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![]() 〜少年は影に消えた〜 上野 喫茶店「翡翠」 9/26:夕刻 窓の外では、重く灰色に沈む森を灰色の雨が濡らしていた。
ストリートに降る雨は、いつも冷たい… 温かく包み込むような雨なんて、記憶のどこをひっくり返してもお目にかかれそうになかった。 ため息、ひとつ。 「やっぱり、雨ってキライ…」 そうつぶやきながらも、テイルは頬杖をついて暗く沈んだ上野の街を眺め続けていた。彼女の足元で、相棒である黒猫の“御影”が眠そうにあくびをする。テーブルの上ではすっかり忘れられたロシアン・ティーが、古びた喫茶店の店内に甘い香りを振りまくことで、せめてもの自己主張をしているようだった。ただ、古びているといっても、懐古趣味の街上野らしく床から天井まで天然の木材が使われたこの店は、みかけよりずっと豪華な作りなのかもしれないけれど。 と、床のきしみがゆっくりと近づいてくる。聞き馴れた足音。 「遅いじゃない。あんまり女の子を待たせるもんじゃないわよ」 振り向きもせず、不機嫌にテイルは言うと、やっと窓から目を離した。 「おかげで雨降って憂うつだし、窓の外は眺め悪いし、 あたしのロシアンティー冷めちゃうし…みんなみぃーんな疾風のせいだからね!」 ちなみに、疾風と書いて“はやて"である。その疾風と呼ばれた若い男は一瞬テイルに何か言い返そうとしたが、すんでのところで思いとどまった。むちゃくちゃな論理だが、言っている本人の表情は「あたしが正しいの!」とカケラも疑っている様子がない。 代わりに額に軽く手を当てて首を振ると、疾風はテイルの正面の席に腰を下ろした。 「その様子じゃ、そっちもたいした情報は得られなかったみたいだな」 「そっちもって、じゃあ…」 肩を落として、テイルが言った。 「あいにくな・・・・・・ああ、オレはクリームソーダを頼む」 「好きね、それ」 冷めかけたロシアン・ティーを口にしつつぽつりとつぶやくテイルを見て、疾風は店員に続けた。 「あと、彼女にもう一杯持ってきてやってくれ」 「ふふっ、ありがと。でも、遠慮しとく。2杯も飲んだら太っちゃうから」 気を取り直したのか幾分明るい表情になったテイルに向かって、右手をぴらぴら振りながら疾風は言った。 「気にすんなって。オレは小娘の体形なんかに興味はないから」 次の瞬間、テーブルの上にあったはずのティーカップが疾風の顔面にめり込んでいた。サイバーウェアによって常人をはるかに凌ぐ反応速度を持つはずの彼は、指一本動かすことさえできずに呆然と甘い香りにまみれていた。 「じゃ、打牙と神武を待と」 テイルはそんな疾風を見つめながら、にっこりと微笑んで、言った。テーブルの下では御影が、同意するように短く鳴いた。 「覚醒」から既に40年。混乱と恐慌の時は過ぎ、新たな秩序が生まれつつあった。 魔法の復活。 新たなる「種」の発生。 伝説が現実となったときから、人類は新しい道を歩み始めた。 A.D.2050 TOKYO ネオンサインの陰に精霊たちが舞い、銃声と雑踏とが交錯するこの街も、一応は平穏の中にあった。が、一歩その裏側に足を踏み入れれば、そこは秩序の光の届かない影の街。大企業同士が暗闘を繰り広げ、命の値段が信じられないほど安い、もうひとつのTOKYOの姿があった。 そして、その「影」の中を、自らの力を頼りに駆け抜けていく者たちがいた。企業から普通の市民まで、様々な所から受けた危険な依頼を、銃や魔法、コンピューターなど、各自が得意とするプロの技を駆使して解決していく。そんな彼らのことを、人々はこう呼んだ。 影を駆ける者 シャドウランナーと… ![]() 東新宿 BAR「NETHER SHADOW」 前日 9/25:夜 「息子を…真琴を、捜して欲しいのです」 依頼人の名は、山本等。彼が鞄から小型モニターを出すなり、テイルは打牙と争うようにして画面を覗き込んだ。疾風は興味無さそうにちらりと画面に視線を走らせただけ。 そこには10代半ばくらいの少年が映っていた。栗色の髪の、線の細い少年。テイルには、まだあどけなさの残るその顔が、とても淋しそうに見えた。そして微かに感じた、懐かしさ。 わたしも昔…あんな表情をしていたから…? 巨大な都市の中、独りぼっちでいたころ。誰も側にいてくれない心細さと、冷たく降る雨だけが残る、記憶。 この真琴君には、ちゃんとお父さんがいるのに…何故…? 「ところで、失礼ですがあなたのご職業を伺いたい」 深く響く声でそう依頼人に問い掛けたのは、今回からテイルたちのチームに加わった神武。