『どうしてエヴァに乗るの?』
絆だから。
『絆?』
そう、絆……
『誰との絆?』
みんなとの、絆……
『みんなって誰?』
みんなは、みんな。私以外の、みんな。
『あなた以外の?』
そう、私以外の、みんな……
『それは誰?』
…………
『それは誰?』
……碇君……葛城三佐…赤木博士…みんな…クラスメイト…弐号機パイロット……碇司令……
『その人たちのために、乗るの?』
そう……
『なぜその人たちのために乗るの?』
絆が、切れないように……
『絆が切れるのが、怖いの?』
怖い?
『怖いの?』
怖い……わからない……怖いかも、しれない……
『どうして怖いの?』
……わからない……
『どうしてわからないの?』
…………
『死ぬのは、怖くないの?』
……わからない……
『死ねば絆が切れるのに?』
絆が切れるのは、怖い……
『何が怖いの?』
…………
『何を求めるの?』
…………
『何を求めるの?』
……絆……
『絆が欲しいの?』
そう……
『絆が切れるのが、怖いのね?』
そう……
『みんなの心から、あなたが消えるのが怖いのね?』
そう……
『あなたの心から、みんなが消えるのが怖いのね?』
そう……
『…………』
…………




第壱日

切れない、絆



月曜日
ネルフ本部内第7実験場
ハーモニクス試験
被験者:綾波レイ、碇シンジ


「1番、ハーモニクス正常です」
 伊吹マヤはモニターを見ながら涼やかな声で葛城三佐にそう告げた。
 ミサトは黙って頷く。しかし、その表情は冴えなかった。
 赤木博士が拘束されている今、ミサトは試験主任を代行しているのだ。
 いつもはオブザーバーとして試験を見ているので、特に問題はない。
 補佐は伊吹マヤ。しかし、補佐とはいえ、実質のところ、 試験手順や評価の全ては彼女が代行していると言っていい。
 ミサトには詳しい手順はわからないから、主任とは言っても黙ってみているだけだ。
 マヤは赤木博士が決めた手順に従って作業を進めていく。もう手慣れた物だった。
「シンクロ率の方は?」
 ミサトの方は聞いてみるだけという感じ。
 試験には付き合わされているだけだと思っているからだ。
 しかし、責任者不在では試験ができない。 つまり、ミサトの役割は責任者代行である。
(責任者は責任取るためにいる、か……)
 ミサトは渋い表情でそう考えていた。
 試験での責任といえば事故の時の処置くらいで、 ハーモニクスとシンクロのテストではシリアスな事故が起こりようがないし、 今日のところは何も心配する必要はない。
 しかし、ミサトの心配は別のところにあった。
「誤差、0.01%以下です」
「そう……そうなると、問題は0番の方ね」
 ミサトは隣のモニターに目を向けて言った。
 機器には詳しくないが、何度も試験に付き合ってきたからグラフの示す意味くらいは解る。
 しかし、数値の方は見慣れたものではない。
「そうですね……ハーモニクスの値は前回より低下、 シンクロ誤差も……0.5%もあります。これでは……」
 マヤも心配そうにそうつぶやいた。
「ええ……レイにしては、信じられないことね……」
「脳波にも、ノイズが混じってますし……これ、不安要素でしょうか。でも、そんな……」
「そうね、どういうことかしら……」
