※この作品を読む前に、同名自作SSを読むことをお薦めします。
前半はそのパロディ、後半はオリジナルです。



「ああーっあ、よく寝た……」
「アスカァ、また寝てたでしょ」
「うん、だってー、あの先生の授業、退屈なんだもん」
「まあ……」
「それに、まだ新学期始まったばかりで授業は簡単だし、予習復習さえきっちりしとけば大丈夫よ」
「アスカはそれでいいんでしょうけどね……」

「くぉらっ、バカシンジッ! いつまで寝てんのよっ!」

 バシッ!

「なんだ、アスカか……」
「なんだとは何よっ! いつまで、寝惚けてんのよ。もう放課後なの、放課後!」
「え、あ、そうか……でも、せっかく気持ちよく寝てたのに……」
「熟睡なんてするんじゃないわよ。あんた、ただでさえバカなんだから、ちゃんと授業聞いてなさいよ」
「しょうがないだろ、眠かったんだから」
「でもね、あんたの成績が下がると、また私までミサトに怒られちゃうじゃない」
「うん……でもそれはいつものことだし」
「なぁんですってぇっ!?」

 パンッ!

「ふわぁ〜ぁ。ああ、よう寝た……何や、また夫婦喧嘩かいな」
「そんなんじゃないわよっ!」
「そやかて、いつものことや……わわっ!」

 ガッタァーン!

「ハンッ! いい気味だわ」
「す、鈴原っ、大丈夫!?」
「あたたた……おお、イタ。エラい目におうたわ」
「鈴原、大丈夫だった?」
「大丈夫か、トウジ?」
「ああ、頭打たへんかっただけマシや……」
「あたしのせいじゃないわよ。あんたが変な座り方してたのが悪いんじゃない」
「ああ、わかっとるて。今のは不幸な事故や、事故」

「ほら、バカシンジ、行くわよ。今日はこれからハーモニクステストなんだから。もう、さっさと支度しなさいよっ」
「あ、うん……」
「でもアスカ、碇君は今日から週番よ」
「あっそ。じゃ、先に行くわ。ヒカリ、行こ」
「えっ、でも」
「ちょっと寄り道して、甘い物でも食べに行こうよ。テストなんて、それからでも間に合うわ。バカシンジなんて放っておけばいいんだから」
「あ、うん……じゃ、碇君、ゴミ捨てと机並べと黒板拭きと日誌と花瓶の水換えとお願いね」
「うん、わかった」
「トウジ、俺たちも帰ろうぜ」
「そやな。ほなセンセ、お先」
「じゃあな、シンジ」
「あ、うん、バイバイ」

「あっ、あの、委員長!」
「えっ、何?」
「もう一人の週番は誰?」
「綾波さんよ」
「綾波って……」



Side Story #5

 春眠、黄昏ヲ覚エズ(改)




 シンジは教室の中に目を戻し、レイが座っている席の方を見た。
 外の4人も教室のその隅の方へ目をやる。
 そして5人はそのまま固まった。
 綾波レイは、まだ悠然と自分の席で眠っているのだった。

「……ファースト、まだ寝てたの……寝不足なんじゃないの?」
「あれだけ周りで騒がれて、よう寝てられるわ。ワシでもうるそうて起きたのに」
「授業中からずっとあの格好で寝てたぜ、彼女」
「相田君、授業中に何見てたのよ」
「…………」

 5人は口々にしゃべった。ちなみに、最後の絶句はシンジである。

「……どうしよう」
「どうしようって、起こすしかないじゃない。シンジが起こせばいいでしょ。同じ週番なんだから」

 困った様子のシンジに、アスカはニベもなくそう言い放った。
 レイのことがはっきり気に入らないからなのか、彼女のレイに対する態度は明らかに冷たい。
 案外、シンジとレイが仲良くしているのが気に入らないからなのでは、と当事者以外の3人は考えていた。

「じゃ、あたし先に本部行ってるから」
「碇君、後、お願いね」
「じゃな、シンジ」
「センセ、綾波とよろしゅうやっときや」

 4人はそう言い残して去っていった。
 最後のトウジの言葉の意味はよくわからなかったが、シンジは呆然としてそこに取り残されていた。

 やがてシンジは気を取り直して教室の中に戻る。
 机並べと黒板拭きくらいは一人でもできる。
 シンジはテキパキとそれらの仕事をこなしていった。
 それから花瓶の水を換えて教室に戻ってきたが、レイはまだ起きていなかった。
 ゴミ捨てに行って帰って来ても、まだ起きていない。
 仕方なく日誌を一人で書いたが、その間にもレイは起きなかった。

 熟睡している。
 先程のシンジよりも、さらに深く。

 日誌を書き終えると、シンジはレイの横の席に座ってレイが起きるのを待った。
 日誌を担任に提出して先に本部に行ってもいいのだが、今日はレイもテストがあるので一緒に行った方がいいと思ったのかも知れない。

「…………」

 シンジは無言のまま、レイの寝顔を眺めていた。
 その顔は無表情であったが、まるで彫刻か絵画の中にしか登場しない美少女のようだった。
 思わず見とれてしまう。

(可愛い……)

 心の中でそう呟いてみたりもする。
 シンジは横向きに座って机に片肘をつき、手の上に顔を載せてぼやっとレイの顔に見惚れていた。
 そして、彼女と初めて会ったときからのことを回想する。

 ……エヴァの前に傷だらけ運ばれてきた彼女を見たときから、何となく惹かれるものがあったんだよな。
 最初はなかなか話もしてくれなかったけど、ヤシマ作戦の後からは少しは僕のこと気にするようになってくれて……
 それにあの笑顔を見て以来、僕ははっきり綾波を意識するようになってしまった。
 3年になって離ればなれになるかと思ったら、偶然にも一緒のクラスになって……
 あの時は、ホントにうれしかったな。

 そしてもう一つ、シンジの心に去来する想いがあった。

 アスカと綾波は仲が良くなくて時々喧嘩しそうになるけど、そんなとき僕は、どういう訳かアスカのことより綾波の方を意識してしまうんだ。
 どうしてなんだろう?
 
 シンジはレイの寝顔を見ながらじっと考えていた。

 綾波……やっぱり可愛いよな。
 いいな、寝顔も……もう少しこうして見てたいな。
 あれ、でも……

 そこでシンジはハタと疑問にぶつかる。

 そう言えば、アスカの寝顔、最近見たことないな。
 ユニゾンの訓練が終わって以来、一緒の部屋で寝ることもないし……
 それに、見たいって思ったことも……あれ……

 そして疑問は収束する。

(どうして綾波の寝顔は見たいのに、アスカの寝顔は見たいと思わないの?)

 シンジはレイの安らかな寝顔を見ながら考え込んだ。



 夕暮れの少し涼しい風が、レイの頬を撫でた。
 そしてそれは乙女の安息の時間に終わりを告げる。
 レイの長い睫毛が揺れ、それからゆっくりとその目が見開かれていく。
 しかしその目はもう一度閉じられてしまった。
 だがレイは目を閉じたまま居住まいを正し、小さく息をついてから、ようやく目をぱっちりと見開いた。

「…………」

 それから無言のまま眠そうに目をこすり、窓の外を眺める。
 そして外の世界が赤く染まっているのを知った。
 しかし彼女は何ら動揺することなく、教室の前の壁に掛かった時計を見ると、それが自分の体内時計とほぼ同じであることを確かめた。
 そして鞄の中に荷物を詰め、おもむろに席を立とうとしたとき、初めてそこに人がいることに気付く。

(……碇君? どうしてここに……寝てるの?)

 レイは隣の机でシンジが寝ていることにようやく気付いた。
 どうやら彼は考え事をしているうちに寝てしまったらしい。
 そしてレイは、机の上に置かれた週番日誌に気付く。

(……週番……そう、今日は私と碇君……なら、私が起きるまで待とうとしていたというの?)

 起こしてくれればいいのに、と思ったが、そこはそれ、起こさないのが彼一流の優しさであるということにレイは気付いた。
 そして、待ちくたびれて寝てしまったのかも知れない。

(……碇君……私の寝顔、見てたの?……)

 シンジの顔の角度からすれば、きっとそうなのに違いない。
 他人に寝顔を見られることなど普段の彼女は何とも思わないが、見ていたのがシンジだということで彼女は僅かに動揺した。

(……何? この気持ち……私、どうしたの……)

 そして彼女は席を立つと、シンジの座る机の横に佇んでシンジの寝顔を上から眺めていた。
 シンジの顔は少しだけ微笑んでいた。
 レイは、自分が何とも言えない不思議な安堵感に浸っていることを感じていた。

(……碇君の寝顔、見て……どうしてこんな気持ちになるの、私……)

 暫し、時間は流れた。

 しかし、ハーモニクステストの時間が迫っていることにもレイは気付く。
 そろそろ行かないといけない。
 だいたい、週番日誌を提出しなければいけないのだ。
 時計を見ると、授業が終わってから既に1時間半が経過しようとしていた。
 担任が担任だけに心配して教室を見に来ることはないだろうが……
 たぶん、もう帰っているだろう。日誌は職員室の机の上にでも置いておけばいい。
 ともあれ、起こさなければ……でも……

(……どうやって起こせばいいの?……)

 レイは他人から起こしてもらったことがなかった。
 いつもは自分で勝手に起きるか、無機質なアラームの音によって起こされている。
 だから、どうやって他人を起こせばいいのかも知らなかった。

(……弐号機パイロットはいつもどうしているの?……)

 ユニゾンの訓練以来、シンジとアスカはミサトのマンションで寝起きを共にしている。
 漏れ聞いたところではいつもシンジがアスカを起こしているらしいが、たまには逆のこともあろう。
 その時はどうやって起こしているのだろう?
 そう考えると……

(……何? この気持ち……好きじゃない……)

 だが気を取り直して、レイはシンジの頬の辺りに顔を寄せる。
 とりあえず、呼びかけてみよう……

「……碇君……」

 レイはシンジの耳元で小さな声でそう囁いた。
 シンジの身体が少しだけ反応を示す。

「……碇君、起きて……」

 もう一度囁くと、シンジは声にならない声でうめいた。
 その表情の変化が可愛らしい。

(……何? この気持ち……いやじゃない……)

 レイは人を起こすという行為に対して不思議な感情を抱き始めていた。

「……碇君、起きて……」

 もう一度囁くと、シンジは「うーん」と一言うめき、それからゆっくりと身体を起こすとパチパチと目を瞬かせた。
 そしてすぐ横で自分を見ているレイに気付くと、少なからず驚いた表情を見せた。

「あ、綾波……」

 そう言ってシンジはいつもの自信がなさそうな顔になる。

「ごめん……綾波が起きるの待ってたら、寝ちゃったみたいで、その……」

 レイはそんなシンジの表情をじっと見ていたが、何事もなかったかのようにいつもの冷たい声を発した。

「……早く、行きましょ。テストに遅れるわ……」
「う、うん……」

 シンジはのろのろと立ち上がった。
 そして二人は教室を後にした。



 二人は本部に行くリニアに乗っていた。隣り合ってロングシートに腰掛けて。

「あの……さっきは、ごめん……」

 唐突にシンジが謝った。
 学校からリニアに乗るまで、何となくレイに話しかけがたい雰囲気だったのだ。
 レイが何か考え事をしているようで。

「……何が?……」
「何がって、その……綾波を起こさないで、僕が寝ちゃって……」
「……構わないわ。テストには遅れないようだから……」
「うん……」

 レイの声は相変わらず冷たかったが、非難している様子は感じられなかった。
 それを聞いてシンジはやっと気を取り直したらしい。
 そして少し微笑みを浮かべながらレイに話しかけた。

「そう言えば、綾波に起こしてもらったとき、お母さんって感じがした……」
「……お母さん?……」

 レイは小声でシンジの言葉を繰り返した。
 前にもそんなことを言われたことがある……

「うん……お母さんっていうか……すごく優しい感じで……いつもあんな風に起こしてもらえたらいいなって……」

 シンジはそう言ってぼんやりと天井を眺めていた。
 レイがほんのりと頬を染めたのにも気付かずに。

(……いつも……でも、碇君は弐号機パイロットと一緒に住んでいて……だから、私はいつも碇君を起こすことなんて……何? この気持ち……)

 レイの心の中に、またしても説明できない感情が渦巻く。

「……何を言うのよ……」

 レイはただ、そう言うことしかできなかった。

(……お母さん……私が、碇君のお母さんのような存在……私のことを、優しいって、碇君が……でも……)

 どうして自分はこんなことを気にするのだろう。
 しかしレイはその疑問から抜け出すことはできなかった。
 そしてずっと考えているうちに、別の疑問が湧いてくる。

(……碇君は……私にとって……どんな存在?……)

 どうしたらそれを知ることができるのだろう……
 レイはしばらく考えていた。
 だがそれは意外に簡単な結論へと到達した。

(……そう、私が自分で、感じればいいのね……)

 碇君が起こされたときにそう感じたのなら、私も……
 だからレイは、そっと目を閉じた。そして、シンジの方に身体を預けた。

「あ、綾波……」

 レイが身を寄せてくるのを感じたシンジが、慌ててレイの方を見た。
 そして、自分の方に首を傾げるようにして寝ているレイに気付く。

「綾波……やっぱり、寝不足なのかな……」

 シンジが小さい声でそう言うのを、レイは目を閉じながら聞いていた。



「綾波……」

 リニアは止まっていた。本部前に着いたのだろう。
 シンジが自分を呼ぶ声が、レイには聞こえていた。

「綾波……着いたよ、綾波……」

 シンジはそう言いながらレイを起こした。そしてそっと身体を揺らす。
 レイがうっすらと目を開ける。もちろん、彼女は寝ていたのではない。

「着いたよ、綾波……」

 シンジがもう一度そう言った。

「……ええ……」

 レイはそう言って目を見開くと、立ち上がった。
 そして、自分の中に先程の疑問を解決するための感情が生まれていないことを知った。

(……何か、違う……)

 何が違うのかは解らなかった。
 しかし、何かが違う。レイに解ったのはそれだけだった。



「レイ? テスト中に寝ないで。レイ?」

 テストプラグの中にいるレイに、リツコが呼びかけた。
 モニターの映像の中でレイが目を閉じているのはいつものことだったが、リツコの目の前にある計測器には、レイの脳波がいやと言うほどα波を出していることが映し出されていた。

「起きなさい、レイ。いくら寝ていてもシンクロするからと言っても……レイ? 起きなさい、レイ!」

 リツコが苛立った声をあげる。

「レイちゃん、テスト中に寝ちゃダメ。起きて。レイちゃん?」

 コンソールの前に座ったマヤは少し優しい声で呼びかける。

「レイ、起きなさい。レイ?」

 ミサトも一緒になって声をかける。こちらはいつもの命令口調だった。

「ちょっと、ファースト! いくら最近、ハーモニクスやシンクロ率が上がってきたからって……寝ててもあたしに勝てるって言うつもりなの? もうっ、起きなさいよっ!」

 2つ隣のプラグから、アスカが声を荒げた。
 だが、レイはそれらの呼びかけに全く反応を示さなかった。
 相変わらず脳波計は安定したα波を描いていた。

「ちょっと、シンジも何か言ってやりなさいよ」
「え、あ、うん……」

 アスカにせっつかれてシンジが仕方なくレイに呼びかけた。

「あの……綾波……」

 レイはα波を出したまま、シンジの声を聞いていた。

「テスト中に寝るのは、良くないよ……」
「……そう、わかったわ……」

 シンジの忠告に、レイはあっさりと覚醒した。
 そして脳波が通常の状態に復帰する。

「…………」

 管制室の3人と、02のプラグに入った1人は、呆気にとられていた。

(それにしても……)

 その4人は同時に考えていた。

(どうして{バカシンジ|シンちゃん|シンジ君×2}が呼んだら一発で起きたの?)

 その理由を知る者はレイ以外にいるはずもなかった。
 不可思議な沈黙のまま、テストは終了した。

(……これも、違う……)

 プラグを出てから、シャワーを浴び、着替え終わって更衣室を後にする時までずっとレイは考え込んでいた。



 テストが無事終了し、3人のチルドレンは本部を後にする。
 地上へ向かうリニアに乗ると、アスカの右にシンジが、さらにその右にレイが座った。

「あー、お腹減ったー。シンジ、早く帰ってごはん作って」
「わかったよ……でも、帰りに一緒に買い物行ってよ」
「うっさいわねぇ、わかってるわよ……その代わり、荷物は持たないからね」
「わかってるって。余計な物は買わないから……え、あ、綾波?……」

 リニアが動き始めた途端、再びレイがシンジに寄りかかってきた。
 その目は閉じられている。
 安らかな寝息をたてて、早くも彼女は眠っているのだった。

「何、シンジ、どしたの?」
「綾波が……」

 シンジはレイを起こさないように、小さな声で言った。

「寝ちゃってるみたいなんだけど……」

 アスカはシンジにもたれるようにして寝ているレイを見てジト目になると、いかにも機嫌悪そうな声を出した。

「あっそ。いいじゃない、寝かせてあげれば。あんただって、ファーストに寄りかかられて、まんざらでもなさそうだしさ」
「べ、別にそんなつもりじゃ……」

 シンジはそう言ってアスカの方を見たが、アスカは「フン!」と言ってそっぽを向いてしまった。
 レイとシンジがくっつくのが甚だ気に入らないらしい。
 シンジは仕方なくレイの方に顔を戻し、その寝顔を見ていた。

(でも……いいかな。綾波の寝顔、可愛いし……)

 それに、もたれかかられるのは何となく頼りにされている気がするし、それはそれでとても気分のいいことだった。
 安心しきったような顔をして寝ているレイを、シンジはうれしそうに眺めていた。
 そしてアスカはそんなシンジとレイの様子を、横目で見ながらふくれっ面をしていた。
 三者三様の3人を乗せて、リニアは地上へと近づいて行った。



「綾波……」

 リニアは地上に着いていた。
 シンジはレイの耳元で囁きかけていた。
 既にアスカはリニアを降りてホームでシンジを待っている。
 シンジはレイにもたれられているので、立つこともできないでいた。

「綾波……起きてよ、綾波……」

 シンジの言葉に、レイがピクリと反応した。
 その微妙な表情の変化は、シンジをドキリとさせるほど愛らしかった。

「あ、綾波……起きてよ、綾波……」
「……う……ん……」

 レイが小さなうめき声を漏らした。
 そして、2、3度瞬きすると、眠そうに目を開いた。
 それから自分を起こしてくれたシンジの顔をじっと見つめる。
 紅い視線で真っ直ぐに射抜かれて、シンジは少しドキドキしながら口を開いた。

「あ、綾波、今日はずいぶん眠そうだったね」
「……うん……昨日徹夜で、テストだったから……」
「そ、そうだったの……じゃあ、学校休めばいいのに……」
「……でも、休みたく、ないもの……」
「えっ、どうして?」

 少し潤んだレイの瞳を見ながら、シンジは問いかけた。
 以前なら、実にあっさりと学校を休んでいたものなのに……
 そう言えばここ数ヶ月間、レイが学校を休んだことはなかった。

「……碇君に、会いたいから……」

 そう答えたレイの声は小さすぎて、シンジはすぐ側まで顔を寄せていたのに聞き取れなかった。

「えっ、何?」
「ちょっとぉっ、バカシンジ! いつまで乗ってるのよっ!」

 シンジの聞き返した声は、アスカの怒鳴り声にかき消されてしまった。

「あっ、うん、すぐ行くよ」

 シンジはアスカの方に顔を向けてそう言うと、すぐにレイの方に向き直って言った。

「大丈夫? 一人で帰れる?」
「……うん……」
「今日は早く寝るといいよ。じゃ、お疲れさま」
「……うん……ありがとう……」

 レイのお礼の言葉に、シンジはにっこりと微笑むと、リニアを降りて行った。
 そしてアスカに頭をこづかれながら走って行った。
 レイはそんな二人の様子を見送った後で、ゆっくりと立ち上がり、リニアを降りて帰途についた。



『綾波、起きてよ、綾波……』

 その日の夜、レイは自分の部屋のベッドの上でうつ伏せになって、シンジがさっきかけてくれた言葉を思い出していた。

(……そう……これが、私が欲しかった、言葉……他人を起こす、言葉……)

 そしてレイは、シンジが自分にとってどんな存在であるかを感じようとしていた。

(……私は、碇君のお母さん……なら、碇君は、私のお父さん? ……違う気がする……でも……)

 どんな存在か……それはレイには具体的につかみ取ることができなかった。
 ただ、シンジが自分にとってどうしても必要な存在であるように思えただけだった。
 そして、もう一つ……

(……碇君も、言ってた……私も……いつも、こうして起こして欲しい……)

 レイは枕に顔を伏せた。
 こんな言葉をかけ合う仲とは、どんなものなのか。レイにはそれがわからなかった。
 そして、自分がそれを望んでいいのかさえも。
 自分は、消えゆく存在なのだから……
 でも……

(……碇君……また今度……私を、起こしてくれる?……)

 頭の中で描いたシンジの笑顔が、レイの心を優しく包み込んだ。
 レイは目を閉じると、深い眠りへと落ちていった。



 …………



 ………



 ……



 …







 …



 ……



 ………



 …………



「……レイ……」

(……誰? 私を呼ぶのは……)

 彼女は遠い意識の中で、彼女が一番好きなその声を聞いた気がした。

「レイ……起きてよ、レイ……」

(……聞こえる……)

 少しずつ、自分の意識が戻ってくるのがわかる。
 頭の中が次第にはっきりしてくる。
 レイはゆっくりと顔を上げて目を開いた。
 そして、自分が置かれている状況に気付く。

(……ここは……そう、私、つい……)

 レイはキッチンの椅子に座り、テーブルに頬杖をついて眠っていた。

「レイ、起きた?」

 レイは声のする方に顔を向けた。
 そこには一人の若い男が立っていた。
 会社帰りだろうか。彼はスーツを身につけていた。
 しかし、それはまだ着こなすというレベルには至っていない。まだ働き始めたばかりなのか。
 彼はにっこりと微笑みながらレイの方を見ている。
 レイも彼が大好きだと言う魅力的な微笑みを返した。

「……うん……ごめんなさい、寝てたみたい……」
「そう……昨日の晩は、遅かった、から……」

 彼は最後の方は少しだけ口ごもりながら言った。
 レイは昨日の晩のことを思い出し、彼から顔を背けて頬を赤く染めた。
 横目で見た彼もレイから視線を逸らしていたが、その顔は真っ赤になっている。

「あ、ゆ、夕食、できてるの?」
「……ええ、用意が終わって、一安心して、寝てしまったらしいから……」

 しばらくの沈黙の後、二人はそう言って顔を見合わせた。
 そしてお互いが複雑な表情をしているのが解ると、照れ笑いでそれを隠し合う。
 ひとしきり穏やかな時間が過ぎたところで、彼はレイを見て微笑みながら言った。

「そう……じゃ、すぐ、夕食にしようか……着替えてくるから」
「……ええ……あ、あの……」
「え、何?」

 自分の部屋に行きかけた彼をレイが呼び止めると、彼はキョトンとした表情でレイの方を見ていた。
 レイは彼のそんな表情も好きだった。
 彼が一番彼らしいような気がするから。
 もちろん、彼の微笑みも大好きなのだけれど。
 そしてレイは、今この時に言わなければならない言葉を彼に言った。

「……あの……お帰りなさい……シンジさん……」
「うん……ただいま……レイ……」

 窓の外では黄昏が終わり、銀色の蜜月が美しく輝き始めたところだった。



- Fin -




新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions