12 どんどんバカになっていく

2016.12.20

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  世界の長編読破計画とかいってエンエンと主に世界文学の長編小説を読み、やっぱり日本のモノがいいやと、大西巨人の『神聖喜劇』を読み、そのあと、小説ではないがやたらと長い、伊藤整・瀬沼茂樹の『日本文壇史』全24巻も読み切ったところで、さすがに疲れて、こんどは超ゆっくりと味わって小説を読みたいと思い、谷崎潤一郎の『細雪』を一日10ページ程度と限度を決めて読んでいるところだ。

 『細雪』は、再読である。今から40年ほど前に、通勤電車の中で少しずつ読んだら、当時のぼくにしては、めずらしく読了した。(つい最近までのぼくは、長編小説どころか、短編小説ですら、なかなかまともに読了できなかったのである。)とにかくおもしろくて、やめられなかったということもあった。谷崎のものは、他にはあまり読んでいないのに、とにかくこれはスゴイと思って興奮したのをよく覚えている。

 ところが、今回再読にとりかかってみると、まるで初めて読むように新鮮である。まったく覚えていないのである。最初のほうに、姉妹がどうもビタミンBが不足しているらしいというので、ビタミン剤を注射しあうところが出てくるのだが、その「ビタミンBが不足」のことを彼女らは「B足らん」と呼んでいたとある、そのことも、記憶になかった。

 先日、大学時代の親友二人と池袋で飲んだおり、『細雪』に話が及んだところ、ひとりが、「ああ、最初のほうに、B足らん、とか出てきたよね。」なんてさらりと言うのでびっくりしてしまった。さすがに現役の国文学教授である。

 「抜き衣紋の顔を見据えた」なんて出てくると、「え、抜き衣紋って何?」となってしまい、きっと、着物の柄だろうなどと思いつつネットで調べてみると、なんと、着物の着方だ。芸者さんなんかがよくやる、後襟をひきさげて、襟足が現れるように着ること、だなんて、映像ではよく見てきた着方だが、あれが「抜き衣紋」だなんて知らなかった。そんなことも知らないで、よく「日本文化は素晴らしいよ。」みたいな口をよく教室で叩いてこられたものだと、今更ながら、我が身の無知・無教養を恥じるばかりだ。

 人間、歳をとれば、すこしはモノの道理もわきまえて、知識も教養も若い人とは比較にならないほど広く深くなるのではないかと漠然と思ってきたのに、なんだか、このごろ、どんどんバカになっていくような気がしてならない。昔知っていたことも忘れ、読んだ本の中身も忘れ、もちろんごく最近会ったばかりの人の名前も忘れ、今に始まったことではないが家人に頼まれた用事も忘れ、おまけに芝居のチケットを予約しておきながらさてそろそろだったなと確かめてみたらもう10日も前に終わっていたなんて事態まで起きる始末で、ましてや、知識・教養は深みをますどころか、日照りのダムのように貯水量を減らしている。

 みんな忘れてしまって、それこそ「無」の境地に至るなんてことになるなら、それはそれで一興だけれど、そこまで徹底していなくて中途半端なものだから、周囲に迷惑をまき散らしているだけのことで、まことにたちが悪い。

 まあ、それでも、『細雪』に「時雨」なんて言葉が出てくると、「時雨って何?」って思って(いや、さすがにだいたいは知っているわけだが)、いちおう、念のため調べてみると、厳密にいうと関東平野には「時雨はない」のだと知り、またびっくり。これもずいぶん前のことだが、栄光学園の国語教師の旅行で、近江路を旅したとき、川沿いの道を歩いていたら、時雨れてきたことがあって、ああ、こういうのを「時雨」っていうんだなあと感じ入ったことを思い出したが、それはその土地特有なものだということまでは考えが及ばなかった。

 「時雨」なんて知ってるよ、って思わずに、おれはバカだから知らないのかもしれないと思って調べてみると、こういうこともあるわけで、バカもあながち悪いことばかりじゃなさそうだ、ということにせめてしておきたい。

 


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