10.命の重さ





 「アデナウアー・パラヤ閣下以下、メインブリッジの方は全滅で……」
 士官はくやしそうに言った。彼の責任ではない、責任ではないのだが、生き残ったという現実と惨敗という結果、それらの事柄が彼の肩の上に乗っていると錯覚させるのだ。
 「シャアの艦隊は?」
 「ルナツーの核貯蔵庫に潜入したようですが……!」
 クラップの士官は床に泣き伏し、ブライトたちはただそれを黙って見守ることしかできなかった。
 「各コロニーにいる艦隊も、コロニの暴動を恐れて出て来ないし……」
 「これじゃあ、コロニーも地球も、シャアの味方をしているみたいものじゃないですかっ!」
 「アクシズに、ネオ・ジオンの全艦隊が集結した訳じゃない!」
 喚くブリッジクルーをアムロが叱咤するのを聞きながら、ハセガワはそのかつての上司に、そっと近寄った。
 「アムロ大尉……まさかこんな形で再会しようとは思いませんでした」
 「ハセガワ?まさか、ノボル・ハセガワか!」
 「アムロ、知り合いか?」
 ブライトが、弾んだ声を出したアムロに怪訝そうな目を向ける。
 「ブライトは初めてだったっけな……俺の地球にいた頃の部下でノボル・ハセガワ中尉だ」
 「ども、よろしく」
 ハセガワはブライトとがっちり握手をした。
 「私は一時期、ラーディッシュにいたこともあります。その頃から、ブライト艦長のお名前は存じ上げておりました」
 「こそばゆいな」
 ブライトは照れて、鼻の頭を掻いた。
 「ルナツー、大変だったろう」
 「大部分の士官は襲撃なんて予想していませんでしたから……生き残るだけで、精一杯でした」
 「まぁ無事で良かったよ。ヴァルキュリエから外れた後はさすがに俺も手を出せなかったからな」
 「そう簡単には死にませんよ。所で、2、3お願いがあるのですが……」
 ハセガワは姿勢を正す。いかにアムロが昔の上司と言え、頼み事をするのに礼を欠いてはならない。
 「何でも言ってくれ……とは言っても、ここで出来ることは限られているけどね」
 「私と一緒に逃げ延びた中に、ヴァルキュリエの生き残りがいます」
 「強化人間、か」
 「そう思っていただいて結構です。ですが、彼女らのモビルスーツの応急修理を、クラップの連中はやってくれないんです」
 「だろうな」
 ブライトはため息をついた。
 「で、その修理をうちでやってくれ……と言いたいんだろう」
 「さすがアムロ大尉、鋭い」
 「そこまで聞けば、誰にでも判るさ。総攻撃までそんなに時間はないんだが……ブライト、いいよな?」
 「ん?ああ、構わない」
 アムロも一つ、ため息をついた。
 「で?」
 「なんでしょう?」
 ハセガワは突然問いかけられて、動揺する。
 「他の頼みは?」



 「ガンダム・マーク2?またクラシックな機械だな」
 アストナージは感慨深げに、その装甲に手を触れる。
 「マーク2は腕や足の、関節部分のパーツ交換でなんとかできると思います。それと、ゼータの方を……」
 「判ってるよ、あっちの2機をバラしてこっちのゼータを直せばいいんだろ?」
 「大部分は、昔のと大した違いはないはずです。ただ、サイコミュの辺りがちょっと複雑になっていますんで」
 「んん?どっちにしろ、ゼータのファンネルはもう使えないぞ?マーク2のファンネル・ポッドには再充電機能がついているが、ゼータのは使い捨てだ。専用の予備パーツが、うちにはない」
 「それ、困ります!」
 ハセガワとアストナージの話を聞いていたアルスが、割り込んで大声を上げた。
 「困ったって言われてもさ、うちにあるストック、フィン・ファンネルしかないし」
 「それ、使えませんか?」
 「えっ?小型化試験用のプロトタイプだぜ?持続力も攻撃力もほとんどないぞ」
 「それでいいです、それでいいんでつけてください!」
 アストナージは、その少年の勢いに苦笑した。
 「う〜ん……腰の後ろのファンネル・ポッドを外して、そこにフィン・ファンネルのラックをつけておくぞ……変形の時、ビームライフルを固定するスペースがなくなるが、ラックを排除できるようにしておけばその心配もいらんだろう」
 「お、お願いします!」
 ぴょこん、と頭を下げたアルスを見て、アストナージとハセガワは思わず顔を見合わせて笑った。
 「んで、中尉はどれにします?」
 「う〜ん……じゃ、あの91って書いてあるやつと103って書いてあるやつにする」
 肩に91と書かれているジェガンは頭部を失っていた。そして、103とペイントされているジェガンには下半身がなかった。ルナツー防衛の際に破壊され、クラップで運ばれてきたものだ。
 無論、乗っていたパイロットは死亡している。
 「ほんじゃ、修復しておきます」
 「頼んだよ」
 ハセガワはアルスを連れて、モビルスーツ・デッキを後にした。



 「アクシズには、シャアがいるな」
 アムロはそう言って、ハセガワの目を見た。
 「しかし、まさか君に言ったとおりになるとは思っていなかったよ、ハセガワ中尉」
 「でも、アムロ大尉がまたガンダムに乗る決心をしてくれて、嬉しいです」
 「言うなよ……これでも、平和のありがたさはもう十分知っているんだぜ?」
 「ですからいいんです。戦争で、一般市民を犠牲にはできません……そのために我々軍人がいるって、そう言っていたじゃないですか」
 アムロは頭を掻いた。
 「しかし……あの娘は、君のパートナーだろう?」
 「はい」
 「人のことは言えないが……あまり感心できないぞ」
 「チェーンさんは避難させなくていいんですか?実戦にエンジニアはいりませんよ」
 通路を挟んで反対側の娯楽室……今ではノーマルスーツの補修部屋になっているそこで、リルルとチェーンがノーマルスーツを繕っている姿をぼんやりと眺めて、アムロはため息をつく。
 「何て言うか……いつどうなるか判らない状況で、少しでも繋がっていたいという下卑た感情があるのは否定できないな。それを弱さと言われればそれまでかも知れないが……」
 「そんなことありませんよ」
 ハセガワは伸びてきた無精髭を引き抜いた。シャワーを浴びる余裕くらいはあったが、かみそりを忘れていたのだ。
 「そういう衝動が一番強いんですよ。僕だって、彼女にいつまでもパイロットなんかさせていたくはないんですが……」
 「状況がそれを許さない……笑うなよな、俺はシャアと決着をつけたいと心のどこかで望んでいるくせに、それを否定する生き方をしてきた……チェーンも大事だが、シャアと決着をつけるチャンスも大事なんだ。そして、チャンスは向こうがくれた」
 「判ります。これ以上後悔をしたくない、と思っているんでしょう?」
 「やれやれ、君のそういう所はまるで変わっていないんだな。あまり人の心を読まないことだ」
 「僕はエスパーじゃないですよ」
 アムロは立ち上がると、大きく伸びをした。
 「ハセガワ、君はいい奴だから言っておくが……あまり偉いさんの前で鋭いことを言わないようにな。俺みたいに軟禁されたら、シャレにならないぞ。ニュータイプは人間ではないと考える、それが政府高官だ」
 「心得ました」
 こんな会話が、緊張を解くとは二人とも思ってはいなかった。思っていなかっただけ、その効果も増えていたのだが、戦いを控えている状態で、緊張感の量は問題ではなかった。
 ハセガワはアムロと別れてモビルスーツ・デッキへ行き、自分とリルルの分のジェガンが、ほぼ修復されているのを確認した。
 「あっ、従兄さん……」
 「なんだアルス、お前も来てたのか」
 「従兄さんたちがくれたパーツのお陰で、僕のゼータも直りましたし、みんなのマーク2も補給して貰えました!」
 「そりゃ結構」
 ハセガワは窓の向こうでせわしなく働く整備員たちを眺めた。空気はあるものの、整備デッキにはもともと重力を疑似体験できるような装置はない。そのため、パーツや工具、時にはモビルスーツの頭や腕さえも空中を漂っていた。
 艦隊の射程圏内にアクシズが入れば、即攻撃に移る……その時までに、出来うる限りの補給と整備を済ませようという気合いは、ハセガワには好ましく思えた。



 「いちおうガンダムの修理と補給はして貰った。けど、我々に交戦命令は出なかった。ルナツーに戻って復旧に手を貸すもよし、このまま退役するもよし。好きな道を選んでちょうだい」
 少女たちの視線を一身に受けたハセガワは照れて、頭をぼりぼりと掻く。その様子を見ていたシェリーは、微かにため息をついた。
 「私たちには、戦う必要はないのですか?」
 「えっと……シェリーさん?戦ってもいいんだけど、僕やブライト司令の希望としては、退艦してくれることがベストだ。モビルスーツは足りているし、これ以上人が死んでいく必要はない」
 ハセガワは一同の顔をぐるりと見回すと、軽く咳払いをして続けた。
 「……女性は命を産み育てる存在だ。そんな女性たちが、これほどまでに戦いという局面に出てくるこの現実、これはあってはならないことなんだ。そして君たちのような若者は、次代の歴史を築いていく存在だ。大人たちのパワーゲームにつきあって、死ぬ必要は全くない」
 「だけど、私たちの存在理由は……」
 「黙れ!」
 従兄の激昂を、初めて目にしたアルスは呆然とする。
 「例え前時代的と言われようと、差別主義者だと言われようとも構わん!女子供を戦いの場に繰り出すことは、男にとって恥なんだよ!戦いは男の仕事だ、大人の仕事だ!これ以上、無駄に命を消費させることは許さない!」
 「御説はごもっともですわ、ハセガワ中尉。でも、あなたは私の上司ではない。あなたの命令は聞けません」
 「なんだと?」
 シェリー・メンフィスがあからさまに反発してみせるのは、珍しいことだった。滅多なことでは自分の感情を表に出さない彼女が、ハセガワに対して反発する……それは、アルスにとっても、また長く一緒にやってきたレナ・リューベックにとっても初めての光景だった。
 「おっしゃる意味が判らないのです。失礼ですが……あなたに、強化人間として扱われることの苦痛が、強化人間としてこれから先も生きて行かざるを得ない私たちの苦しみが、理解できるとでも言うのですか?生き延びて、その後に待っている未来が閉ざされているとして、それでも戦うなとおっしゃるのですか?強化人間という人種の存在意義を理解なさっていますか?」
 「存在意義だと!?」
 ハセガワはカッとなった。
 「そんなものに縛られているから、君たちには死の影がつきまとっているんだ!強化人間だから危険を冒さなくてはならないなんて法律はない!どうしてそんなに、自分を特別不幸だと思うんだ?どうしてそんなに、自分を追い込む!?」
 「それが、強化人間の存在意義だからではなくて?」
 「言ってもムダよシェリー。その人は、以前うちの艦隊に配属される予定だったニュータイプよ。結局、来なかったけどね」
 会話の成り行きを黙って聞いていたヘレン・アンフォスターは、静かにそう言った。
 「覚えてますか?あなたが初めてイグドラシルに来た時、モビルスーツ・デッキであなたに噛みついた女のこと」
 「ああ、覚えているよ……あの時、君は髪を後ろで束ねていた」
 ハセガワは鼻の頭をポリポリと掻いた。
 「あなたは元エゥーゴのエースパイロットで、アムロ・レイの弟子……ヒダカに行ってから、ちょっと調べさせてもらったわ」
 「ほう」
 ハセガワと、ルシアも一緒に感嘆の声を上げた。
 「それに、ルナツーから逃げ出すクラップに合流したとき、この人はゼータ・ガンダムに乗っていた!あの頭が固いルナツーの守備隊にいてガンダムよ?普通の人じゃないわね」
 「なんだそれ」
 「ていのいい監視役ってこと。だから、あたしたちの厄介払いを頼まれたんでしょ?」
 「その言い方はおかしいですよ!」
 リルルは大声を出した。
 「ハセガワ中尉はただ、皆さんの命を考えて……」
 「この人はね、キャロル中佐の申し出を断ったんだ。分艦隊がいくつか潰れて、組織改編になった時、中佐はこいつをヴァルキュリエに引っ張ろうとした。そしたらこの人、強化人間なんかと一緒にいられないって断ったんだよ。ちょっとでも期待した私がバカだったんだけどさ」
 「……そうなんですか?」
 「いやまぁ、その、大筋ではその通りなんだが、ちょっと誤解が」
 リルルと顔を見合わせて、ハセガワは言いづらそうに頭へ手をやった。ルシアはその様子を見て鼻を鳴らした。
 「なんだ、そういう人だったのですか」
 「違います!ハセガワ中尉は、そんな人じゃありません!」
 「おや?どうして中尉さんの肩を持つんです、アルス?ルナは助けなくていいの?」
 ルシアは行きがかり上意地悪に訊ねる。
 「ハセガワ中尉はみんなの事を考えて、逃げろって言ったんです!それと、僕たちが残るということとは、全然別の問題じゃないですか!?」
 「どうかしらね」
 「ハセガワ中尉は……従兄さんは、ただ、命をこれ以上……」
 「もういい、アルス。俺のしたことは、結局みんなの神経を逆なでするだけだったんだ……意見も聞かずに運命を決められれば、逆らいたくもなる」
 ハセガワの顔から笑いが消えた。
 「だが良く聞いてくれ。我々はあくまでも戦力外なんだ、無理して戦うことはない。さっき、『強化人間としての存在意義』とかなんとか言っていたが……」
 ハセガワは、シェリーに笑顔を向ける。
 「どんなに辛くても死んだらお終いだ。生きてこそ浮かぶ瀬もあれ、軍だけが生きていく道じゃないさ。生きて行かざるを得なくても、死ぬよりよっぽどましだということ、判って欲しいな。強化人間だろうがニュータイプだろうが、戦闘マシーンじゃないんだ。自分の価値を、そんなに簡単に落とす必要はない……それからリルル、君もこの子たちと艦を降りるんだ」
 「中尉……」
 「僕が出撃すれば、それなりには大尉の役に立ってみせる。なにも全員が危険に晒されることはないんだよ」
 リルルに優しく言うと、ハセガワは女性陣の方に向き直った。
 「……戦闘開始の直前に、ランチは射出される。それまでに身支度を整えておいて欲しい……あと60分で戦闘開始だ、10分経ったらまた来る」
 ハセガワはそう言い残すと、オロオロするリルルを残してブリーフィング・ルームを出ていった。残されたメンバーは、一様に沈痛な面もちで中空を睨んでいた。
 「アルス少尉、あなたはどうしたい?」
 まさかシェリー少尉が話しかけてくるとは予想していなかったアルスは、戦闘に備え慣性重力も切っているブリーフィング・ルームで足を滑らせ、空中を無様に泳いだ。
 「僕は……」
 「僕は?」
 抑揚を押さえた声と冷静な瞳に見据えられ、アルスは緊張する。
 「ぼ、僕は……僕は戦う。ルナは生きていたんだ、必ず取り戻す!」
 「そう。そうよね。取り戻さなくては」
 「え?」
 「私も残るわ」
 「そうだよシェリー、あんたの言うとおりだ」
 ルシアが同調する。
 「中尉さんがいくら言ってくれても、やっぱり仲間を見捨てては行けないよ」
 「ねぇアルス少尉」
 経過を黙って聞いていたレナ大尉が、ようやく口を開く。
 「刷り込みがちょっとやそっとじゃ解けないって、判っている?」
 「……はい」
 レナはため息をつく。
 「それでも……それでも、ルナを取り戻したい?」
 「はい」
 「そう……なら、小隊長の私が率先して逃げるわけにはいかないわね……ヘレン、あなたはどうする?それとも私たちと一緒に戦う?それとも逃げる?」
 ヘレン・アンフォスターが、唇を噛んでじっと下を向いているのを見て、リルルは思い切って口を開いた。
 「あ、あのね、ちょっと誤解があるようだから言っておくと……ハセガワ中尉は、強化人間だとかニュータイプだとか、そういう差別感でヴァルキュリエ艦隊への転属を拒否したんじゃないのよ」
 一同、思い思いの体勢で、リルルの声を聞く。その意味するものを、しっかりと知るために……
 「あの人はね、あなたたちが戦う姿を見たくないのよ。自分より若い女の子が戦って、実験材料になる姿を見たくなかったのね。あの人は、連邦軍の偉い人の間ではニュータイプで通ってるでしょ、でもアムロ大尉みたいに有名じゃないし、権限もない。だから、あなたたちを意に反して戦わせざるを得なくなるかも知れない。あの人、階級に対応できない人だから、どんなに下の階級の人とでも普通に接するの。そんな接し方で、あなたたちと親しくなってしまったら、耐えられるものも耐えられなくなるって」
 「要は逃げじゃない」
 ヘレンは冷たくそう言った。
 「力のない自分を嘆いて、それで逃げたってわけだ」
 「ヘレンさん!」
 「その通りよ」
 アルスを制止して、リルルは我慢強く言葉を続ける。
 「だから、その後悔もあるから、今度はあの人があなたたちの盾になろうとしてる。ロンド・ベルがいらないって言うならこれ幸い、あなたたちを戦争から引き離すために、あの人は自分が盾になるつもりです」
 「リルルさん!?」
 アルスは驚愕した。そういう話は、確かにここに来る途中のエレベーターで、ハセガワの口から直接聞いた。だが、その場にいなかったはずのリルルが、ハセガワの胸中を見事に言い当てたのだ。
 「だからって、戦わなくてもいいのよ……ただ、あの人のことを誤解したままではいて欲しくなかった、それだけだから……他の人も、無理して戦う必要はないわ」
 リルルはそう言うと、涙をハンカチでそっと拭いた。アルスはそのリルルの姿を見て、『この人はハセガワ中尉と共にいくつもりだ』と悟った。



 「そうか、君は残るのか……」
 ハセガワは目を細めた。泣いているのだろうか?
 「出来れば逃げて欲しいんだがな……」
 「でも、僕はどうしてもルナを助けたいんです」
 「……人の心っていうのは、複雑なようで案外簡単なものさ。君の本当の気持ちを、彼女にぶつけてご覧。きっと、いい結果が出るだろう」
 「はい!……あの」
 「ん?」
 アルスが神妙な顔をしているので、ハセガワは読んでいた文庫本を閉じた。
 「あの、リルル少尉は全部察していましたよ。僕、驚きました」
 「そうか……彼女もここから脱出させたいんだが……」
 「一緒に戦うおつもりのようです」
 「これだから困るよなぁ、俺を信用してるつもりで信用してないんだよ。きっと死ぬもんだと決めてかかってるから、一緒に行こうなんて思うんだ」
 「でも、すごいです。心の内を見抜けるなんて」
 ハセガワは首を捻った。
 「でもさ、本当に俺の心の内を見抜いているなら……残って欲しくないんだよ、リルルには。俺は別に死ぬつもりなんかないし、きっと笑って帰るつもりなんだぜ?」
 そんな風に笑うハセガワが、本当は死ぬつもりなのだとアルスには判った。だからこそリルル・リーフレットは一緒に行くというのだ。



 通路の向こうから鼻歌が聞こえた。ずいぶん昔に流行った歌だ、とアルスが気づく頃には、上機嫌なハセガワがブリーフィング・ルームに現れた。
 「やっ、お待たせ!支度はできているかな」
 リルルは下を向いてため息をついた。
 「なんだなんだ、ずいぶん暗いな?……まぁいいか、ランチをロンデニオンの軍港で受け入れてくれるよう、ブライト大佐が打電してくれるってさ。これで逃げた後も安心だ」
 「ハセガワ中尉」
 シェリーはつかつかとハセガワに歩み寄る。
 「な、なんでしょうか?」
 思わず下手に出たハセガワの前で、シェリーは踵を揃え背筋を伸ばして、敬礼をした。
 「我々一同、中尉と共に戦います!いえ、戦わせてください!」
 「えっ?」
 「確かに、中尉のおっしゃる通り、私たちは『強化人間』という境遇にしがみつきすぎていたのかも知れません……それが中尉の嫌う『死の影』のようなものだと思います」
 シェリーは必死に、自分の頭の中に浮かぶイメージを言葉に紡ぎ続けた。
 「でも、私たちは逃げるわけにはいかないんです。ルナツーでヴァルキュリエ艦隊は壊滅しましたが、私たちはロンド・ベルと共に戦えとの命令を受けて、ここまで来ました。消えていった命のためにも、死んでいった仲間たちのためにも、ここで一個人に戻るわけにはいかないんです!」
 「シェリー・メンフィス?」
 「強化人間だとかニュータイプだとかオールドタイプだとか、そんな区別は関係なく、ヴァルキュリエ艦隊の意志と共に、戦う選択をしたいんです!」
 「うーん……」
 ハセガワは腕を組んだ。
 「でも……」
 「ハセガワ中尉のおっしゃったことは判りました。確かに私たちは、『強化されている』ことを自らマイナスとして捉え、またマイナスであることを当然だと思ってきました。マイナスであるぶん、本分とされている戦闘に引っ張られていくことも自覚しています。でも、それはもう今回限りにするつもりです!そのためにも、この戦いで逃げることはできない!」
 ハセガワは首を数回左右に振り、目を閉じた。
 シェリーの言うことは、理解できた。今回の戦いが終結すれば、彼女たちには素敵なお嬢さんに変身する覚悟があるということ。しかし、今回の戦いを無事に切り抜けられる保証はどこにもないし、また連邦軍の将兵たちが強化された彼女らを普通のウエーブと同様に扱う保証もない。
 つまり、全ては理想論なのだと、ハセガワは絶望する。自分に与えられた権限は、事態を傍観するか体験するかの二者択一程度であると思い知らされたのだ。
 だったら、それでも仕方がないとハセガワは思う。妥協は必要だし、大事なものがあるから人は戦える。その大事なものに背を向けては進めないと言う少女たちの当たり前な発想に、ハセガワの意志は恭順を示した。
 「判った。戦線の一端に加えて貰うように、ブライト大佐に頼むことにしよう」
 だから、ハセガワのその言葉は、まるで湿り気を帯びた枯葉を踏んだときのようにじっとりと、苦悩をまとっていた。そんなハセガワに、ヘレンがおずおずと近づく。
 「中尉、私、あなたを誤解してました……変なこと言ってごめんなさい。体のいい監視役だなんて……まさか、中尉がそこまで気遣ってくれていたとは思わず……」
 ヘレンは下をむいたまま、照れくさそうに言った。
 「え?え?」
 「ハセガワ中尉、よろしくお願いします!」
 握手を求められ、いぶかしげに応じるハセガワ。
 「???……あっ、リ、リルル少尉!君、なんか余計なこと言ったね?」
 「私は、何も、余計なことは言ってないわよ」
 「う〜ん……」
 「それより、作戦の概要を教えて下さい」
 シェリーが静かに言う。
 「あっ……シャアの艦隊は、まだ完全に集結したわけじゃない。これは、ルナツー攻撃から戻る艦艇がいるからだけど……敵が完全に揃わないうちに叩く、それが作戦さ。あわよくばアクシズの核ノズルを破壊して停止させる」
 言ってからハセガワは、はあ〜っ、とため息をついてがっくりと肩を落とした。
 「頼むから、みんな死なないでくれよ?」
 「保証はできないけど……努力はするわ」
 シェリーが、ボソッと言ったのを聞いて、ハセガワはさらに肩を落とした。



 『ロンド・ベル隊とは一緒に行動しなくていいとの命令だ、各自味方の援護・遊撃任務に徹して欲しい』
 「了解した」
 レナ・リューベックは、その中尉の意志を感じてふっと笑った。
 レナ自身は、強化されていないパイロットである。過去にキャロル司令と一緒の部隊にいた、という理由で強化人間たちのまとめ役として抜擢されて以来、その役目に徹してきた。
 知識として、人の意志を感知する能力については知っていたが、それを体験することはなかった。実戦の中で研ぎ澄まされた勘と、それによった予測はレナ自身も実感するところであったが、隊員たちの言う『他人の意志が入り込んでくる感覚』については、全く理解できなかった。
 それが、今になって、ハセガワの意志が入り込んでくる感覚に気づいたのである。
 それは、暖かい……
 人の意志、それが生きている味方のものであれば、それはこうも自分を勇気づけてくれるものなのか、とレナは微笑んだ。
 『アルス・ランスウェル、ゼータ・ガンダム行きます!』
 その少年の意志は、ルナを求めて一直線だ。そのピュアさの色にレナは気づいて、もう一度口の端に笑みを浮かべる。これが、死んでいく敵の意志だから、隊員たちは口々に嫌悪感を訴えたのだ……そう考えると、戦いに出ることを嫌がる気持ちも理解し得た。
 「レナ・リューベック、ガンダムマーク2、出るぞ!」
 フット・ペダルを思いきり踏み込む。体にかかるGは何度体感しても気分のいいものではないが、その先に今まで想像することを避け続けてきた世界が広がっている、と思ったとき、レナの精神は解放されていた。
 ガンダムマーク2は、確かにきっちり整備されていたし、それはアストナージの技術力の高さを示すものでもあった。しかし、それ以上にレナはモビルスーツの装甲越しに外界の気のようなものを感じて、今まで一度も使ったことのなかったファンネルを試してみようという気になっていた。
 「しかし……もう戦線がこんな所まで!?」
 アルスたちが出撃をした頃には、ロンド・ベルの第一次攻撃部隊が既に敵と交戦状態に入っており、敵の第一波も数機、ラー・カイラムを脅かす位置まで接近している。
 「ンなっ!」
 ハセガワは殺気を感じて、機体を急速旋回させる。機体がギシギシと軋み、食いしばる歯から息を吐いて、殺気の方向に機体を向けた。
 「ファンネル!?クワトロ大尉なら、やめてくださいよッ!」
 「なんだ、このプレッシャー……連邦のニュータイプとでも言うのか?」
 アシッド・レインは、与し易しと見たジェガンが予想以外の挙動を見せたために動揺した。貧弱にすら見えるその機体に強大な力を感じて、アシッド・レインはドーベンジャッカルを待避運動に入らせ、そのまま隕石を利用してその空域を離れた。
 「なんだ?あの黒いモビルスーツ……シャアじゃ、ないのか?」
 ハセガワは肩で息をしながら、再び機体をアクシズに向けた。
 「アクシズのノズルに、火が入った!?」




 「左前方からも来る!?」
 それは、アルスの予想を覆すものだった。ルナツーを襲撃した艦隊がアクシズに到着するとしたら、それは早すぎる。だから、制圧部隊の中にはあらかじめ増援のための部隊がいて、ルナツーの抵抗が潰えた時点で反転、アクシズに向かったということになる。
 アクシズにとりついたネオ・ジオン艦隊、そしてルナツーからの増援・先遣艦隊、さらにルナツー襲撃のメイン艦隊がいる……
 「全部計算づくだったなんて!」
 アクシズ付近のネオ・ジオン部隊は、さすがに持久戦向けに練度の高いパイロットを中心に編成されていて、ガンダムとは言っても楽に突破はできない。
 その上で、あの戦場にいた二機のヤクト・ドーガまで駆けつければ、いくら連邦軍随一の実戦部隊であるロンド・ベル隊でも苦戦は必至だ。
 「だから……僕は戦うっ!」
 言葉に、意味はない。その時の感情を吐いているだけだ。しかし、コクピットの中で叫ぶことで、アルスの精神は冷静さを保っていた。
 「あの黒いモビルスーツ……プレッシャー?味方がやられるのを、黙って見ているわけには!」
 「なんなんだ、こいつは……?」
 アシッド・レインは、苦戦しつつも的確に味方を撃墜していくゼータ・ガンダムに恐怖を感じた。そして自分の攻撃がことごとくはずれるという実に勘に触る事実に、ドーベンジャッカルの背部ファンネル・ポッドに装填された全てのファンネルを発射して対処しようとした。
 「当たれっ!」
 アシッド・レインの視覚にファンネルからの情報が割り込み始める。初めて、モビルスーツの装甲を通して外界の気のようなものを感じた時、アシッド・レインは自分が無敵になったと感じた。その時の感覚を思い起こし、そして自分の意識をかき乱す動きをする敵……ゼータ・ガンダムに、憎悪と怒りをまとめてぶつけようとした。
 「つっ!?」
 知覚の一部が突然、微かな痛みを伴ってとぎれた。それはファンネルが破壊されたことを意味していた。苛立つ自分を懸命に押さえようとしながらも、衝動に駆られてゼータ・ガンダムを追うアシッド・レイン。
 白い残像が、アシッド・レインの知覚を支配した時、彼はこれまでに一度も感じたことのないほどに壮絶な恐怖を、モビルスーツとしては華奢な作りのゼータ・ガンダムに感じて、叫んでいた。
 「うわーああああッッッ!!」
 その瞬間にファンネルからの知覚は完全に消え、そしてドーベンジャッカルの機体は激しい衝撃に襲われた。
 被弾した!
 アシッド・レインの精神はその時、幼児に戻っていた。いや、実際に彼がこの世界で過ごした時間にふさわしい精神状態に戻ったと言ってもおかしくはない。
 アシッド・レインは操縦捍を出鱈目に動かした。ボタンも適当に押した。もう、今の彼にはここが戦場で今は交戦中だということは関係なかった。怖い、逃げたい、帰りたい。ただそれだけが彼を支配していた。だから、ドーベンジャッカルの持つビームライフルが味方のギラ・ドーガを撃っても、それが少なくとも周りの脅威を減らす意味を持っているなら、彼にそれをためらわせる理由はなかった。だから、アシッド・レインは近づくモビルスーツを、敵味方の区別なく攻撃した。
 「アシッド・レイン!貴様、とち狂ったか?」
 スティーブ中佐の怒鳴り声がレシーバーから聞こえ、怯えたアシッド・レインはレシーバーを投げ捨てた。そして、その声の主の乗った巡洋艦を見つけると、ビームライフルを乱射した。
 「消えろ、消えろ、消えろ!怖いやつはみんな消えろ!」
 「やめるんだ、アシッド・レイン!自分が何をしているのか判っているのか!」
 中佐はそう言いながら、別のインカムを手に取る。
 「三番砲塔、ドーベンジャッカルを狙え!一撃でしとめるんだ。アシッド・レインは離反したものと見なす!」
 その意志を感じとって、アシッド・レインは身を震わせた。誰も自分に優しさを与えてくれはしない。それどころか、自分の命を奪おうとしている?
 「撃て!」
 艦長の命令と同時に、巡洋艦ムサカの対空砲がドーベンジャッカルを貫いた。それと同時に、ドーベンジャッカルの最後のファンネルが、ムサカの戦闘ブリッジごと、スティーブ中佐の命を奪っていた。


 「誰!?」
 悲しみに濡れた魂を感じて、クェスは紺碧の宇宙を見つめた。しかし、その問いに答えるものはいなかった。クェスは再び、大佐の意識が発散されている方向を探り始めた。


 「っ!……あのモビルスーツのパイロットか……」
 ハセガワは、その意志が先ほど接近した黒いモビルスーツのパイロットだと、判った。しかし、それがリルルでないことを悟り、ほっとする。
 が、ラーカイラムから放たれたであろう核ミサイルが狙撃され、アクシズのノズルが健在なのを知って舌打ちした。


 「チッ!」
 アムロは意識の下に刺さる細かな破片のようなものを感じていたが、あえてそれを無視した。戦場では、人の死と共に意識が飛ぶということは、実に良くあることなのだ。


 溢れ出る涙を抑えきれず、ルナは呻いた。
 「アシッド・レイン、殺されたの……?」
 ヤクト・ドーガの動きが止まったのを見て、回りにいたジェガンたちが一斉に攻撃を始める。しかし、次の瞬間には、悲嘆に暮れるルナの表層意識の下の、いわば強化人間としての本質が操るファンネルの群によって、数機のジェガンが一度に爆発した。
 「だから……こんな戦争は早く終わらせないと、人が死ぬばかりなんだ!」








第10章 完




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