どこにいるの?
私はここ。
私の場所。
私の部屋。

どこにあるの?
私の心。
わからないの。
今の気持ち。
この気持ちは何?
私の知らない気持ち。
心が寂しい……

でも寂しくない。
エントリープラグ。
碇君の場所。
心の安らぎ。

『安心するの?』
そう……
『どうして安心するの?』
わからないの……
『どうしてわからないの?』
気持ちが言葉にならないの……

言葉。
言葉が欲しい。
私の気持ちを表す言葉。
私の知らない気持ち。
もどかしい。
不安。

伝えたい、この気持ち。
誰?
誰に伝えたいの?
教えて欲しい、今の気持ち。
誰?
誰に教えて欲しいの?
…………




第五日

共感、その前夜




「おはよー、マヤちゃん」
「おはようございます。葛城三佐」
「明日の実験のことで、ちょっち相談があるんだけど、聞いてくれない?」
「何ですか?」
「ちょっちおもしろいこと考えたんだー」
「(やな予感)」
「実はねー、…………」
「…………、は?」
「だからー、…………」
「…………な、何ですか、その実験は……(不潔……)」
「いいじゃん、前例があることだしー。ま、あれは実験じゃなかったけど」
「は、はあ……」
「でね、実験マニュアル作っといてくんない?」
「わ、私がですか?」
「そうよ。要点だけここに書いといたから。じゃ、お願いねー」
「え、あ、ちょ、ちょっと、葛城三佐……そ、そんなぁ……」


金曜日
ネルフ本部内第7実験場
ハーモニクス試験
被験者:綾波レイ、碇シンジ


 ミサトはモニターを凝視していた。
 しかし、その表情は昨日までに比べて穏やかだった。
 今日は事故が起こらないからというのではない。
 単純に、実験結果に満足しているからだ。
「0番、1番、ハーモニクス共に正常、誤差0.01%以内です」
「調子いいわね。二人とも」
「そうですね……」
「シンクロ率も、いいんじゃない?」
「はい。1番は前回とほぼ同じレベルですが、0番の上昇は目覚ましいですね。 以前のレベルに戻ってますし……月曜日の実験結果が、嘘みたいです」
「ほんとにね……」
 マヤが驚くのも無理はない。
 レイの月曜日の不振、火曜日の事故を考えると、水曜日以降のこの結果は何が原因なのだろう。
 全く、子供の扱いって、難しい……とても自分は母親にはなれそうもないわね、 とミサトは余計なことを考えていた。
 でも、レイに一体何があったというのか。
 月曜日から、何度かシンジ君と話をしてるみたいだけど、 シンジ君に訊いてもたいした内容を話してるわけじゃないみたいだし……
 昨日の二人の話といい、ほんとにわからないことばかり……
「昨日の話……」
「えっ?」
 ミサトが唐突に話題を変えたので、マヤは少しびっくりして聞き返した。
 さっきの、明日の実験の相談のことで少し動揺しているのかもしれない。
「あれ……まだ、原因わかんないわよね……」
「あ、は、はあ……」
「昨日の話の内容は理解してくれた?」
「はあ、まあ、少しは……」
「私もわかってたつもりなんだけど、昨日一晩考えてたらまた混乱してきちゃって……」
「はあ……」
「他人のイメージって、いったい何なのかしらね。 どうやって説明したらいいのかしら。 言葉が見つかんないのよねー」
「はあ……」
「シンジ君にこれ以上聞いても、シンジ君が混乱するだけだし、 一人で考えてると訳わかんなくなっちゃうし、あー、もうどうなってんだか……」
「はあ……」
 ミサトは一人でしゃべって一人で悩んでいるみたいだった。
 マヤは何と返事していいかわからないので、曖昧に相槌を打つだけだった。
 ミサトは自分の頭の中を整理するために言葉をしゃべっているだけで、 マヤに答を求めているわけではなかったのだが。
「んー……」
「……どうしたんですか?」
 急に黙ったと思ったらミサトが唸りだしたので、マヤはおそるおそる声をかけた。
「ちょっち部屋に戻って考え事するから、適当なところで実験切り上げといて。 終わったら電話くれるだけでいいから」
「え、あ、は、はい……って、葛城三佐、責任者が実験中に席を外すなんて、そんな……」
「事故が起こったら電話ちょうだーい。始末書なら書くから……あ、 そうそう、実験終わったら、二人に私の部屋に来るように言っといて。それじゃ……」
「そ、そんな……」
 ミサトはそう言い残すと実験室を出ていった。
 後ろを向いたまま手を挙げて小さく振りながら。
 マヤと他のオペレーターは、呆気にとられてミサトの後ろ姿を見送るだけだった。
 何だか最近、葛城三佐に振り回されてる……ううっ、赤木先輩、早く帰ってきて……



