インド料理「ナイルレストラン」日印友好50年
東京都中央区銀座

大学時代、アルバイトしていた会社の重役(と言っても、同級生の兄貴)から銀座で御馳走してあげると言われ大喜びします。銀座駅で地下鉄を降り、三越前の晴海通を歌舞伎座に向かい歩いていきます。パチンコ屋がある昭和通の角を左折し2軒目の小さく怪しげな店に連れ込まれます。狭い店には、古びた安物のテーブルが2列有り左一番奥の席には英語をらしき言葉を使う色の黒い怪しげな老人までいます。とんでもないところに連れてこられたようです。これが始まりです。

「ナイルレストラン」って、どんなお店

初代、A.M.ナイル氏

怪しげな老人は、印度独立運動の陰の立て役者、今はなきA.M.Nair。彼がいなければ大英帝国はいまだに存続していたかもしれません。ナイルレストランは1999年に創業50周年を迎えています。

2代目、G.M.ナイル氏

東京中央区銀座のインド料理屋さん「ナイルレストラン」。G.M.ナイル氏と女の子(オタマジャクシ)

2代目は、少し色の黒いちゃきちゃきの江戸っ子気質です。目立ちたがり屋なのか、良くテレビにも出演しています。

お店の近所の歌舞伎座から役者が食事に来ることもあります、それでかどうかは解りませんが2005年の博多座六月大歌舞伎には役者として舞台に立つそうです。先日おじゃました折りには、芸能プロダクションに所属していると自慢していました。

そして、3代目

3代目は、そんな親爺の事をどう思っているか解りませんが、ウェーターとしてお店の中を飛び回っている、少し色の黒いナイスガイです。

何十年も笑顔のお兄さん

東京中央区銀座のインド料理屋さん「ナイルレストラン」。何十年も笑顔のお兄さんと女の子(オタマジャクシ)

大学生の頃からお世話になっているウェイターのお兄さんは、ご家族をインドに残し来日されています。とても頭の良い方で、彼がお子様の教育のため数年日本を離れ、私も帰省した後、後輩の結婚式に招かれ上京したことがありましあた。そのとき彼女(かみさん)と銀座を歩いていると彼から呼び止められたことをおぼえています。

彼がいるから、メニューなんか見たことありません。注文は、ビールを何本飲むかだけです。料理は、素材に合わせ香辛料を調合してあるので、あまり辛くない物や、辛い物や、とても辛い物があります。一番おいしい方法で調理してあるのでしょう、どれもこれもうまくて堪りません。

食事の最後はミルクティー、砂糖をいっぱい入れて飲み干すと、口の中がすっきりとします、とても不思議な気分です。

辛いだけがエスニックなのか

「ナイルレストラン」で思うこと

大学生の頃から、辛さだけを競うエスニック料理屋はありました。最近とみに増えてきたようですが辛いだけで料理の値打ちが変わるわけありません。

「ナイルレストラン」と「ナイルカレー」

福岡の人はナイルと言えばナイルカレーを思い浮かべる人が多いと思います。でも、ナイルレストランとはまったく関係ありません、次元がまったく違います。そう言えば、2代目が福岡にはいい思いがないと言っていたような気がします。