歎異抄 (唯円 作)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写



一 親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情(うじょう)はみなもつて世々生々(せせしょうじょう)の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道(ろくどう)・四生(ししょう)のあひだ、いづれの業苦(ごうく)にしづめりとも、神通方便(じんずうほうべん)をもつて、まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなりと云云。

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