 ミサトは自分の執務室の椅子に座り、背もたれに身体を預けて、 ぼんやりと天井を見ながら考え事に耽っていた。
 もちろん、昨日のシンジとレイのことだ。
 いったい、エヴァ初号機に何があったというのか。
 先週まではシンジが初号機に乗っても何ともなかった。ちゃんと動いていた。
 使徒・渚カヲルを倒したことが尾を引いているのか。
 それももちろん考えられる。
 しかし、なぜレイのイメージなのか。
 シンジの前にレイが初号機の起動実験をしたから?
 しかし、初号機のパーソナルデータはシンジのものに書き換えてある。
 レイの意識が初号機の中に残っていて、 それがシンジの時にパルスとなって流れ込んだとでも言うのだろうか。
 しかし、そんなことが本当にあり得るのか……
 リツコの意見を聞いてみたいところだが、拘束されていては何もできないし……
 ああ、もう考えるのがいやになってきた。
 とにかく、明日の実験の結果を見るのよ。それしかない。
 そこまで考えたとき、ドアにノックがあった。
「どうぞー。開いてるわよー」
「失礼します……」
 入ってきたのはシンジとレイだった。
 二人ともまだプラグスーツを着たままだ。 髪の毛もLCLで濡れている。
 二人並んでドアの前に控えた。
 しまった、着替えてシャワー浴びてからでいいって言っときゃよかったわ。
 まー、いっか。一言だけだし……
 ミサトは椅子を回転させ、二人の方を向いて言った。
「ごくろうさま。実験の調子はどうだった?」
「問題ないそうです。僕も綾波も……」
 そう言いながらシンジはちらりとレイの方を横目で見た。
 レイはミサトの方をまっすぐ見つめている。
「そう。よかったわね」
 とりあえず労っておく。それからミサトは少し間を置いて言った。
「明日の実験のことなんだけどね」
「はい」
 シンジが返事をする。レイは無言だった。
「シンジ君の連動試験と、レイの機体相互互換試験をやる予定だったんだけど、 ちょっち予定を変更して別のテストをしようと思うの」
「はい……」
「で、今晩その説明するから、レイはこの後、私の家に来てちょうだい」
「……はい……」
 レイがやっと口を開いて答えた。
 命令には素直に従う。いつものレイの態度だった。
「でね、明日の実験の都合があるから、レイはうちに泊まって欲しいの。いいわね?」
「……はい、問題ありません……」
「じゃ、レイは着替えを取りにいったん帰って、 それからシンジ君と一緒に私の家に先に行っててちょうだい。 じゃ、そういうことで、お疲れさま」
「……はい……」
「ちょ、ちょ、ちょっと、ミサトさん!」
 シンジが驚いて声を出す。
 何をそんなにあわててんのよ。
 ミサトは妙にいたずらっぽい気分になってきた。
 シンちゃん、照れてるのかしら。
 ついでだから冷やかしてやろうっと。
「なにー?」
「泊まるって……綾波はどこに寝るんですか?」
「リビングに寝ればいいじゃない。 お客さま用の布団もちゃんとあるし。 シンちゃんは自分の部屋で寝れば問題ないでしょう?」
「え? いや、あの、でも……」
「何にも問題ないって。第一、当事者のレイが問題ないって言ってんだから、いいじゃない。 ……ほら、先に帰って、帰って。ちゃんとレイの夕食作ってあげてね。 私、今日遅いから先に食べといて。 9時頃には帰るから私のも用意しといてよ」
「はあ……」
 んもう、シンちゃんったらなに動揺してんのかしら。
 こんなことじゃ、レイの信頼無くしちゃうわよ。
 レイが安心して初号機に乗れないじゃない。
 もっとしっかりしてくんないとねー。
 まー、今晩何とかしてもらうしかないか。
「お疲れさまー」
 ミサトはそう言って二人を無理矢理送り出した。
 そしてまたさっきの深い思考の海に沈んでいった。
 子供って、何考えてんのかしら。本当にわかんない……



 シャワーを浴びた後、出口のエレベータの前で、 シンジは椅子に座ってぼんやりと天井を見ながら考え事をしていた。
 正確に言うと、頭の中はパニック状態で何も考えられなかった。
 ただ、頭の中で「?」マークがぐるぐると飛び交っている。
 僕は何を考えているんだろう……
 ミサトさんは何を考えてるんだろう……
 綾波は何を考えてるんだろう……
 僕は何を考えたらいいんだろう……
 綾波と何を話せばいいんだろう……
 今夜のおかずは何にしよう……
 エレベーターが到着して、シャワーを浴びて着替えたレイが出てきて、 シンジの目の前に立っても、 しばらく気がつかないほどシンジの頭の中は混乱していた。
 レイは何も言わずにシンジの呆けたような表情をじっと見つめていた。
 しばらくしてシンジはハァーッと大きく一つため息をつき、目を閉じて下を向いた。
 それから目を開けると、白くて華奢な二本の脚が見えたので、 あわてて顔を上げると、自分を見ているレイを発見した。
「あ、あの……ごめん、ぼんやりしてて……いつ来たの?」
「……今……」
「ごめん、気がつかなくて……」
「…………」
「あの……」
「…………」
「か、帰ろうか……」
「……うん……」
 シンジはあわてて立ち上がると、 一瞬の逡巡の後、出口に向かって歩き出した。
 レイは黙って後から付いて来る。
 そうだ、レイを部屋に送って、その後でうちに連れて帰らなきゃならないんだ。
 そのために待ってたんだっけ。
 そんな簡単なことをいちいち考えなければならないほど、シンジの頭は混乱していた。
 今、頭の中でぐるぐる回っているのは、主に今晩のおかずだった。



fifth day

as you like it




 再開発で取り壊される寸前の、古ぼけた高層アパート。402号室。
 レイの部屋の前で、シンジはドアの横にもたれかかって待っていた。
 レイは一人、部屋に入って今夜の着替えを揃えている。
(……綾波って、着替え持ってるのかな。下着を持ってるのは知ってるけど、 部屋で着る服なんて持ってるのかどうか…… だいたい、今晩何を着て寝るつもりなんだろう……)
 そこまで考えて、シンジはババッと顔が赤くなった。
 な、何を考えてるんだ、僕は。
 別に綾波が何を着て寝ようが、関係ないじゃないか。
 はあ、でも何でそんなこと気にするんだろ。
 アスカが来たときは別に気にならなかったのに……
 そんなことをあれこれと考えていると、レイが部屋から出てきた。
 手に持っているのはいつもの学生鞄だけ。
 ……この中に全部入ってるの?
「あ、は、早かったね……」
「…………」
「あ、あの、綾波……」
「……何?……」
「うちに来たこと、あるよね?」
「……一度……」
 やっぱりちゃんと憶えてた。記憶のコピー、か……
「じゃ、あの……行こうか……」
「……うん……」
 シンジは振り返って廊下を歩き始めた。
 そしてレイに気付かれないように、小さくため息をついた。
 何でこんなに動揺してんだろう……


「あ、あの……綾波……」
 家に帰る道すがら、シンジは振り向いて後ろから付いて来るレイに話しかけた。
 レイのアパートを出てからまだ一言もしゃべってない。
 話しかける話題がない。何となく気まずい雰囲気を感じていた。
 でも、綾波はこんなの、平気なんだろうな。
 ミサトさんが帰ってくるまで、間が持つだろうか……
「……何?……」
「今晩、その、何か食べたいものある?」
「……別に……」
「えと、でも、肉、食べられないんだっけ?」
「……うん……」
「魚とかも?」
「……うん……」
「何にしよう……」
「…………」
 シンジの独り言のような最後のつぶやきに、レイは何も答えてくれなかった。
 ……綾波って、いつも何食べてるんだろう。
 やっぱりあの固形栄養食品みたいなのかな……
 でも、綾波が何か食べてるの見たのって、 ミサトさんとアスカと一緒にラーメン食べに行ったときくらいだし……
 とりあえず、買い物に行ってから決めよう……
 シンジはすっかり主夫になっている自分に気付かなかった。


 郊外型デパートの食料品売り場をうろうろと見て歩いていても、いいおかずは思いつかなかった。
 頭の中ではまだラーメンを食べに行ったことだけが延々と渦巻いていた。
 さすがに夕食をインスタントラーメンにするわけにはいかないよな……
 ミサトさんだったらそれでもいいんだろうけど……あ。
(スパゲティなんかどうかな。ミートソースは綾波は食べられないだろうけど、 夏野菜のスパゲティなんていいかもしれない。うん、そうしよう)
 考えが決まればシンジの行動も少しは軽い。
 シンジはスパゲティを棚からかごに移すと、 野菜売り場に行ってめぼしい品物を買い揃えた。
 レイはシンジの行く先に黙って付いて来る。
 買い物かごを持って食料品をあさる少年と、 それに付いて歩く制服の少女の組み合わせは、 まるで仲のいい兄妹のようだった。