彼は、元企業の工作員。そして、企業を捨てた男。その過去に何があったのか、テイルは知らない。全てをミラーシェードの奥に封じ、感情の動きすらうかがわせないその様子は、シャーマンであるテイルにとって一種薄気味の悪いものであった。 なんか、全身機械の疾風の方がよっぽど人間っぽいな。 ちらっと神武の横顔に目をやると、テイルは依頼人の話に注意を戻した。 「私はF.A.C.A.という会社に勤めています。職務の内容に関しては…」 「言えない、と。まあいいでしょう」 神武が後を引き取って言った。そして、依頼人に気づかれないようにテイルに合図を送ってくる。微かに肯くテイル。 …言われなくたって、ちょうどこの人に興味がわいてきたとこよ。 軽く息を整え、精神の眼を解き放つ。 見えてくるのは、魔法使いだけが見ることのできるもう一つの世界。アストラル空間。ここでは、生き物の持つ生命力のオーラがそのまま光として感じ取れる。明かり一つない真夜中の森も、アストラルの眼から見ればまばゆい光に満ちた景色となるのである。 テイルの眼から見たバーの中は、明暗様々な光に彩られていた。同じ人間でも、サイバーウェアによって生身を失ってゆけば、光は暗くなる。テイルの右手にいる疾風は、消え入りそうなほど弱い光しか発していない。それは、力を得るために彼が払ってきた代償の大きさを物語っていた。 なんで、ここまでして… こうして見るたびいつも、そう思わずにはいられない。疾風自身は決してこの光景を目にすることはないが、それが良いことなのか、そうではないのか、テイルにはわからなかった。 疾風から視線を移し、今度は依頼人の山本等を見る。 この光…ほとんど、一般人レベルね。 どうやら、彼は強化された機械の塊ではないらしい。会社員であるというのも、多分その通りだろう。テイルはアストラルの目を閉じ、視野を物理空間に戻した。 「誘拐、ということですか?」 「分かりません。三日前の朝、学校へ行く前に見たきりで…」 神武と依頼人との会話が続く。企業上がりの彼は、交渉事にも長けているらしい。テイルは、神武が加わる前の仕事での依頼料の聞き忘れという失態を思い出して苦笑した。この場は神武に任せて大丈夫だろう。それより… モニターの中の少年に注意を戻す。 気になるのだ。 何が、どうしてなのかは分からない。ただ、何かが心に引っかかる。 この子、どこかで… 「ほほう、やけに熱心に見てるな。ってことはこういうのが好みなのか」 打牙がにやにやしながらテイルの方を向いて言った。ひとたび戦闘になれば武神流の秘拳を駆使して活躍する彼だが、情報収集や交渉ごとといった頭を使う仕事は大の苦手。今回も、大あくびを連発しながら暇を持て余していた。 「ち、違うってば!何よいきなり。暇なら大好きな修行でもしてくればいいでしょ!」 何でわたしはこんなに動揺してるんだろう…。自分でも驚きながら、テイルは打牙を睨みつけた。 「いいっていいって、恥ずかしがるなよ」 「違うの!!!」 一瞬、あたりが急に静かになる。見れば、依頼人はもとより近くの席の客までも、驚いてこちらに注目している。 「ご、ごめんなさい…」 テイルは小声で言うと、早くこの時間が過ぎてくれればいいのにと思いながら、うつむいて小さくなっていた。 あんな修行馬鹿に乗せられるなんて、どうかしてる。 そう思いつつ、もう一度そっとモニターに目をやる。 好み、なのかなあ… そんな気もするし、違うような気もする。ただ、一つだけ言えるのは… わたし、どこかで真琴君を見たことがある。…多分、あの時… もしそうなのなら。 自分の記憶の影に、この少年が関わってくるのなら。 …彼から、あの時の真実を聞くことができるかもしれない。何としても探し出さなくては。 テイルは、膝の上の御影を抱き上げると、誰にも聞こえないようにつぶやいた。 「パパ…ママ…」 しばらくして、依頼人が立ち上がった。神武との交渉が終わったらしい。 「では…よろしくお願いします。なるべく早く、保護してください」 「安心してください。ガンバって捜しますから」 目を輝かせて、テイルが言った。 「なんか、邪な気持ちが見えるぜ」 「ふーんだ。依頼人には親切にと思ったの」 「ふっ。その親切さを、少しでもチームに向けてもらいたいものだな」 「なによぉ!疾風ってば超MMCって感じ!」 言い合う疾風とテイルを無視するように、神武がこれからの方針を告げた。 「まずは依頼人山本宅の調査からだ。…上野へ向かうぞ」 新宿 東都高速4号線 9/26:昼過ぎ ![]() 「…分かった。