9.ルナツー陥落





 「サイコミュは順調……あとは、あそこにいる連中を全滅させればいいのね?」
 ルナは、ヤクト・ドーガのコクピットの中で、望遠レンズが捉えるルナツーを指さして、はしゃいで見せた。それは、コンビを組むアシッド・レインという少年が、ルナに異性を感じてドギマギしていると判ったからだ。
 だから、無邪気な少女を演じてみせる。
 そうすることで、互いに高めあうことができるのならば、それでいい……
 ルナにとって、アシッド・レインという存在は微妙なものであった。恋まで行かなくても、彼の純粋さと世間知らずさがルナにとって心地よかったのである。
 ルナの記憶じたい、あやふやではあった。両親の記憶はあっても生活の記憶はない。物心がついて突然軍隊にいるという記憶は、彼女を情緒不安定にもさせたが、アシッド・レインという存在を知ってからはそれについて思い悩むことはなくなった。
 「ルナ、はやるなよ……艦隊が総攻撃を始めてから突っ込めばいい。残ったゴミの掃除が任務だからな」
 「判っているわよ」
 戦闘に関しては、アシッド・レインに一日の長があったため、戦いの局面ではアシッド・レインがリードをする。それが、訓練の中から見つけた二人のルールだった。
 「警戒が薄いな……」
 これでは連邦は負ける、とルナの意識は思う。艦隊をもっと前に出して、防御ラインを上げなければならない。それをしない連邦軍は無能だ……と。
 ルナは無意識に歯がみをした。







 「ふぁ〜あ」
 リック・ディアスのコクピットで、マサ・ヤマモト少尉は大きくあくびをした。
 「シャアの艦隊、まだですかね?」
 「あと15分もすれば、いやって言うほど見られるわよ」
 ルナツーの後方に位置するコロンブス、そのモビルスーツ・デッキで、彼らは待機をしていた。連邦に投降するネオ・ジオン艦隊に対してのゲリラ攻撃を防ぐため、である。要は閑職なのだが、ハセガワは基地司令の嫌味を聞きたくなかったので、その提案を呑んだのである。
 「静かなもんですね、中尉」
 「ん?」
 「俺の第六感にはビンビン来てますよ。何か良くないことが起こりそうだって」
 「でも、シャアの艦隊がルナツーを襲ってどうするの?」
 剣先イカを囓りながら、リルル・リーフレット少尉はふと思いついた疑問を口にする。
 「ラサにフィフス・ルナを落としたのは、地球の寒冷化が目的だったわけですよね?でも、ルナツーを襲ってどうするのから」
 「ルナツーを落っことすんじゃないの?」
 リック・ディアスのコクピットは頭部にあるので、必然的にヤマモト少尉はふたりを見下ろす格好になる。
 「いい発想だが少尉、ルナツーには小規模な軌道修正用ブースターはあっても、落下軌道まで持っていけるパワーのノズルはないんだぞ?」
 「う〜ん……」
 「よしんば核パルスエンジンを仮設置するにしても、時間がかかりすぎる……艦隊が集中してしまえば、各コロニーに駐留している連邦軍に包囲されれば全滅だ。シャアがそんな無様な真似をするとはどうしても思えないんだけどな」



 同時刻……サラミス改級巡洋艦イグドラシルのブリッジで、キャロル・マティルデ・グラーツィエ中佐も頭を抱えていた。
 「ルナツーの核兵器が欲しい、っていうのはどうでしょう?」
 「ネオ・ジオンの艦艇を全滅させられるだけの量はあると聞きます」
 リンとアレックスの言葉を耳にして、クリスは馬鹿にしたように笑う。
 「核兵器?旧世紀のミサイルなんか、ミノフスキー粒子の干渉でまっすぐ飛ぶのも怪しいシロモノだよ?そんなもの、危険を冒してまで欲しがるとは思えないけどね」
 「判らないぞ、衛星軌道上からばらまけば、核の冬が来る!」
 「そんなもの、TMDの的でしかないじゃない」
 「核兵器、っていうのは正解だと思うわ」
 ブリッジクルーの討論を聞いていたキャロルは、ボソッと言った。
 「核の冬、いいんじゃない?ラサにフィフスを落としたことに政治的な意味合いを持たせているなら、次の手段は問答無用で全面攻撃!」
 「でも司令、ミサイルなんか地上から迎撃可能です!成層圏に入る前に爆破してしまえば、影響もずっと少なくて済みますからね」
 「でも、下の電子機器はダメになるぞ」
 「そんなのシャアの知ったことか!」
 「う〜ん……地上につくまで、核を外部から守れる器があれば……」
 「モビルスーツや戦艦レベルでは、大気圏で燃え尽きてしまいますからね……せめてコロニーくらいの大きさでないと」
 アレックスは自分のコンソールで、周囲のコロニー位置を検索するが、ここ最近移動しているものは見あたらなかった。空き部屋になっているコロニーはある程度再生されるか、地球から遠ざけられているので、作戦に利用できるようなコロニーはなかった。
 「……ルナツーごと落とすっていうのは?」
 「ルナツーは動かないわよ。エンジンがないもの」
 「よしんばエンジンを用意していたとしても、取り付けに時間がかかれば回りを囲まれるわ。地球連邦軍だって、そんなに無能じゃないのよね」
 キャロルはそう言うと、それでも何か思いついたらしく、手元のコンソールを微かにいじった。
 「小惑星?ペズンはずいぶん前に爆破されてカケラだけになったし……あとは皆地球の裏側なんだけど……アクシズ、アクシズがここ数日でスウィート・ウォーターの方角に動いているわ!」
 アレックスは血相を変えて、メイン・スクリーンに観測データを呼び出す。
 アクシズ、それは一年戦争末期に地球圏から火星の向こう、アステロイド・ベルトへと逃げ延びたザビ家一党が生活の場にした隕石基地のことである。グリプス戦後期に地球圏へと移動してハマーン軍の本拠地となり、ティターンズの象徴であったゼダンの門を打ち砕いた。グレミー・トトの反乱に際してはコア3にも衝突させられたという、いわくつきの巨大隕石である。
 「これは……核パルスの光です!地球からは遠ざかっていますが……確かに移動を開始しています!これ、軍の公式日報にはない移動ですよ!?」
 「アクシズ内部にはロックがかかっていて、未だに軍は立ち入れないでいると聞きます。もし、モビルスーツの核融合エンジンや生産施設がそのまま残っていたとしたら、それだけでも地球を汚染するには十分です!」
 「その上で、ルナツーの核を搭載して地球に落とせば、もう申し分なく地上の生物は死に絶えてしまう……司令!」
 クリスが持っていたバインダーでバシッ、とコンソールを叩いた。
 「今すぐ基地司令と参謀次官に進言しましょう!これは明らかにワナです!」
 「ちょっと待って頂戴」
 キャロルは、手元のキーを軽く操作する。メイン・スクリーンに、位置関係のマップ表示が現れた。
 「ルナツーがここ、スウィート・ウォーターはここ。アクシズの現在位置がここで、ロンド・ベル隊がいるロンデニオンは、スウィート・ウォーターよりもアクシズ寄りになるわ。と言うことは、ルナツーを襲う部隊が反転してアクシズに向かう頃には、ルナツー襲撃の第一報を聞いたロンド・ベル艦隊がアクシズとルナツーの中間位置あたりでネオ・ジオンと遭遇することになる。すなわち……核兵器はアクシズにたどり着くことができないのよ」
 一同は腕を組んだ。核兵器のゆりかごとしての役割は、やはりアクシズ以外には考えられないのだが、そのアクシズにシャアの艦隊はたどり着くことができないのだ。
 「でも、もし……シャアの本隊が別にあるとしたら、話は別ですよね。アクシズ襲撃よりもワンテンポ早く、ルナツーを襲ったとしたら……当然ロンド・ベルはルナツーに向かって出発します。最大戦速で出航した艦隊がアクシズ襲撃の一報を受けても、ネオ・ジオン艦隊がアクシズを制圧するだけの時間は十分にあります!ルナツーを襲撃した艦隊は、ロンド・ベル隊の背後からアクシズにとりついた本隊と挟撃に出ることまで出来てしまいます!」
 リンのセリフは、最後のほうは悲鳴混じりになっていた。リンの言うとおりに駒を進めてみて、キャロルは初めてこの一連の事件が周到に計画されたものであったことを知った。
 「参ったな……今無断で出ていけば、味方に後ろから撃たれるし……かと言って許可を出してくれるほど融通の利く基地司令ではないものね?」
 「せめて……ジオンの連中に、核ミサイルをくれてやらないよう戦いましょう!」
 「アレックス、あんたアホ?うちらには待機命令すら出ていないんだよ?それに、まだ連中が本当にルナツーを襲うかどうかも決まっちゃいないんだ」
 「それはそうだけど……せめて、いつでも出撃できる用意を……」
 「アレックス」
 クリスはもう一度、ゆっくりと興奮している相方の名前を呼んだ。
 「殲滅戦だ。となると戦略としては、モビルスーツと絨毯爆撃。攻撃が始まった直後に出ていったら、それこそ的になりに行くようなものだよ?」
 「クリスの言うとおりね……でも、せめてモビルスーツだけでも出しましょう、恐らく出迎えのサラミスを確実に潰すため、結構な数のモビルスーツが出てくるから」



 「ヒマっすね」
 「ん……そろそろ来る時間なんだがな」
 ハセガワは、お気に入りのピュア・ティーのパックを空にしたことを後悔していた。用意された無重力空間用の食料や飲料は限られていて、しかもモビルスーツのコクピットに持ち込める量はたかが知れている。
 「しかし、僕はどうしてリック・ディアスなんです?」
 「空いているモビルスーツがない、という理由だ。まぁ厄介払いだな」
 「ひでぇなぁ……」
 ヤマモトは苦笑する。
 「旧エゥーゴの機体がまだ現役なんて、シャアに見せたくないのさ……ジェガンの数だって足りないはずなのに、参謀次官の見得だけであちこちからかき集めたんだぜ?……それとも君は、メタスやネモで敵の最新鋭モビルスーツと戦えるかい?それに、実際用意された機体の中にはリックドムまであったよ。嫌がらせとしては、なかなかいいセンスをしている」
 「まだディアスの方がマシに思えますね、それなら」
 「あっ、来ました来ました!シャアの艦隊です!」
 リモート・コントロールカメラの望遠を最大にして、ハセガワはネオ・ジオン艦隊を確認する。
 「多いな……よくもまぁ、こんな数の戦艦を揃えたもんだ」
 「ヘンケン基金って、知ってます?」
 「なんだそりゃ」
 「グリプス戦争の時、エゥーゴ艦隊の主力巡洋艦アイリッシュ級はスペース・ノイドの募金によって建造されたんです」
 ヤマモトはのんびりと言った。ハセガワも、その話には聞き覚えがあった。
 「ラーディッシュか……ん?確か艦長はヘンケン・ベッケナー大佐?」
 「そうです、そこから名前がついてヘンケン基金。反連邦政府の連中が金を出しあって、反連邦組織のスポンサー組織を作ったんですよ」
 「あの艦隊がそれだっていうのか?」
 「いくらシャアがやり手だって言っても、資金はそうそう手に入るものじゃないですからね。銀行強盗を百回やったって、あの陣容は揃いませんて」
 ハセガワはヘルメットをかぶった。
 「もしそうだとしたら……どうして正当な手段で政権を奪取しないのかしら?」
 「それはね」
 リルルもヤマモトもコクピット・ハッチを閉じたので、以後の会話は全て無線での会話になる。
 「政府を動かしているのは官僚だからさ。官僚と特殊法人、そして大企業……利権の構造は、政権が変わったくらいでは揺るがない。だから、根本から変えようって言うのさ」
 ハセガワはコロンブスのハッチを開ける。眼下にはルナツーと、まるで豆粒のような艦隊が見えた。
 「どっちが正しいのか……どちらにしても、泥をかぶるのは大衆だということだけは、確かだけどね」
 ハセガワはゼータ・ガンダムの足で軽くコロンブスの床を蹴って、宇宙空間へと機体を移動させた。リルルとヤマモトもそれに倣う。
 「ん?」
 何かが光ったような気がした。
 「なぁ少尉、今、向こうで……」
 「中尉!ルナツーが!」
 野球のボールほどに見えるルナツーの表面が、爆発に覆われた。次いでビームの火線が、ルナツーへと幾重にも突き刺さる。
 「行くぞ!」
 ハセガワは機体を変形させ、背中にヤマモトのリック・ディアスを乗せると一気にルナツーへと向けて加速した。
 「中尉、こりゃ一体……どういうことなんです!?」
 「シャアの投降はやっぱり嘘だったってことさ!」



 「敵艦隊、ルナツーを取り囲みました!味方の残存部隊の掃討に入っています!」
 「よし、ヴァルキュリエ艦隊出撃する!モビルスーツは順次出撃、艦隊は直進して敵艦隊を分断する!各砲座は各自の判断で狙撃、手を休めるな!」
 キャロルは内心の悔しさを隠して、声を張り上げた。やはりルナツーは攻撃された……嫌な予想は当たる必要がないのだが、それでも的中してしまった事態に対して何の対策も打てなかった自分の立場を悔やんだのである。
 ブライト艦長に申し訳が立たない!
