら、その快適さは雲泥の差。

 特に松本に向かう山間部で、振り子式の持ち味は発揮される。当初それには気が付かなかった。が、カーブでふと外を見ると、外の景色がぐーっと傾くのだ。しかし乗っている感覚は平行と変わらない。両の窓に山の迫る細い線路でも、スピードは全然落ちた気がしない。これはなかなかのものである。ただ時々耳がツーンとなるのは、こちらの体調が悪いのか、急激に標高の高い処へ登っていくせいか、それは解らなかった。天気も良し、景色も良し。興奮していたせいか朝の4時過ぎには起きてしまった…と言う若干一名も、外の景色を眺めつつ、眠る気配も無い。思った以上に快適な列車のお影で、松本までの時間は全く気になるものではなかったのである。

 さて、「特急しなの」は長野に向かうが、白馬に向かう我々は松本で大糸線に乗り換えである。待ち時間は約1時間。この時間を利用して、松本駅でお昼ご飯。折角信州に来たことだし、ここはやはりお蕎麦屋さんでしょう。蕎麦は腰があって、しっかりしたお味。やっぱり美味。ざる蕎麦を注文すると蕎麦湯が付いて来る。この蕎麦湯、蕎麦猪口に5杯分くらいはたっぷりあるのだけれど、蕎麦と一緒に持ってくるので、蕎麦を食べ終わった頃には分離しているのだ。まだ熱い蕎麦湯をかき回すのは難しくて、最初の方は上澄みの薄い蕎麦湯を頂くことになる。それにめげず最後まで行くと、これがまた濃厚で、蕎麦湯というより、液体の蕎麦…という風情である。蕎麦食べて蕎麦湯をたっぷり飲んだら、すっかり満腹してしまった。

 蕎麦屋を出て、土産物屋を冷やかす。昨今フクロウが流行なのか、どこの土産物屋でもフクロウのグッズを見掛ける。目に付いたお焼き屋に入る。お焼きというのは中華まんみたいな中に、野沢菜や南瓜餡等が入っていて表面が焼いてある、おかず系のお饅頭である。白馬まではまだ長い。車中の友にと、野沢菜と胡桃味噌のを買う。大糸線発車まで、あと20分程。ちょっと早いが一応ホームに行ってみると、乗る“快速”はもう来ていて、結構混み始めている。ギリギリに来ていたら座れないところだった。

 この“快速”、時刻表を見るとなかなか凄い。一つ目の停車駅一日市場(何て読むのか解らない(汗))まで12分、次は豊科まで5分、次は穂高まで5分、更に次は有明までは3分、止めに次の安曇追分までは実に2分と、走っている時間と止まっている時間のどちらが長い?という状態なのである。
 が、松本を出発した“快速”は、出発30秒後にいきなり止まったのである。どこに? 駅に…。駅名は北松本。北松本ぉ? 時刻表をじっと見直す。載っていない…。単線だし、時間調整の為に止まったのかな? んでも、降りて行く人も居るぞ…。それに大体これは“快速”だろう? “快速”が30秒で止まるんかぃ! と、ぶちぶち言っている間に快速は出発、そして、その1分30秒後に、またも止まるのである。どこに? 駅に…。その駅は島内。再び時刻表を見る。載っていない…。何なんだ、この列車は〜!謎が全然解決されないまま、再び出発した快速は、やっとどこかの駅を2つ程通過して、一つ目の停車駅(のハズだった)一日市場に到着した。ちなみに到着時刻は時刻表通り。どうやら北松本と島内に止まったのは予定の行動だったらしい。
 アルプス連山を望む列車だけあって、車内は軽登山の人達で段々混んでくる。やたら止まる上に、シートがごく普通の横一列なので、お焼きを食す雰囲気でも無く、何がどう“快速”だか、全く解らないままに、快速は終点の信濃大町に到着したのだった。

 信濃大町で再び乗り換え。向かいのホームの普通列車に駆け込む。無事座れて>ほっと一息。この辺りから先は駅間が長くなってくるのだが、山間部故、列車はのっちゃりのっちゃりと登っていく。駅に着く度に向かいの列車とすれ違う為に暫しの待ち時間。途中ヨットの浮かぶ小さな湖など眺めながら、確かに“快速”はこれに比べれば速かった…と、妙な納得をする。
 ちなみにこの列車には料金表がある事。そう、バスの料金表と同じで、乗った所で整理券を取り、降りる時にはその料金表に従って料金を払う。前方の3つほどの車両の一番前しかドアが開かない…というのも、如何にもバスっぽい。車内放送も、「この電車は南小谷行きのワンマンカーです」と言っているし。要するに、無人駅の為のシステムなのだろうけれど、車掌も居ないのなぁ…と、考え込んだりするのだった。
 という訳で、いざ白馬駅に着いた時には、一番前の扉に行かねば…と思っていたのが、流石白馬はそれなりに駅が大きい。この時ばかりは、全ての扉が開いたのだった。

 さて、白馬の駅には懐かしのTさんが向かえに来てくれていた。何年振りだろう? 良く憶えていないなぁ(苦笑)。挨拶もそこそこに一路貸し別荘へ。着いた貸し別荘は、なかなかに広い所だった。

華麗なる、カレーとスコープ
 貸し別荘は2階建で、1階が30畳以上のリビングダイニングにバーカウンター、そして結構本格的な厨房。それに、どちらにも露天の付いた2つのお風呂。この露天、温泉こそ直接は湧いていないけれど、毎朝タンク車が温泉水を積んできて入れてくれているのだ。2階は洋室が2つ、和室が3つ、2階にも洗面所とトイレがある。なかなかの豪華貸し別荘なのだ。
 取り敢えず荷物をその辺に置いて、ひとしきり建物の探険をすると、後はひたすらまったりとする。関東圏からの人達はほとんどが既に到着し、随時食料等の買出しに出かけていると言う。関西圏からの人達は、いささか遅れ気味で、どの組みもまだ到着していない。買い物に行っていない人達と、暫し再会の挨拶を交わし、結局列車の中では食べられなかったお焼きを食べる。

 そうこうしている内に、関西圏他からの人達が三々五々到着する。苦節三年、やっと相見えた人達、懐かしい人達、少し前には会った人達、様々に挨拶を交わす。既にこの別荘も3回目だと言う、勝手知ったる子供たちが、早速バタバタと遊び始める。夕飯の仕度は、買出し部隊が戻ってこないと始められないらしい。いい加減若干所在無げになってきた頃、買出し部隊が戻ってきた。大きな段ボールが、ベランダから次々と運びこまれる。中には大量の肉と野菜。もう時間も夕方である。直ちに夕食の準備が始まった。
 夕食は毎年恒例のMさんカレーらしい。鶏を骨ごと入れてじっくり煮込む、なかなかに辛いカレーなのだそう。しかし、辛いのが駄目な人も居る。子供はじっくり煮込んでいるのを待ちきれないし、甘口でないと食べられない子も居る。ので、カレーは三種類作られる事となった。

 まず、米を砥ぐ。そもそも一升の米など洗ったことが無い。水を替えても替えても白濁している上に、段々腰が痛くなっていく。こんな事ではお惣菜屋のバイトも出来ないだろうなぁ…と思いつつ、何とか電気釜2つ分の米を砥いでお釜をセット。次にひたすらニンニクを剥く。隣では大量の玉ねぎを切っている。反対側ではこれまた大量のじゃが芋の皮を剥いている。どんなカレーができるのか、興味津々である。この貸し別荘の集まりの流儀は、基本的にはプロに料理をさせない…という事である。プロというのは、料理人もそうだが、主婦も指す。が、ボランティアは大歓迎である。今年は今まで参加してくれていた料理自慢の人が来られなかったので、急遽初参加の料理人の人が腕を振るってくれる事となったのだが、それはまだ後の話。恒例MさんカレーのMさんも、ごく普通の会社員だ。

 さて、厨房を出たり入ったりしている間に、すっかりお腹を空かせた子供達のためのカレーが出来上がった。早速よそってやるのだが、ご飯がちょっと固い…。う〜ん… 水に浸ける時間が無かったし、水加減も少し大目でないといけなかったか…。ご飯一つ炊くのも難しいものである。が、そんな事にはメゲず、子供たちはパクついてくれる。見ていると羨ましい。実はこちらもお腹は空いているのだが、Mさんカレーを待って、じっと我慢なのである。が、Mさんカレーにありつけるのは、まだまだ先の事だったのだ。

 子供達がひとしきり食べおわると、子供達にはイベントが待っていた。Hさん主催の万華鏡教室である。ちょっと大人が手伝ってやれば、子供でも何とか形を作ることができるキットなのだが、この万華鏡、いささか変わった形をしている。普通の万華鏡は、円形の筒の中に鏡が入っていて、その筒の底の部分にビーズや小さなガラス玉、スパンコール等がカサカサと入っている。が、Hさんの万華鏡は、四角い筒の先に、横一線、実験に使う様なガラスの試験管が突き刺さっている。その中に、オイルと具(ビーズやガラス玉等)が入っていて、筒の反対側から覗く様になっているのだ。こんな万華鏡は初めて見る。
 万華鏡作りが始まった。万華鏡の中は三枚の細長いガラスが三角形に組み合わさっているのだが、これが正三角形では無いのだ。一辺が短い二等辺三角形。何故これでないといけないのか、万華鏡というのは大概そうなのかは、聞きそびれた。が、結構発見であった。子供達は説明を聞いているようで聞いていない。小学校の先生をしている人が付いていてくれて、聞いていない子を叱っている。流石は子供あしらいに慣れておられる。一番難しいガラスの組合せが出来てしまうと、後は試験管に具を入れるだけだ。皆持ち寄ったビーズを分けっこして適当に入れている。やたらケチケチ入れる子、動かなくなる程ぎっちり入れている子、オイルも一杯の子、ちょっとの子、みんな個性的だ。
 この万華鏡はオイルを使っているために、試験管の向きを変えると、中の具がオイルの浮力でじわーっと移動する。その為反対側からじっと覗いているだけで、次々と美しい模様が移り変わっていくのだ。試験管を手で回しても良し、本体をクルクル回しても良しで、いろいろと楽しめる。出来上がると、片付けもそこそこに、子供達は自慢の万華鏡を見せびらかしに走っていってしまった。お〜い、片付けろよ〜! 手作りなれど相当に本格的な万華鏡は、良いお土産になった事でしょう。

 さて、万華鏡作りが終って食堂に出てみると、もうMさんカレーはとうに出来あがり、皆思いっきり食べた頃だった。まだ残っているぅ? と見ると、しっかり残っている。鶏肉は半分方煮くずれ、骨から肉が完全に外れている。美味しい! しかし、聞きしに優る…という程の辛さではなく、かえってご飯にたっぷりかけて食べられて嬉しい。しっかりお替りして2杯食べ、お腹は一杯である。

 ご飯を食べ終わったばかりだが、既にカウンターバーにはお客が鈴なりである。アルコールでもソフトドリンクでも、頼めば立ち所に出てくるのが魅力である。が、子供達も寝ない寝ない。1時まで起きている!と、豪語するヤツまで居る。DDRで踊り狂う子、走りまわる子、カウンターバーにやって来てはコーラをせがむ子…。年に一回の我が儘し放題…と言った所だろう。本当はお酒が飲んでみたくていろいろ言って来るのだが、その度に大人にいなされる子まで居る。
 そして夜も深けていく。子供達も寝に入って行き、少し羽根が伸びる主婦達も居る。こんな風に手ぶらでお酒が飲める機会なんて、なかなか無いのが主婦の方々なのだ。そして、お茶漬けが出てくる。本職の料理人が腕を振るってくれたお茶漬けだ。三つ葉と白胡麻を、両手を擦り合わせるようにして香り出しし、薄味なのに絶妙な風味のお出しを椀に張ってくれる。香っただけで幸せになるような芳香。お腹は一杯のはずなのに、さらさらのご飯は別腹の様に入っていく。それは至福の一膳だった。


 

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