調べてみよう」 電話の向こうの声は、いつもと同じように無機質で、冷たい。 テイルは、この声が嫌いだった。というより、この声に頼らなければいけない、自分自身が。 窓の外を高層ビルが流れていく。神武の愛車ウエストウィンドは、ほとんど振動を感じさせず、滑るように走る。乗り心地は最高。 こんな時でなかったら、どんなにか気が晴れたろう。 膝の上の御影をなでつつそんなことをテイルが考えていると、再び電話に応答があった。 「待たせたな。お前の言っていた山本等という社員は、確かにF.A.C.A.に在籍している。 各種情報を照合してみたが、本人と見て間違いない」 「ありがとうございました」 電話の声に影響されたかのように、テイルの口調も平板で事務的になる。 「今後も、こちらで調べうる情報はできる限り提供しよう。その代わり…」 微かに身を硬くするテイル。何度聞いても、イヤな気持ちがする。 「お前が必要になった時は、こちらの示通り動いてもらう。いいな」 「はい…」 小さく答えた後、テイルは続けた。 「それで、あの…」 「何だ?」 無駄とは思いつつも、聞いておかなくてはならない。 「3年前の、例の事件についてはその後何か…」 「…いや、新しい情報はない。では」 電話が切れ、車内に再び沈黙が訪れた。高速を跨ぐように設置された標識が、そろそろ都心環状線に入ることを告げている。上野まで、あと15分ほど。 「何処へ、かけていた?」 前を向いたまま、神武が声をかけてきた。 びっくりしたテイルは、黙ってまじまじと神武を見つめた。まさか、神武の方から話し掛けてくるとは思っていなかったのだ。 「…別にイヤなら言わなくてもいいが」 口調に心なしか気遣うような感じがあったので、テイルは意外に思いつつも、なんとか落ち着いて話せるようになった。 「神明院の代理人よ」 神明院新化学。 仙台に本拠を構える化学メーカーで、「覚醒」初期から魔法の研究に力を入れていた異色の企業。現在でも、魔法研究にかけてはトップクラスの実力を持つ。また、魔法の素質を持つ子供のスカウトにも力を入れている。 「ほう…神明院に居たことがあるのか」 「うん。…正確には、その系列で東都新化学ってとこ」 いったん言葉を区切ると、テイルは視線を落として小さく付け加える。 「もう、なくなっちゃったけど…」 「訳アリのようだな」 そう言いながらも、神武は変わらぬ調子で車を走らせている。さほど興味を引かれた風には見えない。 「…聞きたい?」 さっと顔を上げて、テイルが言った。 「いや。俺には、人の過去を聞いて喜ぶ趣味はない。」 「なによぉ、聞きたいくせに」 恨めしそうなテイル。 神武は溜息をつくと、諦めたように言った。 「…話したければ、勝手に話せばいい。俺はべつに止めはしない」 テイルはその言葉にこくりとうなずき、軽く咳払いをして話しはじめた。 テイルの一番古い記憶は、7、8歳頃。ストリートで一人暮らしていた時のもの。 それより前のことは、わからない。 その頃の事だって、思い出せるのはただ、冷たく降る雨と、路地裏の暗がり。空腹感。真冬の寒気のように、周り全てからじわりとせまってくる、寂しさ。 それだけ。 あまり思い出したいものじゃない。だから、よく思い出せないんだとテイルは考えている。 でも突然、そんな生活に終わりがきた。 3月のよく晴れた寒い日。 やってきたのは白馬の王子様ではなくて、グレイのウエストウィンドに乗ったスーツ姿の男たち。彼らが言うには、君はすばらしい力を持っている、こんな薄暗い街にはおさらばして、我々と一緒においで、と。 そして続けた。我々は君に、何でも望むものを用意してあげよう。食事も服も、友達も、パパとママだって。 テイルは一も二もなく肯くと、男たちに促されるまま車に乗った。 ここには、何の未練もない。何処かへ連れ出してくれるというのなら、喜んでついていこう。 そう思って。 テイルは、遠ざかっていく街を振り向きもしなかった。 “ここより悪い場所なんて、ありはしない。…けどさ、ここより良い場所だって、そうあるもんじゃないぜ” 以前どこかのストリート・チルドレンが言っていた言葉が、頭に響いた。テイルは頭を振り、必死にその声を追い出そうとしたけれど、声は亡霊のように付きまとい、なかなか離れようとしなかった。 その日から、テイルの生活は大きく変わった。まるで、ストリートで停滞していた時間が一気に動き出したかのように。 「パパとママ」に初めて対面した時、嬉しさより困惑のほうがはるかに強かった。正直、どう接したらいいのかテイルには見当もつかなかったのだ。緊張と戸惑いとで、その時は何を聞かれても下を向いてただ黙っていたような記憶がある。 新しい名前ももらった。 白尾 翠葉 何回も口の中で繰り返してみたけれど、なんだか遠くに住んでいる知らない誰かの名前みたいだった。この名前を呼ばれてすぐに振り向く事が出来る日が来るなんて、到底思えなかった。 でも、一月、半年と時が経つにつれ、それも徐々に変わっていった。優しく、根気良く、実の娘のように扱ってくれる両親に、テイルもようやく心を開く事ができるようになっていった。端から見ればもう本当の親子に見えただろう。それと反比例するように、ストリートにいたときの記憶が少しずつ、テイルの頭から消えていった。 学校に通いはじめたのも、この頃から。両親が勤める東都新化学が出資した、いわば企業の付属校に週4日通っていた。あとの2日は両親の勤める研究所に行き、複雑な図形の映ったモニターをただじっと見たり、聞いた事も無い言葉を暗唱したりする日だった。テイルにはそれに何の意味があるのか良く分からなかったが、母親によると、テイルの力を引き出すためのトレーニングなのだという。 学校で、友達も出来た。一緒に登下校したり、互いの家に遊びに行ったり。いまやテイルはすっかり、「白尾 翠葉」だった。ストリートの景色は、よどんだ水底のようにしか、思い出せなくなっていた。 友達、といえば、研究所でテイルに、一つの出会いが待っていた。 この子、今日からあなたのお友達よ。 そう言われて両手のひらに乗せられたのは、真っ黒な小猫。 首をかしげるようにして、小猫は透き通った蒼い眼でテイルを不思議そうに眺めていた。 とくん、とくん。 その小さな心臓の鼓動が、じかに両手に伝わってくる。 今両手の中にあるのは、友人よりも両親よりも、ことによると自分自身よりもよほど大切なものなのかもしれない…。 何の脈絡も無く、そんな思いが頭に浮かぶ。不思議と、テイルはとても満たされた気持ちになっていた。 …名前は?なんていうの 夢見ごこちで問うテイルに、白衣の研究者は答えた。 御影。そう、私たちは呼んでいるわ。 みかげ…いい名前ね。 小猫を抱きしめるテイルの目が、涙で光っていた。 人が泣くのは、悲しい時だけじゃないんだ。 テイルは初めて、そのことを知った。 それからは、何をするにも、どこに行くにも、テイルと御影は一緒だった。猫と飼い主というよりは、まるで仲の良い姉弟のように。そんな日々が続くにつれ、少しずつ、しかし確実な変化がテイルに訪れていた。 ある日の事。 研究所での“トレーニング”を終え、テイルはいつものように中庭の芝生の上で母親の作ってくれたサンドイッチをほおばっていた。もちろんすぐ脇には御影がいて、同じようにサンドイッチをぱくついている。周りでは、遺伝子操作によって作られた空色の桜草がその涼しげな花を開いていた。 昼時だというのにほとんど通りかかる者もない。静けさと、緩やかに流れる時間がここにはあった。テイルは、研究所の中でこの場所が一番好きだった。 けれども、この日。 静かな時間は、そう長く続かなかった。 突然、御影がびくっと驚いたように頭を上げる。そして、毛を逆立てて、低くうなった。 御影の緊張はすぐに、水面を伝わる波紋のようにテイルに届く。 誰!? すぐ近くに、スーツ姿の男が立っていた。 年は、30の手前だろう。能面を思わせる整った中性的な顔に、長く伸ばした髪。 不気味なくらい、美しい。 圧迫感の源は、間違い無くこの男だ。 そう思いながらも、テイルは瞬き一つせず放心したように男を見上げているだけだった。 と、 男の後ろの空間が微かに揺らぎ、一瞬だけ、紅の光が踊った。 テイルは大きく目を見開き、呪縛がとけたように後ずさる。 ほう、見えるのか… 初めて、男が口を開いた。楽の調べにも似た、心地よい、それでいてどこか一個所だけヒビの入ったような声。 目覚めようとする力か…悪くない… またいずれ、会う事になるだろう。そう言い残して男は中庭を去った。それをじっと見送るテイル。御影は“気に入らない”とでも言いたげに一つ鳴いた後、そっぽを向いていた。 それが、テイルの“最初の”師匠。東都新化学第2研究所副所長 鳥羽 満 との出会いだった。
「それからすぐよ。研究所のカリキュラムが代わって…わたしは鳥羽の専属、って感じで魔法を教わる事になったの…まぁ、その頃はまだ、実際に魔法は使えなかったけどね」
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