お釈迦様の生涯 (2)
最低山極悪寺 珍宝院釈法伝
法伝 今日はこの間の続きで、お釈迦様の青少年時代の話をしてくださいよ。
本住 そうだねえ。お釈迦様は、恵まれた生活をしていたけれど、精神的にはあまり満足できない状態であったらしい。いろいろな伝承が残されているんだが、どれひとつとして、お釈迦様が毎日楽しく暮らしていたということを残していない。
法伝 夏の宮殿と、冬の宮殿をあてがわれて、暑さ寒さを知らないような生活だったんでしょう?
本住 まあ、両親に甘やかされて育ったんだねえ。しかし、感受性の強い子だったから、あまり厳しく育てられなかったのかもしれない。今になれば、推測するしかないことだがね。
法伝 伝承をいくつか話してくださいよ。
本住 例えば、耕された畑から虫が出てきた。するとその虫を、小鳥がついばんでしまった。そして、今度はその小鳥が、大きな鳥に追われていった。そういう風景を見て、生と死の不条理を思ったという話。飲めや歌えの大騒ぎの後、美しい衣装をまとった若い踊り子や侍女たちが、ぶざまに寝ているすがたを見て、厭世の思いに駆られたという話。
法伝 でも、結婚はしたんでしょう。
本住 そう。16歳の時に、いとこのヤソーダラという13歳の女性と結婚したらしい。
法伝 江戸時代の日本と同じで、早婚だったんですね。
本住 他の伝承では、第2夫人、第3夫人がいたという話もある。
法伝 大変ですね。オレなんか、一人でも持て余しているのに。
本住 お前だけじゃないよ。まあ、それはともかく、子孫を増やすこと、特に跡継ぎの男の子を得ることが、男の義務だった時代だからね。
法伝 何か、種馬みたいで寂しいですね。
本住 そうだね。世の中には、単純に、一夫多妻と男尊女卑を結びつけたがる者があるが、本当に、そうなのかねえ。いつの時代も、男も女も、それぞれの悲しさを背負っているというのが、私の考えなんだけれどね。
法伝 そして、幸運にも子供が産まれる。それも、跡継ぎになる男の子。
本住 うむ。生まれたのは、結婚してから10年以上も経ってからのことらしい。
法伝 名前はラーフラというんでしょう。
本住 そうだ。これは、「悪魔を倒す者」という意味らしいが、一説によると、アクセントによっては「悪魔の中の悪魔」という意味になる。そして、お釈迦様は、我が子を、この、「悪魔の中の悪魔」というアクセントで呼んだという。
法伝 ずいぶん、すごい名前ですね。
本住 出家というのは、これまでの財産、地位、家族、そういうものすべてを捨てることだ。おそらく、お釈迦様は、名付けたときに、すでに、わが子と別れる覚悟をしておられたのだろう。
法伝 それほどまでして、お釈迦様が出家をしようと思われたのは、なぜなんですかねえ。
本住 その答えは、伝統的に、四門出遊(しゅつゆう)と呼ばれる物語で説明されている。いくらお前さんでも、この話は知っているだろう。
法伝 いや、まあ、それは、知っていますが。
本住 話してごらん。
法伝 茶菓子の甘納豆もなくなったことですし、それは次回ということで。
本住 おいおい、時間稼ぎかね。なんなら、甘納豆を追加しようか。
法伝 勘弁して下さいよ。