『誰かいるの?』
誰もいないわ。一人だもの。
『誰もいないの?』
誰かいるの?

誰かいる。
葛城三佐?
私を、知ってる人。
私の心を、知ってる人。
私の知りたい言葉を、知ってる人。
でも、教えてくれなかった。
どうして?
きかなかったから。
ききたい言葉を、知らなかったから。

『知りたいの? その言葉を』
そう……知りたい……
『どうしてきかないの?』
知らなかったから……

『誰に言うの? その言葉を』
碇君……
『どうして言わないの?』
知らないから……

言葉
言葉が欲しい。
私の気持ちを、表す言葉。
私の気持ちを、伝える言葉。
表さないと、伝えないと、
心が消えてしまう……




第六日

言葉と心




 ……音がする。
 ……目覚まし……目覚ましの音?
 そう、目覚ましの音。朝だ、起きなきゃ……
 シンジは眠たがる体を無理矢理ベッドの上に起こすと、大きくのびをした。
 それから枕元の目覚ましの音を止める。
 時計を見た。あれ……
 どうしてこんなに早いんだろう。
 ……ああ、そうか、昨日早めに寝たから、目覚ましを早めにセットして……
 何だっけ、そう、ミサトさんが綾波と話をするからって、 風呂上がりの僕をリビングから追い出して……
 何もすることがないから、SDATを聴きながら早めに寝たんだった。
 ……やっぱりまだ早いかな。
 でも、そう、綾波の朝食とか作らなきゃいけないし……
 パンでもいいんだろうけど。
 とにかく起きよう……
 まだ眠い。顔でも洗おう……


 シンジは洗面所に入ろうとして、アコーディオンカーテンをさっと開けた。
 とたんに何か白い物が目に飛び込んできた。
 何だこれ、タオル……白い、タオルが……え? え? え?
 タオルが振り返ってシンジの方を見た。
 タオルじゃない、タオルに包まれた、顔……あ、綾波……
 綾波が、どうしてこんなところに……あ……
「ごっ……」
「…………」
 目がいっぺんに覚めた。
 綾波レイがいる……それも、な、何も着てない……
「ごめんっ!」
 シンジはそれだけ言うと、後ろを振り返って、カーテンをザッと音を立てて閉めた。
 まだ胸がドキドキしている。またやっちゃった。
 謝らなきゃ、謝らなきゃ、謝らなきゃ……
「あ、あのっ……ご、ごめん、綾波……その、か、顔、顔、洗おうと、思って……」
「…………」
 カーテンの向こうからは何も返事がなかった。
 中で綾波が動いている音がする。き、聴いちゃダメだ……
「あ、あの、その……あ、綾波、シャ、シャワー、浴びてたんだよね……」
「……そうよ……」
 小さい声が聞こえた。
「ご、ごめん、その、知らなくて……あの、わざとじゃないんだ、その……」
 その時、さっとカーテンが開いた。
 シンジはレイの方を見ようとして、また顔を背けた。
 ……まだ何も着てなかった……
 レイはシンジがいることなど気にも留めず、リビングの方に歩いていく。
 これから服を着るつもりなのだろうか。
 シンジは呆然としていたが、あわててレイのいなくなった洗面所に入ると、 蛇口を思いっきりひねって、バシャバシャと音を立てて顔を洗った。
 落ち着け、落ち着け、落ち着け……でも、 またやってしまった、やってしまった、やってしまった……
 どのくらいその場でじっとしていただろうか。
 レイが服を着るのに充分なほどの時間をやり過ごしてから、シンジは洗面所から出てきた。
 ダイニングからそっとリビングの方を覗くと、 レイは既に制服を着終えて、座ってまた本を読んでいた。
 既に布団はきれいに畳んである。
 シンジはハアッと大きく息をついた。
 綾波の羞じらいのない素行も何とかして欲しいけど、 自分のあわてふためきぶりも何とかしたい……
 べ、別に裸を見慣れたいっていう訳じゃないけど……
 シンジは気を取り直してレイに話しかけた。
 謝ってもしょうがないし……
「あ、あの、綾波……」
「……何?……」
「朝食、食べる?」
「……うん……」
「パンでいい?」
「……うん……」


