7.強化人間




 サイド3から月周回軌道へと移動したヴァルキュリエ艦隊は、月にあるグラナダ市に降下した。グラナダにあるアナハイム・エレクトロニクスのラボに、データを提供するためである。
 実験艦隊という名目はすでになくなっていたが、それでも契約は生きていたため、サイコミュ関連のデータや実戦データなどをグラナダの工場に提供する。それが、今回の航海の目的の一つでもあった。
 「へー、これは面白い数値ですね」
 ヴァルキュリエ担当のエンゲイスト・ハートリー部長代理は、サイコミュのデータシートを見て感嘆する。
 「感情の波がこんなに影響を及ぼしている……パイロットの脳波と感情に因果関係が見られるとしたら、それをうまく制御に利用するコンピュータも作れるかも知れない」
 「コンピュータですか?」
 「ええ、連邦の戦略研究所でも、予算を組んで研究を始めたみたいですけどね……なんでも、生体波形とマシーンの能力を同調させて、より負担の少ないサイコミュとして動作させるコンピュータだそうです」
 ハートリーは別紙に目を移す。
 「あれ、レナ大尉のサイコミュ試験データ、かなりいい数値ですね?これでファンネルを使えないんですか?」
 「彼女は、違うのよ」
 キャロルはそう言って、髪を掻き上げた。
 「ファンネルに指令は出せても、ファンネルからのフィードバックを受けられないの……ま、普通の人間であれば当たり前だけど」
 「うーん、まだニュータイプとして覚醒し切れていない、ということですか?」
 「どうかしら?」
 企業側から言えば、ニュータイプも強化人間と同義である。すなわち、戦争に最適化された人間、という認識につきるのだが、キャロルは内心そのようにしか受け取れない人々を悲しんでいた。
 だから、データの数値が判っても、レナ・リューベックに対してファンネル使用のテストを行わないのである。
 「それより、他のモビルスーツのサイコミュを再調整して貰えます?ここ数ヶ月、実戦続きでまともにテストしていないのは謝りますから……」
 「いやいや、十回のテストよりも一回の実戦ですよ。サイコミュに対する負荷も、実戦と訓練とではかなり違ってきますから……じゃあ、エミ軍曹とヘレン少尉の機体をお預かりして、再調整に回します。その他の機体は、ここの設備をお借りすれば済みますので」
 「何日くらい、かかります?」
 「そうですね……」
 ハートリーはボールペンで額をカリカリと掻いた後に、持っていた書類に何か書き込む。
 「三日もあれば上がるでしょう」
 「なんとか二日になりません?」
 「司令」
 ハートリーは肩をすくめた。
 「お判りでしょうが、サイコミュの再調整は……」
 「はいはい、必ず三日でお願いします」
 キャロルは苦笑して、ハートリーから渡された引き渡し書にサインをする。
 「……はい、確かに。では、なんとか二日で仕上げるよう努力はしてみます」
 「よろしく」



 「と言うわけで、エミとヘレンはすることがありません。よって休日とします」
 「え?」
 突然そんなことを言われても、困るしかない。
 「司令、それってどういうことですか?」
 「ま、業務命令ってところかな。有給休暇をとりなさい」
 「それはいいんですけど、なにをしたらいいんでしょう?」
 エミがおずおずと、ヘレンの後ろから顔を出す。
 「そうね……」
 キャロルはペンをくるくると回す。
 「ショッピングでもしてきたらどうかしら?」
 「えっ、買い物に行くんですか?」
 アレックスが振り向く。
 「もし良かったら、マクダニエルのハンバーガー買ってきて貰えませんか?」
 「あっ、それいいな……ヘレン少尉、新しい石鹸、買ってきてくれません?」
 「あの、ご迷惑でなければ……ヘア・コンディショナーをひとつお願いしたいんですけど……」
 クリスとリンまで便乗してきたので、ヘレン・アンフォスターは苦笑する。
 「はいはい、それじゃそうさせて貰いますけど……」
 ヘレンは、キャプテン・シートにふんぞりかえるキャロルの方に向き直る。
 「司令は何かご入り用ですか?」
 問われたキャロルは、破顔一笑、答えた。
 「UVカットのファンデーション、お願い!」



 グラナダ市は、月にある街の中でも、かなり大きな街である。ルナツーにも地下街と呼ばれるものはあったが、軍事目的がその存在理由であるルナツーとグラナダでは、商店の充実度も民間人の密度も比べ物にならない。
 「しっかし……シェリーのリクエスト『蕎麦ガラまくら』って、どこで売ってるの?」
 既に大きな紙包みをいくつか抱えて、ヘレンとエミは噴水の広場でベンチを探していた。
 「アルス少尉の『1/100ゼータ・ガンダム』はデパートで買えますね」
 「プラモデル?まだまだ坊やだねぇ」
 「同年代の男の子と女の子では、女の子の方が精神年齢が高いって言いますから」
 「かと思ったら、モビルスーツの操縦はメキメキ上達するし……面白い坊やだよね」
 手近なベンチを見つけて、腰を下ろす二人。
 「あーやれやれ、とりあえずこれだけ先に持って帰る?」
 「そうですね、私、エレカ借りてきます!」
 エミは広場のはずれへと歩いていった。それを見送りながら、ヘレンは思いきり伸びをする。
 「ん〜……」
 作られた自然とは言え、やはりコロニーや月は精神を解放するのにはとても良い場所だった。軍艦の壁を見続けていれば、どんなに自制心に溢れた人間でも遠からず精神に異常をきたす。
 街に流れる流行歌が、日常生活を誇示する。ここは、人が生活する街……
 「ん?この感覚?」
 ヘレンは突然、既視感のような感覚に襲われた。なにか懐かしいような気配がする……
 「誰だ?知っている人?」
 その独り言を聞いて、前を通りがかった老婦人が眉をひそめるが、それはどうでもいいことだ。



 「まだ買うのか?」
 アシッド・レインは、馴れない人混みに出ると言うだけでも大変なのに、大量に買い込むルナの荷物持ちをさせられていることに嫌気が差していた。
 そもそも、軍艦に自室があろうとも、いつ死ぬか判らないパイロットともなればその私物の量は自ら制限するのが普通だった。遺品を整理する側の立場に立つと言うことではなく、現世への執着をある程度断ち切っておかねば、戦いの局面で無様な最後を遂げることになる。
 しかし、そのような理屈をアシッド・レインは理屈として知っているのではなく、皮膚感覚という形で埋め込まれていた。記憶の底に、そして常識というものの根底に、既にインプットされているのである。だから、その前提条件に合致しないルナの買い物は、彼にとっては全く理解できないことだったのである。
 「当然よ。もうすぐ大佐に会えるのでしょう?ならば、気の利いた服くらい……」
 「大佐のことは口にするな!」
 「いいじゃないの」
 「不用心だぞ!連邦軍の艦隊も入港したという情報もある、どこで聴かれるかも判らないんだぞ?それに、私服で会えるものか!」
 ルナは頬をぷうっと膨らませて、つかつかと歩き出す。
 「おい、こら待て!」
 「先に艦へ戻ってます。荷物、お願いね」
 ルナが行ってしまうと、人混みの中に一人いることが急に恐ろしくなり、荷物を抱えたアシッド・レインは足早に地下鉄の駅へと向かった。



 「あら?この感覚……誰かしらね?」
 エレカのハンドルを握りながら、エミは首を傾げた。



 「なんだ、この妙な空気は……なんだ?」
 ルナには、その気配が『なつかしいもの』である、と判った。しかし、その『なつかしい』という意味が理解できない。過去の記憶を探ろうにも、探る記憶がないのである。それなのに『なつかしい』と感じられる、その気配は危険なものだと認識する。
 「敵か?アシッド・レインが言っていた、連邦の人間?」
 油断なく辺りを見回す。風船を持ってはしゃぐ子供、ポップコーン売りの青年、街頭で芸をするピエロ、ベンチで笑い合うカップル、杖をつきながら歩く老人、そしてエレカの中から自分を見つめている少女……その瞳は驚愕で揺れている!
 「あいつか、この不愉快さの原因は!」
 ルナは木の陰に身を隠し、エレカの方を伺う。ドアが開き、少女がこちらに来るのが判る。
 「どういうことだ……あいつは、いったい誰なんだ?」


 「おっかしいな、確かにルナ少尉だと思ったんだけど……」
 エミは、あたりをもう一度ぐるりと眺めて、肩を落とした。
 「見間違いかしら?でも、あの感覚は間違いなくルナ少尉だったんだけどな……」
 きびすを返して、エミは待っているはずのヘレンの姿がないことに気づく。荷物だけが置きっぱなしになっている。
 「あらあら、どこに行ってしまったんでしょう、ヘレン少尉……」



 「やはり連邦軍か……しかし……」
 この懐かしさはなんだ、という言葉を飲み込んで、枝の影からエミを観察するルナ。
 「武器を捨てなさい」
 突然、後ろから声がする。しまった、とルナが思う間もなく、後頭部に銃口が押しつけられた。
 「ほら、早く武器を捨てなさい」
 「武器なんか持っていないわ」
 それは嘘である。足首の内側に、護身用の小型拳銃が隠してある。
 「手を頭の後ろで組みなさい」
 ルナは素直に従う。抵抗しても、殺されるだけだ……
 「なんちゃってね、ルナ、驚いた?」
 なんだ、とルナは思う。親しげな口の聞き方……それがルナの癇に障る。どうしてこいつが私のことを知っている?どうして親しげに声をかけてくる?
 「再会のあいさつとしては、ちょっと過激すぎたかしら?」
 ルナは振り返って、その少女の笑顔を正面から見据える。知らない顔だ、と判断する。
 「どちらさま?」
 「え……?覚えて、ないの?」
 「覚えるも何も、あなたなんか知らないわよ」
 少女が拳銃をホルスターにしまっているのを確認する。そして、着ているものは連邦軍の制服だ。間違いない、敵だとルナの深層意識が判定した。
 「知らないって、ルナ、あなたどうしちゃったの?」
 「どうもしないわよ。私はあなたなんか知らないし、連邦軍なんかに知り合いもいない」
 「連邦軍なんか?」
 「チッ」
 喋りすぎた、とルナは歯がみし、次の瞬間足首から拳銃を取りだして構える。あまりの出来事に、その少女の動きは止まったままだ。
 「動くな……声も出すなよ、小さな拳銃でも人くらいは殺せる」
 「ルナ、あなたルナ・アーニス少尉でしょ?どうしたの、私よ、忘れちゃったの?」
 「喋るなと言ったろ?頭を撃ち抜かれたいか?」
 ルナは苛ついていた。先ほどからこの少女が発散する親近感に似た感情も不愉快だったし、その少女に対して自分の心のどこかも共鳴している、その事実がなにより許せなかった。無理に感覚を押さえれば、頭痛も耳鳴りもする。沸き上がる親近感が、そのまま憎悪へと変換されていく。
 「動くなよ……」
 じりじりと間を取ってから、ルナはダッ、と駆け出した。
 「ルナ!」
 後ろで喚く少女に向けて、威嚇発砲をする。広場のざわめきが一瞬消えて、何が起きたのかという興味と好奇心、そして幾多の瞳がルナに集中する!
 「どけ!」
 老婆を突き倒し、カップルの間を突き抜け、ルナは走る。そのスピードは異常だ。
 「不愉快だ、不愉快だ、不愉快だッ!」
 最後は絶叫して、ルナは地下鉄駅の入口へと滑り込む。
 「私はあんな奴はしらない、この感覚は不愉快だ!」


 「大丈夫ですか!?」
 エミは、走り去っていくルナは目撃しなかった。木陰に尻餅をついていたヘレンに駆け寄るのが精一杯で、走り去る人物をゆっくり観察するヒマなどなかったのである。
 「ヘレン少尉?」
 「大丈夫大丈夫、ちょっとびっくりしただけだから……」
 そう言いつつも、ヘレンは内心驚愕と不安で揺れていた。あのルナが、自分に向かって発砲したという事実、これはとても重大なことだったのだ。
 「それより、見た?」
 「えっ?……いいえ、少尉が怪我していないか、そっちのほうが心配で」
 「ありがと」
 ヘレンはフッと笑って立ち上がり、腰から下にくっついた枯葉や土を払い落とす。
 「しかし……早めに買い物は切り上げて、イグドラシルに戻った方がいいかもね」
 「あの……あの感覚、確かにルナ少尉ですよね?」
 エミの問いには答えず、ヘレンは地下鉄の駅入口をただ、黙って見つめていた。



 「ふむ」
 報告を受けたキャロル中佐は、その情報は正しいな、と感じた。
 アナハイム社が所有する別のドックへの立ち入りが、規制されたからである。正確にはアナハイム傘下の整備会社名義のドックだが、これまでこんなことは一度もなかった。わざわざ文書と口頭で、立ち入るべからずと念を押されたのである。そしてルナ・アーニスがグラナダにいて、しかも記憶がない。武器まで携帯している。
 「問題は、アルスにそれを知らせて良いものかどうか、といった所ね」
 「私としては、黙っていた方がいいと思います」
 レナ・リューベックは、冷静に現場指揮官としての意見を言う。
 「ルナ当人であるという確認が取れていない以上、不用意に希望を持たせるような言動は避けるべきだと思います」
 「でも、ルナが生きていると判れば、アルス少尉ももっとやる気を出してくれるかも」
 「単独行動に出る危険性があります!」
 レナの剣幕に、キャロルは驚いた。
 「そんなに大声出さないでよ……」
 「あ、すいません……」
 「でも、大尉の言うとおりだわ。今のアルスに知らせたら、それこそゼータ・ガンダム一機で敵艦隊を相手にしかねないもの」
 キャロルはふう、とため息をつく。
 「ネオ・ジオンの艦隊が寄港しているというのは、まず確実ね……グラナダ上空で艦隊を展開して叩こうか?」
 「その場合、連中はグラナダ市を人質にできます」
 「うーん……手も足も出ないかぁ……どっちにしろ、アルスにルナのことは教えちゃ駄目よ。それ以外のことは、その都度考えることにしましょう。どっちにしたって、あとまる一日以上はここから動けないんですから」



 「うわあ、ありがとうございます!」
 アルスはゼータ・ガンダムのプラモデルを受け取って狂喜していた。色を塗るための道具はなかったが、この時代、プラモデルは全て超多色形成機による素材段階での色分けが完成していて、継ぎ目さえ綺麗に消せればそこそこの出来映え間違いなしとなっていた。
 「これ、欲しかったんです!」
 「でも、アルス少尉は実物に乗ってるじゃないですか」
 「いえいえ、乗っていれば中から外見は見えないじゃないですか!」
 「はぁ」
 エミには、男の子がどうしてこういうおもちゃに熱狂するのか、その理由が今一つ判らない。女の子における着せ替え人形とはまた違ったスタンスにあるプラモデル、この存在意義は永遠の謎かもしれない。
 「これ、明日中に完成させよっと!」
 「じゃ、私はこれで……」
 「夕食の時に、お金払いますね!どうもありがとうございました!」
 浮かれるアルスに背を向けて、エミはため息をついた。



 クリスは、久しぶりに行うハッキング行為に緊張していた。こちらのコンピュータの位置を探られぬよう、グラナダ政庁と公立図書館、そしてアナハイム・エレクトロニクスのサーバーを経由してのアクセスである。アクセスログの消去が出来れば、完全犯罪も可能なのだが、それはさすがのクリスにも不可能だった。だから、わざわざジャンク屋で買ったポータブル・コンピュータと公衆回線で、アクセスアカウントも偽名で取ったものを使っての侵入なのだ。
 ジャンク屋街付近の路上でネットにアクセスする二人の姿は、さほど奇妙でもなかった。探偵も情報屋も、そのようにして情報を手に入れることがたびたびだったからだ。
 だから、似合わないペアルックの二人が、ベンチに座ってポータブル・コンピュータを覗き込んでいたとしても、そんなに珍しい光景ではない。
 「えっと、アナハイム傘下の、どこ?」
 「ハインツ整備だよ」
 モニターを覗き込みながら、アレックスが言う。
 「は、は、は、は……ハ行なんてないわよ?」
 「別サーバーか?」
 「大企業は一括してメンテするから、わざわざサーバーを分けるなんてこと、しないと思うけど?」
 アレックスは、ネットで企業情報を参照する。
 「待てよ……ハインツ整備はおととしグループ入りしてる、アナハイム系でも比較的外様会社らしい。別サーバーの可能性が高いね」
 クリスは小さく舌打ちをして、アナハイム内のデータを読む。その中に、目指すコンピュータへの手がかりがあるはずだ。
 「……あった、これ!『関連企業合同運動会の通知発送先』、これだ!」
 その中からハインツ整備のアドレスを抜き出し、さっそく侵入を開始する。
 オンラインでコンピュータが繋がっているとは言え、情報漏洩を防ぐために社内ネットワークと社外ネットワークの接点に防壁はあった。ファイア・ウォールと呼ばれるそれは、旧世紀よりも格段にそのシステムの堅牢さを増していたのだ。しかし、クリスはそれをいとも容易く突破する。
 「おい、今、なにやった?」
 「フフン、企業秘密!こういうプログラムってね、必ずプログラマーのクセみたいなものがあるんだ」
 クリスは軽快にキーボードを叩く。白い指が、キーの上で華麗に踊る。
 「情報部にウェラー少佐っていう人がいてね、そこで教わったんだよ」
 クリスの手が止まる。
 「こいつか、ドック使用予約・予定表……ビンゴだ、やっぱりネオ・ジオンの艦艇が入ってる!」
 「急げクリス、グラナダ政庁はもうじき営業終了だ、接続を切られる!」
 「ダウンロードにあと十秒……五秒……終わり!」
 クリスは来た経路を戻りつつ、自分の情報を巧妙に隠していく。ログの優先順位を変えたり、またはユーザーネームを変えたり。接続を切り、データをディスクに保存し、そのポータブル・コンピュータをジャンク山に叩き付けて初めて、二人はふうっとため息をついた。
 「よし、じゃあ早く中佐にデータを届けないと!」



 「遊びでやってるんじゃないんだよ!」
 何やら呟きながら、アルスはプラモデルを組み立てる。足と腕が終わり、そろそろ胴体に入る。



 企業というものは、基本的に裏表があるものだ。そう納得していても、キャロルはつきつけられた現実に、あきれて物も言えなかった。
 ロンド・ベルがいくら探しても、ネオ・ジオン艦隊が見つからないわけである!市井に生きる人々にとって、連邦政府は確かに寄るべき大樹なのだが、それ以上にジオンの影響は大きいのである。
 空気や水がタダだと思える人々に、その感覚は理解できない。
 だから、反ジオンの急先鋒と目されるロンド・ベル隊が来れば、市民たちが率先してネオ・ジオンの影を隠してしまうのだ。
 「クリス、お手柄よ〜?」
 「えっ、やっぱりそうですか?頑張った甲斐があったなぁ」
 プリントアウトした用紙を手に、キャロルは微笑む。
 「でも、これは公式には発表できない……さすがに、ハッキングとデータ窃盗は軍でももみ消せないわ。だから、この件で軍からボーナスは出ない」
 「やっぱり、そうですよね……」
 がっくりと肩を落とすクリス。
 「でも、この艦がいつ出ていくのか、どこに行くのか、それは判らなかったの?」
 「お役所のサーバーが、五時で切られちゃうんです。だから、さすがにそこまでは……」
 「ドック付近に偵察を出したらどうでしょう?」
 リンが口を挟む。
 「無理ね、あの辺りは私有地で立入禁止になってるし」
 「どっちにしろ、ガンダムが戻ってくるまで動くわけには行かないのよ……でも、偵察というのはいいアイデアだわ。外から観察する分には、バレないと思わない?」



 「よし、ウェーブ・ライダー形態に変形だ!」
 アルスは、ゼータ・ガンダムを変形させる。実際に見ているわけではないので、なるほどこういう変形だったのか、と妙な納得までする。
 「大気圏に突入します!キィーン……」
 ウェーブ・ライダー形態のプラモデルを手に持って、自室の中を歩くアルス。と、ドアが開き、レナ大尉と目があってしまった。
 「あ……」
 アルスは、赤面した。



 「ゼータ・ガンダム、行きます!」
 夕食のハンバーガーを囓りながら、アルスはフット・ペダルを踏む。レナ大尉に一人遊びの現場を見られてしまったことを思い出し……アルスはまた赤面する。
 「アルス少尉」
 レナ大尉のマーク2が、ゼータのシールドに手を触れる。
 「乗せてくれる?」
 「はい」
 アルスはゼータを変形させる。レナはマーク2をウェーブ・ライダー形態の背中にそっと乗せる。
 「じゃ、行きましょうか」
 「いいわよ」
 ウェーブ・ライダーをそっと前進させる。まだドックの中だから、あまりスピードは出せないのだ。モビルスーツ用のエア・ロックを抜けて、宇宙空間に出ると、アルスは徐々にゼータを加速させていった。
 アルスのゼータ・ガンダムを、サブ・フライトシステム代わりに使うことを提案したのは、レナである。ネオ・ジオンの艦艇にルナがいたとして、それを自然な形で知らせた方が、妙な影響は出ないのではないか、そう考えたのである。
 レナ自身は、人の意志を感知できない。
 だからこそ、人の意志を感知できる部下たちに、余計な心労を抱えさせたくないのだ。
 「ねぇアルス少尉」
 「はい、なんでしょう?」
 「プラモデル、もう作っちゃったの?」
 レナの声は笑っていた。アルスはまたも赤面する。
 「あっ、あの、仮組みです。仕上げは、まだですから……」
 「いつもああして、遊ぶの?」
 「たっ、たまに……」
 アルスはもう恥ずかしさの絶頂にいる。もしレナ大尉がヴァルキュリエのみんなに喋っちゃったら、今後みんなとどういう顔してつき合えばいいのか、判らなくなるよ……
 レナはガンダムマーク2の右手に持たせてあるビーム・ライフルの銃口を、ウェーブ・ライダーのコクピットに向ける。
 「えっ?」
 「アルス少尉、落ち着いて聞きなさい……これは確定情報ではないけれど、信憑性は高いわ」
 「なんでしょう……」
 「私たちが見張るドックに入ったネオ・ジオン艦艇、そのクルーの一人が、ルナに似ているらしいの」
 「えっ?……それ、どういうことです?」
 「買い物に行ったヘレン少尉とエミ軍曹が目撃しているの。ルナに似た女の子がいたって」
 レナはあえてヘレンとルナが会話したことを言わない。少年に、絶望を与えるのは良くない。
 「つ、捕まっているんですか?」
 「判らないわ」
 「助けに行かなきゃ!」
 「落ち着いて!」
 コクピット・ハッチを銃口でノックする。アルスは操縦桿から手を離した。
 「でも、ルナがいるんなら、助けるのが僕の役目でしょ?」
 「その女の子がルナだと決まったわけじゃないわ。それに、ヴァルキュリエはあと一日、ガンダムの調整次第ではあと二日は動けない……その間に、ここからネオ・ジオンの戦艦が出ていっては、まずいことだって判るでしょ?」
 「なら一気に攻撃を!」
 「落ち着きなさい!そんなことしたら、グラナダに被害が出るでしょ?私たちの任務は、ここでドックを監視すること!命令よ、判って?」
 「は、はい……」
 アルスはしぶしぶ返事をして、眼下に広がる貸しドックのハッチを睨み付けた。



 「なんだ、この感覚は?」
 アシッド・レインは、上空に妙なものを感じたような気がしていた。ルナの感覚と、よく似ている……何か、焦っているようにも思えるこの感覚は、不愉快な物ではなかった。しかし、その感覚の断片がモビルスーツの映像を伝えたとき、彼は自室を飛び出してモビルスーツ・デッキに向かっていた。
 「どうした、出発はまだ三十分後だぞ?」
 「敵が来ている!」
 「なら黙っているしかない!今事を起こせば、二度とアナハイムでは補給を受けられないんだぞ!」
 「馬鹿言え、ドックから直接出るかよ!」
 整備兵は受話器を取り、ブリッジへと回線を繋ぐ。
 「艦長、アシッド・レインが出ると言っていますが……」
 「やめさせろ!こちらでも連邦のモビルスーツは確認している、物資搬入が終わり次第攻撃命令を出すから、それまで待機しろと伝えておけ!」
 「ハッ!」
 スティーブ中佐は不機嫌そうに頭を掻く。
 「これだから、強化人間って人種は!」



 「ねぇアルス少尉」
 「はい」
 「他人を感じられるって……どういうこと?どんな感じ?」
 アルスは突然の問いに困惑する。皮膚感覚と同じような物を、一から説明するのは難しいことだ。
 「そうですね、温かみとか鋭さとか、体臭とか息づかいとか、そういったものが流れ込んでくるといった感じですか。僕にもまだしっかり表現できないんですが……」
 「鋭さ?」
 「嫌な予感みたいなものです。空気が違うというか、殺気というか……」
 「私にはどんなものを感じる?」
 そう言われても、いつも会っている人の感覚を正確に表現するのは、難しい。
 「そうですね……安心というか、知っている人というか、そういう感覚です。宇宙空間で、レナ大尉のいる周囲に入れば、そういう感覚があります。見えるというより、空気の違いと言った方が判りやすいかも知れません」
 「敵が来るとか攻撃されるとか、そういったことも判るの?」
 「敵意は判りますし、トリガーを引くときの憎しみ、命が消えていくときの断末魔は判ります。でも、それに反応できるかどうかは、また別の問題です。敵の憎しみが大きければ、びっくりして動くことができないかもしれません」
 レナは操縦桿に手をかけたまま、深くため息をつく。
 「命が消える感覚というのは、みんな一緒なの?」
 「……違います。敵対する人の心は鋭く突き刺さってきますし、知っている人の命が消えたときは、消えると言うよりは拡散する感じがします」
 レナには、アルスの言うことが半分も判らなかった。しかし、自分の立場としてはそれで正しいのだと納得をする。常にサイコミュのスイッチを入れていても、ファンネルは動作しないしメイン・コンピュータの処理にサイコミュが干渉することもなかった。しかし、自分はそれで良いのだと、レナは再び納得をする。
 「それでアルス少尉……あそこに、ルナはいる?」
 「それが、判らないんです……僕の知っているルナの感覚は、あそこにはいないように思えて……」
 「そう……でもさ、本当はいつもプラモデルで、あんな風に遊んでいるんでしょ?」
 アルスは再び赤面した。



 「補給作業、完了しました」
 「よし、ドック脇の小ハッチからドーベンジャッカルとヤクト・ドーガを出して、外にいるモビルスーツを追い払え!出航する!」
 スティーブ中佐の号令を聞いて、アシッド・レインはドックから奥に続く通路へと、ドーベンジャッカルの黒い機体を移動させる。
 「機種は?」
 「ガンダム・タイプが一機だ、どうもこの間の実験艦隊らしい……沈められるか?」
 「俺を誰だと思っている?それくらい、やれる」
 「でかい口を叩くな!慢心は失敗を呼ぶぞ。……ルナ少尉、アシッド・レインに続いて出撃だ。敵をなるべく遠くに追っ払ってくれればいい」
 「落とせば問題ないでしょう?」
 ルナはニッ、と笑って回線を切った。自分たちを一段低い人間として見るスティーブ中佐などに笑顔は見せたくなかったが、久しぶりの実戦に胸が躍る自分を感じていた。
 「なに、久しぶりだと?」
 ルナの表情が曇る。
 「どういうことだ……私は、これが初めての実戦のはずだ……」



 アルスは、そのルナの逡巡を読みとる。
 「レナ大尉、敵が来ます!」
 ゼータ・ガンダムを降下させ、岩影に身を隠す。
 「アルス、しばらくゲタ代わりでお願いね?」
 「はい……来た!」
 アルスは火器管制を残して、コントロールをレナ機に移管する。ドッ、とスラスターが火を噴き、ガンダムたちはビーム・ライフルの火線を避けて月上空へと舞い上がった。
 「ゲタ履きのモビルスーツだと?そんなもので、このドーベンジャッカルに勝てるものか!」
 見慣れない黒い機体に宿る力が、ルナ機撃墜の際にも感じられたものだと知って、アルスは逆上する。
 「お前か!ルナをやったのは!」
 ビーム・ライフルを撃つアルス。アシッド・レインは、そのゲタ履きガンダムから二人の人間の意志が伝わってきたので、混乱する。
 「なんだと?有人のゲタ!?」
 「アシッド・レイン!」
 スカイブルーのヤクト・ドーガが、ガンダムとドーベンジャッカルの間に滑り込み、ビーム・マシンガンを乱射する。
 「落ちろ、落ちろ、落ちろ!」
 「このままでは不利です、レナ大尉!」
 「あの黒いのは任せて!アルス、あなたは青いやつを!」
 言ってレナはガンダムマーク2をウェーブ・ライダーから切り離し、月面へと加速をかけた。追うハウンドジャッカル、そしてその動きに同調しようとしたヤクト・ドーガの面前で、アルスはゼータ・ガンダムを変形させる。
 「やっぱりネオ・ジオンの機体がいた!ルナを返せ!」
 「なんだと、こいつ……ガンダムなのか!?……返せ、って、私のこと……」
 ルナは混乱する。
 ガンダムは敵である。しかし、たった今変形したこのモビルスーツに感じられる意志は、暖かくて懐かしい……まるで、そこが帰るべき場所であるかのような感覚に、ルナは呆然とした。
 「えっ?」
 敵意の中から、かつてのルナと同じ感覚を見て、アルスは呻いた。
 「まさか……まさか……」
 まるで動く様子のないヤクト・ドーガに、アルスはゼータ・ガンダムを接触させる。
 「もしや……君は、ルナか?ルナ・アーニスがこのモビルスーツに、乗っているのか?」
 「誰だお前……頭が痛い、なんで私の名前を知っている?」
 その声、その息づかいを聞いてアルスは確信した。
 ルナだ!
 アルスは信じられないほどの幸福感に包まれる。ルナが生きていた!そして今、目の前にいる!
 しかし、アルスのその波動は、ルナにとっては不快である。心地よい分だけ、不愉快さが増すのだ。ルナはゼータ・ガンダムからヤクト・ドーガの機体を引き離すと、ビーム・マシンガンを撃つ。
 「ルナ!?」
 「黙れ!」
 ヤクト・ドーガは、貸しドックから遠ざかるように加速する。アルスの頭の中には、既にネオ・ジオンの艦艇が隠れていることなど残っていない。ゼータを変形させて、後を追った。
 「待って!話を聞いて!」



 替えのエネルギー・パックをビーム・ライフルに装着しながら、レナは相手の素早さに舌を巻いていた。もともとガンダムマーク2は、汎用タイプとして設計されている。そのため、宇宙空間でのみ使用されることを前提に設計されたモビルスーツには、どうしても機動性の面で劣ってしまうのだ。
 しかも、レナ機のファンネルは、レナ本人の資質のため使えない。機動性を補って余りあるオールレンジ攻撃を行えないとなれば、長時間の交戦は死を呼ぶことになる。
 「ん?あれは……ヤクト・ドーガとゼータ!?」
 レナは一瞬の隙をついて、こちらに向かってきたゼータの背に飛び乗る。
 「レナ大尉!あれはルナです!」
 「えっ?」
 アルスはさらにゼータを加速させる。ドーベンジャッカルと合流したヤクト・ドーガは、ファンネルを放出してそれを迎え撃つ。
 「うるさい奴、しつこい奴は落ちろ!」
 その絶叫を、確かにレナも聞いた。だから、ビーム・ライフルのトリガーを引くことを、忘れた。
 「どういうこと!?」
 「だから、あれはルナなんです!あれは、ルナ・アーニスなんです!」
 アルスは絶叫して、ファンネルを出す。ヤクト・ドーガのファンネルに直接ファンネルをぶつけ、その数を減らしていく。
 「旧式が、出来ると思うな!」
 ビーム・サーベルを持って襲いかかるドーベンジャッカルの背後から、幾重ものビームの煌めきが、ガンダムたちを襲う。
 「なんだ!?」
 「モビルスーツ隊は撤収だ!艦は無事に出航した、このまま合流ポイントに向かうぞ!」
 ギラ・ドーガのパイロットの声がヘルメットの中に響き、ルナは自分の心が急速に冷静になっていくのを感じた。もはや、ゼータ・ガンダムのパイロットのことなど、ルナの心にはない。
 「逃がすものか!」
 「やめなさい、アルス少尉!帰るわよ!」
 「でも、レナ大尉!」
 「たった二機のモビルスーツで追撃は出来ないわ……それより、貸しドックからネオ・ジオンの戦艦が出てくる場面の写真を撮ったから、これを証拠に連中の行き先を聞き出す方が先決!」
 アルスは唇を噛み締めて、遠ざかっていくテール・ノズルの光を見送る……その瞳に、うっすらと涙が滲んだ。



 「我が艦隊をロンド・ベルの分艦隊と知って、隠していたわけですか?」
 証拠写真を突きつけられたハートリーは、汗をハンカチで拭きながら抗弁する。
 「ハインツ整備は、系列とは言え別採算ですし、私の部署からはどうにもならんのですよ。立ち入り禁止令だって、もっと上から出ているでしょう?それに、我々の部署はロンド・ベルにも納品していますし、隠す必要、ないですよ」
 キャロルは、そのハートリーの抗弁は正しいと思う。実際、現場レベル以上のところで、政治的なかけひきが行われていると想像するのだ。現場は、自分たちがどのような役割かを教えられずに、日々の労働をこなすしかない。
 「判ります、ハートリーさん。私たちはあなたを責めるのではなく、この艦がどこへ行ったのか、それを知りたいんですよ」
 「そんな!それこそ、我々の裁量を越えた仕事です!」
 「ドックの利用記録に、出航後の予定を記載する欄があるはずですが?」
 「キャロル司令だって、いつも空欄で提出なさるじゃないですか……」
 「本当に空欄なのか……それだけでも、判りません?ガンダムの調整も、遅れているようですし」
 キャロルは笑ってみせる。ハートリーの部署でサイコミュの調整をしている二機のガンダムは、仕上げにもう少し時間がかかりそうなのだ。それくらいのことは、クリスが調べ上げている。
 「判りました」
 ハートリーはため息をついて、ハンカチをポケットにしまった。
 「一応調べてみます。ガンダムの方も急がせますが、例の艦の行方については期待しないでくださいよ」
 キャロルは肩を落とすハートリーに、悠然と微笑んだ。
 「期待してますよ、ハートリーさん」



 アルスは自室のベッドに寝転んで、天井を見つめていた。
 (あの感覚は確かにルナだったけど……)
 人の波動というものは、基本的には一定である。色で言えば、赤い人はどこまで行っても赤系統でその存在を示すのだ。赤さのレベルや明暗で感情が変わる、と思えば良い。だから、怒っていようが笑っていようが、その人の基本カラーというものは変わらないのである。
 しかし、アルスが遭遇したルナは、彼女の感覚の上に知らない感覚がフィルターのように覆い被さっていて、本当にルナなのかさえ判らなくさせていた。しかし、一瞬だけ見せた感触、それがルナそのものだったので、アルスは困惑するのである。
 (人の気配というものが、変えられるとするならば、それも理解できるけど……)
 頭の中で言葉をこねくり回しても、アルスにはよく判らなかった。それが、刷り込みと呼ばれる作業によって作られたルナの意識であるとは、そういった知識のないアルスに判るはずがない。



 「青いヤクト・ドーガにはルナ・アーニスとおぼしき人物が乗っていた、と?」
 「はい」
 キャロルはレナに扉を閉めるよう言って、ベッドに腰掛けた。キャロルの自室に、レナは初めて入ったのだが、その殺風景さに一瞬ドキリとした。
 「アルスは何て?」
 「ルナで間違いないんだけど、判らないと……どうも感覚が違うと言っていました」
 「レナ大尉、強化人間へ戦闘への強いモチベーションを与えうるものって何だか、判る?」
 「いえ……」
 「記憶の制御よ」
 小型冷蔵庫からジュースのパックをふたつ、取りだして一つをレナに投げるキャロル。
 「おいしいわよ、それ。ノンカロリーだし」
 「記憶の制御って、どういうことですか?」
 「催眠療法と、重化学化合物の投与によって記憶を消したり、新しい記憶を与えたりするの。催眠術をかけて、麻薬を飲ませる」
 キャロルはこともなげに言うと、パックにストローを突き刺した。
 「人格を変容させることもできると聞くわ……連邦では、オーガスタとニッポンの研究所が主に手がけていたテーマみたいだけど」
 「オーガスタって、確かルナの出身も……」
 「逆行催眠で、過去の記憶を喋らせることもできるわ。出自を知れば、それなりに方法はある。ルナは間違いなく刷り込みを受けて、ネオ・ジオンの戦士に仕立て上げられているわね」
 レナはキャロルに倣ってジュースを一口飲み、その酸っぱさに顔をしかめた。
 「アルスに知らせるか?……いや、彼の気力は戦いでは有効だ……」
 キャロルは冷徹に判断する自分に絶望する。人の心を戦いに利用しようとしているのは、他ならぬ自分なのだと自覚するからだ。



 「良く仕上げてくれました!」
 ガンダムマーク2が搬入されるのを見て、キャロルはハートリーに右手を差し出した。
 「いやいや、礼はエンジニアたちに言って下さい。二日完徹した者もいるのですから……所で」
 ハートリーは声を潜める。
 「例の艦、どうも地球の周回軌道に入ったようです。予想通りドックの利用記録は空欄でしたが、整備担当の者に話を聞けました。なんでも、ひょっとしたらバリュートが必要かも知れない、なんてパイロットたちが軽口を叩いていたそうです」
 「ラサに直接降下攻撃をかけるつもりかしら?」
 「さぁ、そこまでは……」
 ハートリーはハンカチで汗を拭く。一企業人であるハートリーに、ネオ・ジオン軍の動きなど、判ろうはずもない。
 「しかし、レナ大尉のファンネルの件、考えてみて下さい。たぶん、そのうち使えるようになると思いますから」
 「判りました、そのうちテストしましょう」
 キャロルは渡された用紙の、次の寄港予定先に「ルナツー」と書いて、それをハートリーに渡した。
 「次にお目にかかるのは二ヶ月後の予定ですわね……」
 「予定は未定、と言いますからね。サイコミュに不調が出たら、いつでもお知らせ下さい。こちらからお迎えには上がれませんが、万全の準備を用意してお待ちいたします」
 がっちりと握手をして、ハートリーは下艦していった。
 「よし、ヴァルキュリエ艦隊、出航する!目的地はルナツー、途中暗礁空域にて実戦テストを行う!以後のタイムスケジュールは随時こちらから発信する!」
 エンジンが始動し、艦体が微かに振動を始める。ドックのスタッフが信号灯で誘導しているのが見えた。キャロルはクリスたちに指示を飛ばし、艦体は月上空へと飛び立つ。
 「司令、月軌道からの離脱コースに入りました」
 「ごくろうさま……アースガルドとベルダンディーは?」
 「後方にいます!同じコースで月軌道から離脱の模様」
 リンはふうっとため息をついて、名残惜しそうに月を見る。
 「どうしたのリン?」
 「いえ、今回は上陸できなかったので……」
 「ルナツーから、今度はサイド4に向かう航路が提案されているわ。その時にでも、上陸なさい」
 キャロルとリンのやりとりを聞きながら、アレックスはモニターに突然現れた表示に眉をひそめ、転送されてきたファイルを展開する。すると、その表情が、みるみる険しくなっていく……!
 「し、司令!フィフスから緊急コードが!」
 アレックスのその悲痛な声が、本当の戦いの始まりを告げていた。
 「すぐに解析!」
 「やってます……これは、SOSです!『ネオ・ジオンを名乗る艦隊により攻撃を受けている、近辺を航海中の連邦軍艦艇は至急救援に参られたし』、です!」
 「フィフス・ルナだと、ここからじゃ間に合いませんね……」
 レナ大尉は注意深く言った。
 「そうね……もしネオ・ジオンの作戦なら、各コロニー駐留軍も反乱を恐れて救援に行けない……」
 「ロンド・ベルが救援に回った模様!各コロニー警備軍と周辺宙域を航行中の艦艇にも、ブライト大佐の名前で増援要請がでています!」
 「そうは言っても、働くのはいつも特定の部署だけなのよね……」
 クリスが爪を噛む。リン軍曹が、キッと顔を上げた。
 「司令、私たちも急行しましょう」
 「そうね……しかし、フィフスなんか攻撃してどうするつもりなのかしら」
 「は?」
 アレックスが振り返った。
 「だってそうでしょ?あんな隕石基地、支配下に置いても橋頭堡にもならないわ」
 「司令?」
 「ん、とりあえず、最大戦速でフィフス・ルナに向かいます。アースガルド、ベルダンディーにも連絡、ロンド・ベル艦隊の支援に向かいます!」
 キャロルは、ひょっとしたらシャアがフィフス・ルナを地球に落とすのではないか、と思いついていた。ジオン・ダイクンの理想をてっとりばやく実行するには、地球を人の住めない環境にしてしまえば良い……
 しかし、それは人の業ではない。
 人を、そして幾多の生命を生み育んできた地球を、核の冬によって寒冷化するなど、してはならないのだ。人にインテリジェンスというものが存在する以上、理想を暴力によって具現化することは、あってはならない。いくらシャアでもそこまではせず、恫喝に留めるだろう……とキャロルは推測する。連邦、ネオ・ジオン、どちらが勝とうとこの戦いが残す傷跡は大きすぎる。
 艦隊が全速でフィフス・ルナへと進み始め、キャロルはキャプテン・シートから降りた。
 休めるときには、休んでおかねばならない……









第7章 完




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