 家に帰るとシンジは買い物を入れた袋をダイニングキッチンのテーブルの上に置いた。
 そしてハァと小さく一息つく。
 買い物の帰りにもレイに何も話しかけられなかった。何も話題がない……
 急に視線を感じて振り返ると、そこにレイが立っていてシンジの方をじっと見ていた。
 なぜかうろたえてしまうシンジ。
「あ、あの……」
 シンジは思わず声を出してしまう。
「……何?……」
 レイは静かに答えた。相変わらずの無表情だった。
「夕食、作るから、その……そっちで座って、待っててくれる?」
 シンジはリビングを指差しながらそう言った。
 レイは小さく頷くと、リビングに入っていって、 机の横に座り込むと、鞄から本を出して読み始めた。
 もう夕闇が迫っていて、部屋の中も薄暗い。
 シンジがリビングの明かりをつけると、レイはチラとシンジの方を見たが、 また本に目を戻して読み始めた。
「……ありがとう……」
 それは聞こえるか聞こえないかというくらいの小さな声だった。
 キッチンの方に向き直っていたシンジは、 その声が聞こえたような気がしてレイの方を振り返った。
 しかし、レイは相変わらず本を読んでいるだけだった。

 スパゲティを作りながら、シンジは何度か背中にレイの視線を感じたような気がした。
 その度にそっと振り返ってみても、レイはずっと本を読んでいた。
 気のせいか……

「綾波……」
「……何?……」
「あの、夕食、できたから……」
「…………」
 ミサトやアスカになら気軽にかけられたその言葉も、レイにはなぜか言いにくかった。
 慣れていないだけ……のはずなのに。
 こんなことじゃ、ミサトさんが帰ってくるまで、とてもじゃないけど間がもたないや。
「あの……ミサトさん、遅くなるって言ってたから、先に食べようよ……」
「……うん……」
 レイはそう言いながら頷くと、本を閉じて鞄の中に入れた。
 そしてダイニングに来て、シンジと向かい合って座った。
 いつもはミサトが座っている席だ。
「あの……これ、綾波の分……」
 シンジはスパゲティを盛った皿を、レイの前に置いた。
「……ありがとう……」
 レイは今度は少しはっきりした声でそう言った。
 シンジはそれを聞いて少しびっくりした。
 しかし、やっぱり何となくうれしかった。
 アスカはシンジが食事を作っても、ありがとうと言ってくれたことはなかった。
 いただきますとごちそうさまは言ってくれたけど。
 ミサトの「ありがとー」はもっと軽い感じで挨拶みたいだったし。
 綾波のために夕食作って良かった。シンジは少し気分が軽くなった。
「それじゃ、食べようか……」
「……うん……」
「それじゃ、いただきます……」
「……いただきます……」
 レイはそう言ったまま、じっとスパゲティを見つめていた。
 まさか、食べ方知らないとかいうんじゃないだろうな……
 シンジが少し心配しながら見ていると、 レイはフォークを持ってスパゲティを食べ始めた。
 やっぱりそうだよな。スパゲティの食べ方くらい知ってるよ……
 シンジは気を取り直して、自分の分を食べ始めた。
「あの……味、どうかな……」
「…………」
 シンジはレイが一口食べ終わったところで聞いてみた。
 レイは無表情のまま、小さな声で答えた。
「……おいしい……」
「そ、そう。良かった……」
 レイの声は抑揚がなかったので、本当においしいと思っているかどうかのはわからなかったが、 お世辞を言ったりするようなことはないと思ったので、シンジは少しほっとした。
「あの……何か飲む?」
「……うん……」
「ウーロン茶でいい?」
「……うん……」
 レイはスパゲティを食べながら、 シンジの言うことに小さく頷きながら返事をした。
 シンジは冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを出し、 食器棚からコップを二つ出すと、レイの分と自分の分を注ぎ分けた。
 そしてその一つをレイの前に置く。
「はい、これ……」
「……ありがとう……」
 お礼を言われるって、やっぱり悪い気はしないよな……
 シンジはそう思いながら食べるのを再開した。
 しかし、食事の間、レイとは一言も話はできなかった。



「たっだいまー」
 ミサトが帰ってきたのは、9時少し前だった。
 シンジとレイはリビングでくつろいで……はいなかったが、とにかく座っていた。
 夕食が終わってから1時間ちょっと、 シンジはやっぱり何もレイに話しかけられずに、 SDATを聞きながら時間をつぶしていた。
 レイはさっきの本の続きをずっと読んでいる。  お互い、相手に干渉することもなく、何となく不思議な平衡状態が続いていた。
「シンちゃーん、夕食ちょーだい」
 ミサトは帰ってくるなり着替えもせずにダイニングの椅子に座って夕食を催促する。
「あ、はい」
「今日は何?」
「スパゲティです。野菜の……」
「ふーん。……レイ?」
「……はい……」
 ミサトがレイに呼びかけると、レイは本から顔を上げて、しかしミサトの方は見ずに返事をした。
「シンちゃんのお料理、おいしかった?」
「……はい……」
 レイはいつものように無表情に答えた。
「そ。よかったわね。シンちゃん、お料理上手でしょ」
「……はい……」
「毎日食べたい?」
「…………」
「ちょ、ちょっと、ミサトさん、何言ってるんですか……」
「いーじゃん、シンちゃんはちょっと黙ってなさいよ。ね、レイ、どう思う?」
「…………」
 いつもならどんなことにでも即答するレイが、珍しく答えるのが遅い。
 答に窮している、そんな風にも見えた。
「シンちゃん、おビールちょーだい」
「あ、はい……」
「レイ?」
「……はい……」
「後でもう一度訊くから、考えといてね」
「…………」
 レイはそれにも答えなかった。


「で、ミサトさん、明日のテストって……」
 ミサトが食事を終え、4本目の缶ビールを飲み干した後でシンジは聞いた。
 レイはさっきからまだずっと本を読んでいる。
 しかし、よく見ていればその本のページがさっきから全くめくられていないことに気付いただろう。
 シンジは何も気付いていなかった。
「あ、明日のテストね。うん。それで?」
「それで、って……何か説明とかするんじゃないんですか?」
「説明は明日するわよ」
「……は?」
 シンジは呆気にとられた。ミサトさん、何言ってんだろう?
「あの……じゃ、綾波が、ここに来たのは、どういう……」
「ここに泊まるっていうことに意義があるだけよ」
「…………」
 シンジはもう何が何だかわからなかった。
 とにかく、ミサトさんは何か企んでいるらしい。それだけはわかった。
 ミサトがおかしな薄笑いを浮かべているのが確信を高まらせる。
 それと、これ以上質問してもラチが開かないこともわかった。
「レイ?」
 シンジの方を向いてニカニカと笑っていたミサトが唐突にレイに声をかけた。
「……はい……」
「お風呂、入る?」
「……夕方、入りましたから……」
「あ、そう。シンちゃんは?」
「え……僕は、一応、入りますけど……」
「もう沸いてんの?」
「あ、はい、一応……」
「じゃ、入ってきたら?」
「あ、はい……」
 これ以上ミサトの言うことに付き合っていてもしょうがないとシンジは思ったので、 言われたとおりに素直に風呂に入ることにした。


「レイ?」
 ミサトは部屋着に着替えると、シンジが風呂に入っているのを見計らって、 リビングのレイの横に座り、声をかけた。
「……はい……」
 レイは本を閉じて机の上に置き、宙を見つめた。
 作戦伝達の時以外は話しかけても自分の方を見ないのはミサトも慣れている。
 ミサトはレイの横顔を見ながら話しかけた。
「シンジ君のお料理、おいしかった?」
「……はい……」
「また食べたい?」
「…………」
 ……望んで、いいの? それを……
 レイはまた黙ってしまった。
「食べたくないの?」
 しかし、そのミサトの言葉には意地悪い響きは少しも入っていなかった。
 まるで姉が妹に話しかけているような、優しい響きだった。
「……いいえ……」
 レイは消え入りそうなほど小さな声で答えた。
「また食べたい?」
「…………」
 ミサトがもう一度訊くと、レイは黙って小さく頷いた。
「そう。じゃ、また呼んであげるから」
「……はい……」
 レイの頬がわずかに赤くなっているのを、ミサトはニコニコしながら見つめていた。



ここはどこ?
自分の部屋じゃない、
病院じゃない、
いつもと違うところ。
でも、知ってるところ。
温かいところ。

誰もいない部屋。
でも、誰かいる。
人の感じ。
温かい感じ。
碇君? 葛城三佐?
別の部屋。
でも、同じところ。

『温かいの?』
そう……とても温かい……
『温かさが欲しいの?』
そう……とても欲しい……
『それを望むの?』
わからない……
『どうしてわからないの?』
望んでいいの?

私の心。
私の言葉。
私を感じる。
私が生きている感じ。
これが私の感じ。

温かい心。
温かい言葉。
人を感じる。
私以外の人。
私以外の人の心。
私以外の人の言葉。
私と、私以外の人。
それが絆。
これが絆?



新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

To be continued...



Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions