6.少年の苦悩




 先ほどの戦闘は、艦への被害こそ少なかったものの、搭載されているモビルスーツ隊は甚大な被害を受けていた。ジム3隊の損害も大きく、エミ軍曹のガンダムも片腕を吹き飛ばされ、そしてその他のモビルスーツたちも装甲を交換しなければならなかった。だから、ルナが撃墜されていても、全く不思議ではなかった。
 「アルス少尉、気を落とさないで」
 普段他人を全く気にかけないシェリー少尉がアルスに声をかけた。
 「私もルナを助けようとは思った……敵のプレッシャーで近寄れなくて」
 「あなたが謝る必要はないですよシェリー少尉」
 アルスは言いながらも、猛然と腹を立てている自分に気がついた。それは誰に向けた怒りでもなかった。自分自身に向けられるべき怒りだったのだ。少なくともアルスはそこで自分の無力さに対して腹を立てるべきだったのだが、急に沸き上がった熱い感情は、目の前の人間に対して噴出してしまった。
 「どうしてあなたが謝るんですか?それともあなたはルナを見殺しにでもしたつもりになっているんですか?」
 今思えばずいぶんなことを言ってしまったとアルスは思う。それでなくてもシェリー少尉は隊の中でも離れた場所にいるというのに。
 「いや、そうじゃなくて……」
 「だったら何なんです?大体どうして僕に謝るんです?ルナがやられたことと僕と、どういう関係があるんですか?他人の心配などしている場合じゃないでしょう、今は戦争をやってるんですから!」
 「アルス、言い過ぎよ」
 「いい。私が悪いの。敵のプレッシャーに怯えて、ルナ少尉を援護できなかった」
 椅子に座ってジュースを飲んでいたミリシア少尉が声をかけたが、シェリー少尉はさらに自分の非を認めた。その言動がさらにアルスを煽った。
 「知りませんよそんなこと。ルナは撃墜されたんです。そうでしょう?脱出カプセルを敵が拾って行っただなんて、そんな気休めはよしてください」
 アルスは言って、ブリーフィング・ルームを出た。非常に気分が悪かった。


 アルスは部屋に戻ってすぐにベッドに飛び込み、一時間ほど泣いた。ようやく仲良くなれたルナが死んでしまった。その悲しみがじわじわと心を蝕んでいった。
 こんな場所で恋をするなと言うのなら、最初から男しかいない部隊に入りたかった。初めて同年代の女の子に好意を寄せられて増長していた部分もあったかもしれない。が、それと戦いの局面とは全く別次元の問題だ。どうして僕はこんなにしてまで戦わなければならないのか?
 それは、戦時下の軍艦内で考えてはならないことだった。しかし、逆上していたその時のアルスには事の是非など判ろうはずもなかった。少なくともこの戦争は僕が始めたものでもミナコ博士が始めたものでもない。どうしてそんなものに僕が命を賭けなければならないのだろうか?
 決して憶病心から出た思考ではなかったはずだが、その中に彼は逃避しようとしていた。それが逃避であると気づくには、その時のアルスには無理な相談だった……



 「どうして戦うって?そういう疑問が、なんで軍艦の中にいる君から出るのかな」
 キャロル中佐の視線が、襟の階級章に向いているのをアルスは感じた。
 「あなたは、自分が必要とされているという自覚はないの?」
 「命を賭ける理由が見あたらないんです。どうして僕は戦わなきゃならないんです?どうしてみんなは、平然と戦争をできるんです?」
 「アルス」
 「いいから、言わせなさい」
 アレックスが僕を咎めたが、キャロル中佐はそれを諫めた。
 「僕は……僕にはなにもできない……僕にはもう、自信がないんです」
 「それが本音ねアルス・ランスウェル少尉。ルナが撃墜されたのが、そんなにショックだったかしら?……動揺するのは判るけど、まだ死んだと決まったわけではないのでしょう?マーク2の残骸からは、確かに脱出コクピットが射出された形跡があります。そうやってルナが撃墜されたことを引き合いに出しているけれど、ただ単純にあなた自身が怖じ気づいたのではなくて?」
 「そ、それは……」
 図星だったが、認めたくはなかった。
 「実戦で、僚機が撃墜されるなんてことは、よくあることです。初めての経験で自信を喪失しているのは判るわ。でもね、そういうのは男の子の態度じゃないわよ」
 急速に、自分の考えていたことが逃避だと判り、アルスは穴があったら入りたいという心境になった。揶揄を含まない指摘が、こうまで鋭ければ非を認めないのは無駄だ。
 「ま、初めて味方機の撃墜を体験したのだから仕方がないわ。誰だって最初はショックを受けるものですからね。でもこれだけは覚えていて頂戴。ここは軍艦であなたはパイロットなの。そして、これからもこういう事態は起こりうるわ。だから……」
 アルスはもうまっすぐキャロルの目を見ることができなかった。だから、ただうつむきながら、言葉の続きを待つしかなかった。
 「もし嫌なら、この艦を降りなさい」
 「司令!」
 アレックスがまた抗議の声色で口を挟んだが、キャロル中佐は構わず続けた。
 「いろいろ……考えてみるといいわ。軍だけが就職先ではないし、まだ若いんだから」
 「キャロル中佐、それはいくらなんでも……」
 「アレックス、黙りなさい」
 「……はい」
 とうてい承伏しかねるといった口調でアレックスは言う。それはそうだろうな、とアレックスをちらりと見ると、彼はぷいと横を向いてしまった。
 「あなたさっき、どうしてみんなは平然と戦争をできるのか、って訊いたわね?」
 「……はい」
 「なら、みんなに直接訊いてらっしゃい。これからこの艦隊はサイド3で補給と修理を受けます。その間は休暇扱いにしてあげるから。それからでも、降りるか降りないかを決めるのは遅くないと思うわ」



 「アルス少尉、一緒に買い物に行かないかい?」
 「は?」
 アルスが、自室のベッドで寝そべりながら雑誌を読んでいると、通りがかったクリスが声をかけてきたのだ。
 「買い物だよ。洋服とか化粧道具とか、いろいろ買いたいんだ。つき合ってくれない?せっかくコロニーに来たんだから、映画も見たいし」
 「はぁ……荷物持ちですね」
 「ま、ね。お昼おごるからさ……」
 「いいですよ、お供します」
 アルスは笑ってベッドから降りると、椅子の背もたれにかけてあった上着を着る。半舷上陸とは言え、軍属の彼らはコロニー内での軍服着用が義務づけられているのだ。調子のいい士官たちは私服行動もするが、見つかればそれなりのペナルティが科せられる。それを嫌って、一般の将兵たちは皆軍服で街へと繰り出していた。
 だが、クリスは私服だった。
 「アルス少尉は、なにか予定はなかったの?」
 「いいえ、別に……身の回りのものは官給品で間に合いますし」
 「あんたは、なんで私に敬語を?」
 港湾ブロックは無重力である。と言っても、厳密に言えばそうではない。コロニー本体とは独立して低速で回転する港湾ブロックは、その低速度ゆえに微弱な慣性重力が働いていた。もし完全に無重力であれば、積み荷はバラけてしまうし、艦の修理もスムーズにはいかない。
 その代わり、床を蹴って50センチも飛び上がればそこはもう無重力だった。そのため、移動にはリフト・グリップが利用されているのである。
 クリスはリフト・グリップを右手にもったまま器用に後ろを向いて、首をかしげる。
 「階級は少尉の方が上なのに」
 「いやあ、階級って言われても実感ないんです……それでも、曹長はヴァルキュリエ隊では先輩にあたりますし、横柄な口なんかきけません」
 「変な少尉さんだね」
 クリスはくすくすと笑うと、体をひねって前を向いた。
 「そうですか?」
 「変だよ、変。艦長に食ってかかったりしてさ。軍隊、向いてないのかもね」
 「そうかも知れません……でも、クリスさんはなんで戦うんです?軍艦にいなければ、洋服だってお化粧道具だって簡単に手にはいるのに」
 クリスは、にっと笑う。
 「ミネバ・ザビって、知ってるかい?」
 アルスはしばらく考えた後、思いつくだけのミネバに対する知識を口にした。
 「ドズル・ザビの娘ですよね、確か。ハマーン・カーンに担がれてネオ・ジオンの象徴になってからすぐに行方不明になったっていう」
 クリスはちょうど扉を開いたエレベーターに体を滑り込ませ、鏡で髪のチェックをすると、アルスの方に向き直った。
 「そのミネバが見つかったとして、もしシャアが旧ザビ家と全く関係のない組織としてネオ・ジオンを作っていたらどうなる?」
 「旧ザビ家に近かった人たちは嫌な気分でしょうね」
 「理念的には、シャアがジオンを名乗る方が正しいんだよ」
 「シャアがジオン・ダイクンの息子だから?」
 「それもあるけど、もともとジオン・ダイクンの思想は、ザビ家のような特権階級の一族による地球圏の支配じゃなくて、あくまで自由民主主義にあるってわけなの。それは判るわよね?」
 「はあ」
 「今の連邦の組織が、ほとんどザビ家と同じってことを、シャアは言いたいんだと私は思うのよ。この頃の議員は二世や三世ばっかりでまるで家業みたいになってるし、特権を利用して地球を汚し放題に汚しているからね」
 アルスは一つ溜息をついた。確かにそうだと思ったからだ。
 「最初、ジオン・ダイクンが連邦を批判したのは、地球に住む政治家たちがやっぱり地上での自分たちの利権を主張してばかりいたからなのよ。その上、コロニーを一段低く見て自治権さえ満足に与えなかったしね」
 「今も同じことが起きている?」
 「そういうこと。勘がいいわね、やっぱニュータイプは違うわ」
 「茶化さないで下さい」
 クリスはくすくすと笑うと、胸のポケットから身分証を取り出すと、ハンドバッグの奥にしまった。
 「でも、そこまで判っていて、どうしてクリスさんは連邦軍で戦うんですか?」
 「私ね、艦長が好きなの」
 アルスが目を丸くしたのを見て、クリスはあわてて付け足した。
 「あ、変な意味じゃないわよ、人間としてよ。それに今さらジオンに戻った所で、私のいる場所なんかありゃしないもの」
 「ふーん……」
 クリスは咳払いをした。
 「ま、あんたもいろいろと考えてるとは思うけど……結局シャアのやろうとしてることは、民主主義の原則を破ることなんだからね。本当に世の中良くしたいんなら、問題だと思う部署に入って中から変えるのが一番いいんだ。でもシャアは、一時期エゥーゴにはいたけど、組織の悪癖に手を焼いて逃げ出してるのよ。だからこそ艦隊揃えて暴力で世の中変えようとしてるんだ。それは許せないでしょ?」
 「はぁ」
 壁面が透明になり、眼下にコロニーの風景が広がる。そんな景色を眺めながら、クリスは続けた。
 「でもまあ、それに力で対抗しようっていうあたしらも充分、民主的じゃないことは確かなんだけどさ、許せない!っていう衝動が大多数だってこと、判るでしょ?」
 「それは判ります」
 「多数決ってのが、民主主義の原則だからねぇ」
 うんざりしたような口調で、それでも半分楽しむようにクリスは言った。
 「だから、それが後から設定された正当性でも、民主主義の原則に則っているという事実があればいいのよ」
 「……よく判らないです」
 「シャアのしようとしていること、それが本当の意味での民主政治。弱いものの立場で考えて行動したなら、もう戦争か革命しかないんだよ」
 アルスが判ったような判らないような顔をしたので、クリスは笑いを堪えながら続けた。
 「でもね、そういう民衆を無視する連邦政府と、戦争で解決したがるシャア、どっちも根っこの部分は同じなんだよ」
 「……やっぱり、よく判らないです」
 クリスはひとしきり笑うと、アルスの頭をポンポンと叩いた。
 「判らなくていいよ、それで正しいんだからさ!」


 「あ?俺がジオンを出た理由?」
 ゲオルグ中佐のいかつい顔を前にすれば誰だって多少なりとも萎縮するだろう。だからアルスがここで萎縮していたって、誰に笑われることもない。
 「そりゃ決まってる。負けたからさ」
 ふう、と一つ溜息をついてゲオルグ中佐は続けた。
 「昔、俺ァジオンの巡洋艦の副艦長やってたんだが、艦長のドッシュ少佐って奴がすっげぇ能ナシでな、作戦は無視するわ指揮は無茶苦茶だわ、しかも途方もない助平だったんだよ。俺達ァ、そんな馬鹿野郎と心中なんかしたかねェからよ、みんな必死に生き残ろうと戦って戦って、もう地獄だったぜ。だけどな、そうやって生き残るのが、上のアホ共には艦長の手腕のように見えたらしいんだなコレが。いつの間にかドッシュの奴は大佐にまでなってやがった」
 はあ、と溜息を一つついてゲオルグは肩を落とした。
 「ジオンが負けたのは、ああいう奴の能力見抜けなかった上層部のアホどものせいだと俺は思うぞ。ガンダムも確かに凄かったんだろうがな、そんなアホ相手ならザクでも勝てたんじゃねぇかな」
 ゲオルグは、アルスの顔をゆっくり眺めてから、また一つ溜息をついた。
 「アレは……ソロモンの決戦の時だった。俺ァハナっから勝てるなんて思ってやしなかったんだが、ビグザムとかいうでっかいモビルアーマーがいるって話が出て、それで馬鹿が舞い上がっちまった」
 ジオンの最終兵器と名高いビグザム。アルスはそれを雑誌のグラビアで知っていた。ラグビーボールのような偏平な機体に生えた無骨な二本足。敵を威圧するように設けられた無数の砲門たちの中心に、ひときわ目立つ凶悪なメガ粒子砲。
 「俺たちはその時、戦闘空域の中心からずいぶん離れた所にいたんだがよ、連邦の雑魚どもに見つかっちまって、仕方なく応戦してたんだ。そこに、一機のモビルスーツが飛んで来たってわけだ。そいつに乗ってたのが、今は艦隊司令になっちゃいるが、まだまだ若かった頃のキャロル中佐だよ」
 「艦長って、パイロットだったんですか?」
 「ん?ああ、そうだ。正確には、あの時はまだ訓練生だったそうだが」
 ゲオルグは一瞬遠い目をして、続けた。
 「いやぁ、あれほど強いジムは見たことがなかった。まあ、フルチューンされてたって話なんだが、それを差し引いても充分強かった。まさか、ものの数秒でザク三機がやられちまうなんて思ってもいなかったからなぁ。確かに艦長は馬鹿でどうしようもない奴だったが、俺たち他のクルーは皆百戦錬磨の強者だと思っていたからな。とにかく、俺たちのムサイはブッ壊れちまった。ドッシュの馬鹿は徹底抗戦するとか言って、地上用のドムで出てすぐに死んじまいやがった。ま、もっと早くに死んでてもおかしくない奴だったからな、誰も悲しみはしなかった」
 アルスは、死んでからもここまで言われるドッシュという男に深く同情した。そして自分はそうならないようにしよう、と心に誓った。
 「艦内で生きているやつなんかいなかった。俺だけが、被弾したブリッジで生きていたんだ。エンジンルームや砲台で生きてた奴もいたとは思うがな、確認なんか取れる筈がない。電源はみんな死んじまってるし、コンソールもめちゃめちゃだった。そこで、仕方なく俺は連邦のモビルスーツに助けて貰ったんだ。いや驚いたね、モビルスーツのパイロットと言えばムサいオヤジか学徒動員のガキって時に、なんと若い女がパイロットやってんだもんなぁ。べっぴんだし、しかもえらく強えェしよ」
 ゲオルグは鼻息を荒げた。
 「俺をコクピットに入れるなり、キャロル中佐はこう聞くんだ。『あなたは、どうして戦っているの?』ってな。俺は正直な話、別に理由なく戦ってたんだ。士官学校に入ったのも家業の花屋を継ぎたくない一心でだし、別にザビの連中なんか好きでもなかった。ただよ、自分の住んでたコロニーを守りたい、っていうのはあった。だからそう言ったんだよ。『俺は、自分の住んでいたコロニーを守るために戦っている』ってよ」
 アルスは一生懸命昔のキャロル中佐とゲオルグ中佐の顔を思い浮かべようとした。なんとなく昔のキャロル中佐は判るような気がしたが、ゲオルグ中佐がどんな顔をしていたのかは想像がつかなかった。
 「そしたら、中佐は俺の目をじっ……と見てな、『ならばあなたは戦う相手を間違えているんじゃなくて?』って言うんだ。『ジオンはコロニーに毒ガスを入れて、中の住民を皆殺しにしているのよ』ってね。俺ァ驚いたね。コロニー落としの護衛で地球のそばまで行ったことはあるけどよ、落とすコロニーはみんな人がいなくなったって聞かされてたからな。まさか、わざわざ空のコロニー作ってるとは思わなかった」
 ゲオルグの声が沈んできた。
 「こりゃ余談だけどな……戦争が終わった後で帰ろうとしたら、俺が住んでたコロニーが、どこにもなかったんだ。まるで気付かずに、地球に落としちまってたらしいんだよ。いかにも俺らしい笑い話だろ」
 首を左右に二、三回振ると、ゲオルグはまた続けた。
 「捕まった俺は、そのまま連邦軍に入った。俺の持ってた情報は、連邦の連中が喉から手が出るほど欲しがってたものだったからな。半壊したムサイも見つけて、中に残ってた仲間も助けた。もちろんそいつらは今、イグドラシルで働いてるよ。
 俺はな、たぶんキャロル中佐にホレちまったんだ。あ、色恋とかじゃなくて、人間にだぞ。ジオンにいた頃は、うまくいかないことを全てドッシュの糞ったれのせいにしておけば良かった。でも、それが俺を成長させない原因だったんだよ。そう気づかせてくれたのはキャロル中佐だ。そん時に俺ァ決めたんだ、この人を護る!ってな」
 ゲオルグの顔が紅潮してきた。それは、戦闘中にも見せることのない、珍しく興奮した顔だった。
 「自分で言うのもなんだが、俺ァ少しは使えるはずの男だ。一年戦争が終わって少しして、デラーズ・フリートから誘いが来たのもおそらく俺の腕を買ってのことだったろうよ」
 「……行かなかったんですか?」
 「俺はな、ジオンの理想に飽き飽きしてたんだ。いや、それはジオン・ダイクンの理想じゃなくてザビ家の理想に、だな。ガトーの奴はどうにも虫が好かなかったし、デラーズの親父は悪人じゃなかったがザビ家を崇拝してたからな」
 ゲオルグは、襟を軽く触った。
 「それに、俺は中佐を護るって決めたんだ、一人でジオンに戻れるかっての」
 一気に言って、ゲオルグは鼻の頭を掻いた。
 「年甲斐もなく恥ずかしい話しちまったな……」
 「でも、なんだか判るような気がします」
 アルスは、ゲオルグの照れた顔を見ながら言った。こうして見ると、特別怖くもないから不思議だ。
 「小僧、少なくともドッシュみたいに言われるような男にだけはなるんじゃねーぞ。俺も似たようなもんかも知れないから、言う立場じゃないかも知れんがな」
 「そんな……」
 「お前は本当にいい奴だよ、ニュータイプ」
 「その呼び方はやめてください」
 ゲオルグは、その無骨な手でアルスの髪をくしゃくしゃと撫でた。皆機嫌のいい時はこれをやるが、いったい何か意味があるのだろうか?
 「からかってるわけじゃねえよ。褒めてんだ」
 「でも……」
 「中佐はな、お前にものすごく期待してる。ゼータ・ガンダムの働きにじゃなく、お前に期待してるんだ。判るか?」
 「……よく、判りません」
 「それでいい」
 呆気に取られている僕を尻目にゲオルグは豪快そのものと言った風に笑った。
 「それでこそニュータイプだ」
 「はあ」


 「おう、人形乗りの小僧か」
 「モビルスーツ、です、アーバス艦長」
 「どっちだって大して変わらんよ。儂ら年寄りにとってはな」
 アルスはふう、と溜息をついた。
 「それより何じゃ、儂に訊きたい事とは?」
 「あ、あの、アーバス艦長は、何のために戦っているのかを訊きたくて……」
 「何のために?」
 アーバス中佐は、白髪頭をぼりぼり掻きながら不思議そうに聞き返した。
 「どうしてそんなことを訊くんじゃね?」
 「いや、その、えっと……」
 「つまり、お前さんの中で戦う理由がはっきりしないのじゃろう?周りの人間に訊いて回って答えが出るとは思えんがの」
 アルスは黙らざるを得なかった。確かにその通りに思える。これでは、みんなの意見のいい所だけを抽出して、自分に一番合った理由を合成しようとしているのと同じことになってしまう。
 「まあいいじゃろ。若いうちは何かと目標があやふやになりがちじゃ。そういう時のために儂のようなおいぼれがいるようなものだからな」
 アーバス中佐はそう言うと、アルスに座れと椅子を差し出した。
 「儂が戦う理由は、至極単純じゃ。それはの、儂が軍人だからじゃ」
 「軍人だから、ですか?」
 「パン屋はパンを焼く。花屋は花を売る。歌手は歌い、芸人は芸をする。従って軍人である儂は戦争をする。そんだけじゃ」
 「はあ」
 「納得できんようじゃの」
 アルスが黙っていると、アーバス中佐は遠い目をして語りだした。
 「儂はな、世界を救うだとか護りたい人がいるからとか、そういう目的のために戦うのは違うと思うんじゃ。自分の戦いの意味を他人や世界などという抽象的なものに託したくはない。それはまあ儂だけの曲がった解釈かも知れんがの。少なくとも儂の妻はもうとっくに死んじまったし、子供たちはどこで何をしているのかさっぱり判らん。まだ子供の頃から軍隊に入ったお陰で他に潰しもきかんし趣味もない。かと言って年金でのうのうと暮らすにはまだ早い気がする。そうやって悶々としていた時にキャロル司令から打診されたのさ、ここに来ないかとな。儂はもちろん二つ返事でOKしたよ。退屈はしないだろうからな」
 「はあ」
 アルスが生返事をしているので、アーバス中佐はおおげさに溜息をついた。
 「いいか、戦う理由なんてそんなもんでもいいんじゃ。何が正しくて何が間違っているなどと誰が判る?全ては刻が経って後に神の審判が下るのじゃよ。後世の人間でなければ、この選択が間違っているなどとは言えないじゃろう。いや、いくら未来の人間にでも儂たちの選択を否定することはできん。全てたらればの話になるからの。仮定の上に成り立つ世界観などは全く意味を持たん。ただひとつ言えることは、信念を常に抱いておれば迷うことなどあり得ないということじゃ。
 お前はまだ若いから、恐らくは自分なりの信念を持てないでいるのじゃろうが、それは誰にでもあることじゃ。そうやって悩み悩んで人間は大きくなるのじゃから、全ては成長のための段階に過ぎないんじゃと儂は思う」
 なんだか判ったような判らないようなことを言われてアルスは黙り込んだ。中佐が何十年もかけて見つけだした彼の『戦うための理由』を、若輩者である僕が理解しようなどということがそもそも間違っているのではないだろうか?
 「儂は軍人じゃから、戦争否定はできん。じゃが、確かに戦争というものは出来る限り避けた方がいいものじゃ……じゃがな、戦うべき時に戦わないのと戦争を否定するのは、似ているようで違うぞ。戦うべき時に戦うのが軍人じゃと、儂は思っておる」
 アルスはアーバス中佐に丁重に礼を言うと、イグドラシルに戻った。何かが判りかけたような気がしてきた。


 「右舷前方より所属不明のモビルスーツ接近!機種は……ガザDです!合計3機!」
 アレックスが叫び、ブリッジがにわかに緊迫感に包まれた。サイド3を出て一日もたたないうちの敵襲である。
 「所属不明の小規模艦隊を発見、距離前方一万二千!ムサイ改級1隻、アイリッシュ級1隻、エンドラ級2隻!」
 「司令、アースガルドが発砲許可を求めています」
 キャロルは親指の爪を囓り、うなった。
 「どうしてこうも、行く先々で歓迎されるのかしらね……」
 「敵モビルスーツ、発砲してきました!」
 「発砲を許可します。モビルスーツ部隊は第一戦闘配備にて待機!」
 えっ、という顔でパイロットたちはその命令を聞いていた。
 「敵、来てるじゃん。どーして出撃命令が出ないのよ?」
 ミリシアは指をポキポキ鳴らしながら、モニターのキャロルをけげんそうな目で見た。
 「補給も修理もキッチリ終わってんのよ?」
 「モビルスーツ隊は待機よ。ただし、アルス・ランスウェル少尉」
 「はい?」
 「まずはあなたが、ゼータ・ガンダムで出撃しなさい」
 ノーマルスーツの襟を正しながら、アルスはいぶかしげに聞き返した。
 「僕だけ……ですか?」
 壁のモニターに写るキャロル中佐は、厳しい笑顔を浮かべていた。
 「そう。あなただけ、出撃しなさい」
 「無茶です!少尉は今、平静ではありません!」
 間髪入れずにレナ大尉が叫ぶ。
 「復唱を」
 「司令!」
 「レナ大尉、これは艦隊司令としての命令です。大尉にも待機命令は出ていますよ?早く自分のモビルスーツに乗りなさい」
 「しかし……」
 アルスは、モニターの前で抗議するレナを押しのける。
 「アルス・ランスウェル、出撃します」
 モニターの中のキャロルが、にやっと笑った。
 「アルス!」
 「すみません、レナ大尉……でも、いつまでも逃げるわけにはいきませんから……」
 「どういうこと?」
 「色々聞いて、判ったんです。今出来ること、それを力一杯やり抜くことが一番重要なんだって。軍人であるという以前に僕は人間だ、男なんだ!だから、大切なものを守るためだけじゃなく、今僕が生きている意味を見つけるために、そして真実を見極めるために、今が戦うべき時なら、僕は戦わなくちゃならないんです!」
 そのアルスのセリフを会心の笑みで聞いたキャロルは、
 「アルス、あなたしっかりと勉強したわね?……ヴァルキュリエ・モビルスーツ隊は全機順次に発進せよ!敵勢力の壊滅が目的である。たっぷりと暴れてらっしゃい!」
 「司令……」
 モニターの向こうにいるアルスにウインクすると、最後はおどけたようにキャロルは言った。
 「次の補給予定はまだとうぶん先なんだから、暴れすぎてモビルスーツ壊すんじゃありませんよ!」
 「よっしゃ、行っくぞー!」
 ミリシアが心底愉快そうに、ドアを開けて自分のガンダムに流れていった。
 アルスも、その後を追った。



 「よくやったわね、アルス?」キャプテン・シートの肘掛けに顎を乗せて、キャロル中佐はうれしそうに言った。
 「少し大人になったみたい」
 「そんなことないです」
 アルスは間髪入れずに答えた。
 「ふむ」
 「戦いを否定することと、戦いから逃げることは似ているようでまるで別物だとアーバス中佐に言われました。戦いの中でも、戦いを否定し生きる道を探すことだってできるはずだと……だから、僕は戦います」
 「ふふん」
 キャロル中佐はにやにやしながら、アルスの次の台詞を待っている。
 「それに……僕にはまだ、やらなきゃいけないことが残っていますから」
 「なあに?」
 「……ルナを助け出さないといけない」
 「そうね。そこまで判っていれば申し分ないわ。ただ、一番先にしなければいけないことを、忘れているわよアルス少尉」
 「え?」
 「シェリーにずいぶん厳しいこと言ったんでしょ?あの娘、あまり人と話したがらないし、人に相談するなんてこと、したことないけど。あなたを傷つけたんじゃないか、って随分ふさぎ込んでたわよ」
 「あ……」
 「大げさに謝る必要はないわ。でも、きちんと謝ってらっしゃい」
 「はい!」
 ブリッジを出ていくアルスのお尻を見て、キャロルはふっと笑みを浮かべた。本来なら、こういうことは家庭の中で教え教わるべきことなのだ。しかし、過去の大戦の爪痕は、若い世代にそのようなことを教える家庭すら奪っている……
 「ま、これはこれでいいとしなきゃね」
 キャロルはひとつ伸びをして、キャプテン・シートから降りた。
 その、家庭の雰囲気を模するために呼んだ中尉は、強化人間という特異な人々の産み出す運命の渦に巻き込まれることを嫌い、去っていった。それは仕方のないことだ、とキャロルも反省はする。
 結婚のひとつでもして、惚れた男とするならともかく、一方的に父親役を押しつけられれば、男は女の性に困惑することしかできない。それは逃げではなく、当然の反応だったのだ。
 「司令、よろしいですか?」
 整備班長のワサン・サプラがブリッジに上がってくることは珍しい。機械油で汚れた手で汗を拭ったので、頬に黒い筋がついた。
 「はい?どうしました?」
 「あの、モビルスーツの修理のことで、お願いがあるのですが……」
 「補給が不完全だったかしら」
 「いえ、ジム3は新品を納入してもらいましたし、予備パーツも足りてます。ですが、ヘレン少尉とエミ軍曹の機体の、サイコミュ調整が狂っていまして、我々には手をつけられないんです」
 「あらあら、それは問題ね。……クリス」
 キャロルは、もう一度キャプテン・シートに座り直す。
 「グラナダのアナハイム・エレクトロニクスに連絡をつけて。リン、アースガルドとベルダンディーに、目的地変更を伝えてちょうだい。グラナダでガンダムを修理して貰いましょう。ワサン、これでいい?」
 「ありがとうございます!」
 ワサンはぺこり、と頭を下げる。
 「いいのよいいのよ、あなたたちがきっちり修理してくれるおかげで、戦えているんですから」
 キャロルは言って、グラナダに繋がりました、とクリスが差し出した受話器を手に取った。






第6章 完




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