 「レナ・リューベック、ガンダムマーク2、出るぞ!」
 「ルシア・ヘインズ、行きます!」
 「エミ・キムラ、ガンダム行きます!」
 イグドラシルのモビルスーツ隊は、艦が港口を出る前からカタパルトを使わずに出撃を始めていた。ミサイルで港口がふさがれる前に、戦力は展開しなければならない。
 「ったく、頭が痛いよ……」
 ミリシアは、ひどく耳鳴りがすることに腹を立てていた。フットペダルを乱暴に踏み込んで、ギリッと歯がみをする。
 「ミリシア・オズボーン、ガンダムマーク2出る!思い通りにはさせないよ!」
 「シェリー・メンフィス、ガンダムマーク2、行きます」
 シェリーは、ミリシアの波動がびんびんと飛び跳ねているのを感じて、彼女のそばにいなくては、と思った。この思惟の乱れは、敵を呼ぶ……だから、ミリシアに付き従うように、ガンダムを動かした。
 「ヘレン・アンフォスター、ガンダム出ます……アルス、気を抜かないでね?」
 「は、はい」
 ヘレンのマーク2に続き、最後にアルスはガンダムを動かす。
 「アルス・ランスウェル、ゼータ・ガンダム行きます!」



 戦いは、一方的だった。
 最初のミサイル射撃の時点で、満足に戦える艦艇がほとんどなくなってしまったのが敗因である。だから、ダミー混じりのネオ・ジオン艦隊と互角以下の戦いしかできなかったのだ。
 ダミー隕石も、ミノフスキー粒子も、そしてモビルスーツ隊も、用意していなかったことが間接的な敗因ではある。しかし、それ以上に、先制攻撃されたことによって戦意を喪失した艦隊が撃破されていくのは当たり前のことなのだ。
 そんな中で、遅れて出てきた艦隊が善戦したとしても、勝ち戦で興奮しきった相手には通用しない。キャロル・マティルデ・グラーツィエが臍をかんだその時、ルナツー襲撃部隊の指揮を執っていたナナイ・ミゲルは会心の笑みを漏らした。
 「前方のレウルーラはダミーだ!確実に破壊しろ、ダミーにも砲台が取り付けてある!」
 被弾の衝撃が艦体を揺する。爆発の閃光が次第にまばらになっていく、それは味方艦隊の消滅を意味していた。
 「敵艦隊と同調して後退、主砲を叩き込め!モビルスーツはガンダムに任せて、艦隊の足を止めることに専念せよ!」
 アーバス・クライツェ中佐は、ここが死に場所だとはっきり悟った。
 「人形どもめ、こうもちょこまかと……アースガルド、イグドラシルの前に出る!盾になるぞ!死にたくない奴はランチに分乗、脱出せよ!」
 しかし、ブリッジ・クルーには誰一人として席を立つ者はおらず、またそれはアースガルドのクルー全員の意志でもあった。
 「お前ら、死にたいのか!?」
 「どうせランチで脱出しても撃墜されます!それでは、恩給に二階級特進の特典がなくなります!」
 「フン、屁理屈を……!」
 アーバス中佐は帽子をかぶりなおして、キャプテン・シートから身を乗り出した。
 「あん?こんな時に、脱出する艦艇がある?」
 モニターの隅に、投降信号を出しながら遠ざかるクラップを見つけて、アーバスは唾棄する。
 「今さらロンド・ベルに助けを乞うのか!」
 モニターのスイッチを切り、アーバスは声をはり上げた。
 「我が艦がイグドラシルの前に出れば、敵の人形は集中攻撃をしてくる!その兆候が見えた時点で、対空ミサイルを全弾発射、対空砲火を続いて斉射、タイミングを外すな!」
 「了解!」
 この小気味良いやりとりが、人生の全てであったとアーバス中佐は思う。少なくとも、退役軍人として、戦争博物館の職員などで余生を過ごすより、性に合っていた、と……
 はたして、アースガルドのばらまいたミサイルは、艦体に群がろうとしていたギラ・ドーガ隊の半数を撃破し、残った機体のまた半分に損傷を与えていた。
 しかし、ネオ・ジオンのモビルスーツ隊は、小隊規模で迫っていたのではなかった。
 次の瞬間、ブリッジ付近にビームサーベルによる損傷を受け、その爆発はブリッジにいた者たちを全て彼岸へと吹き飛ばしていた。
 「アースガルド、沈黙!」
 「ジム隊、もっと前に出ろ!敵のモビルスーツは、アースガルドの爆発を恐れてそちら側からは来ない!イグドラシルの防衛だ、それを第一に優先しろ!」
 ゲオルグ・ハヌマック中佐は、一足先に旅立った老人に心の中で敬礼をする。艦体のあちこちからスパークを発しながら爆発に飲み込まれていくアースガルドから、脱出する者はいなかった。
 「あの爺さんは、年甲斐もなく無理をするから!」
 しかし、ゲオルグもここらが潮時だと感じていた。悔いはないと思いたい。ただ、キャロル司令にはっきり思いを打ち明けられなかったことだけが、悔いと言えば悔いであろう。
 「味方のモビルスーツを間違って落とすな!敵味方識別信号は絶えず発信、母艦を失った味方機に存在を誇示するんだ!」
 こんな時に、女のことを考えてしまう自分の理性を、ゲオルグは笑った。
 「生き延びるぞ!アーバスの爺さんには悪いが、まだまだやるべき事は残っているものな?」
 「艦長、生き延びたら何をしますか?」
 「決まってるだろう!キャロル司令をいただく!」
 ヒュウ、とオペレーターが口笛を吹いた。
 ゲオルグは、必死にキャロルの裸体を思い浮かべようとした。その猥雑さで、この局面に対抗しうる力を得たい、そう考えたのである。
 しかし、モニターの光点が消え、ジム隊が全滅したことを悟ったゲオルグは、その欲望を封印する。そして、キャロルの肢体に触れることができない自分の運命を呪いつつ、ベルダンディーをイグドラシルの盾になるよう指示する。
 「艦長、脱出してください!」
 「バカ、艦長が艦と運命を共にしないでどうすんだよ!」
 「キャロル司令、いいんですか?」
 「……手の届かねぇ高嶺の花、でいいじゃねぇか!華は鑑賞するものだ、干渉するものじゃない!」
 「全く、無理しちゃって……」
 被弾が激しくなり、イグドラシルから乗員退避命令が出る。しかし、ここでも誰一人、持ち場を離れようとはしなかった。
 「キャロル司令、あんたは本っ当にイイ女だぜ!俺なんかには……」
 勿体ないくらいだ、と声になる瞬間、ゲオルグたちはブリッジを直撃したビームの中で、肉片すら残さずに蒸発していた。



 「ほらほらほら、そう簡単に逃げられると思ってんじゃないよ!」
 ミリシアは、逃げまどうギラドーガにミサイルを撃ち込んだ。紅蓮の炎がギラドーガのコクピットを飴のように溶かし、そして誘爆する。
 「ったく、やってくれるよ!」
 ビームの束を避けて、頭部のバルカンで応戦をする。そして、右腕のビームライフルでトドメを刺す。全ての動きに無駄はなく、ガンダムマーク2はまるで生き物のように、戦場を縦横無尽に駆けめぐった。
 「坊やのガンダムは期待できないよ、エミ、判ってるかい?」
 エミ軍曹の機体は、既に右腕と左足を失っていた。それでも、左腕に持たせたグレネードランチャーだけでもう五機もの敵を破壊しているのだ。
 「こんな場所で死にたくないもの、判っているわ。まだ素敵な彼氏だって見つけていないんだから!」
 「ヘッ!」
 エミの答えを聞いたミリシアは、エネルギーのなくなったライフルを投げ捨てて、ファンネルを数機発射した。
 「そいつはいいねエミ!でも、そのランチャーが終わったら、さっさと補給に戻るんだよ!」
 言うミリシアのすぐ脇にいたジム3が突如爆発した。遠距離からの狙撃か、とミリシアが感じた瞬間、ヤクト・ドーガがミリシアの脳裏に見えた。
 「エミ、下がれ!」
 エミも同じものを感じたのだろう、爆発の間を縫うようにして、流れる隕石の影に隠れた。
 「さあ、来い……」
 威勢良く言ったミリシアが、怪訝な表情になった。
 「……よく知っている感触?」
 次の瞬間、ミリシアはガンダムのスロットルを全開にして、その空域から離脱した。振り返ると、今自分のいた空域を、多数のビームが突き抜けていく所だった。
 「ふう」
 ひとつ溜息をついて、ミリシアは大きなミスをしたことに気づいた。それでも挽回しようと、ガンダムを振り向かせつつ左腕のシールドを正面に向けようとした。
 が、シールドは敵のビームサーベルが通過した場所に一瞬遅れて到達し、敵のビームサーベルはそのままガンダムの頭部を焼いた。
 「やら、れる……」
 ミリシアの右手は無意識に動き、敵モビルスーツのコクピットにその銃口を合わせた。そして、トリガーを引けば、全てはうまくいくはずだった。
 しかし実際にミリシアは引き金を引かず、逆に突き立てられたビームサーベルでミリシアの体は焼かれた。
 いや、ミリシアは痛みすら感じなかっただろう。収束したビームは数千度の熱量をもってファンネル・ラックごとコクピットを蒸気に変え、そしてその中のミリシアをいとも簡単に蒸発させたからだ。
 「ミリシア!!」
 エミは絶叫して、グレネードランチャーを撃った。
 ミリシアをいとも簡単に葬り去った敵……ヤクト・ドーガはその攻撃を避けて、エミのガンダム・マーク2に迫る。
 その時、エミは知った。どうしてミリシアか躊躇したのかを……
 「ルナ少尉!」


 コクピットの中のルナは、ガンダム・タイプを二機も撃墜していながらも、まだ苛立つ自分自身のコントロールに苦慮していた。
 ガンダムを倒せば楽になる、とナナイは言った……しかし実際には、倒した瞬間こそ気が晴れるものの、その後味の悪さといったらもう例えようのないほどだった。それが、良心の呵責であることを、まだルナは知らない。



 満身創痍のジェガンが、光芒煌めく中をよろよろとゼータのそばに寄ってきた。
 「ガンダムのパイロット、ここはもういい!ルナツーの支援に回ってくれ!」
 「あ、はい!」
 アルスはゼータをウエーブ・ライダーに変形させて、一気に加速した。その先では、駐留艦隊がルナツー防衛に専念しているはずだ。
 幾条かのビームがウエーブ・ライダーを狙って放たれたが、その粒子の束は全てアルスに避けられ、そしてそのビームを撃ったモビルスーツたちも、あらかたガンダム・マーク2たちによって破壊されていた。
 前方の空域での爆発と同時に、ルナツーの駐留艦隊最右翼の一部が戦線を離脱するのが見えた。敵艦隊の攻撃によって戦闘不能に陥ったらしい。
 「だから、甘いと言った!」
 ルナはヤクト・ドーガを一気に戦闘空域に突入させると、間髪入れずに敵モビルスーツを破壊する。ヤクト・ドーガに搭載されたサイコミュの効果なのか、今やその動きは尋常ではなかった。
 その鬼神のようなヤクト・ドーガの動きに怯えたジェガンが、慌てて逃げようとしたのをルナの視覚が捉える。
 「逃がさない!」
 ジェガンをあっさりと葬り、一呼吸ついたルナの目前に現れたのは、変形モビルスーツ、ゼータ・ガンダムだ。
 「またガンダムかっ!」
 ルナは、自分を苛立たせているそのシルエットに、なぜか懐かしいものも感じてはいたのだが、それよりもわき上がる恐怖と嘔吐感、そして耐え難い頭痛がそのシルエットから湧き出してくるような気がして、身を震わせた。
 「たかがゼータ!」
 そう言いつつも、ルナはそのゼータ・ガンダムをあっさりと諦めて、戦線から離脱しようとする。
 「たかがゼータだと?」
 ルナの脳裏に、何か懐かしい面影が甦る……その瞬間の色を、アルスは感知して見せた。
 「ルナ?やっぱりルナなのか!?」
 アルスは、ゼータの機体を変形させて、そのヤクト・ドーガを追う。
 「馴れ馴れしい奴がいる……」
 そのアルスの波動が、ルナにはとても不愉快に思えて、その感情がルナにアクセルをさらに踏み込ませた。
 グオッ!
 ヤクト・ドーガは緊急姿勢保持用のアポジモーターまで点火して、ウエーブ・ライダーの追跡を振り切ろうとした。
 「どうして逃げる?」
 アルスはそれを見て、スロットルを全開にする。ドッという衝撃と共にウエーブ・ライダーは急激な加速をし、ヤクト・ドーガの前に回り込んでモビルスーツ形態に戻った。
 「こいつっ?」
 ルナは微かに毒づくと、右腕のガトリングガンを一斉射、放った。
 「何をっ……」
 アルスはその攻撃をシールドで流すと、ゼータ・ガンダムの手でヤクト・ドーガの両肩を掴むようにした。
 「ルナだろ、これに乗ってるのは?返事してくれよ」
 「どうして私の名前を知っている?」
 ルナを激しい頭痛が襲った。それは、過去の強化人間が味わった痛みと同質の痛みだったが、ルナにそのことを知る由もない。
 「不愉快だ!」
 身をよじって逃げようとするヤクト・ドーガを、アルスは逃がすまいとしっかりガンダムの手で固定する。
 「僕だ、アルスだよ!ほら、ヴァルキュリエ隊の仲間じゃないか!」
 またもやルナを頭痛が襲った。要は、消された記憶がその脱出口を求めて噴出しようとしているのだが、その不快感がアルスに対する憎悪を産む。
 「お前か、私を不愉快にするのは!」
 「違うよ、僕は君を迎えに来たんだ」
 「出鱈目を言うな!そんなモビルスーツに乗った男の言うことか!」
 「ルナ!僕なんだよ、アルスなんだ!思い出してくれよ!」
 その言葉に喚起されたのか、ゼータ・ガンダムのコクピットがその時のルナには、還るべき場所に思えてきた。それでも、ルナの表層意識に埋め込まれた「敵」という言葉が、それを阻んでいた。
 「どうして!どうしてあんたは私の前に現れる!」
 ルナはゼータ・ガンダムに向けてファンネルを射出した。
 「死んじゃえっ!」
 しかし、ゼータ・ガンダムのファンネルが発射したビームにそれははじかれ、干渉波を飛ばして四散した。その余波で、ヤクト・ドーガのメインカメラが死んだ。コクピットの周囲にあった宇宙は灰色の壁になり、ルナはサブ・カメラからの画像をモニターに呼び出した。
 「ルナ、もうやめろ!」
 ファンネルを自爆させ、アルスはガンダムのハッチを開けた。ヤクト・ドーガの中でルナは身じろぎ一つしない。
 ヤクト・ドーガのコクピット・ハッチにアルスがとりつくのが見えたが、ルナは軽く身震いをしただけで、アルスから逃げようとはしなかった。
 「ヴァルキュリエ隊のみんなが、死んでいってる……君には判らないのか?この宇宙を悲しみが満たしてるのを」
 「判るわ。だから、あんたたち連邦のクズどもを始末して、スペースノイドの世界を作らなきゃならないのよ!」
 「違う!本当に憎むべきは、差別を産む意識だ!スペースノイドだルナリアンだアーシアンだのと区別したがる人の心だ!そういう物の見方が、新しい悲しみや苦しみ、そして戦争を産んでいくことに気づかないのか?」
 ルナは激しい頭痛を感じて、ヘルメットを脱いだ。判る。でも、判ってはならない。頭の中で二つの意識が交錯するそのたびに、激しく頭が痛むのだ。
 「うう……」
 「ルナ、今そこに行く!」
 アルスはガンダムのハッチを蹴って、ヤクト・ドーガのコクピットに流れた。
 「開けて」
 ルナはヘルメットをかぶり直すと、素直にコクピットを開放した。
 「ルナ……」
 ネオ・ジオンのパイロットスーツに身を包んではいたが、紛れもないルナの姿にアルスは感激していた。
 「よく無事で……僕が判るかい?君と同じ場所にいたアルスだよ」
 「……判らないわ」
 アルスは落胆を隠して語り続けた。
 「ヴァルキュリエのみんなも忘れてしまったのかい?」
 ルナは無言で頷いた。
 「私は……私はジオンの士官よ。あなたが言うような人間じゃない」
 「でも……」
 「記憶がないの、私には。今の私はジオンの士官で在り続けるしかないのよ。自分の存在を、確かめられる基盤がそこにしかないから、私はジオンの士官なの」
 「ルナ……」
 「ねえ、アルスって言ったかしら。あなた、私のこと好き?だから助けに来たの?」
 「えっ……そ、そりゃ……」
 アルスは下を向いて口ごもった。
 「嫌い?」
 「そんなことないよ」
 「そう」
 ルナはさらっと言うと、また視線をコクピットの外に向けた。
 「私にはね、あなたを好きか嫌いか判断する材料もないの。だから、あなたの想いには答えられないし、答える義務もないわ」
 アルスには何も言えなかった。強化人間というものの側面を、見たような気がしたからだ。そして自分もまた強化されているという思いが、アルスの中を駆けめぐった。
 「僕と一緒に行こう、ルナ。月に戻れば、きっと君の記憶だって取り戻せる。ミナコ博士を覚えているかい?博士なら、きっと……だから、こんな無意味な殺し合いなんてする必要はないんだ」
 「無意味な殺し合い?」
 「大人が始めた戦争で、僕たち子供が傷つく必要なんてないんだよ。一緒に行こう」
 ルナは激しくかぶりを振った。
 「違うわ!人は戦いの中でしか生きられない!人の歴史は戦争そのものだ!戦いに大人も子供もあるものか!」
 ルナはバイザーの中で唾を飛ばしながら叫ぶ。自らの存在理由が戦いに集約している以上、いくら正論に思えても戦争を否定はできない。
 「人は宇宙に出て、ニュータイプへの道を手に入れた。出来ないはずはないんだ。ただ一歩踏み出せばいいだけなんだ。それを怖がっていたら、また殺し合うことになる!」
 ルナはアルスを信じられないほど強い力でガンダムの方へと押しやると、すばやくリニア・シートに座り直して、馴れた手つきで計器に灯を入れた。
 「それ以上言うな!お前の意見はよく判った。でも、私にはできない!」
 ヤクト・ドーガのビーム・ライフルの銃口が、アルスの目の前で止まる。
 「行け。そうすれば、必ず……」
 アルスはしばらく、ヤクト・ドーガのモノアイを睨み付けていたが、渋々ガンダムのコクピットに戻った。
 「行け!」
 アルスは無言でレバーを押し倒す。ガンダムの肩に装備されたアポジモーターの推力で二機のモビルスーツは僅かに離れた。
 「ルナ……」
 「行け!」
 アルスはガンダムを変形させて、一気にその場を離脱した。後方のモニターで、ルナのヤクト・ドーガも離脱していくのを確認して、アルスはコンソール・パネルを思いきり殴りつけた。
 悔しかった。思いの全てを伝えられないもどかしさと、最後にルナが見せた淋しげな瞳が、アルスの悔しさを倍増させていた。だから、機体のあちこちからスパークを飛ばして投降サインを出しているサラミスに、それでも攻撃を加えているギラ・ドーガが無性に許せなくて、アルスはウェーブ・ライダー形態のままそのギラ・ドーガのコクピットめがけて突っ込んだ。
 軽いショックと共にギラ・ドーガの上半身と下半身が泣き別れになる。
 「あんたたちみたいのがいるから!」
 味方の異変に、それまで優勢に事を進めて気を大きくしていたギラ・ドーガたちが、その標的をガンダムに変える。
 「ガンダムがなんだっ!ただの量産機だろうが!」
 そのパイロットの認識は正しい。が、同時に間違っていた。再設計され、製造コストの削減が成された機体でも、そのポテンシャルはプロトタイプのゼータを部分的には超えているのだ。
 「こんな場所で会うとはな、ゼータ・ガンダム!」
 一機だけ、ギラ・ドーガ隊に混じっていた旧エゥーゴ塗装のジム3が、背後からゼータに体当たりを敢行する。
 「地球連邦の犬に成り下がりやがって!」
 しかしアルスはその気配を読んでいた。というよりも、ごく自然にその体当たりを避けた。アルス自身に、そういう自覚は、全くない。
 「どうしてネオ・ジオンにジムが?」
 その疑問すら、瞬時には出てこない。
 それほどまでに、今のアルスは憔悴しきっていた。ただ、深層意識の下のアルスが、戦いの局面を生き残るべく手足を動かして敵を撃破しているのだ。



 「ヴァルキュリエ・モビルスーツ隊、聴こえますか?」
 「キャロル艦長?」
 ヴァルキュリエ隊のガンダムたちのコクピットに、イグドラシルのブリッジ映像が転送された。戦闘ブリッジは白煙に包まれており、クリスが額から血を流して呻いているのが見えた。アレックスは既に絶命している。リンの体は、力無くブリッジの中空を漂っている……
 「あなたたちのモビルスーツなら、現在アクシズに向かって移動中のロンド・ベル艦隊に追いつくことができます。行きなさい!きっとブライト艦長なら拾ってくれます!」
 「艦長はどうするんですか?」
 レナ大尉の声だ。
 「適当な所で白旗上げるわ。心配しないで行ってきなさい!」
 「し、しかしもうイグドラシルは……」
 「行きなさいレナ隊長!あなたが行かなければ、残りのみんなも躊躇します!」
 「あ……中佐、ご無事で……!」
 レナは、思いを振り切るように、ガンダムのバーニヤを全開にした。生き残りのメンバーもそれに従う。
 ガンダムたちのテール・ノズルの光点が次第に小さくなったのを見て、キャロルは一つため息をついた。
 「それでいい……生きなさい、みんな……」
 ルナツー周囲の爆発はしだいに小さくなっていたが、それは守備側の敗北を意味していた。
 「司令、どうします?」
 クリスが、見開いたままだったアレックスの瞳をやさしく閉じる。
 「どうするもこうするも……ルナツーが制圧されるのは時間の問題だわ。そして、この艦もそう長くは保たないわ。僚艦も全滅しているし」
 「敵艦に特攻でもかけますか?」
 「うーん、あんまり美しくないわね……それに、どっちにしろこの局面では負けだわ。艦がこんな状態では、近くのコロニーに逃げるということもできない。となれば、残る手段はただひとつ」
 「美しくないから、嫌なんじゃありません?」
 クリスは普段他人に見せたことのないような、優雅な微笑をキャロルに向ける。
 「潔く散って、後進の礎にでもなりましょうか」
 キャロルはやさしくパネルの表面を撫でた。計器類は全て着弾や爆発の衝撃で壊れ狂っていたが、唯一デジタル時計だけは無事だった。
 「これがアナログの時計なら、轟沈の時間で止まって記念品にでもなるのでしょうけど」
 「艦長、あそこにムサカがいます……あいつにしましょう」
 「そうね、任せるわ」
 投降を呼びかける通信がノイズに混じって数回、聞こえたが彼女たちは耳を貸そうとはしなかった。混乱した戦場をあたふたと逃げ回るジムの姿に、普段のキャロルなら唾棄していただろうが、今は不思議と全てを許せるような気分になっていた。
 舷側が擦れあい絡み合い、不気味な軋み音を立てて艦体がねじれていく。接触面から連続的に爆発が起こり、ムサカのブリッジが目視できる距離になった時、彼女たちの意識は途切れた。爆発は2隻の戦艦を巨大な火球で包み、その周囲にいたジムやギラ・ドーガをも巻き込んで、消えた。



 「ハセガワ中尉〜!」
 マサ・ヤマモト少尉の悲鳴がノイズ混じりに聞こえて、ハセガワはヤマモトの意志が感じられる空間へとゼータを駆った。ヤマモトのリック・ディアスは左腕と両足を失い、数機のギラ・ドーガに囲まれていた。
 「よくもヌケヌケと!」
 その動作の緩慢さを見て、ハセガワは残ったファンネルを全て射出する。次の瞬間、ギラ・ドーガたちは光の玉になった。
 「大丈夫か!?」
 「大丈夫……と言いたい所ですが、無理です……」
 「バーニアが生きているのなら、コロンブスに戻るんだ!地球の反対側に味方艦隊がいる、連絡をつけて援軍を寄越して貰うんだ!」
 「し、しかし、今からでは……」
 「アクシズにロンド・ベル隊だけを行かせるのは危険だ!ルナツーはもう落ちる、それにそのリック・ディアスではもう戦えない!」
 ハセガワが早口で喋るのを、ヤマモトは初めて聞いた。興奮しながらも冷静な判断をするこの中尉に従おう、ヤマモトはそう直感した。
 「了解!」
 ヤマモト機が戦域を離脱していくのを見やって、リルル・リーフレット少尉のゼータ・ガンダムが、ハセガワのゼータのシールドを掴んだ。
 「ハセガワ中尉、どうします?……ヴァルキュリエの残存部隊はロンド・ベルと合流するつもりみたいですけど」
 「さすがにゼータでも持ちこたえるのはキツい。それにルナツーはもう駄目だ」
 抵抗の火線がほとんどなくなったのを見て、ハセガワは絶望した。連邦政府はシャアに恩を売ったつもりでいたが、見事にしっぺ返しを食らったのだ。ルナツー以外に、地球に落として影響のある物体を、コロニーの他はアクシズ以外、ハセガワは知らない。
 「きみのゼータの推力はまだ大丈夫か?」
 「はい、まだ余裕はあります」
 ハセガワは、ロンド・ベル隊がロンデニオンにいたことを幸運に思った。もしルナツーにいたのならば、事態はシャアの思い通りに進むだろう……しかし、アムロ・レイを始めとするロンド・ベル隊は無傷で存在するのだ!
 「……この戦いを決める場所はアクシズだろう。そして、そこで主導権を握りさえすれば、こんな戦乱続きの世の中は穏やかになる」
 「では?」
 「行くぞ、リルル少尉!」
 「はい!」







 「従兄さん……もしかして、ノボル従兄さん?」
 「ん?……あ、君はアルスくんじゃないか!どうして君がここにいるんだ?」
 アルスは、見知らぬ軍艦の中で初めて知った人の顔を見て、思わず涙をこぼした。
 「あれ?どうして、涙が……」
 ノボル・ハセガワ中尉は、アルスの肩に優しく手を置く。
 「つらかったろう、ゆっくりとはいかないが、できるだけ休んで行きなさい」
 「いえ、別に大丈夫です……ちょっと安心しただけなんです」
 「そうか……しかし、なんだって君が軍に?」
 「僕がニュータイプ研究所に入ったのは、従兄さんも知っていたはずですよ?」
 「そうだったっけな。忘れてたよ」
 ハセガワは頭を掻き、舌を出しておどけた。
 「じゃあ、ひょっとしてヴァルキュリエ艦隊のゼータ……君だったのか」
 「はい」
 「……ヴァルキュリエ艦隊、壊滅だそうだな」
 「はい……司令が、モビルスーツだけでもアクシズにって……囮になって……」
 「そうか……しかし、このクラップがいて助かったよな。いくら高性能なモビルスーツでも、ルナツーからアクシズまで一気に行くのは、つらいもんな」
 アルスは黙って頷くと、決して頼りがいのある顔ではないハセガワの顔を見つめた。ハセガワは照れて横を向いた。
 「そんなに見つめるなよ、照れるだろ?……ねぇ、ルナツー、落ちたんでしょ?」
 通りがかった士官にハセガワは聞いた。士官は沈痛な面もちで頷き、ハセガワは改めてため息をついた。
 「しかしなんだね、疎遠だった親戚同士がこうやって軍艦の中で再会するっていうのも、偶然じゃない気がするな」
 「はい……僕が小学生の頃以来ですからね」
 「しかも、ヴァルキュリエか……信じる信じないは君の勝手だが、俺は以前あそこの分艦隊にいたんだぜ?」
 「ええっ?」
 ハセガワは遠い目をした。
 「ま、ちょっと前の話だがね」
 リルルが紙コップを三つ持ってきたのを見て、ハセガワは体を起こした。
 「サンキュー」
 「そちらの少尉さんも、どうぞ」
 「あ、ありがとうございます……」
 アルスは紙コップを受け取り、ひとくち口に含んだ。レモンティーだった。
 「あ、紹介しておかなきゃ。こちらアルス・イマオ……あ、名字変わってたんだったな」
 「アルス・ランスウェル少尉です。宜しくお願いします」
 リルルは、差し出された右手を見て、慌てて自分の右手を制服でゴシゴシこすった。
 「私はリルル・リーフレット少尉よ。よろしく」
 リルルは、その手の感触が何故か懐かしく感じて、思わず手を引っ込めた。
 「あれ?あなたどこかで会ったっけ?それとも……」
 「俺の従弟だ」
 ハセガワはくすりと笑った。リルルがそれだけなにかを掴めるようになっている、ということに対する驚きの意味もあったが。
 「はー、だから似たような感じだったんだ。手を握った感覚、ハセガワ中尉そっくり」
 「まぁな。で、どうだった?」
 リルルは両手でバツを作って見せた。
 「ダメです。メイン・エンジンも焼き切れてるし、ファンネルもからっぽです」
 「そうか……もともとルナツーの守備艦隊には、ゼータは配備されてなかったからな……修理は無理か」
 「どうかしたんですか?」
 アルスはつい口を挟んだ。
 「私たちが乗ってきたゼータ・ガンダム、壊れちゃったのよ。修理しようにも部品はないし……」
 リルルは悔しそうに言った。が、突然手を叩く。
 「そうだ!」
 「ん?」
 ハセガワは紙コップの中身を飲み干して、くしゃっと潰した。
 「この子のゼータ、まだエンジン生きてるわよね?だったら、私たちのゼータの部品使って、この子のゼータ直したらどうかしら?」
 ハセガワはアルスの顔をじっ、と見つめ、手を打った。
 「そりゃ名案だ。で、僕たちはどうするんだい?」
 「ジェガンでも借りるしかないわね。今さらジム3なんて、乗るつもりはないでしょう?」
 「むー。せめてサイコミュくらいは移植したいなぁ」
 「贅沢言わないの。アルスくん、それでいい?」
 なんだか勝手に話が進んでいくのでアルスはあっけにとられていたが、ゼータ・ガンダムを修理してくれるならと首を縦に振った。
 「よし、決まり!私、メカニックの人にお願いしてきますね。中尉、ゆっくり休んでいてください」
 「あ、ああ。君こそ、あんまり走り回ってくたびれないようにね」
 「了解しましたっ!」
 恋人同士の会話って、こういうものなのかなとアルスはぼんやり思う。さりげなく相手を気遣い、言葉以外のものでもコミュニケートしているようにすら感じられる。
 ルナは僕が判らなかった……アルスは、それが刷り込みと呼ばれる作業の結果だと推測する。いつか雑誌でみた、旧ティターンズによる人体実験によって確立された、記憶を偽造する方法。
 「あの人とは、いつ知り合ったんですか?」
 「ん?ああ、例のヴァルキュリエの分艦隊でさ……」
 ハセガワは横を向いた。照れた顔を、ずいぶん歳の離れた従弟に見られたくないのだ。
 「いい人ですね。ご結婚は?」
 「お互い軍にいて、できるわけないだろ?いつ死ぬか判ったもんじゃないから、生命保険だって入れないし、住宅ローンだって組めないんだぜ?」
 「えっ、そうなんですか?」
 「そうなんですかって、ね……」
 まだあどけなさの残る従弟を見て、ハセガワは連邦軍という組織に心底うんざりした。しかし、今は戦うしかない。
 「あ〜、そう言えばラー・カイラムにはブライトキャプテンとアムロ大尉がいるんだっけ。着いたら、挨拶しとかないと」
 「アムロ大尉、知ってるんですか?」
 「ん。地球にいたころの上官さ……あの人が宇宙に上がっているとは驚いたよ。シャアの気配、感じたんだろうな……」
 ハセガワが遠い目をするので、アルスはあわてて下を向いた。
 「笑わずに聞いてくれよな……俺、クワトロ大尉のやりたいこと、判る気がするんだ」
 「クワトロ大尉?」
 「シャアがエゥーゴにいた時に使っていた偽名さ……」
 従兄が胸のポケットからサングラスを出してかけた時、アルスはハセガワが泣いているのではないか、と思った。
 「アムロ大尉とクワトロ大尉な、本質は同じなんだよ……でもさ、理想論を理想論のままにしておくか、それとも実行に移すかで、対立するんだよ……二人が争ったってさ、何も変わりはしないのにな……」
 ハセガワはそう言ったきり、口をつぐんだ。アルスもまた、話しかけるのも悪い気がして、壁の傷を黙って眺めた。なんとなく従兄の言う意味も判る気がしたが、艦隊の進む方向に渦を巻く悪意のようなものを感じて、下を向いて目をつぶった。
 「あっ、ハセガワ中尉!ロンド・ベルと合流します、向こうに挨拶していただけませんか?」
 「え?」
 その士官の申し出は意外なものだった。
 「でも、この艦の関係者が行った方がよくないか?」
 「艦長も副長も、被弾した際に亡くなられています……そのため、この艦にいる一般士官の中では、中尉が一番高位なものですから」
 それを言うならレナ大尉がいる、とアルスは言おうとしたが、ハセガワに遮られた。
 「そういうことなら、行きましょう。あとでデッキに行きます」
 士官が去ってから、ハセガワはアルスの疑問に答える。
 「どうしてヴァルキュリエから来た大尉が行かないのか……そう思ってるだろ」
 「……はい」
 「悪いが、いくら味方でも正規兵は強化人間のことを嫌ってる。これは間違いようのない事実なんだ。だから連中は全てを知った上で、俺に話を持ってきた。わざわざ『一般士官』なんて言葉を使ってね」
 「でも……」
 「君の言いたいことは判るよ、アルス。だけど、人っていうのは弱いもんだ。自分にないものを持っている人間を疎ましがるんだな。それが、スペースノイドとアースノイドの間にある憎しみの根元さ……だから、そういうことを全て納得している俺が行くことに意味がある。あの連中のモビルスーツの修理は、君のも含めて後回しになるだろう。だから、アムロ大尉に頼んでロンド・ベルで修理してもらわないと」
 「従兄さん……」
 ハセガワはニッと笑って、Vサインを作った。
 「心配するなよ、ヴァルキュリエはロンド・ベルの分艦隊扱いなんだぜ?本隊と合流するのは当たり前じゃないか!」












第9章 完




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