 ミサトが起きてきたのは、二人がパンを食べ終わってコーヒーを飲んでいるときだった。
 起こしもしないのに、しかもいつもより早く起きてきたのでシンジはびっくりした。
 ……綾波がいるからかな……
 ミサトはいつものだらしない格好で部屋から出てきて、シンジとレイに声をかけた。
「ふわ……おはよー、二人とも早いわね」
「おはようございます」
「……おはようございます……」
 ミサトがいつも座っている席には、レイが座っていた。
 ミサトは何も言わず、アスカが座っていた席に座ると、食パンを焼き始めた。
 レイはシンジに淹れてもらったコーヒーのカップを手に持って、じっと見つめている。
「シンちゃん、私にもコーヒー淹れてちょーだい」
「あ、はい」
 それからミサトはシンジだけに聞こえるような声で訊いてきた。
「レイは何食べたの?」
「え? パンですけど……」
「そう」
 それからミサトはレイに声をかけた。
「レイ?」
「……はい……」
「シンちゃんの焼いてくれたパン、おいしかった?」
「……はい……」
 ミサトさん、何言ってんだろうな。パンなんか誰が焼いても同じ味だと思うんだけど。
「コーヒーはおいしい?」
「…………」
 レイは小さく頷くと、コーヒーを一口すすった。
 ミサトは満足そうにそれを眺めている。
 何なんだろうな、一体。
 シンジは訳が解らなかった。
 昨日の晩も同じようなこときいてたけど、 要するにミサトさんは綾波に僕の料理を食べさせたかったの?
 で、それって何の意味があるんだろう。
 シンジは二人を交互に見比べながら頭を混乱させていた。
 狐色に焼けたパンがレトロな形をしたトースターから跳ね上がった。


 パンを食べてコーヒーを飲み終えると、ミサトは言った。
「さーて、そろそろ行きましょうか」
 今日はビール飲まないんだな。まあ、それが普通なんだけど。
「行ってらっしゃい」
 シンジが声をかけると、ミサトがにこやかに笑いながら言った。
「あなたたちも来るのよ」
「え?」
「今日はいろいろ説明しなきゃいけないことがあるから、早めに行くの」
「…………」
 また何か企んでるんだな。


 シンジがミサトの車の助手席に乗ろうとすると、ミサトがそれを見とがめて言った。
「シンちゃんは後ろ」
「え……あ、はい。じゃ、綾波……」
 シンジはそう言ってレイに助手席を譲ろうとした。
「レイも後ろよ。さ、早く乗って」
「……はい……」
 結局、シンジとレイは後ろに並んで座ることになった。
 しかし、本部に着くまでシンジはレイに一言も話しかけることができなかった。
 話しかけたら、朝のハプニングを思い出しそうな気がしたから。
 途中、ミサトの乱暴な運転のおかげで、シンジとレイの肩が何度か触れ合った。
 シンジはその度に心の中でレイにごめんと謝った。



「では、これより本日の試験について説明を行います。伊吹二尉、よろしく」
「はい……」
 マヤは少し不機嫌な顔をしていた。
 どうして私がこんなマニュアルを作らなくちゃいけないのかしら。
 マヤにできるせめてもの抵抗は、 マニュアルの表紙に巨大なフォントで「責任者:葛城三佐」と書き、 自分の名前を「作成者:伊吹」と極小フォントで書くことくらいだった。
「本日行う試験は、複座による起動及び連動試験です」
「フクザって?」
とシンジが訊くと、
「シンジ君、黙って聴いてて」
とミサト。
「は、はい」
 シンジは肩をすくめた。マヤが言葉を続けた。
「パイロット両名は、初号機のエントリープラグ内に同時に入ってもらいます。 一名は操縦席に着座。もう一名は操縦席横にて待機。 本状態のまま起動します。 起動時における両名のA10神経接続比は7:3。 起動後、各種連動試験。 終了後、パイロット両名は位置を交替して再起動、後、連動試験。 なお、本試験においてパーソナルデータはサードチルドレンのもののみを使用します」
 読み終わってからマヤはそぅっとため息をついた。
 中学生とはいえ、男の子と女の子を一緒のエントリープラグに入れるなんて……不潔……
「質問は?」
 ミサトがシンジとレイに声をかけた。
 シンジは試験の説明を受けても何のことかわからずに呆然としていた。
 綾波と一緒に、エントリープラグ……綾波と一緒に、エントリープラグ……綾波と一緒に……
 頭の中にあるのはそれだけだった。
 レイが小さく手を挙げて質問する。
「……この実験の意義は?……」
 ミサトが待ってましたとばかりに即答する。
「パイロットの複乗によって、 ハーモニクス及びシンクロ率に相乗効果が認められるかどうかのデータ収集を目的とします。 シンジ君?」
「は、はい」
 シンジは急に名前を呼ばれてびっくりした。
「以前、あなたは弐号機にアスカと一緒に乗って起動したことがあるでしょう。 その際のデータでは、シンクロ率に相乗効果が認められました。 今回の試験はその追試です」
「は……」
 そういえばそんなこともあったっけ……シンジは考えていた。
ミサトは今の自分の言葉にレイがどんな反応を示すかとレイの顔色を伺っていたが、 その表情にはいささかの変化も認められなかった。
 ミサトは言葉を続けた。
「また、本試験においてシンクロ率などに顕著な向上が認められた場合、 複乗による出動を検討するための資料とします。 これは二名のパイロットのうちどちらかに障害が起こった際、 他方がこれをサポート可能になるという効果を想定してのものです。 他に質問は?」
「……ありません……」
 レイは小さい声でそう言った。
 シンジはまだ呆然としていて何も言えなかった。
「以上で今回の試験の説明を終わります。 実験は1300より行います。それまでパイロット両名は別室にて待機。以上です」
 えっ……
 その時になって初めてシンジは我に返った。
「あの……ミサトさん……」
「何? シンジ君」
「1300って……まだ、4時間以上あるんですけど……」
「シンジ君」
「は、はい……」
「レイ」
「……はい……」
 ミサトは二人の顔を見ながらさも楽しそうに言った。
「この実験は、あなたたち二人の心のシンクロにかかってるんだから、 待機してる間にお互いの心の交流を図っておいてね」
「…………」
 シンジは絶句した。何をするのかと思ったら、こんなこと考えてたとは……