 ミサトはそっとため息をついた。
 ここ数日、どういうわけかレイの調子が芳しくない。
 既に零号機は無くなっているとはいえ、 シンジの代わりに初号機で出撃しなければならないことも考えて、 レイも試験は続けなければならない。
 それに、弐号機のシステムをレイ用に書き換えることも想定しなければならないし……。
 しかし、とミサトは思った。
 次の使徒は本当に来るのだろうか?
 拾七番目の使徒を殲滅した直後、人類補完計画の正式発動が宣言された。
 そして、作戦部の規模縮小。これは何を意味するのだろうか?  エヴァはもう必要ないというの?
 しかし、その件について正式な発表はなかった。
 現状維持。試験は相変わらず続けなければならない。未だに「待機」の状態が続いている。
 第拾六使徒との戦闘で街全体が被害を受けて以来、 住民のほとんどは疎開し、子供が激減したため、学校はまだ再開されていない。
 だから子供たちの時間だけは充分にある。
 もちろん、生理学的見地から一日にできる実験の時間は限られている。
 それでも時間は充分なはずだった。
 それなのに……
「とりあえず、シンジ君の方だけ、もう少し深度を下げてみて」
「はい」
 マヤが端末を操作すると、モニターの映し出されたシンジの表情が苦痛でわずかに歪んだ。
 グラフが揺れる。
 しかし、誤差はすぐに消え去り、ハーモニクス、シンクロ率とも元の値をキープしていた。
 マヤは別のグラフを見ながら告げる。
「1番、汚染区域に隣接しました」
「それでこの数値……」
「相変わらず、いいですね、シンジ君は」
「そうね。調子がいいのは、シンジ君だけか……あんなことがあった後なのにね……」
「ええ……」
 あんなこと……第拾七使徒……渚カヲルを、シンジが自らの手で扼殺したこと……
 友達を失ったこと……友達に裏切られたこと……精神的に大きなショックを受けたはずなのに……
 しかし、シンジはエヴァに乗ることを拒まなかった。試験にも参加している。結果も問題ない。
 だが、逆にミサトにはそれが心配なのだった。
(シンジ君には、本当にもう、エヴァに乗るしかなくなった……ってこと? でも……)
 ミサトはモニターに映ったシンジの表情を見つめていた。
 シンジは目を閉じて、精神を集中しているようにも見える。
 無表情ではなかったが、その表情からシンジの心の中を察することはできなかった。
(虚ろな表情でないことだけが、唯一の救いかも……)
 今までのことを考えれば、シンジが自暴自棄になってもおかしくないはずだった。
 そう、充分なあり得ることだった。
(いったい、どうしたって言うの……)
 ミサトは今度は少し大きいため息をついた。
 マヤも小さくため息をついた。どうやら心配事が伝染してしまったらしい。
 調子が悪いのは私たちの方なのかもね。ミサトはため息をついたことを後悔した。
 今日はもうやめておいた方がいいかしら。
「レイの方は、これ以上続けても、無駄かもね……シンジ君のデータはとれた?」
「充分です」
「いいわ、少し早いけど今日はこれで終わりましょう」
「はい」
 ミサトはエントリープラグに通じるマイクのスイッチを入れ、中の二人に告げた。
「二人とも、お疲れさま。今日は上がっていいわ」



 試験が早めに終わったとは言っても、ほんの30分程度のこと。
 試験に要する時間のほとんどは、試験前の準備や内容伝達にかかっているから、 全体の時間はそれほど変わらない。
 それに、シンジもレイも早く帰ってもすることがないから、 早く終わること自体はそれほどうれしいことではなかった。
 むしろ、試験をしている方が、気を紛らわせることができていい。シンジはそう思っていた。
 時間があると、また悲しいこと、つらいことを思い出してしまうから…… 「…………」
 シャワーを浴びた後、出口のエレベータの前で、 シンジはSDATのヘッドホンから流れてくる音楽に耳を傾けていた。
 しかし、正確に言うと、音楽を聴いているのではなかった。
 ヘッドホンをしているのは、外界の音を遮断するためだった。
 シンジは考え事をしていた。
 そして人を待っていた。
(僕は……何のためにエヴァに乗ってるんだろう?)
 もう何度も自問し続けていることだった。 しかし、未だに答は出ていない。
(何のためにエヴァに乗ってるんだろう……人を殺してまで)
 そう考えると、右手にあの時の嫌な感覚が蘇ってきた。
 いやだ。もう思い出したくないんだ……シンジは最初の自問のことを考え続けた。
 ……もしかしたら、答を出したくないのかもしれない。
 答を出したら、エヴァに乗れなくなるから?
 そうなったら、僕は……僕は、どうなるんだろう。
 僕は、どこにいればいいんだろう。
 僕は、どこに行けばいいんだろう……
(僕は……何のためにエヴァに乗るんだろう?)
 考えは堂々巡りを繰り返すばかりだった。
 誰にきけばいいんだろう……誰に相談すればいいんだろう……
 そんなの、わからない……わかるわけ、ないじゃないか……
 そして何度目かわからなくなるほどの自問を繰り返したとき、 エレベーターが止まり、待ち人は現れた。
「綾波……」
 シンジはレイの姿を見て、あわててSDATのヘッドホンをはずした。
 レイはシンジの前を通り過ぎかけたが、シンジが自分の方を見ているのに気付いて立ち止まり、 視線をシンジの方に向けた。
「……何?……」
 幾ばくかの時間が過ぎた後で、レイが小さな声でシンジに尋ねた。
「あ……あの……」
 レイの赤い視線がシンジを射る。
 何も強制しないはずの瞳に、シンジはなぜか戸惑っていた。
 試験中から、いやそれよりも前からずっと考えてきたことが言えない。
「あの……綾波……その……」
(どうしたんだよ……落ち着け……落ち着かなきゃ……)
 シンジは心の準備に手間取っている間、レイはシンジを見つめながらじっと佇んでいた。
 それはまるで、シンジの言葉を待っているようにも見える。
 シンジはじっとレイの方を見つめながら、心を落ち着かせることに腐心していた。
 だが、心に余裕がないのに、つい余計なことを考えてしまう。
(……綾波って、こんな時でも、制服着てるんだな。 ほんとに、制服以外、持ってないのかな……)
 シンジの方は、TシャツにGパンのラフな格好。 学校帰りに寄るのではないから、当然といえば当然のはずなのだが。
(いや、余計なこと考えるな……言わなきゃ……)
 一度目を閉じて精神を集中し、それから目を開けてレイの方を見ながら心の中の言葉を少しずつ口にした。
「綾波……その……一緒に……帰らないか……送って、行くから、その……」
「……そう……」
 レイはシンジを見つめながらそう言った。
(……断られなかったよな、確か……)
 シンジは頭の中でレイの返事を繰り替えし確認ながらまだ座っていた。
 断られなかったよな、確か……
「……どうしたの?……」
 黙って座ったままのシンジにレイが声をかけた。
「えっ?」
「……帰るのなら、早く行きましょ……」
「あ……ごめん……」
 シンジはいつもの癖でつい謝ってしまった。
 レイはシンジから視線をはずすと、出口に向かって歩き始めた。 シンジはあわててその後を追う。
 先程の自問がまた頭をかすめた。
 なぜエヴァに乗るの?
(……綾波に、もう一度きいてみたい……今の綾波は、僕の知ってる綾波じゃないけど、 その綾波にきいてみたいんだ……)
 しかし、シンジは何も言えずにレイの後ろに付いて行くだけだった。
 電車に乗っても、駅で降りても…… 言い出せない。きっかけがつかめない。
 やっぱり、綾波が、僕の知ってる綾波じゃないからかな……
 3人目の綾波。たくさんいる綾波のうちの一人だった綾波。
 僕が知らないはずの、今の綾波。
 でも、今の綾波は、なぜか僕のことを知っている。
 零号機を自爆させたときの記憶はないけど、それより少し前のことまでは知ってるみたいだ。
 記憶のコピー……記憶が、どこかに保存されてたんだろうか。
 あの、実験室……綾波がたくさんいた、実験室。
 今の綾波も、前の綾波の記憶を、コピーされてるんだろうか……
 だけど、どうやって……
 何も言えないまま、シンジはいつの間にかレイの部屋の前に来ていた。



first day

I don't know she wouldn't say




 レイが自分の部屋のドアを開ける。やっぱり、鍵はかけていない。
 聞き覚えのある、少しきしんだ音を立ててドアが開く。
 入りしなに、レイがちらりと振り返ってシンジを見た。
 眼差しが少し冷たく見えた。 「あ、あの……じゃ、僕は、その……これで……」
「…………」
 シンジがそう言うと、レイは何も言わずにシンジの方に向き直った。そのまま何も言わずじっとシンジの方を見つめている。
 さよならって、言ってくれないんだな……
 前に僕がそう言ったの、憶えてるんだろうか。
 それとも、僕のことをよく憶えてないからだろうか。
 このまま、何も言ってくれないのかな……
「あの……」
 シンジが自分からさよならを言おうと思ったとき、レイが小さな声で言った。
「……少し……上がっていけば?……」
「え……」
 思ってもみなかったことを言われて、シンジは戸惑った。
 しかし、まだレイに何も訊いていないことに気が付いた。
 そう、きかなきゃいけない。あのことを……シンジは誘われるままに、レイの部屋の中に入った。


 部屋の中は、前と同じだった。
 飾りも何もない部屋。
 打ちっ放しのコンクリートの壁。
 病室にあるような鉄パイプのベッド。
 そこに取り付けられた読書スタンド。
 ベッドの脇には、パイプ椅子。
 窓際には小さなチェスト。
 壁際には冷蔵庫。その上に載っている薬の袋。瓶。錠剤。ビーカー。コップ。
 そしてその上の壁に小さな鏡。
 シンジがぼんやりとそれらを眺めていると、またレイが声をかけてきた。
「……何か、飲む?……」
「え……あ、うん……」
「……座ってて……」
「あ、うん……」
(どうしたんだろう、綾波……いつもと、違う……)
 今までレイがこれほど自分に気を使ってくれたことがあっただろうか。
 シンジは黙ってレイの動きを眺めていた。
 レイはシンクの上の戸棚からコップを取り出し、軽く水で洗い流す。
 そしてコップを持って冷蔵庫に歩み寄ると、中からペットボトルを取り出した。
(ミネラルウォーター、か……)
 レイはそれをコップに注いで、シンジの前に差し出した。
「……はい……」
「あ……ありがとう……」
(なんか、違うよな……前の綾波じゃ、ないよな…… 綾波が、こんなに気を使ってくれるなんて……)
 シンジがコップを見ながらそう考えているうちに、 レイは冷蔵庫の上のコップを取り、ミネラルウォーターを注ぐ。
 ペットボトルを冷蔵庫に戻すと、シンジの前を横切ってベッドに歩み寄り、腰掛けた。
 そして、水を飲むでもなく、じっと手に持ったコップを見つめている。
 沈黙が小さな部屋全体を包んだ。一秒が一分にも思える長い時間が過ぎていく。
(居心地、悪いな……どうしたらいいんだろう、こんな時…… 何か話さなきゃ、何か……そうだ、あのこと……)
 エヴァのこと……どうして、エヴァに乗るのか……きかなきゃ……
 シンジが意を決して顔を上げたとき、自分を見つめているレイと視線が合った。
 赤い瞳……物言わぬ、静かな瞳……月のように冷たい光を宿した瞳……
 シンジの心が一瞬でひるんだ。頭の中から言葉が消えていく。
「あ、あの……」
「……何か、話したかったの?……」
「え、いや、その……」
 シンジの意志が急速に薄れていく。
 ダメだ、こんなことじゃ……逃げちゃダメだ、逃げちゃ……
「……話したくて、待ってたんじゃないの?……」
「あ……う、うん……」
「……何?……」
 心の内を、見透かされてる……シンジは思った。
 そう言えば、前にも似たようなことがあった。
 あの時は、僕から切り出したんだけど……
 しかし、今日はレイの方が幾分積極的だった。
 せっかく、綾波がきいてくれてるのに……逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ……
「あ、綾波……綾波は……」
 視線を合わせられない。レイの目をまともに見ることができない。
 コップと床を見比べながら、気を落ち着かせようとした。
 一口だけ水を飲む。逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ……
「綾波は……どうして、エヴァに乗るの……」
 シンジは腹の底から声を絞り出した。ようやく、言えた……
 レイは一瞬の沈黙の後、静かな声で答えた。
「……前にもきかれたわ……」
 やっぱり、憶えてた……
「うん……前にもきいたよ……その時と、変わってないの?」
「……ええ……」
「……絆、だから……?」
「……そう……絆……」
 絆……父さんとの絆……僕らとの絆……みんなとの絆……絆って、何だろう……
「絆って、何だろう……」
 シンジは心に浮かんだ疑問をそのまま口にしていた。絆って、何だろう……
「……私と、みんなをつなぐもの……」
「心のつながり?」
「……そうかもしれない……」
「わからないの?」
「……いいえ、わかってるの……でも、言葉では表せないもの……」
「そんなものなのかな……」
「…………」
 再び沈黙が訪れる。もう言葉は見つからなかった。
 コップの水をもう一口飲んでみる。
 さっきは味がしなかったが、今度はちゃんと味がした。
 ミネラルウォーター独特の、無味乾燥な味。
 無味乾燥、か……綾波の、この部屋みたいだ。 綾波の心も、無味乾燥なのかもしれない。
 こんな生活してたら、心が無味乾燥になってしまうんじゃないのかな……
「……碇君……」
「え……」
 突然綾波から声をかけられて、シンジはびっくりした。
 レイの方を見たが、レイはこちらを見てはいなかった。
 空耳? そう思ったとき、レイが言葉を続けた。
「……あなたは、なぜエヴァに乗るの?……」
「え……」
 訊かれた途端、沈み込むような暗い気持ちが、シンジの心を包み込んだ。
 そうだ、どうして僕はエヴァに乗るんだろう……
 それがわからなくて、綾波にきいたはずなのに…… やっぱりわからなかった。
 どうして……どうして乗るんだろう……どうしてわからないんだろう……
「わからないんだ……」
 わからないものはわからない。本心をそのまま打ち明けた。
 僕は、綾波に助けて欲しいのかも知れない。
「……そう……」
「わからなくて……わからないから、綾波にきいてみたんだ。 綾波がどうして乗るのかきいて、そうしたらわかるかも知れないって…… わかるための、きっかけになるかもしれないと思って……」
「……わからなかったの?……」
「うん……」
「……そう……」
 みんなが褒めてくれるから……前はそう思っていた。
 でも、今は違うような気がする。
 人を殺してまで……褒められたくないんだ。
 でも……今の状態を、失いたくないんだ。
 もう何も失いたくないんだ。
 みんなと一緒にいたいんだ……
 絆……そう、絆なのかも知れない……
「やっぱり……絆、なのかな……」
「…………」
 レイは何も答えてくれなかったが、シンジは心の中の言葉を紡ぎ続けた。
 今は、聞いてくれるだけでいい……
「絆が、欲しいのかもしれない、僕は……」
「…………」
「……父さんとの絆……みんなとの絆……綾波や、アスカや、ミサトさんとの絆…… 絆が欲しかったのかもしれない…… 今の僕には、絆がないような気がするんだ…… みんなとのつながりが……」
「…………」
(何を言ってるんだろう、僕は……)
 言葉を続けるうちに、自己嫌悪に陥りそうになった。
 自分が途轍もなく弱い人間のように思えてきた。
 こんなこと、綾波に話しても、しょうがないじゃないか。
 ……でも、誰かに話したかったんだ。
 ミサトさんには話せない。今のミサトさんはいつも忙しそうにしてて、僕の話を聞いてくれる余裕なんてありそうにない。
 それに、またお説教を食らいそうなんだ。それには耐えられないんだ。
 アスカは……ミサトさんに一度病室に連れて行ってもらった。
 話しかけても、何も答えてくれなかった。心を閉ざしていた。
 僕のことを見てくれない……
 だから、綾波にききたかったんだ。
 綾波に、聞いて欲しかったんだ。
 綾波なら、僕の言うことを聞いてくれるかもしれないと思ったから。
 綾波なら、答を出してくれるかもしれないと思ったから……
(でも、答は出なかったな……)
 シンジはそう思った。でも、聞いてくれただけで、少しは気が楽になったような気がする。
 いや、ひょっとすると、さっきのが答なのかな……
 それとも、やっぱり答が出ない方が良かったのかもしれない。
 じゃあ、どうして綾波にきいたんだろう?
 ……もしかしたら僕は、綾波と話がしたかっただけなのかもしれない……
(わからない、やっぱり……)
 もう帰ろう。これ以上、綾波に迷惑かけられないし……
 シンジはレイに視線を戻して小さく声をかけてみた。
「あの……」
 レイは水を飲みながらシンジの方に顔を向けた。
 その視線は、なぜかさっきと違う気がした。 何だか、冷たくない……
「あの……もう、帰らなきゃ……」
「……そう……」
「あの……いろいろ、ありがとう……相談に、乗ってくれたりして……」
「…………」
「じゃあ、もう、帰るから……」
「…………」
 シンジが帰ろうとして椅子から立ち上がると、レイも一緒に立ち上がった。
 つと、シンジの方に歩み寄る。
「……コップ……」
「あ、うん……」
 シンジは綾波にコップを返そうとした。
 レイは無表情のままシンジとコップを見比べながら言った。
「……飲まないの?……」
「え、あ……」
 コップの中には半分以上水が残っていた。
 せっかく入れてもらったんだから、飲まなきゃ悪いよな……
 シンジはあわててコップの水を飲み干した。
 そして空になったコップをレイに返す。
 レイは無言でそれを受け取った。
「じゃ……」
「…………」
 レイはまだシンジの方を見ている。
 シンジはドアの方に向かって歩き出した。 レイが後ろから付いて来る。
 ドアを開けて振り返ると、レイが見ていた。
(やっぱり、今日の綾波、何か変だ……)
 何がどうなってるのかわからない。
 混乱した頭の中で、シンジはうわごとのように言葉を発していた。
「あ、あの……さよなら……」
 一呼吸置いて、レイが言葉を返してきた。
「……また、明日……」
「え……」
 今、何て言ったの……


 あの後、どうやって家に帰ったのかわからない。
 帰る途中も、帰ってからも、シンジの頭の中は今日のレイのことでいっぱいだった。
 その他のことは何も憶えていない。
 レイの言葉が、シンジの頭の中を駆け巡っていた。
 何か飲む……座ってて……コップの水……絆……あなたはなぜ……また明日……
(今の綾波は……今の綾波は、前の綾波とどう違うんだろう。 なんか前の綾波より、僕のことをよく知ってるみたいだ。 そんなこと、あるわけないのに……)
 ミサトが帰ってきて夕食の催促をするまで、 シンジの頭の中は最初の疑問とは違う堂々巡りを繰り返していた。




人と人をつなぐもの
心と心をつなぐもの
私とみんなをつなぐもの。

絆……みんなとの絆……
『今は絆があるの?』
わからない……
『あると思っていたの?』
そう……
『どうしてそう思ったの?』
わからない……
『絆がないの?』
わからない……
『絆が欲しいの?』
欲しい……
『絆がなくなるのがいやなの?』
そう……
『どうして?』
わからない……言葉で言い表せないの……
『…………』
…………


言葉で表せない、気持ち……どうすればいいのか、わからない……



新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

To be continued...



Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions