暗夜涼気 満月の章・第壱夜「暗夜」

また、寒さの夜がやってくる。
そして、静寂の闇夜が当たりを包む。
こういう場所だからだろうか、車が外を走る音も、木々のざわめきも、もちろんのこと、人の雑踏も聞こえない。
寒い・・・・。
私はふと目を閉じてみた。
あまりの静寂さのせいであろうか、 まるで宙に浮いているような、 奇妙な感覚を覚えた。
夏だと言うのにこの寒さはなんだ。
私は目を開けると月の無い夜空を見上げた。
新月の夜なのだから月が無いのは当たり前だ。
奇妙な感覚、そうかこれはデジャブーか。
この寒さの夜にあいつと出会ったんだ。

私から話し掛けたなか、あいつから話し掛けたのか記憶に無い。
ただ、あいつの話した御伽噺だけが強く記憶に残っている。
「月が欠けるのは龍が食らうから、だから新月の夜は食物が無くなって腹を空かせた龍がさまよい出る」
「龍・・・・・・か
私は確かめるようにつぶやく。
「あいつは、どこに行ったんだろう・・・、まさか龍になったんじゃないだろうな・・・ハハハ・・まさかな、何考えてるんだ私は・・
これといって特徴のないあいつ。
ある日突然、私の前から姿を消した。
夏のあつい日差しの中、呆然と立ち尽くしたのを覚えている。
全ての連絡方法は通ず家に訪ねてみるともぬけの空だった。
あいつの家だったところの扉の前ではがされた表札を見ていた。
それ以外は目に入ってこなかった。

「ふう」
私は、小さくため息をつくと回りを見渡した。
やはり、あいつのすがたは見当たらない。
ポケットに手を入れると小さな紙切れが手に当たった。
この、小さな紙切れから何かが始まろうとしている。
いや、あいつと出会ったときから始まったのかもしれない。
私は小さな紙切れ、電報が届いた日の事を思い返した。

4年前の夏、突然消えたあいつ。
そして、突如送られてきた電報。
電報には、あいつらしく「アイタイ キテクレ」としか、書かれてなかった。
私は、怒る気にもなれず、ただ! 苦い笑みを浮かべるだけだった。
ひとしきり文面を読んだ後、私はあいつと過ごした近く遠い時間を思い出した。
あいつは、よく私の家に来ては、まるで謎かけのような話をしてくれた
月の満ち欠けの話に地震や噴火の話、 その全ては、龍にまつわるものばかりで!!
たとえば、地震の話などはこうだった。
この地球の下には、龍の通る道があって、 欲望に駆られた人間達が、その身分をわきまえず龍脈(龍の道)を ふさぎ、己の物にしようとした為に、 龍の怒りに触れたのだと、あいつは見てきたように言うのだった。
あいたい・・・・・・・・・
あいつを思い出すたびにいつも考えていた事だった。
キテクレ
時間も場所も指定していないという事は、 あの時、私とあいつが初めて出会った。
あの場所、あの時間に来いという事なのだろう。
迷っているような時間は、あまり残されてはいない。
あいつと出会ったのは、夏が終わるまえだった。
私は荷物をまとめると、会社に休暇をもらう胸を伝えた。
しばらく、帰って来れない家にしっかりと鍵をかけると、 駅へ向かい歩いていった。
あいつの待つ、あの場所へ行くために・・・・・・・・・・

つい数日前の事だが大昔の事に思える。
風が動いた。
辺りの木々がいっせいに音を出す。
静寂のなかその音だけが鳴り響く。
目で耳で風がこちらに向かって吹き続けているのが分かる。
奇妙な吹き方だ・・・龍でも動いたのか・・・・・・
そう思った瞬間だった。
風が勢いを増し、水の様に実体を持ち、交じり合い溶け合い淵を作って行く。
私は、ただ風を巻き込み巨大になって行く淵を見つめている事しか出来なかった。
淵の底で何かが揺らめいた。
それは、淵から這い上がろうともがいていた。
そして、それは私に気が付くと巨大な双眸をゆっくりと向け、煌煌と輝く瞳で私を見つめた。
両腕で顔を覆った、もしかしたら何かを叫んだのかも知れない。
何時間も過ぎた気がした、いや一瞬だったのだろう。
周囲から音が戻っていた。
あれほど感じていた寒さも消えている。
寒さの夜が終わったのか・・・。
「扉が閉じたからね。こちらから氣が抜けるのが止まったんだよ」
聞き覚えのある声がした。
おそるおそる腕を取るとあいつが立っていた。
幻覚だったのか?
「・・・遅かったな」
呼吸を整えてから言っても、声が嗄れていた。
「4年ぶりに会った彼女に向かってそんな言い方は無いだろ?」
あいつは、抑揚の無い声で、少しすねた様に言った。
「龍姫・・・」
無意識の内に呼ばなくなっていた名前を4年ぶりに呼んだ。
「それでいい」
ゆっくりと近づくと、背伸びをして私の頭を抱き込む様にキスをした。
私はこの新月の下で再び龍姫との邂逅を果たした。
それは、深い闇によって創造された深淵、そこには、確かに龍がいた・・・
深淵を覗き見た時、深い闇の向こうより、私の心を覗きこむようにして見つめる、 煌煌とした双眸を確かに感じたのだった。
「た・つ・き 龍姫!!」
私は重ねあった唇から、あいつの優しさを感じ取っていた・・・・・・。
あれから、どれくらいの時が過ぎたのだろうか・・・
東の空が、オレンジ色に染まり始めるなかで、私達はただ見詰め合っていた。
明け方の風は冷たく、本当ならば身を切る寒さのなかでも、 私は不思議と肌寒さを感じ得なかった・・・
そうそれは、まるで静止した時のなかにあるようだった
私は何も尋ねずにいた。
私を置いてまで、あいつが旅立った理由(わけ)や、今になってアイタイと言ってきた理由(わけ)。
あいつに再び逢えた、それが全てだったし、その理由を尋ねる事が負担になるのが嫌だったから。
何も言わない私に、あいつは優しげな微笑をうかべると、
「あいかわらず、優しい奴だな、刹那!!」
何気なく呟くあいつの言葉に、情けないぐらいに鼓動が速まる。
4年ぶりに呼ばれた私の名前、あいつ以外は名字で、私の事を十六夜と呼んだ。
だから、刹那と呼ばれたのは、冗談でなく4年ぶりだった。
「ははっ、優しいか!! 違うよ龍姫」
私は軽く笑い、そしてまじめに答えた。
「優しさじゃないのか? では何故、何も尋ねないんだ。」
あいつが不思議そうな瞳で尋ねる。
「恐いからだよ!!」
真摯な瞳をあいつに向けて答える・・・
あいつの瞳のなかに、一瞬だが確かに、寂しげな陰りを見つけた気がした。
あいつは、伏し目がちな瞳と抑揚のない声で、
そうか・・・迷惑をかけてすまなかった
と言って背を向けると、夜明けの太陽に向かって歩いていく
私は遣り切れない気持ちだった、あいつの私に対する評価とはこんなものだったのだろうか?
私は、去りゆくあいつをはしって追いかけると、強引に手を引っ張って振り向かせる
すると、あいつの表情は、悲しげに涙で曇っていた。
「勘違いするな龍姫!! 私が恐いと言ったのは、確かに君の事だ。 だけど、その意味は、何かを尋ねることによって、また君が消えてしまうかもしれないこと。 私が恐いと言ったのは、再び君を失う事なんだ・・・!!」
そう告げると、あいつの表情に変化がみられた、悲しげに沈んだ瞳には生気がやどり、 寂しげだった顔は、愛しさと嬉しさと恥ずかしさをごちゃまぜにしたような有り様になっていた。
「刹那!! 聞いてほしい私の話を・・・
あいつはそう言うのだった・・・・・・

あいつとの邂逅から数時間が経過していた。
あいつは、私の隣で気持ち良さそうに眠っているが、私は眠ることが出来なかった。
何をするでもなく、ただ、悠久にも想える時をあいつの寝顔を眺めて過ごす。
ただ、それだけの事がとても大切に思えてくる・・・。
あいつが消えてから4年、離れていた時間があいつの大切さを再認識させてくれる。 
4年前までは、あいつといることが自然で、二人でいる事が普通だった。
でも、今は違う・・・あいつといられる事が、二人でいられる事が幸せだった。
あいつとふたりで・・・ささやかな望み
そんな小さな幸せでさえ、私達には与えられないというのだろうか?
ただ龍姫と暮らしたい、それだけなのに・・・
私は傍らで静かに眠る、あいつの唇に唇を重ねあわせる。
あいつと私の周りで、静寂した時が流れていく、
触れ合っていたのは一瞬だったはずだが、私には永遠にも思えた。
彼女の心と触れ合った時に、私の運命は決まっていたのかもしれない・・・。
普段なら決して言えない言葉、いやこんな時でさえあいつが寝ていなければ言えない言葉!!
そんな言葉を私は呟く・・・
「龍姫、君を愛している・・・死ぬまで君を離さない
私が龍姫にして上げられる事は、それぐらいしかないのだから・・・・・・

第弐夜へ続く・・・

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