sixth day

it's a small world



土曜日
ネルフ本部内第2実験場
複座起動及び連動試験
被験者:綾波レイ、碇シンジ


 初号機のエントリープラグの中は既にLCLで満たされていた。
 シンジはシートに座っていた。
 シートのすぐ左にはレイが、安定フィンに足を乗せ、 シンジの頭の上にあるバイザーに左手を添えてしゃがみ込んでいた。
 管制室のモニターにはシンジとレイの顔がそれぞれ別画面に映し出されていた。
 レイの顔を撮るカメラは、この試験用に臨時に取り付けられたものだ。
「中の二人の様子はどう?」
 ミサトはマヤに尋ねた。
「……サードチルドレンは若干緊張気味です。 ファーストチルドレンはいつもどおり、落ち着いています」
 マヤは少し機嫌が悪い。ミサトは意識的にそれを無視した。
「そう。シンジ君が緊張するのはわかるけど、レイも少しは緊張すればいいのに……」
「…………」
 ミサトが余計な軽口をたたいても、マヤは何も答えなかった。
 やれやれ、この子の潔癖性も筋金入りだわ。
 ミサトはクスリと笑うとマイクのスイッチを入れて声を響かせた。
「それでは只今より、複座による初号機の起動及び連動試験を開始します。 本実験に際し、これより被験者サードチルドレンを甲、ファーストチルドレンを乙と呼称します。 シンジ君、レイ、わかった?」
「は、はい」
「……はい……」
「では、被験者甲のA10神経接続率を70%、乙を30%として起動を開始します。伊吹二尉」
「はい。第一次接続を開始します」
 マヤのその声と共に実験が開始された。
 パルスグラフが時系列と共に移動し、神経接続を示すランプが次々と灯っていく。
 接続状況を示すパネルに、値を示す文字列がスクロールした。
 実戦において複座起動が行われたという実績があるにもかかわらず、 試験は比較的緩やかなペースで進められた。
 シンジはエントリープラグの中で試験のことに集中しようとしていたが、 次々と頭に雑念が浮かんでくるのを止められなかった。
(緊張する……アスカと乗ったときは、いきなりだったから、緊張する暇もなかったけど……)
(狭いエントリープラグ……綾波がすぐ、横にいる……)
(綾波がいるから……緊張するのかな……)
(アスカと一緒にいるときは、別に緊張しないのに……)
(待機中に、綾波とほとんど何も話ができなかった……一緒に昼食にも行ったのに……)
(綾波がいる……綾波の匂い、するかな……するような、気がする……)
(綾波は、緊張してないのかな……)
(だめだ……集中しなきゃ、集中……)
 シンジは雑念を振り払おうとしながらも、レイのことが気になってちらりと横目で見てみた。 レイはいつもの無表情で、まっすぐ前を見据えていた。 ……全然、緊張してない……のかな……
「絶対境界線まで、あと1.0……」
 マヤのカウントダウンの声がプラグの中にも響いた。
 シンジは身構えた。
 実験直前にミサトにこっそり言われた言葉を思い出した。
「起動中にレイのイメージが来ても、拒絶してはダメ。全て受け容れなさい」
 拒絶……僕は、綾波のことを拒絶したんだろうか……無意識のうちに……
 一瞬、頭の中に青い光が走った。はっとする。綾波? また来るの? 受け容れなきゃ……
 シンジはマヤのカウントダウンの声に意識を集中させた。
「……突破……初号機、正常に起動しました」
 良かった。起動した……シンジは心底そう思った。
 起動するときにこんなに緊張したのは初めてだ。
 ほっとして隣にいるレイの顔をそっと盗み見たが、その表情は先程と少しも変わっていなかった。
 やっぱり、緊張してないのかな……


「いい感じね」
「は、はい」
 ミサトがマヤにそう声をかけると、マヤはビクッとして返事をした。
 マヤは正直、驚いていた。すごい、こんな数値が出るなんて……
 夢中でモニターに目を走らせていると、ミサトがまた声をかけてきた。
「二人とも、パルス波形がぴったりじゃない」
「そ、そうですね。誤差、認められません……」
 そう、それにこんな綺麗なカーブは初めて見た。
「シンクロ率もいいんでしょ?」
「え、あ、はい……すごい、新記録です……」
「うーん、やるわねー、二人とも。 心がぴったり通い合ってるってとこかしらー。 じゃ、連動試験、行きましょうか」
「は、はい……」
 マヤは今日の実験メニューを思い出していた。
 普通の人なら何とも思わないようなことでも、潔癖性のマヤは気にしてしまうのだった。


「はい、次、インダクションモードね。二人とも、レバー持って」
「あ、はい……」
 シンジは左手を離し、レイに左のレバーを持ってもらおうとした。
「違うわよ。シンジ君は両方とも持ったまま。レイはその上から手を添えてあげて」
「え……」
「……はい……」
 レイの華奢な掌が、シンジの手にそっと添えられた。
 冷たい……とシンジは思った。女の子の手って、冷たいんだな。
 アスカの時は……そんなこと、考えてる余裕がなかった……
 心臓の鼓動が、少し早くなった気がした。
「被験者甲は、まだ緊張してるのかしら」
「そ、そうですね。脈拍、少し上昇……」


「……以上で、試験前半を終了します。起動終了」
 ミサトの声がプラグ内に響いた。
 ほぼ同時に、プラグ内のスクリーンの映像が消え、  幾何学的な図形が現れたかと思うとそれはすぐにかき消えて七色の光が流れ、 次の瞬間にはプラグの中に闇が訪れていた。
 シンジはいつもの、空間が狭くなったような気分を味わっていた。
「じゃ、被験者甲と乙は席を替わって。 シンジ君はシートの右側に座って、レイがシートに着座。いいわね?」
「あ、はい」
「……はい……」
 暗くなったプラグの中で、シンジはシートの右側に降りると、 レイがしていたのと同じように安定フィンに足をかけ、 バイザーに左手を添える。
 レイはシートに座って、いつものように、少し顔を上げて目を閉じた。
 精神統一でもしてるのかな。
 シンジは薄暗い中でレイの横顔を見ながらそう考えていた。


……碇君の、席……温かい……


「では、被験者乙のA10神経接続率を70%、甲を30%として起動を再開します……」



「二人とも、お疲れさま」
 試験終了後、シンジとレイは管制室に戻っていた。
 もちろん、まだプラグスーツを着たまま。
 シンジはミサトの顔色を伺っていた。
 笑ってる。機嫌がいいみたいだ。いい数字、出たのかな……
 ミサトは試験結果をまとめた紙を見ながら言った。
「よくやったわね。二人とも。いい数字、出たわよ。 ハーモニクスも、シンクロ率も、新記録よ。 でもね、シンジ君」
「あ、は、はい」
 何を言われるんだろう。ミサトの表情は、先ほどよりも少し機嫌が良くない。 でも、笑っている。
「あんまり緊張しない方がいいわ。 今回のテストは、レイがシンジ君に合わせてくれているようなものよ。 後半の、レイが主導で起動したときの方が、数字がいいのよ」
「は、はい……」
 ……やっぱり、綾波、緊張してなかったのか……
「ともかく」
 ミサトはそこで言葉を切って、シンジとレイの顔を交互に見比べた。
 シンジは複雑な表情をしている。レイはいつもの無表情だった。
 レイももう少しうれしそうな顔しなさいよ。
 そしてミサトは言葉を続けた。
「今日の試験は大いに有意義でした。二人とも、ごくろうさま。明日の試験は休みにします」
「えっ、いいんですか?」
「日曜日だしね。ただし、待機だってことは忘れないように。わかった?」
「あ、はい」
「……はい……」
「じゃ、今日はこれで上がっていいから」
「はい……」
「……失礼します……」
 レイが先に踵を返し、シンジはその後に従った。
「あ、シンジ君、あと一つだけ」
 ドアの前まで歩いたところで、ミサトが後ろから声をかけてきた。
「は、はい」
 シンジは立ち止まって振り返った。レイは意に介さずドアから出ていった。
 ミサトはそれを見届けてから、シンジの方に寄ってきて、小声で話しかけた。
「明日の休み、レイを誘って、どっか遊びに行って来たら?」
「えっ……でも、どうして……」
「いやなの?」
 ミサトのその声は、幾分非難の響きがあった。
 それは単に、シンジがそう聞こえただけかも知れない。
「でも……どうして……」
「じゃ、命令するわ。行きなさい」
「あの、だから、どうして……」
「レイは今、心が不安定なの。シンジ君が支えてあげなくて、どうするの?」
「でも……どこへ行ったら……」
 自信がない、とシンジは思った。どこへ行っても、綾波と楽しく過ごせる自信がない……
 それに、市の中心部が壊滅的打撃を受けて、遊ぶところなんてどこにもないはずなのに。
「そんなこと、自分で考えなさいよ……でも、 ま、レイが映画見たり遊園地に行って喜ぶとも思えないしねー」
 ミサトさんも、わかってるくせに……第一、市内の映画館も遊園地も壊れてしまっているはずだ。
「まー、買い物にでも行ってきたら?」
 何を買えって言うんだろう。相変わらずミサトさん、無責任なんだから……
 もしかして、これが昨日の晩に綾波と話してたことなんだろうか……



 いつものように、シンジはエレベータの前でレイを待っていた。
 今日はSDATは聴いていない。
 頭の中が混乱しているから、音楽を聴いていると余計こんがらがりそうだ。
 買い物、何を、買い物、買い物、何を、買い物、買い物、買い物、何を……
 エレベータの扉が開いた。シンジはビクッとしてエレベータの方を見る。
 果たして、エレベータから降りてきたのは綾波レイだった。
 来た……
 レイはシンジが自分の方を見ているのに気付いたのか、 出口に向かわずにシンジの方に歩み寄ってきた。
 シンジの目の前に立つと、シンジの言葉を待つかのように黙ってシンジの方を見つめた。
 その瞳は、少しだけ優しい光をたたえているような気がした。
 シンジの口から、なぜだか、自然に言葉が出てきた。
「あ……あの……綾波……」
「……何?……」
「明日……その……」
「…………」
 シンジは、初めてレイの目を見ながら話ができたような気がした。
「……買い物……付き合って、くれないかな……」
「……どうして?……」
「…………」
 理由? ……そう、理由は……ミサトさんに、命令されたから……
 でも、それだけじゃない気もするんだ……
「理由が……無いと……ダメ、かな……」
「…………」
 だんだん、不安になってきた。もうレイの目を見ていられない。
 でも、目を離したらいけない気がした。
 シンジは勇気を振り絞ってレイの目を見つめ続けた。
 レイが小さな声で問いかける。
「……理由が、無いの?……」
「…………」
 ダメ……なのかな……やっぱり……
 理由が、欲しい……理由が……
「綾波の……」
 そう、そうだ……
「綾波の、服……買わなくて、いいの?」
「……どうして?……」
「だって、いつも、それしか着てないし……」
 そう、レイは今日も制服を着ている。
 シンジが見たことがあるレイの姿と言えば……
 制服、プラグスーツ、病院のパジャマ、水着、そして……何も着ていないところ。
「……いけない?……」
「普段着とか、要らないの?」
「……必要、無いと思うから……」
「でも……」
 ダメだ、もう、理由がない……でも、何か、言わなきゃ……
「持ってる方が、いいと思うけど……」
「……どうして?……」
「……僕が、見たいから……」
(な、何を言ってるんだ、僕は……)
「…………」
 レイは何も答えなかった。
 しかし、レイの表情が、ほんのわずか、変わったような気がした。
 どう変わったかははっきりとはわからなかった。気のせいかな……
 ええい、なるようになれ……
「僕が……僕が、買うから……その、綾波の、服……だから……それでも、ダメ、かな……」
「…………」
 レイはやはり何も答えなかった。
 シンジには、レイの目を見つめ続けることしかできなかった。
 目で訴える……そんなつもりはなかったが、それでもレイを見続けた。
 しばらくしてレイが口を開いた。
「……何時?……」
「……え……」
「……どこに行けばいいの?……」
「……あ……」
 OK……なの?……
「あの……付き合って、くれるの?」
「…………」
 レイは無言で頷いた。シンジは呆然としていた。
 OK、してくれたの……ホントに?
「あ、あ、あの……」
 ええと……何だっけ……な、何にも考えてなかった……
「じゅ、10時、10時に、その……あ、綾波の、部屋に、行くから……だから、待っててくれたら……」
「……そう……」
「あの……それで、いいよね……」
「…………」
 レイはまた何も言わず頷いた。OK、なのか……
「……帰らないの?……」
「え、あ……」
 レイの言葉に、シンジはあわてて立ち上がった。
 レイはもう出口に向かって歩き始めている。
 シンジはレイの後を付いて歩いて行った。
 そして、レイのアパートの部屋の前まで付き添って行った。
 レイがそれを拒まなかったから。



どこにあるの?
私の言葉。
何を言えばいいの?
わからなかった。
言いたかったはずなのに。
伝えたかったはずなのに。

教えて欲しい。
私の心。
私の言葉。
私の気持ち。
知りたいのに、
わからない……

『誰に言うの?』
碇君……
『誰に伝えるの?』
碇君……
『碇君は、知ってるの?』
……何を?
『あなたの心を、知ってるの?』
わからない……
『あなたの言葉を、知ってるの?』
わからない……
『あなたの気持ちを、知ってるの?』
わからない……
『どうして知らないの?』
私は私、碇君じゃないから……

言葉
言葉が消える。
どうすればいいの?
私の心、消したくないのに……



新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

To be continued...



Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions