12.光の果てに




 ルナのヤクト・ドーガは、大輪の光球を漆黒の宇宙に咲かせ、散った。
 そばに漂うゼータ・ガンダムのコクピットの中で、アルスはただ絶叫することしか、できない。
 「ルナ……ルナ、どうしてよけなかったんだ!どうして、どうして!!」
 『私はいいの……それよりアルス、怪我してない?』
 ルナの声が、確かにアルスに聞こえた。しかし、それが鼓膜を震わせていたのか、意識が直接脳髄を打っていたのか、判らない……
 「ルナ?僕は、大丈夫だよ……」
 『そう……それなら良かった……あなたが無事なら、それでいい』
 その時アルスに見えていたものは、ルナの意志であったと思いたい。少なくともそれは、肉体を失ったと同時に現世でのしがらみを振り切った、純粋な意味でのルナ本人だから……
 「教えてくれないか、ルナ……」
 『なに?』
 「どうして、人は憎しみ合うんだろう?どうして、人は戦うんだろう?」
 アルスの胸に、ルナの肉体の重さが感じられる。アルスは、ゼータ・ガンダムのコクピットにいながら、ルナと抱き合っている自分を、感じていた……
 その感覚は、甘露である。
 『きっと、人は人を愛しいと思うから……愛しい人を、守りたいと思うから……』
 「愛が……憎しみを呼ぶのかい?」
 『違うわ……純粋すぎる思いが、憎しみを産むのよ……でもね、それを怖がって、人を愛することをやめてしまえば、人は消えてしまう……』
 「でも、それじゃあ救われないじゃないか!どうして、どうして!」
 『……でもねアルス……人はそうやって歴史を積み上げてきたの……愛する尊さを知っているから、憎しみ合うの……愛し合える世界をつくるために……』


 アルスの視界に、セピア色の景色が映った。海上に浮かぶ巨大戦艦、カーキ色の軍服、くわえ煙草……悲壮な中に誇り高く、死地へ赴く若者たち……
 『死んで護国の鬼となる、俺はクニを護るんだ!』
 その、学徒兵の決意は悲痛だ。でも、誰がそれを否定できよう?愛する者を、愛する土地を護るとき、その裏返しとして敵を憎む……


 色々な旗が、そしていろいろな光景が、アルスの知覚に触れた。星条旗、ユニオン・ジャック、日章旗……そして複葉機が機銃を乱射しながら空を舞い、戦艦が火に包まれて沈んでいく光景……年老いた母の嘆き、人々の涙、そして屍の山……産まれたばかりの赤ん坊を抱いて微笑む母親、血塗れの我が手を呆然と見つめる少年……


 「……いつか、いつかそんな世界……誰もが誤解なく愛し合える世界が、できるんだろうか?強化人間とかニュータイプとかスペースノイドとかアースノイドとか、そういう区別がなくなって理解し合える……そんな世界が、できるんだろうか?」
 『判らない……でもねアルス、ひとはそこに向かって一歩、踏み出さないといけないのよ……』
 「ルナ……」
 アルスの機体に積まれたサイコミュが過敏に反応しているだけかもしれなかった。彼の意志の要求に、装置がルナの幻影を作り出しているだけかもしれない。それでも、アルスはそこにルナがいると感じていた。信じたかった。
 「でもね……こういう体験はあまりに悲しすぎて……あまりに個人的すぎて、他人に伝える術を持たないのが人間だろ……」
 『それでも、誰かが伝えてくれなくちゃ……悲しみの輪は繰り返すだけ……メビウスの輪から、抜け出さなくちゃ、ね……』
 ルナの背後にアクシズを見て、アルスはそこにいるいくつかの命の明滅を怯えた目で見た。
 「僕に……僕にできるだろうか?」
 『大丈夫よアルス、この痛みを、みんなに伝えて……この暖かさを、この喪失感を、愛することの大切さを……そうすれば、きっと……』
 ルナの慈愛に満ちた微笑みに、アルスは安堵する。その安堵の表情を見て、ルナはそっと体をアルスから離した。
 「ルナ、また会えるよね?」
 『人はね、アルス……思い出として生きていくの……私はいつも、あなたと、一緒よ……』
 ルナの体臭が急速に薄れていくのを感じて、アルスは狼狽する。
 「ルナ?どこに行くんだい、ルナ?」
 『地球を……呼んでるから……アルス……』
 モニターに映るアクシズ後部から暖かい光が溢れ、ルナはその光に吸い込まれるようにして、彼女の持つ気配ごと、ゼータ・ガンダムのコクピットから、そしてアルスの前から、姿を消した。その光が地球を包むのを見て、アルスはこみ上げる涙を抑えることができなかった。
 あの光は、あの暖かさは、人の意志なのだ……アルスはそう断定する。あの中に、間違いなくルナはいる。愛と憎しみの象徴、母なる地球を救うために、ルナはあそこにいる!
 『さよなら、アルス……』
 それは、ルナの最後の言葉であろう。
 アルスは、ひとり残されたという事実を、コクピットの中で感じていた。
 みんな、みんな死んでいった……僕だけが残された……



 アクシズが、発光し始める。ブライトは思わず呻いた。
 「なんだ!?」
 「熱源!アクシズの温度が上がっているだけです!」
 しかし、アクシズから発し始めたその光は、次第にその揺らめきを強めながら、宇宙へ拡散していく……その光を感じて、ナナイは涙を流した。
 「大佐の命が……吸われていきます……」
 その抽象的な言葉は、誰の耳にも届かなかった。モニターに光点が多数、現れたからである。
 「敵の援軍確認!」
 「連邦軍のモビルスーツが、地球の向こうからも!」
 「コンピュータ・グラフィックスの、モデルじゃないのか?」
 「リアル画像です!」
 「数を確認しろ!」
 光に導かれ、人の意志が、アクシズに向かって加速していく……



 「アムロ大尉!?アクシズを、モビルスーツで!?」
 その光からアムロ・レイの意志を感じ取ったハセガワは、ジェガンをアクシズの下部へと潜り込ませようとした。アクシズを支えるνガンダム、そこから濃密な光は発しているのだ。



 「地球連邦軍なんだな?」
 「間違いありません、88艦隊からです」
 ブライトは我が目を疑った。無数のモビルスーツたちが、ただ一心にアクシズを目指して飛んでいく……
 「なぜだ……しかもみんな、アクシズに向かっている……」
 「『ラーカイラムは損傷機の回収に当たられたし』、です」
 ブリッジクルーの報告を聞いても、ブライトには今、目の前で起きている事態が把握できていなかった。
 「しかし、今頃になってどういうことなんだ、こいつら……」
 もう一度、アクシズの光を見て、ブライトには何かが判ったような気がする。
 「ひょっとしたらあの光、チェーンの言っていたサイコ・フレームの光か?」
 ブライトは口にしてみて、恐らくそれが正解だろうと確信していた。いまやアクシズから発し始めているその光は、悲しみを帯びながらもその輝きを増していく……!そして、増援のモビルスーツたちは、アクシズを覆う光が発する一点を目指して、次々と飛んでいく!



 ハセガワたちの機体がアクシズにとりついた時には、既にアクシズは薄い大気の摩擦によって焼け始めていた。ジェガン、ジム3、そしてギラ・ドーガの姿さえ見える。
 「この光は、人の意志だ……人の意志が、力になって……」
 リルルはうわごとのように呟くと、アームレイカーを握るハセガワの手に、自分の手を重ねる。
 次の瞬間、絶叫するアムロ・レイのイメージが二人の体を突き抜け、ジェガンは動力を失ったかのように機能を停止すると、そのまま上空へと放り出されていった……


 「光の幕の向こう、モビルスーツがはね飛ばされています!」
 「もっとよく観測しろ!」
 ブライトはクルーを叱咤し、アクシズを覆う柔らかな、そして密度の高い光に見入った。
 「何が起こっているんだ?」



 「ん?」
 ハセガワは、モニターの端になにか光るものを見つけて、ようやく動力の回復したジェガンの機体を方向転換させた。膝の上でリルルはその挙動に首を傾げる。
 「どうしました?」
 「いや……あそこになにかある……」
 既にメイン・カメラは破損していたので最大望遠にはできなかったが、ハセガワにはそこに誰かがいると確信できた。
 「……アルスか?」
 ハセガワは、重い機体を光点の方角へと向けた。その光は、確かに命の脈動に見えて、アームレイカーを掴む手に思わず力が入った。背後では分断されたアクシズの破片たちを光の渦が包み、その光はさらに地球をも暖かく包んだが……ハセガワはあえて背を向けた。



 アルスには判っていた。アムロ・レイの、シャア・アズナブルの、そして死んでいった数多くの人々の意志がアクシズを地球から遠ざけているのだ、と。
 その意志の濁流の中に、自分も入っていきたかった。それは、死。
 死の影が、人が言うほど恐怖をまとったものではなく、本当は暖かいものなのだとアルスは思う。
 ルナの意志は、その中でもひときわ輝いているように思えた。だが、その意志が、アルスに生きることを強制しているという感覚は、ルナが望むものではない。
 しかし、アルスは深く絶望していた。生かされた自分、取り残された自分という想いが、光の幕に照らされて悲しみだけを取り込んでいくように思えた。だから、アルスは全天周囲モニターのスイッチを切って、シートの上で膝を抱える。


 ぼくはいきている。


 ぼくはしんでいない。


 ぼくはしななかった。


 るなのきたいがおもい。


 ルナの……ルナの期待が重い!



 「勝手に死んで、勝手に期待しないでよ!自分に出来なかったことを、他人に託すのはずるいよ!……だったら、だったらどうして……」


 生きようとしなかったんだ、という言葉をアルスは飲み込み、その言葉の重さの分だけ涙が溢れた。涙はバイザーの内側を漂い、髪や肌に張り付く。


 残留思念とも呼ばれるべき人の意志が、アルスの中を駆け抜け、微かな痛みを植え付けていく。ガンダムのサイコミュはとうにその機能を停止していたはずだが、発散していく光の幕の向こうに見える地球から、確かにアルスの体を貫いて、意志たちが消えていくのだ。

 それは、無という空間に向かって放射され、人々の中に『悲しみ』という名前の教訓を残していく……














 「生きてるか?」
 接触回線の向こうから、疲れ切ったハセガワ中尉の声が聞こえたので、アルスは
 「はい」
 とだけ言った。
 「そうか……ゼータはもう限界みたいだな、ラー・カイラムまで押して行ってやろう」
 ハセガワは、アルスの声に力があったことに安堵していた。それでもこの空域に残る悲しみと慈しみの気配をハセガワは感じ、それ以上は口を開かなかった。
 ゆっくりとフットペダルを踏み込み……ジェガンと満身創痍のガンダムは、ゆっくりとラー・カイラムに向かって移動を始める。その向こうでは、もう弱くなった光の幕が、それでも暖かな光芒で地球とアクシズを取り囲んで輝いていた。








機動戦士ガンダム0093
〜星降る夜のラヴ・ソング〜







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